近現代史記事紹介-9

 

■ 正すべきは国の災害支援のあり方

 

気に入ったコラム 直球&曲球 野口健氏

 

正すべきは国の災害支援のあり方

直球&曲球 野口健 2024/2/22 10:00 能登半島地震直球&曲球

 

全くその通りですね。

政治家は何をしているのやら。

2022/02/22

 

倒壊した家屋=石川県輪島市 
倒壊した家屋=石川県輪島市 

 

 

正すべきは国の災害支援のあり方

直球&曲球 野口健

 

 

能登半島地震の発生から50日以上が経過した。これまでに7回、被災地に入り、避難所や在宅避難されている方々に、8666個の冬山用寝袋を届けた。それでも寝袋を求めて、朝の6時から行列ができることも。「届けても、届けても」求める人々の姿はなくならない。その悲痛な声をずっと受け止めてきた。

 

驚くのは、いまだに在宅避難や車中泊をされている方がとても多いということだ。「毛布1枚しか与えられず敷布団もなく、段ボールを敷いて寝ている」という被災者の声を聞き、この国は果たして先進国なのか、と悔しさのあまり、涙した。

 

久々に被災地から戻りテレビをつけたら国会中継をやっている。野党の追及は、自民党の派閥の政治資金パーティーの問題ばかり。「政治とカネ」への追及は理解するが、今まさにこの瞬間、国に助けを求めている多くの被災者がいるのだ。正すべきは国の災害支援のあり方であり、災害関連死をいかに防ぐかということではないのか。

 

被災自治体のある首長は「あの人たちは自分の意思で避難所に来ないのですから」と話していたが、実際にお会いしてみると実にさまざまな事情がある。ペットを受け入れる避難所が少なく一緒に車中泊をされている方や、家族で避難所に身を寄せたものの「家が壊れていないのになぜ狭い避難所にきたのか」と指摘され、電気も水道もない自宅に戻らざるを得なかった人もいた。その家族は真っ暗闇の中、がれきに囲まれ、一軒だけポツンと残された家で身を寄せ合うようにして過酷な生活を懸命に耐えていた。

 

もしも、もっと大規模な「南海トラフ地震」や「首都直下型地震」が発生したらこの国は本当に終わってしまうのではないか。

 

 

〝避難所ガチャ(当たりハズレがあるという意)〟という言葉を耳にしたが、避難所によって格差が生じてはならない。避難所に何を用意するのか、全国統一のルールを策定すべきだ。また各自治体で寝袋を用意し、備えておくこと。長期間、寒さにさらされる被災者の姿を見るのは今回で最後にすべきである。

 

 

登山家、環境活動家 野口健氏 
登山家、環境活動家 野口健氏 

 

野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、日本の登山家、環境活動家。亜細亜大学国際関係学部卒業。NPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表(2020年時点)として、ヒマラヤ・富士山での清掃活動といった環境保護への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている。

 

 

 

■ 憲法改正へ新時代の志士を求む

 

気に入ったコラム 杏林大学名誉教授・田久保忠衛氏

この夏に思う 

憲法改正へ新時代の志士を求む 

杏林大学名誉教授・田久保忠衛氏

2023/8/16 08:00  田久保 忠衛氏 ウクライナ侵略米中対立憲法改正終戦の8月

 

2024年1月9日、外交評論家で杏林大名誉教授の田久保忠衛氏が90歳で亡くなりました。

田久保氏が2023年8月16日に、戦後78年を迎えて、正論に寄稿したコラムを掲載します。2024/02/11

 

日本にとって大事な人を亡くしましたね。

2024/02/22

 

杏林大学・田久保忠衛名誉教授 
杏林大学・田久保忠衛名誉教授 

 

田久保 忠衛(たくぼ ただえ、1933年(昭和8年)2月4日 - 2024年(令和6年)1月9日)は、日本の外交評論家、政治学者、政治活動家。杏林大学客員教授。専門は国際政治学、アメリカ外交。博士(法学)。日本会議会長、美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表、国家基本問題研究所副理事長、明治の日推進協議会会長などを務めました。1956年 時事通信社入社。1963年までハンブルク特派員。1969年、外信部記者。1970年、那覇支局長。1973年、ワシントン支局長。1974年、外信部次長。1980年、外信部長。1980年、ウィルソン・センター研究員(兼任)。1984年、論説委員。1984年、退社し杏林大学社会科学部(現・総合政策学部)教授。1992年、学部長。2003年、大学院国際協力研究科客員教授。

 

 

この夏に思う 

憲法改正へ新時代の志士を求む 

杏林大学名誉教授・田久保忠衛

 

 

戦後78年を迎えて日本は

 

戦後78年を迎えたが、いまの日本は国際的にどのような地点に立っているのだろうか。事実上は米国の被保護国の立場に陥っているのを忘れ、一国平和主義を正当化する頓珍漢(とんちんかん)な時代が続いた。軽武装・経済大国の戦後を肯定し、「敗(ま)けてよかった」などと世を謳歌(おうか)する雰囲気が半世紀前には日本を覆っていた。政・財・官・学・言論界まで「太った豚」の状態に満足していたのを思い出す。

 

国際社会に対する軍事面での貢献は念頭にない。自分勝手な看板を掲げケロリとしていた日本がすさまじい衝撃を受けたのは、1990~91年、イラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争だった。ブッシュ(父)大統領主導の下に約30カ国が参加した軍事力で簡単にイラクを打倒した。日本は石油の多くを湾岸から買い求めていたにもかかわらず、軍事的行動には加わらず、米国の要求に従って総額130億ドルを支出した。

 

この後、一時的ではあるが、軍事的貢献を何とかできないものかとの議論が国内で高まり、小沢一郎氏が「普通の国家」論を提唱した。日本以外の国で国軍を持つすべての国家が行っている国際貢献を日本も可能にすべしとは、誰が考えても当たり前の議論だ。

 

このすぐ後に、外務省高官から「ハンディキャップ国家」論が出たのも記憶に留(とど)めておいていい。日本国憲法の制限を受けている日本の貢献は資金提供しかなく、他国の何倍かのおカネを出すのはやむを得ないとの情けない根性だ。以後「普通の国」を大っぴらに口にする政治家はいなくなったが、故安倍晋三元首相は「戦後レジーム」からの脱却を唱え、国家安全保障会議(NSC)設置、安保関連法成立など「普通の国」路線を大きく前に進めた。

 

岸田文雄首相は国際情勢の急変に気付いていなかったのだろう。就任前の著書で繰り返し軽武装・経済大国路線を説いていた。池田勇人、大平正芳、宮澤喜一…のいわゆる宏池会がたどってきた軌跡だ。これはいまの国際社会の常識に全く反する、と当欄で私は批判を加えてきた。

 

 

何が起きるか分からない

 

首相は1月に訪米した際にジョンズ・ホプキンズ大学で演説し、自分は戦後の安全保障政策を大きく転換する決断をしたと明言した。いわゆる安保3文書を作成し、防衛費のGDP(国内総生産)2%への増額を決め、吉田茂による日米安保条約の締結、岸信介による安保改定、安倍氏による「平和安保法制」の策定に続く、日米同盟の強化だ―と語調を強めた。

 

事態は急を告げている。中国、ロシア、北朝鮮という核を保有する国を正面に据え、安全の命綱である米国の政治力低下という悪条件を抱えた国は他に存在するだろうか。

 

意外性も覚悟しておかなければならない。例えばトランプ前大統領は自分が大統領に再選されるならウクライナ戦争を「1日で終わらせられる」と豪語した。仮に再選が実現し、トランプ氏がウクライナ向け武装援助を打ち切るとでも発言したら一体どういう事態が生まれるか。ウクライナは悲惨な運命に見舞われ、ロシアのプーチン大統領は勢いづき、「ロシア帝国」が再現するかもしれない。

 

ウクライナが勝利すれば、ポーランド、バルト三国、スカンジナビア三国と組んで北大西洋条約機構(NATO)の強力な反露体制の一角を形成していくかもしれない。世界は一大転換期にある。

 

 

子供っぽい依頼心捨てよ

 

この数年来、気付いたことがある。危険な環境下で日本の安全をどうするかと質問された政治家には「自衛力の強化と米国の抑止力」で対応するとあっけらかんと回答する人もいる。ユーラシア大陸の脅威に対抗すると同時に、米国となんとなく距離を置く要領のいい選択が、現実の厳しい条件では許されなくなった。

 

「自衛力の強化と米国の抑止力」という陳腐な回答の中には米国に対する子供っぽい依頼心が依然秘められていないだろうか。「米国の衰退」を米国の有識者たちが問題にし、中国がしきりにこれを囃(はや)し立てているのに対し、日本側の態度はおとなしく静かだ。

 

トランプ氏が政権を担当していたとき、日米同盟の片務性に腹を立て、「米国が攻撃されているときにも日本人はソニーテレビでも観ているのだろう」と皮肉を飛ばした。日本側の安全保障担当者でこれに正面から反論した例はなかった。米国の次期大統領が誰になるか予想の限りではないが、米中間に緊張が続いている限り、同盟国への防衛力強化の要請が強まることはあっても弱まることはあるまい。

 

実はこれこそ日本にとって絶好のチャンスが巡ってきたと判断していい。普通の国並みの国軍をつくる跳躍台にするための憲法改正に、命懸けで取り組む新しい時代の志士は登場しないか。(たくぼ ただえ)

 

 

 

■ 異国襲来と令和の日本の危機

 

気に入ったコラム  文芸批評家・新保祐司氏

異国襲来と令和の日本の危機

2024/2/19    8:00  正論  新保 祐司

 

モンゴル襲来から750年。

750年前の「異国襲来」を撃退したことは、日本文明にとって決定的に重要なものであった。

日本だけは一国で一文明の栄光を持っている。考え深いですね。

2024/02/20

 

 

鎌倉歴史文化交流館「東アジアと鎌倉の中世」ポスター 
鎌倉歴史文化交流館「東アジアと鎌倉の中世」ポスター 

 

 

異国襲来と令和の日本の危機

文芸批評家・新保祐司

 

過日、街中を散歩していたら、一枚のポスターが眼に飛び込んで来てぎょっとした。それは、大きな波がなだれ込んで来るように描かれていて、その波立つうねりは、濃い紺、緑がかった青、濁った白で彩られている。そして、「異国襲来」という白い4文字が大きく、上の方に異国、下の方に襲来と書かれている。

 

 

モンゴル襲来から750年

 

何かアクチュアリティのある感覚に襲われて近づいて見ると中央に「文永の役750年」とある。そうか、モンゴル襲来の1回目の文永の役は、西暦で言えば1274年であり、今年はそれから750年に当たる年なのだ。ちなみに2回目の弘安の役は、7年後の1281年である。この記念の年ということで、鎌倉歴史文化交流館(神奈川県鎌倉市)で「東アジアと鎌倉の中世」と副題されたこの企画展が開かれているのである。

 

一度気がついてみると、このポスターは、街のあちこちに貼られている。散歩していて、その前を通ると歴史と現在のつながりに頭がいって緊張感がもたらされる。「異国襲来」とあって、普通に言われるモンゴル襲来とは書かれていない。それがかえって、この異国がどの国か示されず、複数かもしれないという不安をもたらす。日本の危機についてあれこれ考えていると、遠い将来、我々が生きている現代を振り返って「異国襲来 東アジアと令和の日本」というような企画展が開かれることがあるのではないかという想像に引きずり込まれそうになった。

 

企画展の展示の中で、円覚寺のことが触れられていた。この鎌倉五山第2位の古刹(こさつ)は、弘安5(1282)年、鎌倉幕府の執権、北条時宗によって元寇(げんこう)の両軍の戦没者追悼のために無学祖元を招いて創建された。私は、2年ほど前から円覚寺の中にある弓道場に毎週通っているが、北条時宗の廟所(びょうしょ)に参ったことはなかった。時宗は、元寇の3年後、32歳の若さで死んだ。この危機に処する緊張がどれほどのものであったかが察せられる。日露戦争の後、1年も経(た)たずに児玉源太郎が54歳で、1年半で立見尚文が61歳で死去したことが思い出される。

 

 

伝統と秩序が保持され

 

この日本の危機を救った執権に敬意を表したくなって冬晴れの昼下がり、円覚寺の塔頭(たっちゅう)、佛日庵にある霊廟に足を運んだ。そこには、北条時宗を詠(うた)った昭憲皇后の御歌「あだ波はふたたび寄せずなりにけりかまくら山の松の嵐に」が書かれた額がかけられていた。

 

この750年前の「異国襲来」を撃退したことは、日本文明にとって決定的に重要なものであったことに改めて思いが到(いた)る。ハンチントンは有名な『文明の衝突』の中で、世界には文明が8つあり、西欧、中国圏、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、ラテンアメリカ、アフリカ、そして、日本だとした。他の文明が複数の国で構成されている中にあって、日本だけは一国で一文明の栄光を持っている。

 

13世紀のモンゴル襲来は、近代以前における日本文明の最大の危機であった。当時、モンゴルは、東方だけではなくユーラシア大陸の大半を席巻していた。ポーランド・ドイツ連合軍とモンゴル軍が激突し、連合軍はいとも簡単に敗れる。その後、モンゴル軍が南下してオーストリアのウィーンの郊外まで迫ったとき、モンゴルの第2代皇帝が死去し引き揚げた。

 

もし、このとき皇帝の死がなければ(これも、「神風」と言えるかもしれない)、ポルトガルまで進軍してユーラシア大陸全土を制覇することもありえたのではないかと想像される。そうなれば、西ヨーロッパの文明の在り方は全く変わっていたはずである。日本がモンゴルを撃退し、西ヨーロッパが侵略を受けなかったことで、ユーラシア大陸の西の狭い地域と東方の海に浮かぶ日本列島で伝統と秩序が保持されたのである。

 

 

国難の到来に備え

 

ユーラシア大陸の中央部では、国が興っては滅亡するという荒々しい歴史が繰り返され、文明の断絶が普通であった。しかし、西ヨーロッパでは、ローマ帝国の遺産の上にキリスト教文明が展開され、日本では、義を重んじる武士道が深化していったのである。

 

日本がG7に入っているのは、単に経済の規模によるだけではあるまい。西ヨーロッパと日本の文明が似ている面があるからである。この相似は、古くは、梅棹忠夫の『文明の生態史観』に説かれていたことである。司馬遼太郎は『「明治」という国家』の中で、「明治の精神とプロテスタンティズムが似ている」ことを指摘し、「もともと江戸日本が、どこかプロテスタンティズムに似ていた」のだという卓見を述べている。

 

北条時宗の霊廟に参った後、円覚寺の境内を歩きながら、昭憲皇后の御歌を思い出していた。「あだ波」が「ふたたび寄せずなりにけり」と言えた時代が、ついに終わることがありうる国難の到来に備えなければならない。栄光の日本文明を守ることが、「異国襲来」から750年後の日本人の使命だからである。(しんぽ ゆうじ)

 

文芸評論家・新保祐司氏 
文芸評論家・新保祐司氏 

 

新保 祐司(しんぽ ゆうじ、1953年5月12日 - )は、日本の文芸評論家。宮城県仙台市出身。1977年東京大学文学部仏文科卒業。元都留文科大学副学長・教授。キリスト教や日本の伝統・文化に理解を示す。自らの評論を「文芸的な評論」とし、詩的な文章をつくることを主眼としている。2007年度の第8回正論新風賞を受賞。2017年度の第33回正論大賞を受賞した。

 

鎌倉歴史文化交流館「東アジアと鎌倉の中世」ポスター 
鎌倉歴史文化交流館「東アジアと鎌倉の中世」ポスター 

 

 

 

■ トランプ氏再選後押しする急進左派

 

気に入った新聞コラム

トランプ氏再選後押しする急進左派 世界を解く-E・ルトワック

2024/1/22 13:54 黒瀬 悦成 国際 北米 米大統領選

 

なるほど、アメリカの急進左派の歴史観では、米国は先住民から盗み取った土地の上に成り立つ「不法国家」であるため国境を管理する権利はなく、自らを防衛する権利もないということですか。

先住民族から取った土地は当たっていますが、しかし、このまま行ったらアメリカは無くなりますね。

2024/01/24

国際政治学者  E・ルトワック氏  
国際政治学者  E・ルトワック氏  

 

エドワード・ルトワック(Edward Nicolae Luttwak、1942年11月4日)は、アメリカ合衆国の国際政治学者。専門は、大戦略、軍事史、国際関係論。ルーマニアのユダヤ人の家庭に生まれ、イタリア、イギリスで育つ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、英国軍、フランス軍、イスラエル軍に所属した後、1975年にジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論の博士号取得。現在、戦略国際問題研究所シニアアドバイザー。

 

 

世界を解く-E・ルトワック

トランプ氏再選後押しする急進左派

 

米大統領選の野党・共和党候補指名争いの火ぶたを切った中西部アイオワ州の党員集会では、返り咲きを狙うトランプ前大統領が大勝した。続く東部ニューハンプシャー州の予備選でも文句のない勝利を収めれば、トランプ氏が共和党の正式候補になる流れが早くも確定し、有権者の関心は、トランプ氏と民主党、バイデン大統領による本選での対決に移るだろう。

 

バイデン氏は81歳の高齢であることなどを理由に再選が危ぶまれるが、一つの政策的決断に踏み切れば、11月5日の本選で勝利できる可能性がある。大量の移民や難民が殺到しているメキシコとの国境で、国境警備隊だけでなく州兵部隊を動員して、不法移民の米国内への流入を厳格に取り締まるのだ。

 

移民問題に関しては前回の本欄でも言及したが、最近の新たな動きとしては、欧州諸国が相次いで国境管理を厳しくしたのに伴い、従来は欧州に向かっていた中東やアフリカ諸国のイスラム教徒の移民が中米の国々に飛び、徒歩で米国を目指すようになっている。

 

中南米rカリブ系の移民の特徴はヽ大抵がキリスト教徒で、数世代かけていずれは米国に同化し・ていくことだ。イスラム教徒も米社会を構成する重要な一員であるのは当然だが、多数の不法移民がイスラム圏から流入しつつある事態を前にヽ米有権者が欧州のような宗教的対立に起因する暴動やテロを懸念するのも必然的な流れといえる。

 

バイデン氏とは彼が新人の上院議員だ― った頃からの知り合いだ。理性的な人物で、国境問題を放置すれば再選できないことも理解している。

 

卜‐ランプ氏の政策は、州兵部隊らで国境を固め、不法に越境しようとする者にメキシコの米領事館で入国申請するよう促し、お引き取り願うというものだ。

 

バイデン氏が同じことをできないのは、民主党勢力の中で自らを「プログレッシブ(進歩派)」と称する急進左派が「盗まれた土地では誰も不法(移民)ではない」との主張を唱え、実質的な国境開放政策を後押ししているからだ。

 

彼らの歴史観では、米国は先住民から盗み取った土地の上に成り立つ「不法国家」であるため国境を管理する権利はなく、自らを防衛する権利もないというものだ。

 

こうした考えが広まっている原因の一つは大学教育の左傾化だ。 

 

米国の大学ではこの数十年間、学長や理事、管理当局が高い報酬を得る一方、教授らの給与は年々低く抑えられてきた。資本家に搾取される労働者のような扱いを受ける教授らは思想も左翼的になり、自国の正当性を疑う言説を学生らに教え込むようになったのだ。

 

民主党支持勢力の一部が、昨年10月7日のイスラム原理主義組織ハマスによるイスラエル大規模攻撃に関し、イスラエルが反撃するのに反対したのも、パレスチナの地に不法に入り込んできたイスラエルに自らを守る権利はないという、米国境問題と全く同じ理屈に根差している。

 

バイデン政権でも急進左派思想に影響されている高官やスタッフは少なくないとみられる。国境政策の転換は彼らの大量辞任による政権の混乱につながる恐れもあり、簡単には決断できない。

 

バイデン氏はトランプ氏の再選阻止に向け、先の大統領選で同氏が選挙結果を覆そうとしたなどとして罪に問われた4つの刑事裁判の行方に期待をかける。特にトランプ氏が南部ジョージア州での選挙結果を覆そうと州政府に圧力をかけたとされる事件の裁判は、同氏を有罪にする可能性が比較的高いとみられていた。

 

ところが、同氏を起訴した民主党系の女性地方検事が、不倫関係にあるとみられる弁護士を問題の裁判の特別検察官として70万ドル(約1億400万円)で雇い入れた疑惑がトランプ氏側から提起され、裁判自体が迷走する恐れが強まってきた。

 

バイデン氏は1期目の実績として経済再建を誇示するが、有権者には実感として伝わっていない。

 

急進左派が第2次トランプ政権の誕生を後押ししている。これが現在の皮肉な状況なのだ。(聞ぎ手 黒瀬悦成)

 

 

 

■ 慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破

 

気に入った新聞書評コラム  ジャーナリスト・古森義久氏

 

『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』 

評・古森義久(ワシントン駐在 客員特派員)

2024/1/21 08:50 古森 義久 ライフ 本 国際 北米 朝鮮半島

 

『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』

J・マーク・ラムザイヤー著 藤岡信勝、山本優美子編訳 藤木俊一、矢野義昭、茂木弘道訳

 

正当な論文ですね。

米国学界、とくに日本やアジアの研究分野の人たちからの迫害は、信じられない。

政治が絡むとこうなるのか?

2024/01/22

 

ジャーナリスト 産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員 古森義久氏 
ジャーナリスト 産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員 古森義久氏 

 

古森 義久(こもり よしひさ、1941年〈昭和16年〉3月11日 - )は、日本のジャーナリスト。麗澤大学特別教授。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構特別アドバイザー。国際問題評論家。国際教養大学客員教授。ジョージタウン大学「ワシントン柔道クラブ」で指導経験がある柔道家。

 

『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』 J・マーク・ラムザイヤー著 藤岡信勝、山本優美子編訳 藤木俊一、矢野義昭、茂木弘道訳 
『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』 J・マーク・ラムザイヤー著 藤岡信勝、山本優美子編訳 藤木俊一、矢野義昭、茂木弘道訳 

 

 

『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』 

評・古森義久(ワシントン駐在 客員特派員)

 

 

期限付き契約を立証

 

慰安婦問題では2007年7月31日は日本の国家や国民への汚辱の日だった。同盟国の米国の連邦議会下院が「日本の政府や軍はアジア各地の女性を集団的に強制連行し、20万人を日本軍の性的奴隷とした」という虚構の決議を採択したからだった。

 

民主党多数の同下院で中国や韓国さらに米国学界の左傾反日派と結託したマイク・ホンダ議員が主導した虚偽の主張が通用してしまったのだ。

 

その時点でこの書が紹介するラムザイヤー教授の研究論文が認知されていれば、そんな汚辱は起きなかっただろう。本書はハーバード大学ロースクールの同教授が、慰安婦とされた女性たちが日本の公娼制度を基礎とした高額な賃金支払いを前提とする民間での任意の期限付き商業契約だったことを立証した、複数の論文を紹介している。同教授自身、日本やアジアでの貧困が不幸な売春を生んだことへの同情を示しながらも、日本の政府や軍が組織的に連行や強制をした事実はなかった点を強調している。

 

だから本書は日本の国家国民へのおぞましい冤罪(えんざい)、そして汚辱を改めて晴らす第一級資料でもあるのだ。

 

だがさらに衝撃的なのは、ラムザイヤー教授自身への米国学界、とくに日本やアジアの研究分野の人たちからの迫害である。同教授の新論文の米側学術誌への掲載が決まった段階から同教授への脅迫に近い攻撃が始まったことを、教授自身が具体的に伝えている。その種の攻撃は、吉田清治報告や朝日新聞の慰安婦強制連行報道の虚構を無視するかのような暴論である。

 

さらに注目すべきは本書の報告するラムザイヤー論文の1本が、米国下院の日本糾弾決議の16年前に発表された事実である。この論文だけでも、日本軍の慰安婦が「性奴隷」でも「強制連行」でもなかったことが証される。日本側がこの種の資料を使い、早い段階で反論していれば、日本全体への汚辱も避けられたかもしれない。本書の示す教訓の一つだろう。

 

米ハーバード大ロースクール教授のJ・マーク・ラムザイヤー氏(大森貴弘撮影) 
米ハーバード大ロースクール教授のJ・マーク・ラムザイヤー氏(大森貴弘撮影) 

ジョン・マーク・ラムザイヤー(John Mark Ramseyer、1954年 - )は、アメリカ合衆国の法学者。ハーバード・ロー・スクール教授。専門は日本法及び法と経済学。シカゴ生まれの宮崎県育ち。

 

 

 

■ 安倍氏の遺志どこへ?矜持なき議員達とメディア

 

気に入った新聞コラム

安倍氏の遺志どこへ?矜持なき議員達とメディア 

弁護士・北村晴男 

2024/1/21 08:00 オピニオン コラム 刺さるコラム

 

今の日本が壊れていく要因は、矜持なきメディアと、自己保身に汲々とする政治家議員だろう。

またそれを黙ってみている国民にも、大きな責任があると思います。

2024/01/21

 

弁護士 北村晴男氏 
弁護士 北村晴男氏 

 

北村 晴男(きたむら はるお、1956年〈昭和31年〉3月10日 - )は、日本の弁護士、タレント。長野県更埴市(現:千曲市)出身。プロゴルファーの北村晃一は長男、女優の北村まりこは次女。所属する法律事務所は、北村・加藤・佐野法律事務所。日本保守党法律顧問。

 

 

安倍氏の遺志どこへ?矜持なき議員達とメディア 

弁護士・北村晴男 

 

自民党安倍派の議員たちは、安倍晋三元首相がどういう日本をつくろうとしていたか、その遺志を忘れてしまったかのようだ。

 

彼らは安倍氏の死後、たがが外れてしまった。昨年、安倍氏が慎重姿勢を取り続けていたLGBT理解増進法成立に手を貸したのは記憶に新しい。同法は伝統的に性的少数者に寛容であった日本社会を「差別する側」「される側」に分断するなど弊害が大きいが、彼らは安倍氏がいなくなるや、あっさりと法案成立に動いた。

 

派閥パーティー券収入のキックバックをめぐる問題でも、産経新聞の阿比留瑠比記者によれば生前の安倍氏は令和3年11月に同派会長に就任し「キックバックと政治資金収支報告書不記載の悪習をやめさせた」とされる。つまり安倍氏の死後、その遺志が無視され、キックバックと不記載が行われたのだ。閣僚などが辞任したり逮捕されたりしてメディアが「安倍派」「安倍派」と騒ぐたび、彼らにそもそも安倍派を名乗る資格があるのかと思う。

 

一方で、日本の安全保障環境は日々、厳しさを増すばかりだ。尖閣周辺に毎日のように武装船を送り込む中国海警局は、日本漁船に立ち入り検査する計画も策定中だ。中国の核の脅威も高まる上方で、近年はSNSで日本への核兵器使用を訴える動画が多くのアクセスを集めるなど、中国の危険性は増すばかりだ。

 

安倍氏は、最後に出演したBSフジのプライムニュースで中露や北朝鮮の脅威に対し、「核の傘は揺るがないことを米国は明確にしているが、これをより現実的にしていく必要がある」旨を述べ、日本をめぐる核抑止を真剣に論じていた。この危機意識を今の安倍派の議員は持っているのか。

 

一昨年の安倍氏銃撃後、メディアは安倍氏があたかも旧統一教会と深い関係があったかのような印象操作に終始する。母親が教団に多額の寄付をしようが、若者は自分の人生を自らの努力で切り拓く。親の大金を当てにするのは怠け者で、安倍氏を殺して同情を引くのは残虐で計算高く、卑怯の極みである。しかし、道理を知らないメディアはその肩を持つ。まともな矜持を持つメディアなら、殺人者やテロリストに報酬を与える報道はしないが、彼らは何が何でも安倍氏を批判しようと、非道な殺人者に報酬を与え続ける。日米同盟を強化し、安保法制を成立させ、中国や北朝鮮への危機意識を明確にしてきた安倍氏の功績と思想を葬りたいに違いない。

 

今の日本を見て一番喜んでいるのは中国や北朝鮮。それでもマスコミは「安倍派」と騒ぎ、当の安倍派議長たちは安倍氏の意思を忘れ、自己保身に汲々として信念なき漂流を続ける。(きたむら・はるお)

 

 

 

■ 被災者目線でない避難所生活

 

私が気に入った新聞コラムから学んだこと

被災者目線でない避難所生活 

拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長・濱口和久

2024/1/17 08:00 オピニオン 正論 能登半島地震

 

はじめて、濱口和久氏の見解を聞きました。

イタリアの防災管理システムはスゴイですね。災害がたびたびある日本が、なぜできないのか不思議な気がします。政治家が本気で考えていない証拠ですね。

2024/01/17

拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長・濱口和久氏 
拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長・濱口和久氏 

 

濱口 和久(はまぐち かずひさ、1968年10月14日[1] - )は大学教授。拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授および同大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長、一般財団法人防災教育推進協会常務理事・事務局長、防災危機管理フォーラム代表、防災・危機管理政策アドバイザー、城郭史研究家、一般社団法人防災住宅研究所理事、特定非営利活動法人日本領土領海戦略会議政策顧問、一般社団法人サイバースマートシティ創造協議会顧問、元自衛官。

 

 

被災者目線でない避難所生活 

拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長・濱口和久

 

 

自分事として捉える

 

元日早々から日本人は地震と向き合うことになった。石川県で最大震度7を記録した能登半島地震は発災から約2週間経(た)っても、道路の寸断が続きいまだに孤立している集落がある。停電、断水、通信障害なども解消されていない。石川県が16日に発表した死者数は222人(災害関連死14人も含む)にのぼり、現在も行方不明者の捜索が続けられている。

 

今回、被災した地域以外の大多数の日本人にとっては、自分の暮らす地域で発生した地震でないために、マスコミなどの映像や写真などを通じてでしか被災地を見ることができない。そのため、どうしても自分事ではなく人ごとになりがちだ。日本は地震大国であり、今後高い確率で発生する恐れがある首都直下地震や南海トラフ巨大地震が起きる地域に限らず、日本列島のどの地域に暮らしていても、日本人は常に地震リスクと隣り合わせであるということを理解しておくべきだろう。

 

平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、昭和から平成に時代が変わり最初の甚大な被害を伴う地震となった。その後も平成の時代は東日本大震災や熊本地震、北海道胆振東部地震などを日本人は経験してきた。能登半島地震は平成から令和に時代が変わり最初の甚大な被害を伴う地震となったことは誰の目にも明らかだ。

 

 

改善されない避難所の環境

 

能登半島地震では多くの住宅が全半壊し、発災後も余震が続くなか、被災者は自宅での生活ができないため避難所に身を寄せている。だが、避難所に指定されている施設も発災から数日間は停電、暖房がない状態で過ごさなければならず厳しい生活を強いられていた。断水によるトイレ問題も深刻となった。

 

体育館や教室に布団などを敷いて寝る生活は、ほこりやウイルスを吸い込みやすく、床から30センチ以上の高さがある簡易ベッドが不可欠とされるが備蓄の数は限られていた。プライバシーの確保のため雑魚寝を避けようと自動車での車中泊が増えれば、エコノミークラス症候群の危険性も高まってくる。避難所の環境は阪神・淡路大震災のときからほとんど改善されていない。

 

日本の避難所の環境の悪さは「先進国の中で最低のレベル」とも言われている。紛争や災害の際の避難所の環境水準を定めた国際基準に「スフィア基準」というものがある。多数の難民や被災者が発生した場合の人権、生命を守るための最低限の基準として国際赤十字などが設定したものだ。日本の避難所は一部の施設を除けば、この基準から程遠い状態だ。

 

1月13日、石川県七尾市の港に防衛省がチャーターしている民間の最大300人が宿泊可能な大型フェリーが入港し避難者を受け入れているが、日本は災害対応や台湾有事の住民輸送に備えて大型病院船を導入するべきだろう。

 

日本は災害のたびに防災体制の見直しや国土強靱(きょうじん)化の取り組みを行ってきたが、現状の避難所の環境は被災者目線とは程遠いものとなっていることが改めて浮き彫りとなった。

 

 

イタリアを参考に

 

能登半島の地理的特性や道路事情からイタリアの仕組みをそのまま能登半島地震に当てはめることはできないが、今後の日本の防災対策の参考になると思うので紹介したい。

 

イタリアでは発災後、政府からその日のうちに「緊急事態宣言」が発出されると、州(自治体)が備蓄してある「テント・簡易ベッド・トイレ」を1ユニットとして、大型トレーラー数台で運ぶ体制が整えられている。テント村(避難所)には遅くとも2日目には簡易ベッドと冷暖房機が設置され、家族単位のテントが展開される。トイレは衛生環境が保たれ、シャワーも完備されている。

 

被災した州には、周辺の州からキッチンカーが急行し、テント村には食堂用に巨大テントが設置され、翌日からテーブルで温かいパスタなどの食事をとることができる。数日後には肉料理やワインが提供されることもある。自衛隊が行う炊き出しまでの数日間、菓子パンやお握りといった食事が中心の日本の避難所とは対照的だ。

 

イタリアの災害ボランティアは日本のボランティアとは違い、事前に災害対応の研修や訓練を受け、ボランティア団体に災害派遣希望登録を済ませており、被災地に派遣される場合は、日当・交通費・労災保険が提供される。このようなボランティアがイタリア全土に120万人以上いる。ヘリコプターや建設重機などを保有しているボランティア団体もある。

 

日本では災害が起きるたびに警察や消防も被災地に出動するが、自衛隊の力に大きく依存する傾向が強い。自衛隊は自己完結能力を持った災害時にも心強い集団であることだけは間違いないが、自衛隊の本来の任務は国防だ。日本人は災害を人ごととせず、平時からうわべだけの防災対策ではなく、地域特性を考慮した地域防災力の強化に取り組むべきである。(はまぐち かずひさ)

 

 

 

■ 民間人を盾にするハマス

 

私が気に入った新聞コラム イスラム思想研究者 飯山陽氏

民間人を盾にするハマス 

イスラム思想研究者・飯山陽

2024/1/15 09:00 国際 中東・アフリカ 刺さるコラムイスラエル・ガザ情勢

 

この人の見解は非常に的を得ていると思います。日本のメディアと評論家はどこかおかしいですね。

意図的に真実を歪めているような気がします。

2024/01/15

 

イスラム思想研究者 飯山陽氏 
イスラム思想研究者 飯山陽氏 

 

飯山 陽(いいやま あかり、1976年(昭和51年)2月7日[3] - )は、日本のイスラム思想研究者、アラビア語通訳。麗澤大学国際問題研究センター客員教授。専門はイスラム法学・イスラム教に関わる世界情勢の調査・分析など。

 

民間人を盾にするハマス 

イスラム思想研究者・飯山陽

 

一般に軍は民間人を守り、敵と戦う。

 

しかし、この一般論が全く当てはまらない軍がこの世には存在する。それがハマスだ。ハマスは2007年以来、パレスチナ自治区ガザを実効支配している過激なイスラム組織である。

 

ハマスはガザ住民を全く守らない。昨年10月、ハマスはガザの地下に500キロものトンネルを造ったのになぜ住民用シェルターを造らないのかと質問された幹部の一人は、トンネルは住民ではなくハマスの戦闘員を守るためのものであり、ガザ住民の75%は難民なので彼らを守るのは国連の責任だと述べた。

 

ハマスは単に民間人を守らないだけではなく、人間の盾として利用する。彼らは幼稚園にロケツトランチ

ャーを設置し、学校を武器庫にし、モスクの中で射撃訓練をし、病院に拠点をおいた。ある戦闘員は老婆の乗った車椅子の下に隠れてイスラエル兵を撃った。リーダー各は常に身近に子供を侍らせていることで知られている。

 

民間人が死ねば死ぬほど高揚するとしか思えない発言もある。ハマス指導者のハニヤ氏は10月、「我々は女性、子供、高齢者の血を必要としている。その血が我々の中の革命精神を呼び覚ます」と演説した。自称「被抑圧者のために戦う解放の戦士」ハマスにとって民間人の命は革命の「燃料」にすぎないようだ。しかもハニヤ氏をはじめとする幹部トツプ3は軒並み、ガザではなく安全なカタールに住み、総資産額は約2兆円と報じられている。彼らはガザ市民の貧困や戦禍には目もくれない。

 

イスラエルがハマスとの全面戦争を余儀なくされてから3か月が経つ。ハマスは10月7日、無差別テロ攻撃で1200人以上の命を残虐に奪い、200人以上を拉致した。その後のハマスとの戦いは困難を極めている。国際法など構わず、民間人を盾にするテロ組織に対し、イスラエルは主権国家として国際法に従い、民間人の巻き込みを最小限に抑えるべく作戦を実行せざるを得ない。イスラエル軍報道官は12月、「ハマスにとって民間人の死は戦略、我々にとっては悲劇だ。だからこそ我々は、ハマスが始めたこの戦争において民間人の被害と苦痛を最小限に抑えるべく手段を講じている」と述べた。

 

ところが少なからぬ日本のメディアは、イスラエルがガザの民間人を意図的に大量虐殺しているかのよう

な報道に終始し、ハマスの非道からは目をそらす。停戦を訴える一方で、ハマスに対し、民間人の背後に隠れるのをやめ、武器を置き、拉致した人質を返せと要求する声はほとんど聞こえない。ハマスにとって、イスラエルを非難する偽善者はありがたい「仲間」だ。

 

 

 

■ この国民にして、この政治あり

 

私が気に入った新聞コラム 数学者藤原正彦氏

この国民にして、この政治あり

…派閥裏金の病理 藤原正彦

2024/1/4 07:00菅原 慎太郎 政治 ライフ 学術・アート The考

 

相変わらず、この人の思想、考え方には、敬服します。

西洋思想とアメリカに完全にやられたということですね。

日本人が失ったものを、もう一度取り戻すには、どうしたらいいのだろうか?

やはり、教育が一番重要だと思うのだけれど。

2024/01/07

 

数学者・お茶の水女子大名誉教授 藤原正彦氏 
数学者・お茶の水女子大名誉教授 藤原正彦氏 

 

藤原 正彦(ふじわら まさひこ、昭和18年(1943年)7月9日 - )は、日本の数学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストとしても知られる。妻は、お茶の水女子大学で発達心理学を専攻し、カウンセラー、心理学講師そして翻訳家として活動する藤原美子。新田次郎、藤原てい夫妻の次男として、満洲国の首都新京に生まれる。ソ連軍の満洲国侵攻に伴い汽車で新京を脱出したが、朝鮮半島北部で汽車が停車したため、日本への帰還の北朝鮮から福岡市までの残り区間は母と子3人(兄、本人、妹)による1年以上のソ連軍からの苦難の逃避行となった。母・藤原ていのベストセラー『流れる星は生きている』の中でも活写されたこの経験は、本人のエッセイの中でも様々な形で繰り返し言及されており、老いた母を伴っての満洲再訪記が『祖国とは国語』(2003年)に収録されている。

 

派閥裏金の病理

 

近頃、政治家のスキャンダルがかしましい。野党や週刊誌の喜ぶ失言や女性問題もその一つだが、こればかりは困ったことに、どうしようもない。昔からあり、今後も永遠にあり続けるだろう。ただ、これらは国民や国家に大きな影響を及ぼすことではない。今騒がれている政治資金パーティーでの政治資金規正法に触れる裏金隠しはそうはいかない。「政治とカネ」は自民党の宿痾である。1988年のリクルート事件、その後の東京佐川急便事件、ヤミ献金問題、と明るみに出るたびに自民党は様々な対応策を打ち出してきた。例えばリクルート事件の時には、派閥が金権政治の温床との批判に応え、「政治改革大綱」を発表し、党三役や全閣僚の派閥離脱を掲げ、派閥パーティーの自粛をうたったが、きれいさっぱり忘れられた。今回も対応策が出されるだろうが、また忘れられるだろう。

 

自民党の派閥裏金問題に揺れた昨年の臨時国会。参院予算委員会での審議に臨む岸田文雄首相(左)と前官房長官の松野博一氏=令和5年12月8日 
自民党の派閥裏金問題に揺れた昨年の臨時国会。参院予算委員会での審議に臨む岸田文雄首相(左)と前官房長官の松野博一氏=令和5年12月8日 

 

福沢諭吉は「学問のすすめ」の中で、「この人民ありてこの政治あるなり」と喝破した。政治は国民の鏡ということである。すなわち、「政治とカネ」は国民が正直と誠実をないがしろにするようになったことの鏡像にすぎないのだ。ということは、不正直や不誠実は、自民党ばかりでなく野党も含めた国会議員、さらに県会議員、市会議員にも広がっているはずである。不正直や不誠実はビッグモーターやダイハツだけでなく、程度の差こそあれ、ほとんどすべての企業で、いや、ほとんどの組織で行われ、看過され、隠蔽されているのではないか。

 

 

なぜ日本人は不正直になった

 

日本人の道徳について古くは三世紀の「魏志倭人伝」に、「盗みや訴訟をせず礼儀正しい」と記されている。十六世紀に布教に来たザビエルは、「礼節や名誉を尊ぶ」と書いたし、十八世紀に長崎出島に来たスウェーデン人医師ツェンベリーは、「率直にして公正、正直にして誠実、勇敢にして不屈」と記した。幕末に日米修好通商条約を結び六年近く日本に滞在した米外交官タウンゼント・ハリスはこう記した。「この国には

一見したところ富者も貧者もいない。人民の本当の幸福の姿とはこういうものだろう。私は時々、日本を開国させ外国の影響にさらすことが、果たして彼等をより幸福にするかどうか、疑ってしまう‐。日本は世界中のどの国とも違い、質素と正直の黄金時代にあるからである」。日本は世界のどの国とも異質の、高貴な国だったのである。

 

ハリスの懸念した通り、日本は間もなく帝国主義の波に巻き込まれ、いくつもの戦争を経て、ついに国土は焼け野原と化し、貧者ばかりの国となった。それでも道徳の方はさほど大きく傷つけられずにすんだ。ところが、戦後のGHQによる罪意識扶植計画にはやられた。彼等は、日本の歴史や古くからの美徳や伝統や価値観を巧妙かつ大がかりに否定した。日本が二度と、立ち上がってアメサカに歯向かうことのないよう、祖国愛を根こそぎにしようとしたのである。代わりにアメリカが盲信する自由、平等、民主主義を植えつけた。歴史上初めての敗戦で虚脱の中にいた日本人は、これらとGHQが一週間余りで作った新憲法こそが、平和と繁栄への道と押し戴いた。

 

冷戦後の1990年代半ばから入ってきたグローバリズム(新自由主義)は日本人の道徳にさらなる追い打ちをかけた。金融ビッグバン、新会計基準、市場原理、規制緩和、小さな政府、官叩き、地方分権、民営化、大店法、構造改革、リストラ、ペイオフ、郵政改革、緊縮財政、消費増税、株主中心主義、と矢継ぎ早に登場した。すべてアメリカが日本に強要したものであった。大災害とかバブル崩壊などの惨事につけこみ、新自由主義を拡大するショック・ドクトリンであった。

 

新自由主義とは規制をなくし「皆が公平に戦おう」というものである。一見合理的な話だから政治家、官僚、経済界、アメリカ帰りのエコノミスト達、そして独自の見解を持たず彼等に盲従するばかりのメデイアが強力にこれを支持した。国民も「これからはグローバリズムの時代、バスに乗り遅れるな」の標語につられて、これに飛びついた。その結果、成果主義が生まれ、弱肉強食の競争社会となり、一億総中流社会と言われた社会が少数の勝者と大勢の敗者に分断され、歴史的に世界で最も金銭崇拝から遠かった我が国が、金銭至上主義となった。正直や誠実は隅に追いやられ、人々のやさしさ、穏やかさ、思いやり、卑怯を憎む心、他者への深い共感など、日本を日本たらしめてきた誇るべき情緒、そして行動規範となる形は忘れられた。

 

 

GHQ、反日、グローバリズム

 

明治の文明開化以来、西洋からの新しい思潮にすぐに飛びつくという悪弊が生まれた。帝国主義、マルキシズム、ファシズム、そして戦後は、原爆投下という大罪を犯したアメリカの自己正当化にすぎないGHQ史観に他愛なく染まり、反日史観にとりつかれ、グローバリズムに流されている。

 

こうなることを予想していたのか、福沢諭吉は前掲書でこんな趣旨のことを言った。「数百年にわたり一国で行われてきた習慣は、簡単に改めてはいけない。改めるには千思万慮、歳月を積まねばならない」。制度や習慣や道徳などには、祖先の叡智が巨大な山のごとく堆積しているという理由からである。

 

明治になり武士が不要となったのは仕方がないが、慈愛、誠実、惻隠(弱者への涙)、勇気、卑怯を憎む、などを主とする武士道精神までが衰微したのは大きかった。日本人は形を失った‐のである。哲学者の唐木順三は、「現代史への試み」でこんな趣旨のことを述べた。基盤となる形を持たない個性は新しい思潮に常に圧倒される。明治以降、日本人が外国からの思潮に深い査察なしに飛びつき、日本人らしさを失っていった背景にこれがあったのだ。

 

家庭と学校で、古くからあった日本人の情緒と形を育むことが、日本の迷走を食い止める唯一の根本策である。小学校で英語やパソコンにうつつを抜かしているヒマはない。

 

私は高校一年の頃、宮沢賢治の「永訣の朝」を読んで心を揺さぶられた。「けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ」で始まる詩である。

 

死の床にある二十四歳の妹とし子が高熱であえぎながら、庭の松の枝から雪をとって来て食べさせてほしいと言う。賢治が、二人が慣れ親しんだ茶碗医入れてその雪を食べさせると、妹は「生まれ変わったら自分のためでなく他人のためにも苦しむ人間に生まれてきたい」と言って息を引き取った。賢治は、「わたくしのけなげないもうとよ わたくしもまつすぐにすすんでいくから」と誓うのだった。

 

この詩を読んで感動した私は、自分もこれからはまっすぐに生きていこう、何が何でもまっすぐに、と自らに強く言い聞かせた。一篇の詩との出会いが私の指針となった。子供たちにこんな経験をさせたいのである。

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