近現代史記事紹介記事-5

 

■ 侵略を許した世界の対露反応

 

 

産経新聞のコラムに、袴田茂樹氏の「侵略を許した世界の対露反応」が載っており、興味深かったので書き起こして掲載します。

 

外交の最後の決断は、経済を最優先してはいけないという典型的な事例ですね。

2022/10/31

 

侵略を許した世界の対露反応 青山学院・新潟県立大、名誉教授 袴田茂樹

2022/10/31 08:00 コラム 正論 ウクライナ侵攻

 

青山学院・新潟県立大、名誉教授 袴田茂樹氏
青山学院・新潟県立大、名誉教授 袴田茂樹氏

 

袴田 茂樹(はかまだ しげき、1944年3月17日 - )は、日本の国際政治学者、社会学者、新潟県立大学名誉教授。青山学院大学名誉教授。専門はロシア社会論。公益財団法人日本国際フォーラム評議員。

 

 

侵略を許した世界の対露反応 袴田茂樹

 

日本が出すべきだった声明

 

ウクライナは10月7日、今日の同国の事態は北方領土問題と同じだとして、ゼレンスキー大統領の日本との連帯声明と国会決議を出し各国にも連帯を呼びかけた。

 

このような声明・決議は、G7の中で唯一、ロシアに領土を侵されている国として、2014年の「クリミア併合」の時に日本が出すべきであった。その後、日本は対露制裁に加わったが、形式的だった。経済協力を優先したからだ。主権侵害に対する日本のかかる対応が、将来、中国の尖閣、沖縄などへの侵略を誘発することを強く懸念する。

 

少し前、プーチン氏最側近のパトルシェフ安全保障会議書記は、岸田文雄政権がG7に同調し露のウクライナ侵略を批判していることに、「日本は嫌露運動で世界の主導権を狙っている」との激しい対日非難をした。同じ日に露の有力紙は「日本は対露制裁の枠組みを崩している」との題で、あたかも日本が露にすり寄っているかの如(ごと)き記事を掲載している。内容は、日本政府関係者が日本企業に「サハリン2」から撤退しないよう説得している状況を、人名や企業名まで挙げて詳報している。矛盾するわが国の対露政策への揶揄(やゆ)だ。

 

さて本題であるが、露のウクライナ侵略とその歴史的背景について、語られていないことを述べたい。主旨は、プーチン氏のウクライナ政策は、最近彼が急変したからでも彼の特異思想からでもなく、20年近く前から露にその兆候が出ていたのに、欧米も日本も明確に理解・対応せず、結果的に露の隣国侵略を黙認・後押ししてきたという事である。

 

 

危険なシグナルがあった

 

2006年6月1日に露外務省は外交の重点を、国連憲章に共に認められている「領土保全」から「自決権」に移すと発表した。これが危険なシグナルであるのは、この「自決権」とは、「住民投票」で露が周辺諸国やその一部を併合する挙に出る可能性を示唆しているからだ。この時、ラブロフ露外相は、ジョージア政権は南オセチア自治州などを実効支配していないとして、同国の主権は「可能性だが現実ではない」と述べ、主権国家としてのジョージアを否定した。

 

さらに歴史を遡(さかのぼ)ると、1980年代にゴルバチョフは大胆なペレストロイカ(改革)で、共産党一党独裁と冷戦体制を清算し、続いてエリツィンは自由化、民主化、市場化を掲げたが、現実は混乱、無政府、経済崩壊という「屈辱の90年代」となった。

 

99年の大晦日(おおみそか)に、エリツィン大統領はテレビ演説で涙ながらに「私はあまりにもナイーブだった。問題ははるかに困難だった」と国民に謝罪して任期終了前に辞任し、憲法に従い大統領代行となったプーチン首相が2000年3月の選挙で大統領になった。中世的な無政府状態になった中で、法学専門家を自称するプーチン氏が「法の独裁」を掲げて法治国家を目指したのは自然だった。同年4月、筆者は拙論の結びに次のように書いた。

 

「プーチン氏の法治国家への努力は支持すべきだ。もし警戒するとすれば、今後彼がこの基本課題の枠を超えて、対外的にも危険な軍事国家になる時である。もちろんその可能性は排除できず、もしその兆候が現れたら、国際社会はあらゆる方法でそれを阻止すべきだ。露は我々の国の物差しで計ってはならない」

 

 

露の行動は論外だが

 

前述の「領土保全」から「自決権」へ重点の移動の背景だが、エリツィン時代にはソ連邦崩壊に続いて、西側の対露支援にも拘(かか)わらず、露連邦が分解する恐れがあったので、領土保全を強調せざるを得なかった。しかし2000年から偶然、油価(ガス価)の上昇で資源国の露経済は強まり、03~06年には露国民は大国としての自信を取り戻した。その頃、チュバイス元副首相など一部改革派も、「帝国」を賛美し、隣国の「民意による露への併合」を語り始めた。

 

その中での露の対外政策の重点移動だったので、筆者は危険な兆候とみて、政府関係者や専門家たちに情報を提供して警鐘を鳴らしたが、自決権への移行の危険性は理解されなかった。

 

現実に08年には露のジョージア軍事侵攻が生じた。南オセチアには人種的なロシア人はほとんどいないが、ジョージア政権の反対を押し切って露のパスポート(国籍)を与え「露人保護」の名目で「独立」させたのだ。その時、露政府は「特殊権益圏」を主張し、国際的には「制限主権論の復活」との批判も一部生じた。

 

しかし翌年1月に発足したオバマ政権は、早速米露関係の「リセット」即(すなわ)ち「改善」を打ち出し、同年4月にプラハで平和演説をし10月にノーベル平和賞を受けた。つまり世界が露のジョージア侵略を黙認したのだ。これが、クリミア併合以後の今日の事態を生んでいることは、もはや説明不要だろう。露の行動は論外だが、経済協力を重視した日本や、米国やEUにも今日の状況に責任がある。(はかまだ しげき)

 

 

 

■ 朝鮮半島終焉の舞台裏

 

 

2018/03/22読了した、「朝鮮半島終焉の舞台裏」、高橋洋一氏著を掲載します。

 

2022年、北朝鮮と中国の日本への挑発と威嚇が活発化しています。

 

2018年に読了したこの本の、高橋氏の安全保障の考え方と指摘は、今の状況にも十分対応できるような内容でした。

2022/10/30

 

数量政策学者 高橋洋一氏
数量政策学者 高橋洋一氏

 

高橋 洋一(たかはし よういち、1955年〈昭和30年〉9月12日 - )は、日本の経済学者、数量政策学者、元大蔵・財務官僚。学位は博士(政策研究)(千葉商科大学・2007年)。嘉悦大学ビジネス創造学部教授、官僚国家日本を変える元官僚の会幹事長、株式会社政策工房代表取締役会長、NPO法人万年野党アドバイザリーボード。研究分野はマクロ経済学、財政政策、金融政策。大蔵省理財局資金第一課資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、内閣府参事官(経済財政諮問会議特命)、総務大臣補佐官、内閣参事官(内閣総理大臣補佐官付参事官)、金融庁顧問、橋下徹市政における大阪市特別顧問、菅義偉内閣における内閣官房参与(経済・財政政策担当)などを歴任した。1955年、東京都豊島区巣鴨生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1978年、東京大学理学部数学科卒業。

 

 

朝鮮半島終焉の舞台裏  高橋洋一著 要約

 

■初めに

 

●極東アジアには非民主国家が多い

中国とベトナムの争い、中国と北朝鮮、・・中国は北朝鮮の保護国は間違っている。

●民主国家と自由貿易することが長期的な安全保障に繋がる。・・軍事同盟

●インド太平洋自由貿易圏・・日本・アメリカ・オーストラリア・インド + ロシア

●オバマ時代の世界の不安定化・・

北朝鮮の核・ミサイル挑発、ロシアのクルミア・シリア介入、中国の南シナ海勢力拡張

●国の安全保障は、最も粗暴な国と同盟関係を結ぶことで、戦争確立を減らす・・アメリカ

 

■第一章・爆発寸前の朝鮮半島

 

第一節・米朝戦争、これだけの根拠

●米朝戦争のカウントダウンは始まっている・・

 国連の北朝鮮経済制裁は抜け穴を作り武力行使にならない仕組みだ。

 衝突の死者は10万人。・・メディア規制で国民に知らせない・・伏せている

 

第二節・「ポスト金正恩体制」をにらむ国際社会

●表向きはアメリカの単独攻撃はない・・多国籍軍の形とる。

●日本、韓国の同盟国を危機にさらしてまで攻撃に踏み切るか・・イエス・・アメリカはそういう国だ。

●最狂の国アメリカ・・でっち上げ口実の戦争・・

●北朝鮮版ヤルタ会談は?・・いずれ開かれる。・・日本は参加か??

1945年2月のヤルタ会談・・アメリカ・イギリス・ソ連・・第二次世界大戦の戦後処理を話し合った。

戦後のドイツ処理、東欧問題、国際連合の創設、ソ連の対日参戦も決まる。

見返り・・日露戦争で日本に割譲した南樺太と千島列島を獲得・・日ソ中立条約を破る半年前。

 

第三節・ミサイル開発の現在地

●アメリカ38ノースの北朝鮮分析・・東京、ソウルで最大210万人、770万人が負傷の恐れ。

●小型化は既に成功・・ICBMは、2018年後にはハードルを越える見方

●開発・・ソ連が教え・・中国が加った。・・基本設計と誘導システム・・エンジンはウクライナ・ロシア

 

第四節・冷え切った中朝関係

●一度も顔を合わせたことのない習近平と金正恩

朝鮮戦争では北朝鮮に人民志願軍を派遣、・・以来、北と中国は軍事同盟

朝鮮半島は中国本土の安全保障のための重要な国 ・・対アメリカ、日本

●中国・・計算外だった足元の危機

革新的利益ライン・・国家主権と領土保全・国家の基本制度と安全の維持・経済社会の維持で安定発展

領土保全・・台湾問題・チベット独立問題・東トルキスタン独立問題・南シナ海問題・尖閣諸島問題

 

第五節・中国が描く覇権のシナリオ

●中国の覇権のシナリオ・・トランプのプレッシャー・・中立を保つ。

残された選択肢・・北朝鮮攻撃を承認する・・北朝鮮の統治は中国・・中国の傀儡政権として存続。バーターは南シナ海問題の取引

 

 

■第二章・半島をめぐる周辺国のお家事情

 

第一節・中国の野望

●中国の野望・・地政学と経済状態の観点で

①海への進出・・軍事技術の発展・・陸は安定した・・朝鮮、ソ連、ベトナム

南シナ海を支配して太平洋に原子力潜水艦を配備する・・・習政権の「海洋強国」は本気

南シナ海での領地奪取

 

●太平洋を米中で二分する

●中国の歴史

①最後の王朝清朝1636~1912・・漢民族の明に変わって満州人を中心の清

②朝鮮・琉球・台湾・ベトナム・タイ・ミャンマー・ネパール・チベット・モンゴルまで

③ヨーロッパとの交流で経済的に発展し、中国の全盛期

④その後、西欧列強や日本に半植民地化され、領土を奪われたが、第二次世界大戦後に中華人民共和国という共産主義国家として生まれ変わった。

⑤21世紀に「改革開放」で経済力を高め、大国になった。・・海洋国家で世界覇権

米中両国でアジア太平洋地域の共同支配をアメリカに提案

⑥朝鮮半島は自国の勢力範囲・・朝鮮半島確保は、代々中国の国家戦略

 

第二節・中国経済成長の限界

●共産党の事務所が会社にあるようなもの

①2017年、大企業に、党組織を社内に設置

②合弁事業は避け、輸出中心にした方が良い

③「中所得国の罠」・・中進国の罠・・簡単な事ではない・・「一帯一路構想」

④中国が一党独裁体制を止めない限り罠を破るのは無理

⑤国際金融のトリレンマ・・自由な資本移動・独立した金融政策・固定相場制の三つ同時に成立しない。中国は自由な資本移動を禁止しているから固定相場制採用・・金融政策の効力を削ぐ。

⑥理論的に資本・投資の自由化が無いと持続的な経済発展は望めない

 

第三節・半島に手を出す余裕がないロシア

●「領土拡張の」の遺伝子

①国家財政の悪化・クルミア半島の併合・シリアへの軍事介入・・極東への関心が薄れた

②もともと領土拡張の遺伝子。19世紀半ばから不凍港をもとめて南下策を続けた。

③18世後半・・オスマン帝国と戦争(ロシア・トルコ戦争)でクルミア半島などの領土獲得。

④19世紀・・地中海進出で、クルミア戦争・・敗北で黒海から地中海への南下政策は挫折

⑤西方の南下政策が阻まれた後、東アジア南下・・日露戦争・・満州、朝鮮への進出姿勢・日英同盟。敗北で断念・・ロシア革命を経て・・第二次大戦の戦勝国として地位確保・・

⑥1979年のアフガン侵攻から鳴りを潜めている。

⑦1991年のソ連崩壊後、15の共和国は分裂・独立し、NATOとEU に加わる。西側に取られた。

⑧クルミアを領土としていたウクライナは西側との重要な緩衝地帯。北朝鮮のアメリカと同じ。2014年ウクライナに西寄りの暫定政権成立で、クリミア併合を選んだ。・・アメリカやEUは資産凍結・金融取引制限・経済制裁課す。防衛一辺倒のロシア・衰退しつつある

⑨2015年アサド政権を支援・・シリア内戦へ介入・・ロシアの海軍基地がある。アサド政権が崩壊すると中東への影響力を失う。・・大国の地位保つ為

⓾黒海、中東方面での勢力維持にかかりっきりで朝鮮半島まで手が回らない。

⑪先行き暗いロシア経済・・2016年のGDPは12位。韓国は11位。

⑫天然エネルギー頼みの経済・・原油価格・・進まない構造改革

⑬しかしに日本にとっても、ロシアとの関係は重要だ。ポスト金正恩を見据えた時。

 

第四節・米中二股の宿命にある韓国

●悲運の民族

①朝鮮半島は地政学的に微妙な位置

②古くから中国の属国。近代ではロシアに狙われ。太平洋戦争前に日本に併合され。

第二次大戦後はアメリカとソ連に南北に分断され。・・侵略を受け続ける悲運な民族。

1945年二次大戦後、南はアメリカ、北はソ連に占領された。

③1948年、南は韓国、北は北朝鮮、として独立。1950年南北統一をめぐり朝鮮戦争。

④アメリカを主体とする国連軍、中国は国境防衛のため人民志願兵を派遣。・・米中戦争

1953年7月、38度線で休戦協定。その後、12人の大統領。

⑤文政権・・戦時作戦統制権の早期返還。・・アメリカに頼らない自国防衛目指す。

⑥文大統領は民族主義者。

 

第五節・赤信号の韓国経済

①中国への輸出が経済の生命線

②赤信号の韓国経済・・中国輸出が減速・・

③THAADショック・・経済悪化。

④アメリカを立てれば、中国立たず・・韓国経済の内憂

②文政権では浮上しない韓国経済。

 

 

■第三章・米朝チキンレースの結末

 

第一節・予想される攻撃シナリオ

●予想される攻撃のシナリオ・・アメリカは国連の論議を踏んでから・・北朝鮮の先制は米の思うツボ

●軍事行動に備え、軍を移動させる ●事前協議は限られたもの・・中国・ロシア

●攻撃前の韓国の同意は不可欠  ●先制の後、大規模攻撃。 ●韓国軍は米軍下で配置。

●市民を巻き込む。 ●米韓地上軍の攻撃。

 

第二節・金正恩の最終ゴール

●金正恩の正体・・なぜこれほどまでに核にこだわるのか。

●核を持たない国の運命・・

①アメリカの軍事介入の歴史・・1960年代ベトナム戦争・1970年代カンボジア侵攻とラオス内戦・1980年代ニカラグア侵攻、グレナダ侵攻、パナマ侵攻・1990年代湾岸戦争・2000年代アフガニスタン紛争、イラク戦争。・・すべての国が核兵器を持っていない・・核を持てば、米軍は半島を去る。

②核はコスパがいい。軍隊:韓国60万人・日本24万人・中国228万人・北朝鮮・120万人。

③最終ゴールは半島統一。朝鮮半島を終了させて王朝存続がゴール。

④吸収合併・・きっかけは戦争・・軍事強国になって韓国をひれ伏させ統一。どっちが併合するか?

●北朝鮮はアメリカとの平和条約締結を望んでいた

①1950年に始まった朝鮮戦争は1953年に「休戦協定」に署名。休戦協定に沿い中国は撤退、アメリカは韓国と「米韓相互防衛条約」を結び、韓国に米軍を駐留。・・北朝鮮は「休戦協定違反」と主張

②北朝鮮は休戦ではなく、攻撃されない保証、米韓と世界による国家承認を望んでいた。

③統一実現のためにも、アメリカとの平和条約は必要。

④部分的には正しい「核容認論」・・ボタンは中国が握る。核シェアリング。

 

第三節・異端国家の生き残り戦略

●約束破りの常習犯・・「米朝枠組み合意」「六か国協議」の約束破り

●「制裁に抜け穴」は想定内

 

 

■第四章・専守防衛国・日本にできること

 

第一節・日本の防衛システムは万全か

●考えるべきは交渉の余地ではなく有事の対応

●日本向けのノドンは200発・・最大50発くる。

 

第二節・自衛隊は何をするのか

●2015年安保法制の意義・・自衛権の行使。・・自国への攻撃の恐れ時の後方支援

●「存立危機事態」と認定・・集団的自衛権の行使・・武力行使可能。

●グアム弾道ミサイル発射時・・存立危機事態認定。

●難民処理・・沿岸部の監視強化・・重要施設の警備強化

●戦費負担は兆円単位。韓国・北朝鮮が統一すれば、統一費は1兆ドル。

 

第三節・核シェアリングで対抗しろ

●アメリカで活発な日本核武装論。

●現在のNPT(核兵器不拡散条約):核保有国は、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国の5カ国の国連理事国・・韓国世論は核保有指示の声が高い。

●潜在的核保有国という抑止力・・疑問:だから原発やめられない??

●NATOで成功している核シェアリング

NATOで成功・・核シェアリング・・保有国が保有しない国に軍事基地に持ち込み共同運用。

アメリカが、ベルギー・ドイツ・イタリア・オランダ・トルコに提供・・戦術核兵器が持ち込まれている

ICBMはなし・・使用決定は核保有国アメリカ。・・日本の非核三原則に反する。

●日本・・非核三原則見直し必要・・持ち込ませずを改定する。

●核シェアリングはNPTの抜け穴とも批判されている。

●石破氏の非核三原則の見直し論。・・核シェアリングや核弾頭を積んだ米潜水艦の寄港などを挙げる。

 

 

■第五章・日本が進むべき道

 

第一節・盤石の体制を手に入れた習近平

●警戒すべきは中国・・盤石の体制手に入れた。・・目指す海洋国家

●東シナ海の尖閣列島、南シナ海領有権争い・・アメリカとの間でアジア太平洋の覇権争い始まる。

●中国はアメリカと肩を並べる世界の二大覇権国家になる。

●共産党創設から100年の2021年までに・・小康社会(ややゆとりある社)を実現する。

●建国100年の2049年・・「社会主義の現代化した国家」を目指す。

1840年のアヘン戦争から列強に半植民地化された・・それ以前の大国の地位を取り戻すこと。

●中国共産党革命100年の2049年までに、世界の経済・軍事・政治のリーダーの地位をアメリカから奪取する。・・「100年マラソン」。

●野望の中国は「戦争を起こしやすい国」。

●ラセールとオニールの「平和の五要件」によると、結果、中国は日本と戦争を起こしやすい国になる。

●「民主主義国家同士は、まれにしか戦争しない」ことを実証したラッセルとオニールによれば、

①同盟関係 ②相対的軍事力・・軍事力の均衡 ③民主主義 ④経済的依存関係 ⑤国際的組織加入を、平和のための五条件としている。

●中国は危険な国・・情報非公開・偽造の経済データ

●中国の核戦力はかなりのものだ。

核弾道ミサイル・・大陸間ICBM52基・中距離IRBM160基・潜水艦発射SLBM48基

●中国は「先制体制」・・民主度マイナス7・・日本・アメリカ・オーストラリアはプラス10

●尖閣問題への対応

①尖閣列島は、日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らか 

②1895年の尖閣諸島の日本領への編入から1970年代に至るまで申し立てなし

③1968年に、国際アジア極東経済委員会(ECAFE)の東シナ海海域一帯の海洋調査で、石油・ガス田の可能性が分かってから主張し始めた。初めは台湾で、中国が追随した。

●漁民に扮した中国民兵・・2018年3月、漁民は軍管轄になった・・ニュース

武力行使ができる自衛隊が「防衛出動」するのが本来の姿。

●尖閣列島には日本が米軍地位協定に基づいて施設提供している米海軍用の射爆撃場が2か所ある。

ここを米軍に使ってもらう方法はある。・・日米同盟に頼りながら対応がベスト。

 

第二節・アジア版NATOによる安全保障体制

●アジア版NATOによる安全保障体制必要・・集団安全保障体制

●アジア地域で、アメリカを中心に二国間同盟を束ねた状態。

①日米安全保障条約 ②米韓相互防衛条約 ③米比相互防衛条約 ④太平洋安全保障条約:オーストラリア ⑤台湾防衛義務の台湾関係法・・「ハブ・アンド・スポーク」と呼んでいる。

●集団安全保障体制は経済に悪影響を及ぼさない

①アメリカと安全保障条約を結び憲法に不戦条項を持つ国は、韓国・フィリピン・ドイツ・イタリアの4カ国。

②この4カ国のうち、徴兵制維持は、韓国とフィリピン。NATOの集団安全保障体制に入っているドイツ・イタリアは徴兵制を現在採用していない。

●1954年東南アジア条約機構(SEATO):アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド・フィリピン・タイ・パキスタン・フランス・イギリスの8カ国。1977年に解散。

●1951年、太平洋安全保障条約(ANZUS):アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドの3カ国。

●共通の敵中国で、集団安全保障体制構築の道ある。

●中国に対抗する概念は「自由貿易」

●アジア版NATO構築には、ロシアと平和条約を締結した方がよい。

●セキュリティダイアモンド構想・・安倍首相2012年発表。

日本・アメリカ・オーストラリア・インド + ロシア・・

●2017年、トランプ大統領、安倍首相、ターンブル豪首相、モディ首相で4カ国の話し合い。

トランプ大統領、安倍首相の日米両国は、「自由で開かれたインド太平洋戦略」を掲げた。

●TPP11は構想実現の第一歩

●今や北朝鮮は、中国の海洋進出を邪魔する存在でしかない。

●1994年、2003年に次いで第3次ともいえる今回の朝鮮半島における核危機は、中国の海洋進出という過去になかった新しい要因が絡んでいる。

 

 

■終わりに

 

●日本の周辺国の軍事バランス・・長期的に不安定・・軍事バランスが大きく崩れる

●尖閣の日本の実効支配は難しい・・中国は「核心的利益」と表現して本気で取りに来る。

●竹島・・韓国の方が日本より相対的に軍事力が増すので、国際社会に訴えなければ勝ち目はない

●北方4島の復帰も軍事的に望みは薄い。

●尖閣は、日本はアメリカの軍事力を借りなければ分が悪い。今のところ、アメリカは、日本が実効支配する尖閣諸島(沖縄県石垣島)について、アメリカの日本防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条が適用されるという立場だが、今後のことは誰にも断言できない。

●ちなみに、日本の立川の横田基地には朝鮮半島の国連軍の後方司令部があり、常勤の要員もいる。

 日章旗、星条旗の他、国連旗が常時掲揚されている。

●板門店や日本の横田基地は、現在でも朝鮮戦争が戦時国際法上「休戦」中(戦争継続中)であることを明快に示し、いつでも「休戦」が解かれる可能性がある。日本の近くには、「有事」の種がたくさんあるのだ。

 

 

 

■ 台湾は中国大陸の一部ではない

 

 

産経新聞電子版のコラムに、楊海英氏の正論懇談会講演「台湾は中国大陸の一部ではない」が載っており、興味がある内容でしたので書き起こして掲載します。

 

歴史学、考古学、人類学などの幅広い観点から分析した内容で、台湾は文明史的に中華圏でも中国大陸の一部でもないということらしい。勉強になりました。

2022/10/29

 

「台湾は中国大陸の一部ではない」 楊海英氏

2022/10/28 22:16  中国・台湾 コラム 「正論」懇話会

 

岡山「正論」友の会で講演する楊海英氏=28日、岡山市 
岡山「正論」友の会で講演する楊海英氏=28日、岡山市 

 

楊 海英(よう かいえい、ヤン・ハイイン、1964年(昭和39年)9月15日 - )は、内モンゴル出身の文化人類学、歴史人類学者。静岡大学人文社会科学部教授。モンゴル名はオーノス・チョクト、帰化後の日本名は大野旭(おおの あきら)。楊海英は中国名のペンネーム。

 

 

「台湾は中国大陸の一部ではない」 楊海英氏

 

岡山「正論」友の会(森靖喜会長)の第28回講演会が28日、岡山市中区の岡山プラザホテルで開かれ、静岡大学教授の楊海英氏が「世界史の中の台湾、世界の台湾」と題して講演した。

 

楊氏は、日本人の台湾理解の死角として、中国と関連づけてみてしまうという問題点に言及し「中国を意識して萎縮(いしゅく)してしまっている。台湾史を中国史の一部としてみるのは間違い」と指摘した。

 

台湾を歴史学、考古学、人類学などの幅広い観点から分析し「石貨と抜歯、入れ墨の風習、先住民に共通する虹に関わる神話などは中国大陸には全く存在しない」としたうえで、「言語はオーストロネシア系、文化は南島系であり、台湾は文明史的に中華圏でも中国大陸の一部でもない」と述べた。

 

さらに「近代台湾の学問の基礎を作り、近代化に貢献したのは日本であるという歴史を忘れてはならない」と語った。

 

また、台湾の金門島では中国のドローンが頻繁に飛来し、島の近辺で建設資材として大量の砂を採掘するなどして問題化していることを紹介。

 

安倍晋三元首相が「台湾有事は日本有事」と繰り返し警鐘を鳴らしていたことを挙げ、南モンゴル出身の楊氏は中華思想の特質と危険性をふまえ、「台湾と日本は運命共同体。日本は、大国としての自覚を持ち、危機感を共有して関与していかなければならない」と訴えた。

 

 

 

■ 野田元首相の追悼演説全文

 

 

2022/10/25衆院本会議での安倍晋三元首相への追悼演説。立憲民主党野田佳彦元首相の追悼演説全文を掲載します。

 

低能な立憲民主党にも、まともな人がいたということですね。内容は素晴らしかった。

2022/10/27

 

野田元首相の追悼演説全文 「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん‥」

2022/10/25 13:57政治 安倍元首相死去 野田佳彦元首相

 

立憲民主党元首相 野田佳彦氏 
立憲民主党元首相 野田佳彦氏 

 

野田 佳彦(のだ よしひこ、1957年〈昭和32年〉5月20日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(9期)、立憲民主党最高顧問。千葉県議会議員(2期)、財務副大臣(鳩山由紀夫内閣)、財務大臣(第14代)、内閣総理大臣(第95代)、民主党国会対策委員長(第7代・第10代)、民主党幹事長代理、民主党代表(第9代)、民主党最高顧問、民進党幹事長(第2代)などを歴任。

 

遺影を手に、衆院本会議で安倍晋三元首相の追悼演説を傍聴する安倍昭恵さん=25日午後、国会・衆院本会議場(矢島康弘撮影) 
遺影を手に、衆院本会議で安倍晋三元首相の追悼演説を傍聴する安倍昭恵さん=25日午後、国会・衆院本会議場(矢島康弘撮影) 

 

 

野田元首相の追悼演説全文 

 

立憲民主党の野田佳彦元首相は25日の衆院本会議で、参院選の応援演説中に銃撃され、死去した自民党の安倍晋三元首相に対する追悼演説を行った。

安倍氏の昭恵夫人が傍聴席で見守る中、野田氏は「あなたは議場では闘う政治家だったが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもあった」として、首相を引き継ぐ際、安倍氏から励ましを受けた思い出などを回顧。「あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは言葉の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかない」との決意を語った。

 

 

演説の全文は以下の通り。

 

本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選挙候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

 

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々。すべては、一瞬にして奪われました。

 

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

 

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

 

わが国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」をわが身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

 

そうした一念のもとに、ここに、皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

 

 

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

 

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

 

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

 

そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

 

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。

 

そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

 

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

 

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

 

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

 

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。

 

挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

 

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

 

あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

 

5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時、内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙(たいじ)することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。

 

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

 

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、仇(かたき)のような政敵でした。

 

攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

 

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

 

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

 

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

 

それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

 

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控え室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。

 

あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

 

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ」

 

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

 

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

 

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

 

第1次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

 

わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

 

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

 

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

 

それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

 

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄(やゆ)することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

 

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

 

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

 

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。

 

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

 

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

 

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

 

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

 

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

 

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

 

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

 

私が目の前で対峙(たいじ)した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

 

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

 

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

 

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

 

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

 

安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

 

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

 

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

 

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

 

その上で、申し上げたい。

 

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

 

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。

 

 

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

 

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

 

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。

 

問い続けなければならないのです。

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。

 

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。

あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

 

最後に、議員各位に訴えます。

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。

暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。

 

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。

真摯(しんし)な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱(きょうじん)なものへと育てあげていこうではありませんか。

 

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃(たお)れた故人へ、私たち国会議員がささげられる、何よりの追悼の誠である。私はそう信じます。

 

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元内閣総理大臣。

 

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。

 

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

 

 

 

■ 中露の「地政学的変動」に備えを

 

 

産経新聞正論に、楊海英氏の、「中露の『地政学的変動』に備えを」が載っており、非常に興味深い見解だったので、書き起こして掲載します。

 

これからどのように変わっていくのか。いずれにしてもシベリアへの中国の進出は脅威になりそうですね。それにしても、この世界的に外交と安全保障が危機的な時に、日本の国会とメディアは統一教会のみで大騒ぎ。どうかしてますね。

2022/10/25

 

中露の「地政学的変動」に備えを 文化人類学者、静岡大学教授・楊海英

2022/10/24 08:00  コラム 正論 ウクライナ侵攻

 

歴史人類学者 楊海英氏 
歴史人類学者 楊海英氏 

 

楊 海英(よう かいえい、ヤン・ハイイン、1964年(昭和39年)9月15日 - )は、内モンゴル出身の文化人類学、歴史人類学者。静岡大学人文社会科学部教授。モンゴル名はオーノス・チョクト、帰化後の日本名は大野旭(おおの あきら)。楊海英は中国名のペンネーム。

 

2022/10/20、モスクワ南東リャザニ州で、動員兵らの訓練を視察するプーチン・ロシア大統領(右から2人目)(ロシア大統領府提供・タス=共同)
2022/10/20、モスクワ南東リャザニ州で、動員兵らの訓練を視察するプーチン・ロシア大統領(右から2人目)(ロシア大統領府提供・タス=共同)

 

 

中露の「地政学的変動」に備えを 文化人類学者、静岡大学教授・楊海英

 

ロシアのプーチン大統領が予備役を軍に招集する部分的動員令を発表してからロシア人の国外脱出の流れが止まらない。こうした事実は何を意味するか。将来に起こりうる地政学の変動は何か。中央アジアの視点から考えてみたい。

 

 

急増するロシア人集団

 

今夏、3年ぶりにウズベキスタンを再訪した。新型コロナウイルスが地球規模で猖獗(しょうけつ)を極めて以来の外国調査である。同国南部から西部国境近くまで旅し、首都タシケントに戻ろうとして列車に乗ると、ロシア人の男性集団に出会った。一路、沈黙を通したままで、周りの旅客と溶け込もうとしない雰囲気が異様に目立った。

 

「不気味な連中」と同行のウズベキスタンの学者が明らかに嫌がっていた。そういえば列車だけでなく、ホテルや観光地など至るところにロシア人の「沈黙者集団」が目立っていた。以前にはなかった現象だという。ロシア人増加の原因について現地人に尋ねると、以下のように分析してくれた。

 

第一、ウクライナ侵略以降、欧米に制裁されているので、海外旅行も限られるようになった。第二、ウズベキスタンなど中央アジアは旧ソ連圏に属し、ロシア語話者も多く言葉が通じる。現地に行けばソ連時代の栄光の残影を発見することもできるので、ノスタルジーを求めているのではないか。要するにソ連がいかに「偉大」だったかを回顧しながら、目下のロシアの斜陽を悲しむ傷心の旅をしているのだろう、とのことだった。

 

 

ロシア化と中国化

 

急増するロシア人に対し、もてなしの文化を有する中央アジア人は礼を失することなく接しながらも、警戒を怠らなかった。ロシア人は現地の文化を身に付け、現地の言葉を学び、現地人に敬意を示そうとしなかった、と批判する。いわゆるソ連型の近代化はすべての面でのロシア化を意味していた。現地語を忘却してロシア語を操り、ロシアの料理を食べ、ロシア人のように振る舞えば、「文明化」したことになると強制されていた、と証言する。

 

ウズベク人の対ロシア認識を支えているのは、近現代史の真相究明の結果である。首都と全国各地にある「抑圧犠牲者の博物館」には19世紀からロシアはいかに中央アジアを征服し、抵抗する人々を殺害してきたかとの歴史が展示されている。特にスターリン時代の知識人虐殺とグラーグ(強制収容施設)への強制移住の詳細が明示されている。凄惨(せいさん)な歴史を経験した中央アジア人はロシアへの警戒感を抱かないはずがない。

 

中国の対少数民族政策もすべてソ連から導入し、伝統的な中華思想と融合させたものである。古代から夷狄(いてき)よりも中華の方が優れているという華夷秩序の思想は社会主義の発展段階論との相性がよかったから、中国人共産主義者はロシア人よりも優等生となった。そのためソ連崩壊後も、中国は内モンゴル自治区と新疆ウイグル自治区などで苛烈なジェノサイド政策を展開し続けている。

 

 

ロシア連邦再編の可能性

 

予備役の動員令が発動されてからロシア人は大挙して国外へ逃亡しはじめた。10月3日付の産経新聞によると、既にカザフスタンに9万8千人、ジョージアに5万3千人、モンゴル国に3千人が入国しているという。現地の研究機関とメディアに問い合わせると、実際はもっと多いことが分かった。

 

人道主義の立場からすると、「難民」は受け入れざるを得ないが、問題はその「難民」とロシア政府の協力関係である。周知の通り、プーチン氏は、ドンバス地域のロシア人住民が「ウクライナのナチス政権に虐待されている」との口実で、侵攻を開始したのである。将来、「中央アジア諸国がロシア人同胞を抑圧している」との大義名分で侵略してくる可能性は否めない。現にウズベキスタンの隣国カザフスタンはそのようなロシア人コロニーの存在に頭を抱えている。

 

プーチン氏のロシアが将来、どのような地殻変動を起こすかはまだ予測不可能だ。ユーラシア大陸を東西に跨(また)ぐ大国ロシアが弱体化し、連邦が複数の国家に分裂すれば、日本はウラジオストクとサハリンのロシア人コロニーと隣り合わせることになる。これらの地域に対し、プーチンの「盟友」たる中国には強烈なナショナリズムの暗流がある。中国人曰(いわ)く、「バイカル湖以東は帝政ロシアによって不当に取られた我国の固有の領土だ」。

 

ロシアの崩壊に乗じて、中国が「偉大な中華民族の復興」を目指し、寸断されたロシア人コロニーを自国領に組み込まない保証はどこにもない。現にシベリアに150万人以上の中国人が入植しており、ロシア人と人口の面で逆転するのは時間の問題である。

 

仮に沿海州まで中国領となれば、北海道も守れなくなる。中国は沖縄と北海道の戦略的重要性を認識しているので、日本を南北から挟撃してくる体制も整う。起こりうるロシアの地政学的変動は日本の命運に繫(つな)がっているので、対策を講じなければならない。(よう かいえい)

 

 

 

■ 世界にもし日本がなかったら

 

 

2020/03/02に読了した「世界にもし日本がなかったら」 池間哲郎著 を掲載します。 

 

「豊かさだけを求めた国家は確実に滅びる」

 日本の問題点を鋭く指摘しているこの本は非常に勉強になりました。

 アジア支援機構代表理事の仕事を通しての、近現代史の、日本の問題点指摘は鋭い。

2022/10/25

 

一般社団法人アジア支援機構代表理事 池間哲郎氏 
一般社団法人アジア支援機構代表理事 池間哲郎氏 

 

池間哲郎は1954年 沖縄県生まれ。サラリーマンを経て29歳の時に映像制作会社を設立。出張で訪れた台湾で山岳民族の貧困と人身売買問題を知ったことをきっかけに、1990年よりアジア各国のスラム街やゴミ捨て場などの貧困地域の撮影・調査・支援を開始。会社経営の傍ら個人で支援活動を続け、1995年より自らが撮影した映像・写真を用いた講演・写真展を開始。アジア途上国の貧困地域に生きる人々の姿を通して、一生懸命に生きることの大切さ・感謝の心・命の尊さを今一度見つめ直そうと伝えている。1999年に立ち上げたNGO沖縄は、2002年にNPO法人の認可を受け、現在に至る。沖縄大学非常勤講師として受け持つ国際ボランティア論は真剣勝負の講義として、学生からの評価は高い。

 

 

世界にもし日本がなかったら  池間哲郎著 要約

歴史の真実、アジアの真実

 

 

■想像してみたらいい。日本の存在しない世界を

 

●もし、”日本なかりせば”ヨーロッパとアメリカが世界の工業を支配していただろう。

●なぜ白人が、アジアの国々を植民地化し、500年間にもわたり有色人種を苦しめ、略奪、搾取、虐殺を行ったのか?

●我が国は戦争に敗れ、GHQにより近代史を奪われた。

●アジアの国々においては、白人以外は人間ではなかった時代があった。日本が戦争に敗れた昭和20年(1945年)以前。当時の有色人種の中で、自国を守るために戦い続けていたのは日本だけ。

植民地解放という日本の大義

●世界で初めて「人種差別撤廃」を提案した国日本。1919年パリ講和会議の国際連盟委員会にて。

●わずか70年ほど前までは、有色人種国家のほとんどは白人帝国主義の植民地だった。

インドネシアは300年以上もの間オランダの植民地。「大侵略・大虐殺時代」=大航海時代?

オランダのインドネシア植民地支配。16世紀の中頃から台湾は1661年までオランダの植民地。

イギリスのインド植民地支配。

フランスのベトナム、ラオス、カンボジア植民地支配

●日本が嫌いな日本人・・マスコミ、政治家

 

 

■第1章・・日本が戦わなければ世界はどうなっていたか

 

1.台湾・・今に生きる「日本精神」

●台湾に残る日本精神とは、「責任感」、「勤勉さ」、「公正さ」、「規律」、「国を思う」

●70年前は、50年間日本だった。1895年日清戦争に勝利し、下関条約で台湾は日本に割譲される。1895~1945年。日本の教育では台湾と日本の歴史は教えられていない。

●森川清治郎、八田與一、根本博、

●日本敗戦後40年間も戒厳令下にあった台湾・・外省人と本省人の対立。

 

 

2.日本はかってアメリカと戦った

●戦争を仕掛けたのはどちらか・・1941年

フランクリン・ルーズベルト大統領

①在米日本資産の凍結

②ABCD包囲網・・アメリカ、イギリス、チャイナ、オランダ・・資源と石油を止めた

③日本は平和を模索・・ハルノートで戦争に追い込む

●マレー戦線で戦った父

イギリス領マレーシア、イギリス領シンガポール。

 

 

●3.ペリリュー島・・一日でも長く日本を守りたかった

パラオ・・16世紀初頭スペイン、ポルトガル。1885年からスペインの植民地・1899年からドイツの植民地。1919年パリ講和会議で日本統治が決まった。1920年に日本統治になる。インフラ整備、病院、学校建設、農業指導、産業育成。パラオの生活水準は向上。25年間の日本統治時代。人種差別なき政策を自実行した・・パラオの歴史を多くの日本人は知らない。

反日国を大事にし、親日国を粗末にするのは間違い。

●天皇の島ペリリュー島・・それでも日本軍は戦った・・サクラサクラ。73日間

何故戦ったのか・・白人の植民地政策・・当時の有色人種国家のほとんどは白人の植民地

●パラオのペリリュー島は日米両軍が死闘を展開した激戦地・・玉砕地

ペリリュー島の日本軍倉庫跡を改造した戦争博物館・・アメリカ人も来る

●平成27年4月、天皇皇后両陛下が戦没者慰霊のため訪問。

 

 

4.サイパン・・悲しみの島

●19445日米両軍が激しくぶつかる・・1万人の民間人が死んだ

現在・・中国派すでに日本侵略を開始している

軍隊がなければ戦争が起きない、憲法9条があれば戦いは始まらない、は絵空事。

●1521年にマゼランが発見し、スペインが勝手に自国の領土とした

●その後ドイツに売却、第一次世界大戦で連合国の日本が南洋諸島を占領。1920年日本の委任統治領。

戦後アメリカ統治となる

●バンザイクリフで慰霊された天皇皇后両陛下・・チャモロ人の大多数は親日的。

 

 

5.硫黄島の戦い・・すべての英霊が祖国に帰るまで

●米兵7万人・・日本兵2万人・・1か月以上。

●硫黄島陥落以降、無差別に市民を虐殺する都市爆撃を本格化

●現在は自衛隊の基地。1994年天皇陛下が訪れ慰霊祭が開かれた。栗林中将

●硫黄島の自衛隊滑走路の下のは多くの日本兵の遺骨が残されたまま

●アメリカは全ての遺骨を回収、子孫を硫黄島に連れて来る、一方日本人は国内でありながら立ち入り禁止。一般人は来島できない。

 

 

6.特攻隊

●我が国の学校教育、特に歴史教育は、近現代歴史をほとんど教えない。

GHQが押し付けた自分の国に誇りが持てない教育・・鹿児島知覧特攻平和会館

靖国神社の遊就館・・特攻遺族、万世特攻平和記念館、大刀洗平和記念館、回天記念館、

 

 

7.ソ連の侵攻・・北海道を守るため

●占守島の戦い・・戦争終結2日後の8月17日、ソ連は千島列島の占守島へと侵攻開始。

●この戦いがなければ北海道はソ連に占領され、道民はソ連支配の民となっていた可能性が高い。

 

 

■第2章・・アメリカは日本に何をしたか

 

1.原爆・・邪悪な日本人を殺した「神の愛の光り」

●アジア諸国の日本のイメージは、豊かさと原爆

●大東亜戦争の本質は人種戦争だと思う

●実験のための原爆投下・・2種類の核爆弾を広島(6日)と長崎(9日)。人類史上最大の実験による虐殺だ。

●20万人以上が虐殺・・広島はウラン型、長崎はプルトニウム型。

●「邪悪な日本人たちを、白人の叡知の結集であり、神の愛の光で殺した」と本気で思っている。

●投下後明軍の医療団は観察に徹した。

●アメリカは

アフリカ人々を奴隷とし家畜の如く酷使し殺してきた

インデアンやフィリピン人を虐殺した

日本人大量虐殺をなんとも思っていない

アメリカの知識人、マスコミ、多くの国民は、「2種類の原爆投下」を「20世紀の偉大な科学」だと誇りに思っているという。投下したB29はスミソニアン博物館とアメリカ空軍博物館に燦然と展示されている。

●歴史は戦争に勝った国がつくるというが、その破廉恥さにあきれ、深い怒りを感じる。

●アイゼンハワーとフーバー大統領

アイゼンハワーは原爆投下は不要とトルーマン大統領に進言し反対した。フーバーはルーズベルト批判。

●ルーズベルト、チャーチル、トルーマンの巨悪の人々。ルーズベルトは狂気の男。

 

 

2.敗戦・・GHQとの暗闘

●1945年(昭和20年)、戦争に敗れた。8月14日にポツダム宣言を受諾を連合国に通告し8月15日に日本の降伏を公表。1952年(昭和27年)4月28日、サンフラン平和条約の発効で戦争は終結。

●昭和天皇は「アメリカと戦ってはいけない」と訴えてきた。

●開戦を決めたのは近衛文麿内閣、真珠湾攻撃を決定したのは東条英樹内閣。

日本国民が選挙選び、その内閣が決めた。天皇は国民が決めたことを承認する。

日本は戦前から民主国家である。アジアで最初の実質的な議会を持つ立憲国家なのだ。

様々な政党、政権交代も何度もあった。

●戦争に敗れて、アメリカが民主主義を押してくれたなどは嘘。

軍部の独走を許してしまったが日本の戦前は民主主義国家だった。

●米戦艦ミズーリで日本全権として降伏文書に署名・・重光葵(まもる)

●日本を守った外交官・・岡崎勝男

GHQの「日本国民に告ぐ」三布告

「立法、行政、司法の三権はマッカーサーのもの」「公用語は英語」「日本円を廃止」の三布告を撤回させた。

●アメリカが沖縄を分捕った。

●東京裁判は戦勝国の日本に対するリンチショー。A級戦犯は

昭和天皇の誕生日4月29日に起訴、今生天皇の誕生日12月23日に死刑執行。

●フィリピンに散る・・本間雅晴

陸軍切手の英国通、開戦反対論者。

●GHQを論戦でやっつけた男・・岡田資(たすく)

 

 

3.占領政策・・今も残る「敗戦後遺症」

●日本人は戦後、突然変異したのか

GHQは、戦後約7年間も占領。「日本の戦前は悪。日本兵は残虐」・・戦後の教育。

●占領費をアメリカに払わされていた・・国家予算の3割を超える当時の50億ドルを支払う。

戦後処理費、その他の費用。

●日本人をパン好きにさせたアメリカの魔力・・戦後の学校給食。余剰小麦消費政策

●脱脂粉乳はアメリカの産業廃棄物だった。家畜の餌だった。給食費20億ドルを払う。

●禁じられた飛行機製造

飛行機から自動車産業へ転換

●GHQが行った日本洗脳プログラム・・日本人から誇りと自信を奪い去る

戦前の日本の精神文化の否定・・日本民族は高度な精神文化と団結力は他国にない力をもつ。

アメリカが悪いのではなく、戦後70年間も放置した日本人の問題である。

●戦後教育をこれでいいのかと考える必要がある・・自国に誇りを持つ

●5月15日は沖縄「祖国復帰」の日

沖縄米軍基地の大切さ、日米安保の重要性もわかっているが、アメリカは信用しない。歴史をに観ると一目瞭然である。

 

 

■アジアの人たちは日本をどう思っているのか

 

1.ラオス

●フランス人はラオス人を家畜のようにこき使った

白人以外人間でなかった・・日本がフランスを追い出してくれた。

●ベトナム戦争中、1970年前後アメリカはラオス都市爆撃を実行、世界でもっとも爆撃で破壊された国・・クラスター爆弾。

●ラオスは超親日国。

 

2.ミャンマー

●イギリスの植民地として1886年から約100年間もの長きにわたり統治。ビルマ。搾取・略奪・虐殺。

●鈴木敬司陸軍大佐を要とした、「30人の同志」。ビルマ独立義勇軍。7人の日本人がアウサン勲章を授与。

●日本軍は世界で最も軍律厳しく規則正しかった。

●多くのアジア容認が「白人を追い出してくれた日本に感謝している」

 

3.カンボジア

●フランスの植民地カンボジア

●アジアの国々は、自国の領土・領海を徹底して教えている。

●日本は領土、領海に排他的経済水域を含めると、その広さは「世界で6番目に大きな国」になる。

 

4.パラオ

●1945年の日本敗戦後、1994年位独立するまでパラオは約50年間アメリカの統治下。

●日本の悪教育・・補助金漬け(動物園政策)政策。すべてアメリカ頼り。

●パラオは日本とどこか似ている

「経済だけ頑張ればいい。自国防衛など考える必要はない」とアメリカにしてやられた日本。

自国防衛を破棄し、アメリカに頼れば大丈夫と考える日本人。

戦後70年、アメリカの囲い者となる生き方を選んできた日本も、アメリカに飼いならされた動物だと思う。

 

 

■第4章・・日本が嫌いな日本人へ贈る「日本の愛し方」

 

1.国旗・国歌が嫌いな日本人

●国民が自国の国旗をこれほどないがしろにするのは日本だけ・・「日章旗」

●日の丸が消えた日

1854年日本船の目印として採用。1999年(平成11年)国旗国歌法で定められた。

701年に文武天皇の式典に使われた。1300年以上前。

●戦後GHQにより、日の丸を掲げることを禁止。祝日だけ特定行政機関の日の丸掲揚を許した。

昭和24年正月に「国旗の無制限掲揚許可」に対する総司令部覚書で取り戻した。

●国旗に敬意を払わない日本人

国旗は国を代表するシンボル、世界は自国の国旗を非常に大切にし尊ぶ。いつのまにか日本人は国旗に敬意を払わなくなった。

●自信と誇りを持って旭日旗を揚げよ

旭日旗は軍隊の旗である1870年(明治3年)大日本帝国陸軍の軍旗として制定。明治22年に海軍においても「軍艦旗」として採用。

●敗戦から9年が過ぎて、自衛隊の発足に伴い、旭日旗は陸上自衛隊の自衛隊旗、海上自衛隊の自衛艦旗として引き継がれ、現在に至る。

●8割の日本人が建国の日を知らない

2月11日は紀元節(建国記念日とも)。日本人は20%しか知らない。

中国は100%、アメリカ、カナダは90%くぉ超える。

●国史教育は必要7割。

●自国の神話も、自国の建国も知らない日本人は世界でも異常だ。

●11月23日は「新嘗祭」。戦後勤労感謝の日

●国旗を掲揚すると「右翼」だと言われる不思議。

●あなたは国家を歌えますか?

我が国の国家は「君が代」である。

●教育現場で自国の国歌を徹底して教えないのは世界中で日本だけ。

●国を愛さない教育を続けてきた日本

アメリカのすごさは国民の「愛国心」の高さだ。

アメリカの愛国心を育てる教育は徹底している。

「国を愛さない教育」を70年も続けてきた日本人に違和感を持つ。

 

 

2.誇りを失った国民

●洗脳を知らない国民

学校で近現代史を学ぶことはなかった

●豊かさだけを求めた国家は確実に滅びる・・日本は危ない

●世界中で自分の国に誇りを持たないような教育を行っているのは日本だけだ。戦争に敗れ、戦勝国が日本の精神文化を破壊し、二度と逆らわないようにとWGIPで「日本人軟弱計画」を強烈に進めた。アメリカが悪いのではない。戦後70年近くもほっといた日本社会が問題だと考える。

●神話を教えず近現代史をスルーする歴史教育

偉大な教育者、歴史学者、専門家が教育界から追放された痛手は大きい。

●国民が自国の歴史を知らず、誇りを失うと必ず滅びるといわれる

●7割の高校生が自分をダメ人間と思っている。2015年アンケート。

●国を愛する、自力で国を守る、天皇陛下に対して尊崇の念を持つ、国旗・国歌を大事にする、日本人として誇りを持つ、は当然のことだと思う。

 

 

3.自国の神話を学ばない民族は滅びる

●イギリス、アーノルド・トインビー・・12、13歳ぐらいまでに自国の神話を学ばなかった民族は例外なく滅ぶ。・・恐ろしい指摘である。

●古事記、日本書記、天皇陛下の存在。・・GHQ、アメリカのダブルスタンダード。

●日本で最初の神様は?

●日本は世界最古の国家

神武天皇から始まり2600年以上の歴史がある。ギネスの登録。「記紀」(国家によりまとめられた歴史書)もある。

●日本人は本当に宗教心はないのか?

神道の教えが身体に染みついている。

●8月15日の終戦の日。靖国神社。平和を望み、戦争は絶対反対。ほぼ全員が永久なる平和を願っている。

●人るに戦争がなくなった歴史はない。理想的平和を信じ、軍備を怠る国家は滅亡する。

アメリカが守ってきたから日本の平和がある。憲法9条が守ってきたわけではない。

●日本はまだ大丈夫

我が国は、偉大な軍人を教えることはない。乃木希典将軍、栗林中将、中川司令官。池田大佐。

 

 

 

■ アメリカに強要された日米戦争の真実

 

 

2021/01/24に読了した、「なぜアメリカは対日戦争を仕掛けたのか」2部作

「アメリカに強要された日米戦争の真実」、加瀬英明著を掲載します。

 

日米の記録を時系列的に対比して検証、いや~すごい本だった。近現代史は面白い。

これだけ用意周到に仕掛けられたら勝てないね。

 

アメリカに守られて日本の平和が維持されていますが、イギリス人にいつまでも「アメリカの保護領」と言われないように、そろそろ日本も自立しないとね。

2022/10/24

 

外交評論家 加瀬英明氏
外交評論家 加瀬英明氏

 

加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日- 2022年11月15日)は、日本の外交評論家。自由社社長。日本会議代表委員、日本教育再生機構代表委員などを務め、右派・保守の論者として知られた。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる。慶應義塾大学経済学部卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育ったことなどがきっかけで、評論・執筆活動を行うようになる。政財界でも活動し、福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任した。

 

 

なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか  加瀬英明著 要約

アメリカに強要された日米開戦の真実

日米開戦に至るまでの、時系列的な、日本とアメリカ両国の「記録の対比」

1941年12月7日・・真珠攻撃

 

■まえがき

 

●1945年(昭和20年)8月に終わった日米戦争とは、いったい何だったのだろうか

あの戦争へ導いた歴史を、公平に検証すれば、アメリカが日本に対して仕掛けた戦争だった。

日本国民にとって、先の対米戦争と幕末における明治維新が、日本の近代史における二つのきわめて重い体験となった。

 

●明治維新が「御一新」と呼ばれ、昭和20年の夏までの日本をつくったように、先の敗戦が日本を再び大きくつくり替えた。

 

●狂乱の時代だった。日本はアメリカによって、翻弄された。

 

 

第一章 ルーズベルトが敷いた開戦へのレール

 

■アメリカの決意、日本の独り芝居

 

●日本は先の戦争に敗れてから、自国の歴史を失った国となった。

●事実は、アメリカは日本が真珠湾を攻撃するかなり前から、日本と戦って、日本を屈服させ、日本を無力化することを決定していた。

 

 

■フランクリン・ルーズベルトによる敵対政策の始まり

 

●フランクリン・ルーズベルトによる敵対政策の始まりは、1936年(昭和12年)、日本が真珠湾攻撃をする5年前だった。

 

●蒋介石政権への援助

 

 

■なぜルーズベルトは、中国に肩入れしたのか

 

●当時のアメリカは、中国がアメリカの勢力圏のなかにあるとみなしていた。中国はアメリカから多くのキリスト教宣教師を受け入れた。同時にアメリカ国民も「巨大な中国市場」を夢みて、中国に好意を寄せていた。

 

●一方、日本はアメリカに媚びることなく、伝統文化を頑固に守り、キリスト教文明に同化しない異質の国だった。

 

 

■日独伊に向けられた「防疫演説」。

 

●日本、ドイツ、イタリアを危険な疫病患者になぞらえた「防疫演説」として有名になった1931年のルーズベルトの演説である。

 

 

■中国空軍機による吸収来襲

 

●1938年アメリカの製のマーチンB10爆撃機の中国機の九州、熊本県と宮崎県を侵入

 

 

■日本の外交文書をすべて解読していたアメリカ

 

●1938年7月、ルーズベルト政権は、アメリカ航空機と航空機部品の製造業者と輸出業者に、日本への航空機と部品の輸出禁止を禁じた。

 

●1939年ドイツ、イギリス、フランスで、第二次世界戦争が勃発。

 

●1940年10月、アメリカ陸海軍の暗号解読班が日本の外交暗号すべてと、日本海軍の一部を、解読することに成功。ハロルド・スターク海軍作戦部長は、解読作業班の「マジック」を「何とも素敵な仕掛け」と呼んだ。

 

 

■中国軍に偽装した日本本土空襲計画

 

●1940年12月、ヘンリー・モーゲンソー財務長官が「中国に長距離爆撃機を供給して、日本を爆撃するべきと」と提案。大統領の了承を得た。真珠湾攻撃の1年前。

 

●ルーズベルト大統領の四人の側近は、モーゲンソー財務長官、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、フランク・ノックス海軍長官。中でもスチムソンは日本を嫌っていた。後に陸軍長官として、広島、長崎に原爆を投下する決定を下した。

 

●1939年12月、ルーズベルト政権は、対日禁輸物資に、航空機に欠かせない、アルミニュウム、マグネシュウム、ミリブデンを追加、さらに航空用ガソリンのプラント、航空用ガソリンの考案・専門情報を追加した。

 

●さらに1940年7月、ルーズベルト政権は、1911年に締結した「日米通商航海条約」を延長しないと決定した。

 

 

■日本を戦争におびき寄せた本当の理由

 

●この年1940年、フランスがドイツに降伏し、ルーズベルトはヒトラーが飽くなき征服欲に駆られて、イギリスが滅亡すれば、アメリカの滅亡をも招くと確信していた。そこでアメリカがヨーロッパ戦争に参戦すべく、日本にアメリカとの戦争を強いて、ヨーロッパの戦争に裏口から入ることを企てた。

 

●1940年9月、米英防衛協定が調印、50隻の旧駆逐艦と大量の小銃、機関銃、砲、弾薬を貸与することを決定。

 

 

■ルーズベルトを喜ばせた三国同盟の締結

 

●1940年9月、ベルリンにて、日独伊三国同盟条約が調印された。ルーズベルトは「これで、日本をわれわれとの戦争に誘い込める」と語ったという。

 

●三国同盟によって、世界が日独伊の枢軸国と、イギリス、アメリカなどの民主諸国に二分された構図をつくってしまった。

 

 

■着々と進む日本追い詰め政策

 

●1940年10月、海軍情報部極東課長のアーサー・マッコムが大統領に、日本をどのようにして対米戦争まで追い詰めるか、提案書を提出した。ルーズベルト大統領はこのマッコラム提案をただちに承認した。

 

●マッコラム提案は:①蒋介石政権への可能な限りの支援、②米英が協力して日本に対して完全な禁輸を実施、③蘭印に日本へ石油を輸出させない、④日本を挑発するために日本近海に巡洋艦を出没させるなど。

 

●1940年11月、ルーズベルト大統領は、アメリカが「民主主義国の兵器廠となる」と発表、ラジオで炉辺談話。

 

●1941年1月、マッコラムが、日本を苛立たせて対米戦争におびき寄せるために、アメリカの巡洋艦を使って、日本本土の領海を侵犯させるという提案を行い、検討された、国際法違反。

 

●1941年2月、ルーズベルト政権は国務省のなかに、日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するか研究する、「特別研究部」を発足させた。日米開戦の10か月前だった。

 

●1941年3月、武器貸与法を、中国にも適用することを決定。また小城リスと蒋介石政権とのあいだに、英中軍事協定が結ばれた。

 

 

■開戦五カ月前に日本爆撃を承認した文書

 

●1941年5月、ルーズベルト大統領は、陸海軍に蒋介石政権に爆撃機を供与して「JB―355(日本本土奇襲爆撃計画)」計画を具体化するよう公式に命じた。」7月陸海両長官が連署した立案を承認した。真珠湾攻撃の5カ月前である。今日、ルーズベルト大統領が7月23日に、日本本土爆撃作戦の承認した文書が、公開されている。この作戦は実際にはヨーロッパ戦線が急迫し実施されなかったが、事実には変わりない。これはアメリカ国民を欺き、日本をだまし討ちにするものだった。もし、日本側がこの計画を察知していたとすれば、真珠湾攻撃は自衛権の発動に基づいた反撃になるものだった。

 

 

■「日本という赤子をあやす」

 

●1941年8月、アメリカは、石油をはじめとする戦略物資の対日全面禁止と、在米日本資産の凍結を行った。日本に戦争の大一発目を撃たせようとして、日本の喉もとを一層締めあげたものだった。

 

●この時期、ルーズベルト大統領の巡洋艦による日本本土領海侵入は3回にわたって実地された。

 

●1941年8月12日、ルーズベルト大統領はチャーチル首相と洋上会談し、8月14日「大西洋憲章」を発表した。

 

 

■直前まで対米戦争を想定していなかった日本

 

 

■日米首脳会談に望みをかけた近衛首相

 

●8月、9月、に申し入れたが、先延ばしされ実現しなかった。ルーズベルト大統領は日本と戦うことを決めていたので、日米交渉が妥結することを望んでいなかった。

 

 

第二章 米政府が秘匿した真珠湾の真実

 

■開戦を前にした昭和天皇の懊悩

■悲痛のきわみ、宮中御前会議

■山本五十六の無責任発言

■アメリカに筒抜けだった連絡会議の結論

■日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ

 

●1941年11月25日、ルーズベルト大統領がホワイトハウスに、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、マーシャル参謀総長を招集して「次の月曜日(12月1日)当たりが、もっとも危険になると思う」と述べた。

●この時の記録によると、スチムソンが「日本に最初に撃たせると危険もあるが、アメリカ国民の完全な指示を取り付けるためには、確実にジャップス(日本人)に第一発目を撃たせることが、望ましい」と発言した。

●会議は「アメリカに過大の危険を招かぬように配慮しつつ、日本のほうから攻撃せざるをえないように仕向ける」ことで合意した。

●この夜のスチムソンの日記には「問題はいかに彼ら(日本)を誘導して、われわれがさほど大きな損害を蒙ることなく、最初の一発を撃たせるかだ。これは、難しい計略だ」と、記されている。

 

 

■開戦強要の最後の一手

 

●1941年11月26日、ハル国務長官は野村、来栖老大使を国務省に招いて「ハルノート」を手交した。内容はアメリカの最後通牒だった。ハルノートは十カ条から成り立っていた。中国大陸と仏印から、一切の陸海空軍と警察力を即時撤収すること、蒋介石の重慶以外の政権を認めることを禁じた点だけをとっても、考慮の余地がなかった。ハルノートは、日米交渉がそれまで積み上げてきたものを無視して、根底から壊す言語道断のものだった。ルーズベルト政権は日本が受諾することを、はじめからまったく期待していなかった。

 

●ハルノートについてのチャーチルの回想:「われわれはその瞬間まで、十項目について知らなかった。この文書はわれわれが要求していたものを、はるかに大きく上回ったものだった。日本大使があきれ返ったというのは、その通りだったにちがいない」。

 

●ハルノートを起草したのは、モーゲンソー財務長官の片腕のホワイト次官補だった。この文案は日本に戦争を決意させるように追い詰めることを狙ったもので、モーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領に提出された、ルーズベルト

大統領は直ちに承認し、ハル国務長官に日本大使に手交するよう指示した。

 

 

■その時、ルーズベルトは何をしていたか

 

■なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか

 

●1941年11月28日、ハルはイギリス駐米大使ハリファックス卿に「日本との外交関係は、事実上終わった。仕事は、すでに陸海軍の手に移った。日本は突然動き、それも完全な奇襲となるはずだ」と告げた。

●1941年1126日、キンメル太平洋艦隊司令官はスターク海軍作戦部長から、突然、空母「エンタープライズ」と「レキシントン」でウエーキ島とミッドウエイ島へ陸軍の戦闘機を運ぶよう命じられ、2隻しかなかった空母は真珠湾を離れた。真珠湾に残ったのは、戦艦「アリゾナ」をはじめ、ほとんどが旧型艦だった。

 

 

■万策尽きての開戦決定

 

●1941年12月1日、ハルノートの最後通牒について会議が催され、御前会議ににて開戦が決定された。

 

 

■暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府

 

●1941年12月6日、東京が野村大使に宛てた最終覚書(7日の午後1時に開戦を手交することを命じた訓電)をただちに「マジック」で解読し、大統領、国務長官、陸海軍長官、陸軍参謀総長、海軍作戦部長に配布した。

 

●1941年12月6日、レスター・シュルツ海軍中尉が、日本から野村大使に宛てた開戦の対米覚書13部までの「マジック」によって解読された文書を、ホワイトハウス大統領執務室まで届けた。ルーズベルト大統領は解読書から目をあげると「これで、いよいよ戦争だ」と言った。真珠湾攻撃の1日まえであった。

 

●1941年12月6日、マーシャル参謀総長は、日本による開戦の決定をすぐに知らせず、民間の電信会社を使って遠回りして遅らせ、そのためホノルルのショート陸軍司令官が受け取ったのは日本軍の真珠湾攻撃が終わってからだった。

 

●ルーズベルトが、アメリカが終始、平和を求めていた証拠を偽装して,後世に残すことをはかったものだった。

 

●在米大使館が本省から最終覚書を、アメリカの東部標準時間で12月7日午後1時に手交することを支持されたにもかかわらず、野村、来栖両大使がハル国務長官に手交したのは、真珠湾攻撃後の午後2時過ぎになった。日本大使の失態ではあるが、ハル国務長官は前日の12月6日にこのことを知っていた。

 

 

■ハワイにだけは情報を伝えなかった謎

 

●ルーズベルト大統領は、日本画127日にハワイを攻撃することを知っていた。にもかかわらず、マジック解読情報は、ハワイの太平洋艦隊司令官ハスバンド・キンメル大将と、陸軍司令官ウオルター・ショート中将だけに芭、知らされなかった。

 

●1941年12月6日夜、ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃の前夜に、ホワイトハウスに家族全員を集めて、有色を楽しみながら談笑した。食事中に中座した戻ってくると、晴れやかな表情を浮かべて、家族を見回して、「戦争は、明日始まるよ」と言った。

 

●ルーズベルトはアメリカをヨーロッパ戦争に参戦させるために、日本が真珠湾を攻撃することを知りつつ、ハワイの太平洋艦隊を生贄にしたのだった。

 

 

■アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激

 

●1941年12月7日、真珠湾攻撃されたその日、ルーズベルト大統領が主要な上下院議員をホワイトハウスに招き、「私はわが国が攻撃された場合以外には、戦争に突入することはありえないと、繰り返し誓約してきたが、われわれは攻撃されたのだ。この事には、何らの疑問もない」と語った。翌日議員両院総会にて日本に宣戦布告することを求めて、議会は対日宣戦布告を承認した。

 

●1941年12月7日、ロンドン、チャーチル首相はルーズベルト大統領に電話を入れ、ニュースを確認すると、ルーズベルト大統領は「日本は真珠湾を攻撃した。いまや、われわれは同じ船に乗ったわけだ」と答え、チャーチルが「これで、事が簡単になった」と相槌をうった。

 

●チャーチルは後に著書「第二次世界大戦」のなかで、その日、日本の参戦によって、「すでに戦争に勝った。(略)われわれは戦争に勝ったのだ。(略)私は感激と興奮によって満たされて、すっかり満足して床につき、救われたことに感謝しながら、やすらかに眠りにおちた」と述べている。

 

 

■ルーズベルトは、いかにして四選を果たしたのか

 

●大戦中の1944年6月、イギリスのオリバー・リトルトン工業大臣がロンドンの講演で、「日本はアメリカによって謀られて、真珠湾を攻撃した。アメリカが戦争に追い込まれたというのは、歴史を弯曲したものだ」と語った。

 

●1944年大統領選にて、共和党候補のトマス・デューイ・ニューヨーク州知事は「ルーズベルト大統領が日本の外交暗号と、海軍暗号を解読して、事前に、日本による真珠湾攻撃を承知していたにもかかわらず、香にハワイの太平洋軍司令部に情報を伝えることをしなかったことを取り上げ、ルーズベルトを攻撃しようとしたが、ジョージ・マーシャル参謀総長が「日本はいまだに海軍暗号を解読されていることを知らないから、もしこのことが暴露されたら、利敵行為になると説得し、デューイは思いとどまり、300万票差の僅差で敗れた。

 

 

■終戦の方策を考える余裕すらなかった日本

 

 

■アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相

 

●1941年12月16日、キンメル太平洋艦隊司令官とショート陸軍司令官は、ルーズベルト大統領によって、「職務怠慢」のかどで罷免された。海軍は開戦に至るまでの「マジック」の情報を、すべて金庫のなかに収めて、封印してしまった。

 

 

■終戦一年前に作られた日本占領統治計画

 

●日本は1945年(昭和20年)8月15日に、力尽きて敗れた。9月2日に、東京湾に浮かぶ戦艦「ミズーリ」の上甲板で、降伏文書調印式が行われた。

 

●1944年3月、アメリカ国防省の戦後計画委員会で、報告書がまとめられた。骨子は、日本をアメリカによる単独占領下に置いて、日本の徹底的な非武装と、「民主化」を行ない、後になって日本が講和条約によって独立を回復しても、名目的なものとして、実質上はアメリカの管理下に置くというものだった。天皇を占領下で在位させて利用し、日本政府を存続させて、間接統治することが盛り込まれた。20か月後に始まった対日占領は、戦後計画委員会による筋書きに、沿ったものとなった。

 

 

■日本国憲法にこめたアメリカの狙い

 

1944年12月、国務省ではヒュー・ボートンが中心になって、対日平和条約案を作成作業が始まった。

 

●1946年に対日講和条約案が完成。この対日講和条約第一次案では、日本が永久にいっさいの軍事力を持つことを禁じた。航空機は軍用機、民間機も保有禁止、戦略物資の貯蔵禁止、軍事目的を持つ研究禁止、核平和利用に関する研究禁止、公職追放者は永久に続く。講話条約を結んだ後25年間にわたり、極東委員会、連合国の対日占領政策の決定機関を構成する11カ国からなる国際監視団によって、監視されることになっていた。

 

●マッカーサー元帥の総司令部は、この講和条約第一案を下敷きにして、日本国憲法を押しつけるように指示された。

 

 

第3章 日本人が知らない日本の歴史的功績

 

■廬溝橋事件は日本の仕掛けではなかった。

 

●中国共産党の工作員が定説

 

 

■東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは

 

●東京裁判の主催者であったマッカーサー元帥は、日本を侵略国家として、一方的に断罪した。

 

●マッカーサーは東京裁判の判決から2年半後の1951年(昭和26年)5月3日に、アメリカ上院軍事海晃合同委員会において、日本はやむにやまれず自衛のために戦わざるをえなかったという趣旨の証言を行った。

 

●マッカーサーは、アメリカが工業国にとって不可欠な石油や、屑鉄などの原料の対日禁輸を行ったことに触れて、「彼ら(日本)はもし、これらの原料の供給が断ち切られたら、1000万人から1200万人の失業者が発生するだろうことを、恐れていた」「したがって、日本画戦争に飛び込んでいった動機は、その大部分が安全保障の必要にせまられてのことだった」と述べた。

 

●東京裁判は復讐劇であるよりも、日本国民に日本が犯罪国家であると、思い込ませるために行われた。

 

●国際法に「平和にたいする罪」は存在しない。戦勝国となった連合国が、創り出したものだった。「平和に対する罪」は「侵略戦争を計画して、遂行した犯罪」とされた。

 

●根拠にされた、1928年のパリ条約(不戦条約)、ケロッグ・ブリアン条約では、侵略戦争について、定義することが出来なかった。アメリカ上院議会で、ケロッグ長官は、「国家が軍事的に攻撃されたのではなく、経済封鎖を受けた場合、これはもちろん、戦争行為そのものだ」と断言した。

 

●日本が日名戦争に当って侵略戦争を戦った罪で被告席に座らされたが、史実は日本ではなく、ルーズベルト政権がのアメリカが裁かれるべきだったことを証いている。

 

●それまで、人類史で戦勝国が敗戦国を、戦争を戦った罪によって、裁いたことはなかった。東京裁判自体が悪質な国際法違反だった。

 

 

■日米戦争の原因の一つは人種差別

 

●アメリカが日本を戦争に強いた大きな原因の一つが、人種差別だった。

 

●昭和天皇は1946年4月、戦争の原因として、「白色人種の有色人種に対する優越感によって、日本人種が嫌われたことがある」と語られた。

 

●反対意見のラビノド・パル判事、オランダのバート・レーリング判事、フランスのアンリ・ベルナール判事の反対意見は、公表を禁じられた。

 

●パル博士は、「連合国は極東裁判で、日本画侵略戦争を行ったことを歴史にとどめることによって、欧米列強による侵略を正当化し、日本に過去の罪悪の烙印を押すことが目的だった」と断じている。

 

●レーリングは、「人種差別が、太平洋戦争の主因の一つだった。連合国の国民は、日本人を人間以下とみなすように教育された。広島、長崎で数十万人を、一瞬のうちに焼殺したのも、人間ではないと感じたから、できたのだ」と述べている。

 

●1944年のアメリカ派、日本に対する激しい憎しみによって、沸き立っていた。この年のギャラプ社の世論調査では、「日本民族を是詰めるさせるべきか」という質問が用意され、13%が支持している。

 

 

■トルーマンもマッカーサーも、人種差別主義者だった

 

●ルーズベルトの死去を受けて、大統領になったハリー・トルーマンも、激しい人種差別主義者だった。日本が降伏した直後に、日本人は「悪辣で、残忍な野蛮人だ」と言っている。ユダヤ人も嫌った。

 

●マッカーサー元帥も、人種差別主義者だった。ユダヤ人も蔑視していた。

 

 

■トインビーが日本に与えた歴的評価

 

●1956年、歴史家アーノルド・トインビーは、イギリスの高級新聞「オブザーバー」に次のように寄稿している。「日本は第二次世界大戦において、自国ではなく、大東亜共栄圏の他の国々に思いがけない恵みをもたらした。それまでアジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、無敵で、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にそうではなかったことを、人類の面前で証明してしまった。これは、まさに歴史的な偉業であった」

 

●「日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打つことをなしとげた」

 

●1898年、アメリカは、フィリピン、グアムを奪い、ハワイをアメリカ領に組み込んだ。アメリカにハワイ、フィリピンを支配する何の権利があったのだろうか。

 

 

■軍人として無能だったマッカーサー

 

■マッカーサーの日本非武装中立論

 

●1945年8月16日、スターリンは、マッカーサーが連合国軍最高司令官となることを承認したが、同時にソ連が北海道の一部を占領することを、要求した。トルーマンはソ連軍が北海道に進駐することを、拒んだ。

 

 

■日本の「宗教改革を」を企んだマッカーサー

 

 

■アメリカの日本に対する戦後処理の愚

 

●1950年朝鮮戦争が始まると、マッカーサーは日本尾非武装中立国家とする信念をすてて、変節せざるをえなかった。日本共産党を事実上非合法化した。

 

●日本政府に対して、7万5000人の警察予備隊を創設するように命じた。これにより日本の非武装化を定めたポツダム宣言が反故となった。

 

●チャーチルは大著「第二次世界大戦」の冒頭で、イギリス、フランス、アメリカが行った第一次世界大戦尾処理が「愚行」だったと批判した。アメリカの日本に対する戦後処理も、まさに愚行だった。

 

 

■ルーズベルトを「狂人」と呼んだハーバート・フーバー元大統領・・1929年大統領就任1期。共和党。

 

●トルーマンに対して、アメリカが真珠湾攻撃の報復をしようとするあまり、日本を壊滅させることがあってはならないと戒めた。そして共産主義者がアジアへ進出するのを食い止めるために、日本と一日も早く講話すべきだと説いた。

 

●フーバーは日本がアジアの安定勢力であって、戦後も日本による朝鮮半島と台湾の領有を認めるとともに、日本経済の回復を助けるべきだと、主張した。

 

●フーバーは「日本は基本的に、西側に属する国家だ」と論じた。

 

●またフーバーは、中国大陸の共産化を防止するために、日本軍が秩序をもって段階的に、撤収すべきことを進言した。

 

●アメリカは日本占領中に米ソの冷戦が激化すると、日本の占領政策を根本から改めた。フーバーは炯眼だった。

 

●フーバーは戦後マッカーサーと会って、「日本との戦争のすべてが、戦争を仕掛けたいという狂人の欲望だった」と述べたところ、マッカーサーも同意した、と回想している。

 

●マッカーサーは「日本に対する経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが、本質的に戦争であった」と述べた。

 

●もし、日本が朝鮮半島を領有しつづけたとしたら、朝鮮戦争は起こらなかった。日本軍が中国大陸にかなりの期間にわたって留まっていれば、中国が共産化することもなかった。

 

 

第4章 この教訓から何を学ぶか

 

■国際政治は、いかに非情であることか

 

●日本国民は国際政治が非情なものであることを、知らねばならない。

 

●日本は中国、ロシア、北朝鮮という三つの書く武装国と向き合っている。日本が将来、もし、アメリカの「核の傘」を失うことがあったとしたら、日本に対して各威嚇を行うか、核攻撃を加えてくる可能性があるだろう。

 

 

■まやかしの「平和主義国家」

 

●今も、日米安保条約も憲法も、日本がアメリカの被保護国であるという状況は変わっていない。

 

●戦後の日本の平和主義は、】日本画国家であることをやめ、外国の被保護国として安逸な環境に馴れるうちに、国民の間に定着したものである。

 

●日本はどの独立国であっても持っている「建国の精神」を忘れてしまった。

 

 

■無責任なコンセンサスに縛られた「日本国憲法」

 

●日本人が成熟した自己を持っていないことから起こる。

 

 

■小室直樹の吉田茂に対する辛辣な評価

 

吉田茂は、サンフランシスコ講和条約調印(1951年9月8日)後、日本国憲法を改憲しなかった。もし吉田首相が、講和条約締結前に、ダレス特使から日本が強い軍事力を備えることを求めたのを拒まずに、警察予備隊を国軍に改編することを決意していたら、アメリカから反撥を招くことなく、憲法を改正することができた。

 

 

■福沢諭吉の戒告

 

●小生と自立心は一つのものだ。日本人から個性が失われたのは、国家の安全と独立をアメリカに委ねて、国家としての自立すべきことを忘れてしまったからである。

 

●「一身の独立なくして、一国の独立なし」

 

●日本の国際社会に仲間入りすることの夢

独立を全うし、世界の一流国となること、人種平等の世界をつくること、

 

●日本によって、世界のありかたが一変した。それだけに西洋諸国による報復も、すさまじいものだった。戦争に勝った連合国は、日本の輝かしい歴史を抹殺することを、はかった。

 

 

■インドとインドネシアの独立に果たした日本の役割

 

●アメリカは民主主義国家ではなかった、国内で同じアメリカ人である黒人を法的に差別して。辱めていた。

 

●日本が先の大戦中にアジアの諸民族を解放したために、その高波がアフリカ大陸をも洗って、アフリカ諸民族もつぎつぎと独立していった。

 

●1960年代に、マーチン・ルーサー・キング牧師によって黒人差別撤廃が起こり、黒人が白人とたいような権利を獲得した。1967年に最後の3つの州で黒人との結婚が許された。

 

●日本が先の大戦で大きな犠牲を払って、幕末から夢みてきた人種平等の理想の世界を、招き寄せたのだった。

 

 

 

■ 日米関係の検証

 

 

2021/01/22に読了した、日米関係の検証・・「ペリー襲来から真珠湾への道」 ヘンリー・S・ストークス著 藤田裕行訳を掲載します。

 

日本人ではない人、イギリスのジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークスから見た日米関係。日本人にはない視点で、ペリー来航からマッカーサーまで、世界からみた日本とアメリカを語っています。

 

非常に面白かった。

日本をよく知るイギリス人からみると、日本は現在でも、「アメリカの保護領」であるらしい。

 

アジアで完全に独立していない国とのこと。

色々と考えさせる指摘です。

2022/10/24

 

ジャーナリスト ヘンリー・S・ストークス氏
ジャーナリスト ヘンリー・S・ストークス氏

 

ヘンリー・スコット・ストークスは、1938年、英国サマセット、グラストンベリー生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年にフィナンシャル・タイムズ入社、64年、初代東京支局長。67年、タイムズ東京支局長、78年、ニューヨーク・タイムズ東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者として知られる。著書に「三島由紀夫 死と真実」「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」、編著「光州暴動」、共著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」「目覚めよ!日本」「連合国戦勝史観の徹底批判!」など。

 

 

なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 要約

第二部 ペリー襲来から真珠湾への道(日米関係の検証)

ヘンリー・S・ストークス著  訳:藤田裕行

 

 

第一章 100年にわたるアメリカの野望

 

■アメリカが隠蔽してきた史実

 

●従兄でイギリスの軍人、ネーサン・クラークの証言

1941年、日本が真珠湾攻撃する6か月前に、アメリカが日本に対して、戦争を仕掛ける準備を、ビルマラングーン基地で行っていた事実を目撃。

 

●私が学生時代の時は、地球儀の大部分がピンク色に塗られた大英帝国だった。アフリカのほぼ全土が、ピンク色だった。日本を除くアジアの大部分がそうだった。第二次大戦の結果、地球上のほとんどのピンク色が、1950年代初頭までに消滅してしまった。全く新しい世界が誕生した。

 

●人類がいまわしい植民地を捨て去って、人種平等の新しい世界を呼び寄せることができたのは、ひとえに、日本国民が血を流したためだった。そのそも、アメリカはどうして対日戦争を始めたのだろうか?

 

 

■ペリーという「海賊が」犯した罪状

 

●マシュー・ペリー提督はアメリカ海軍の制服に身を包んだ海賊集団だった。星条旗と黒い海賊旗を掲げた強力な炸裂弾砲を搭載した4隻の黒船は、1853年7月日本の浦賀水道に到着、新鋭砲を誇示して強引に居座った。

 

●ペリーは、アジア最後の処女地日本、この人口2000万人の優れた文化を持つ国を凌辱した。これによりぺリーは日本に、西洋に対しての長年にわたって燻り続けた敵愾心をいだかせた。それがのちに日本による真珠湾に始まった反撃を生ませた。

 

●ペリーが国際法に照らして、日本に対して海賊行為を働いたのにもかかわらず、アメリカは今日に至るまで、謝罪していない。

 

●もし、ペリーが来航した時に、日本を対等に扱い、アメリカがその後、日本に対して正しく振る舞ったとすれば、日本は現在のようなアメリカの保護領ではなく、アジアで完全に独立した大国になれたはずだった。

 

 

■何がペリーを大航海に駆り立てたのか

 

●星条旗を掲げ、当時の世界の最強の外輪船の艦隊を率いて、世界を一周して、極東に達することは、壮大なプロジェクトだった。ペリーは黒船を率いて、1853年、中国から~沖縄~小笠原諸島を回って日本に100日間かけて到達した。

 

●表の目的は1通の書簡(アメリカ合衆国大統領の親書)をとどけること。内容は捕鯨産船が難破して日本沿岸に打ち上げられたアメリカ船員のまともな扱いの要求だった。

 

●表向きは、正規の郵便配達人。一つ目の目的。

 

 

■「神の意思」によって正当化された侵略行為

 

●二つ目の目的は、東洋への侵略を裏書きする根本的なもの、神によって祝福された使命を果たそうとしたというものだ。

 

●アメリカ合衆国を築いた清教徒たちは、「神から与えられた明白な使命」によって、西へ西へと領土を拡大することを、神の御皆を実現することだと信じた。交易は神の意思だった。

 

●アメリカはこのような動機に駆られて、通商の世界に躍り出た。アメリカ合衆国は領土を休むことなく拡げ、太平洋に面したサンディエゴ、サンフランシスコ、シアトル、ポートランドなどの新しい港を、つぎつぎと獲得していった。侵略に次ぐ侵略。

 

●世界帝国を建設しつつ、アジアへの道を開いたのは、イギリスだった。

 

●アメリカはもともとイギリスから大西洋を渡った清教徒によって、自分勝手に「約束された土地」と呼んだ北アメリカ大陸を侵略して、築かれた国である。したがって領地を拡げるのに当って、天賦の権利を有していると信じた。

 

 

■日本に埋蔵されれいた「黒いダイアモンド」

 

●来航の目的、第三の説は、黒船は石炭を求めていた。

 

●1846年、アメリカは無辜の共和国だったメキシコに奇襲攻撃をかけた。この時使われたのがシェル炸裂弾だった。戦闘に不可欠なものそれは「黒いダイヤモンド」である石炭。

 

●国務長官ウエブスターいわく「石炭は人類一家のために、万物の創造主から日本列島に置かれて、賦与された、主からの賜物である」神の存在は常に、アメリカの行動の原動力として存在してきた。いまでも、アメリカ人の頭から創造主を、排除することは出来ない。

 

 

■ペリーの野望が結実した横須賀米軍基地

 

●ペリー艦隊はアメリカの基地を探していたのだ。黒船の艦隊は、今日、アメリカが所有するものを探して、渡ってきた。つまり横須賀である。今日、この横須賀海軍基地は、ほぼ、ペリーが黒船艦隊の錨を投げ入れた場所に位置し、アメリカ第七艦隊が母港としている。黒船はおよそ150年前に、その先鞭をつけたのだ。

 

●ペリーの日記にはこう記されている。「神がこの素晴らしい天地(日本)を、創造された。われらの試みが、これまで見離された人々(日本人)を(キリスト)文明へとお導きくださるように、祈ります。どうぞことが成就しますように」。

 

●ペリーも白人キリスト教徒だけが文明世界の家族で、それ以外は孤児のような野蛮人だという、世界感に立脚していた。

 

 

■世界一の文化都市だった江戸

 

●イギリスの使節オルコック(初代イギリス公使)の証言:「江戸の街は、美そのものだった」。

 

●生活、絵画、舞台芸術、文化財、治安、旅籠、協同組合、木版画、能楽、歌、書芸、教育、

 

●日本から戻ったペリーの講演:「日本はいつの日か、他国の追随を許さない産業国家ととして台頭しよう。彼らの手先は、あまりにも器用だ」。

 

 

■アメリカ人が持っていたひどい偏見

 

●一方、アメリカでは江戸時代が邪悪な時代だっという偏見も根強かった。サミュエル・モリソン提督。

 

●イエズス会の記録:「当時の日本は平等社会だった」

 

●フランシスコ・ザビエルの報告:「ここ日本では、女性や子供までもが読み書きができる」

 

 

■日本という獲物を虎視眈々と狙う列強

 

●ペリーのしたことは、日本の法律では犯罪行為だが、当時、全世界で西洋の植民地支配が行われていた。

 

●シンガポール、香港、上海、等、アジアは植民地支配の新たな獲物として燃え上がっていた。(大英帝国、フランス、ドイツ)

 

●アジアの原住民は、人として扱われなかった。ヨーロッパ各国にとって、早い者勝ちの状況で、ルールは弱肉強食だった。白人優位の世界感が確立していたから、アジア・アフリカを支配するのは、白人の特権だと信じられていた。

 

●西洋の植民主義者の間では、遅かれ早かれ、ヨーロッパの大国のどこかが、日本を奪うだろうと、緊張感が高まっていた。しかし日本は誇り高く、旺盛な独立の精神を抱いていた。

 

 

■「レイプ・オブ・江戸」

 

●ペリーとマッカーサー元帥の比較

 

●現代史家、岸田秀の論考:「日本はレイプされた。最初はペリー提督によって、後にマッカーサー元帥によって」と主張。

 

 

■わざわざペリー艦隊の艦旗を取り寄せたマッカーサー

 

●先の大戦は日本から西洋に、戦争を仕掛けたのではない。アジアは、シャム王国(タイ王国)とネパールと日本を除いて、すべてヨーロッパと、アメリカの植民地だった。中国は半植民地状態。シャムとネパールはヨーロッパの領土獲得合戦の緩衝地帯。唯一つ、独立国家として残っていたのが、日本だった。

 

●マクロにアジア史を見ると、ペリーと100年後に日本に降伏文書への署名を強いたマッカーサーの位置づけが、ハッキリとする。戦争の責任は第一義的に、アメリカにあった。

 

●降伏文書調印は、1945年9月2日、戦艦ミズーリ号の艦上、場所は1853年にペリーが目的としたアメリカ海軍基地、アメリカの横須賀海軍基地である。

 

●マッカーサーはペリーが浦賀に黒船艦隊を率いて来航した時に掲げた旗の現物をわざわざ取り寄せて掲げた。

 

 

第二章 ペリーが開けた「パンドラの箱」

 

■パリ講和条約における日本人の人種差別撤廃提案

 

●この500年の世界史は、白人の欧米キリスト教諸国が、有色人種の国を植民地支配した、壮大なドラマだった。

 

●その流れに影響されることなく、神の軌跡のように取り残されていたのが、日本という世界史に比類ない国家だった。

 

●平等社会、安全で平和な社会。この平等主義は日本人が古代から尊んでいた「和」の心から発するものだろう。「和」は日本独特なもの。

 

●日本人の平等の精神が、第一次世界大戦後に行われたパリ講和条約においても発揮された。それが日本が提案した人種差別撤廃案。アメリカ、オーストラリア、イギリスが反対、出席16カ国中11カ国が賛成し可決されたが、アメリカのウイルソン大統領が「全会一致でない」としてこの採決を無効とした日本は最終的に提案を行った事実と採血の議事録を残すことを求めて受け入れられた。

 

●南北アメリカも西洋史では「新大陸発見」となっているが、大陸はもともとそこにあった。北アメリカにはインデアンという先住民族が住んでいた。もともといた有色人種の非キリスト教民族を、まるで野獣狩りでもするかのように冷血に虐殺して、白人キリスト教国家を建設したのがアメリカである。

 

●南アメリカでも、アジアでも、白人キリスト教国家が有色民族諸国に対して侵略を働き、植民地支配による搾取と差別が行われた。

 

■300年以上、スペインの支配下にあったフィリピン

●フィリピンはスペインの植民地、1899年からアメリカの領土。

 

 

■白人不敗神話の終焉と日本

 

●東アジアに対する日本尾軍事進出は、いろいろの意味で、あじあに開放をもたらす力を、存分にふるまった。フィリピン、香港、ビルマ、インドシナ、インド。白人の不敗神話を崩壊させたことでは、日露戦争の日本の勝利だった。第二次世界大戦における日本軍の緒戦の勝利が白人不敗神話をつぶした。

 

 

■インドネシア独立に果たした日本の功績

 

●アジアの国々に、軍事教練をし、精神力を鍛え、高い地位を与え、民族終結の組織をつくり、近代組織の経営方法を教えたことは、侵略したのが日本でなかったことを証明している。

 

●日本が第二次大戦でアジアの国々を侵略したとされているが、日本がアジアの国々を侵略していた西洋諸国から、アジアの国々を独立させるために、あらゆる努力を惜しまなかったと見るのが正しい認識である。

 

 

■インドネシアの独立記念日の日付けは、なぜ05817なのか

 

●皇紀の採用だった。

 

 

■インドネシア独立戦争で戦死した1000人の日本兵

 

●当時の日本人にとって、アジア開放は大義だった。今の日本人にそのような気概はない。

 

●日本がアジア諸国から尊敬されなくなったのは、アメリカに追従して、経済利益だけを追求して、先の大戦に敗れるまで抱いていた気高い精神を、失ったからに違いない。歴史を失った国には、品格がない。

 

 

■イギリスのインド支配とチャンドラ・ボース

 

●インドはイギリスが1600年に東インド会社を設立して、インドの植民地化に着手。」

イギリスの植民地支配に対し無抵抗を貫いたのがマハトマ・ガンジー

チャンドラ・ボースは武闘派。1943年ボース首班の自由インド仮政府樹立。

 

 

■インパール作戦は、けっして犬死ではない

 

●1947年インド独立

 

●インド側ダサイ弁護団長の証言:「日本軍がインド国民軍を編成して、武器をとって新軍させてくれた。この新軍が、インド全土で国民運動となって、イギリスに独立を認めさせる契機となった。インド独立をもたらしたのは、日本軍であった」

 

●歴史を鳥瞰すれば、日本軍が大きな犠牲を払ったインパール作戦には、輝かしい意義があった。戦死した日本とINA(インド国民軍)将兵の亡霊が、デリーまで進軍した。日本は満身創痍となって降伏したが、有色人種の開放という軌跡を行った。

 

 

■公開された日本本土進攻作戦計画

 

 

■アメリカ政府は弄した奸計・・機密解除された文書から

 

●日本に和平を強いるために、天皇制を温存することを餌にして「条件付き降伏」を申し出る。

●1945年7月26日、日本に条件付き降伏を求めるポツダム宣言を発した。アメリカ、イギリス、蒋介石政権は事後参加、ソ連を誘った。

●ポツダム宣言は、日本軍に対してのみ無条件降伏を要求、日本政府に対しては条件付き。

●ところがアメリカは、日本を占領し、日本軍の武装解除を行うと、日本が無条件降伏したことにすり替えた。天皇を人質に取った。アメリカの占領は、戦争の3年より長く、6年以上にわたった。日本を物理的に打ち破り、そのうえで日本人の精神を打ち砕くための時間だった。

 

 

■「パンドラの箱」とは何か

 

●人類がこの地上に植民地が存在せず、人種平等の理想の世界を迎えることができたのは、日本が大東亜戦争に立ち上がった成果だった。ペリーは日本が立ちあがることになった発端をつくったのだ。

 

●もしペリーが黒船戦艦を引き連れて浦賀沖にまで侵入し、日本人の誇りを深く傷つけることがなかったとしたら、世界史は変わっていただろう。

 

●日本が、貪欲な西洋による帝国主義の脅威を恐れて、あのような形で富国強兵政策を取り、軍国主義を国是として、世界の強国の一つとなることはなかっただろう。

 

●日本はペリーの黒船が江戸湾に不吉な姿を現してから、88年後の1941年12月8日まで追い詰められ、1945年、国土が全て灰燼に帰した。

 

●しかし、その結果として、有色人種がはじめて大いなる希望の燭光によって照らされ、人種平等の理想が実現した。アジア・アフリカに、数多くの独立国が生まれた。

 

●日本は二十一世紀の人種平等の神話をつくることによって、日本太古の国造りの神話を、二十一世紀になって再演してみせた。新しい世界を生むことになった神話を、人類のためにつくりだした。

日本こそ、人類の希望だった。ペリーは「パンドラの箱」を、開けたのだった。

 

●ペリーが種を蒔き、そしてマッカーサーが収穫した。

 

●ペリーが日本に来航し、日本を立ち上がらせることで、アジア全土で、アジアの人々に独立を果たせる結果を招いた。欧米白人による植民地支配が終焉を遂げた。被支配民の希望が実現された。白人にとっては、まさに、ペリーはパンドラの箱を開けたのだった。

 

 

 

■ 日本のODAが育てた「怪物」

 

 

産経新聞のコラムに、古森義久氏の見解、日本のODAが育てた「怪物」が載っており、非常に参考になる内容だったので書き起こして掲載します。

 

ここまでくると、日本政府の政治家の自覚のなさに、笑っちゃいますね。日中国交正常化で日本は大間違いをしでかしたということですね。

2022/10/23

 

日本のODAが育てた「怪物」 日中国交正常化50年、最大級の失敗

2022/10/21 18:12 古森義久  国際・中国

 

ジャーナリスト 古森義久氏 
ジャーナリスト 古森義久氏 

 

古森義久は、日本のジャーナリスト。麗澤大学特別教授。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構特別アドバイザー。国際問題評論家。国際教養大学客員教授。ジョージタウン大学「ワシントン柔道クラブ」で指導経験がある柔道家。

 

2022/10/16、北京の人民大会堂で、中国共産党第20回党大会の開幕に当たって入場し、手を振る習近平総書記(国家主席)=ロイター 
2022/10/16、北京の人民大会堂で、中国共産党第20回党大会の開幕に当たって入場し、手を振る習近平総書記(国家主席)=ロイター 

 

 

日中国交正常化50年 最大級の失敗

日本のODAが育てた「怪物」 

 

日中国交正常化50年や、5年ぶりに開催された中国共産党大会に関する評論が各種メディアをにぎわしている。そうした中、日本の対中政策で最大の柱だった政府開発援助(ODA)の効果に関する総括が奇妙なほど欠けている。日本は中国に40年間も巨額の公的資金を援助として供与したが、その援助は戦後の日本外交でも最大級の失敗だったと総括せざるを得ないのだ。なぜ失敗だったのか。私自身の中国体験から改めて報告したい。(初代中国総局長 古森義久)

 

 

国民は援助知らず

 

産経新聞は1998年までの31年間も中国への特派員駐在を許されなかった。台湾の支局を閉鎖せよという中国政府の要求を拒んだからだ。欧米のメディアには適用されない高圧的な「一つの中国」原則が日本メディアに押しつけられ、みなそれに従っていた。

 

だが中国側がその方針を変え、産経は初の中国総局開設という形で記者の再駐在を認められた。私がその任を担った。中華圏での取材は初めてに近い私は、中国ではまず日本のODAの状況を調べたいと思っていた。なぜなら日本の対中政策ではODAは最大の支柱だったにもかかわらず、実態に関する日本メディアの報道は皆無だったからだ。

 

日本の対中ODAは1979年から2018年まで40年間、総額3兆6千億円だった。日本のODAの歴史でも一国への総計では最大級だった。私の中国赴任の段階ですでに総額2兆円を超えていた。しかも全土の多数の公共施設の建設に投入されていたからその効果は中国一般でも幅広く認知されているだろうと思い込んでいた。

 

だが現実は逆だった。北京に住んだ私が接触する中国側のどの人に聞いても、日本からの経済援助ということ自体を知らないのだ。その後に訪ねた上海、大連、成都、ラサ、ハルビン、昆明などでも「日本からの経済援助」を誰も知らなかった。中国当局が国民に知らせないからだった。

 

特に首都の北京では五輪開催を目指して都市インフラの大建設が進み、驚くほど多数のプロジェクトが日本のODAで進められていた。例えば北京国際空港、地下鉄、港湾施設、高速道路だ。だが空港でも地下鉄でも完成の記念式典で貢献した団体や個人に謝意が表されても、資金源の日本への言及はゼロだった。

 

だからODAで中国側の対日友好が進むはずがなかった。中国政府がむしろ日本の援助を隠すようにしたのは事実上の賠償とみていたからかもしれない。

 

 

軍事力増強に寄与

 

ODAが中国の民主化に寄与するという日本側の希望もむなしかった。実際には日本の援助は中国政府の国家開発計画に組みこまれ、独裁政権の支配力強化に貢献したのだ。私が北京にいた期間の気功集団、法輪功への大弾圧は物すごかった。「中国民主党」を旗揚げしようとした人たちが即日、逮捕され、主導者は懲役14年の重刑となった。

 

日本のODAが中国の軍事力増強に寄与したとする批判は米国側から表明された。中国軍研究で知られるマイケル・ピルズベリー氏(現ハドソン研究所顧間)は1990年代に作成した米国防大学の報告書で「中国軍は日本のODAで建設された運輸、通信施設により総合的戦力を高めた」と明記していた。

 

同じように米上院外交委員会顧間で中国研究者のウィリアム‐・トリプレット氏は「中国軍は平時は山岳部に核兵器を含む主要戦力を配備し、有事に海岸部の大都市周辺へと急行させる戦略だが、その手段となる鉄道や幹線道路の多くが日本のODAで建設された」と述べていた。

 

同氏はその一例に台湾攻撃用の部隊が集結した福建省内の鉄道建設に日本のODAが投入された事実を指摘し、「日本政府は自国の援助が中国の軍事能力を向上させると考えたことがあるのか」と批判していた。

 

だが、その米国も歴代政権の関与政策により、中国を強大にすることに寄与してきた。その関与政策はトランプ政権時代に完全に否定されたが、米側で中国へのドアを最初に開いたニクソン元大統領がふっと反省の弁を述べたという話が伝わっている。

 

72年の最初の訪中から20年ほど後にニクソン氏「私たちは間違ってフランケンシュタインを創り出してしまったのかもしれない」と述べたというのだ。フランケンシュタインはイギリスの小説に出てくる怪物で人間に襲いかかる。

 

日本もODAにより、自国にとって危険な怪物を育てたのではないか。厳しい自己検証が必要だろう。

 

 

 

■ 中立国という理想の終焉

 

 

産経新聞のThe考に、村上政俊氏の「中立国という理想の終焉」が載っており、目を惹きましたので書き起こして掲載します。

 

フィンランドNATO加盟申請の衝撃。日本もその歴史的実情をしっかり確認する必要があります。事実を正確に教えない教育と、メディアの責任は、大きいですね。

2022/10/17

 

産経新聞 The考 中立国という理想の終焉  2022/10/16

 

国際政治研究者 村上政俊氏 
国際政治研究者 村上政俊氏 

 

村上 政俊(むらかみ まさとし、1983年〈昭和58年〉7月7日 - )は、日本の国際政治研究者、元外交官、元政治家。皇學館大学現代日本社会学部准教授。航空自衛隊幹部学校客員研究員、中曽根康弘世界平和研究所客員研究員。元衆議院議員(1期)。

 

 

中立国という理想の終焉

 

 

フィンランド「NATO加盟申請」の衝撃

 

今年5月、北欧のフィンランドがロシアによるウクライナ侵略を契機に、軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)に加盟申請した。日本ではフィンランドを中立国とみなす向きが多く、教育や福祉分野での注目が先行する「ソフトパワー」のイメージが強かったこともあり、加えてマリン首相の訪日も重なつて、このニュースは大きな驚きをもって報じられた。

 

戦後の冷戦下において、米国を盟主とする自由主義の西側陣営にも、ソ連(現白シア)を盟主とする社会主義の東側陣営にも、いずれにもつかない「非武装中立」の平和主義を理想として掲げてきた日本の一部政治家やマスコミ、学者などいわゆる「左翼」と呼ばれた人々は、その具体像を、「中立国」フィンランドに重ねることが少なくなかった。日本は日米安全保障条約に基づく日米軍事同盟に頼らずとも存在し得るという彼らの主張に説得力を持たせる重要な証拠の一つがフィンランドであつたといってもよい。

 

冷戦終結後にも、NATOに加盟しないフィンラドは、相変わらず反米や反軍事の感情を捨てられないこうした人たちにとって、その理想論になお現実味を与え続けてくれる好都合な存在であった。その意味で、今回のNATO加盟申請は、彼らの理想がすでに非現実的になったことを明確にしたともいえる。

 

 

幻想の平和主義を・・・

 

しかし、そもそもフィンランドを中立国とみなしてきたこと自体、正確な認識であったのか。冷戦期に「中立政策」をとってきたことは事実でも、それが厳しい国際政治におけるやむを得ない選択で、冷戦後には西側の一員として振る舞ってきたとすれば、少なくとも、一部の日本人が理想を重ねた「フィンランド」はもはや存在しないことにもなり、彼らは幻想の平和主義を追っていたことになる。

 

私はこの夏、フィンランドの国立タンペレ大学からの招聘で同国へ在外研究に赴き、大統領府、外務省、国防省それぞれの高官らと意見交換を行った。その際、日本通のあるフィンランが政府高官は「日本では中立国フィンランドがNATO加盟を申請したという報道が目立ちますが、むしろこれは私にとって大きな驚きです」と私に語った。

 

彼らの話から浮かび上がったのは、ロシアの脅威に敢然と立ち向かおうとする国家意思の存在であった。フィンランドは約1300キロの陸上国境で接するロシアと長年、対峙してきた。最近のウクライナ侵略によって格段に警戒感が高まったのは事実だが、それは決して昨日今日生じたものではなく、歴史的背景がある。

 

フィンランドは、19世紀から約100年間のロシアによる支配を経て、1917年に独立を果たした。だが第二次世界大戦の勃発直後には、当時ソ連だったロシアによって侵略され、冬戦争と継続戦争という2度の戦争を経験。辛うじて独立を維持できたものの、国土の約10%を失うという大きな犠牲を払った。フィンランドが冷戦期に東西両陣営間でバランスを保つ中立政策を選択せざるを得なかったのは、こうした経緯からである。

 

その結果、ソ連に逆らうことができないフィンランドのような状態を否定的に表現する「フィンランド化」という言葉が広まった 。いずれにしろ、日本における対フィンランド認識は、このあたりから更新されていないといえるだろう。だが留意すべきは、フィンランド化は国家存続のためのやむを得ない選択であり、東側陣営に組み入れられることを回避する手段だったということである。

 

その証拠に、ソ連崩壊後のフィンランドは、西側の一員としての歩みを着実に進めてきた。1995年、冷戦後初めての欧州連合(EU)拡大で早々にEU加盟国となり、単一通貨としてのユーロ貨幣も、2002年の流通開始と同時に導入。日本では、ウクライナ侵略後に突然NATO加盟を申請したかのような受け止めが多かったが、NATOとの協力は早くも1994年から「平和のためのパートナーシツプ」として始まっており、2014年には「高次機会パートナー」というステータスが付与されていた。NATOによる冷戦後最大規模の共同軍事演習「トライデント・ジャンクチャー2018」にも、スウェーデンとともに参加しフィンランド領空も演習の舞台となった。

 

ロシアヘの一定の配慮から、最後の一押しとなる正式加盟は見送られてきたのは事実だが、それもウクラィナ侵略によって、周辺の中小国の主権を顧みないロシアの姿勢が鮮明となり、フィンランドは加盟申請へと大きく傾いた。世論の変化は劇的で、17年にはわずか21%だった加盟支持が、今年5月には76%に急上昇した。

 

 

徴兵制を維持する国

 

フィンランドは、軍事的非同盟の呪縛からも解き放たれ、NATO加盟でロシアに対する抑止力の強化を図り、米国を名実ともに安全保障上の最大の後ろ盾とする路線を明確化した。私がこの夏に会ったフィンランド政府高官も、ヮシントンの動向に大きな関心を払い、米国との関係を重視していた。今年6月には、北部ラップランドで米陸軍も参加する共同演習「リスキー22」が実施され、8月には米海軍の強襲揚陸艦「キアサージ」が首都ヘルシンキに入港し、米軍のプレゼンスが目に見える形で相次いで示された。

 

ただ、これは米国頼みの姿勢とは異なるフィンランドの軍事力は、国内総生産(GDP) 約3000億ドル(日本の17分の1程度)という国の規模から考えると、かなり大きく、もともと「非武装中立」という言葉も、まったく当てはまらない国である

 

日本では今、対GDP比で1%程度に過ぎない防衛費を2% に増額することが一部マスコミなどで批判されているが、フィンランドの国防費は、21年に既に対GDP比1.85% に達しており、ウクライナ侵略後には、国防費を23年からの4年間で約22億ドル増額すると決定した。

 

陸軍は欧州最強といわれる砲兵部隊を擁し、主力戦車としてはドイツ式レオパルト2を採用。空軍力の増強についても昨年12月に、最新鋭主力戦闘機F35Aの64機購入を決めている。当然、これはロシアを仮想敵国として想定してきたからで、フィンランド軍トップのティモ・キブィネン司令官は、ロイター社インタビーで、何十年にもわたってロシアの攻撃に備えてきたと述べている。

 

装備だけではない。冷戦終結後も徴兵制を維持し続けてきたし、全人口約550万人の6分の1にあたる約90万人という世界有数規模の予備役も控えている(日本の予備自衛官は5万人規模)。最近、予備役動員を発表したロシアでは国民の海外逃亡が報じられているが、これに対しフィンランド国民の国防意識は、非常に高い。5月の国防省の世論調査によれば、フィンランドが攻撃された際に祖国防衛に参加するとの回答は、実に82%に上った。日本の一部の人々は、空想的平和主義のお手本をフィンランドに求めてきた。しかし、ロシアのウクライナ侵略からも明らかなように、世界は空想的平和主義に浸っていられる状況ではなく、日本も幻想から一刻も早く目覚めなければならない。

 

我々がフィンランドから学ぶべきは、国防に対する真摯な姿勢である。(村上政俊寄稿)

 

 

 

■ 日中「国交正常化」に異議あり

 

 

産経新聞正論コラムに、江崎道郎氏の「日中『国交正常化』に異議あり」が載っており、目を惹いたので書き起こして掲載します。

 

日中関係の再定義が必要ということですね。アメリカはもうとっくに始めているのにね。こんなことやってる今の政府で、日本は大丈夫かな?。

2022/10/14

 

 

日中「国交正常化」に異議あり 評論家・江崎道朗

2022/10/14 08:00江崎 道朗 コラム 正論

 

評論家 江崎道朗氏 
評論家 江崎道朗氏 

 

江崎 道朗(えざき みちお、1962年 - )は、日本の評論家、情報史学者。専門は安全保障・インテリジェンス・近現代史研究。福岡県大川市生まれ。福岡県立伝習館高等学校を卒業。1984年、九州大学文学部哲学科を卒業。「日本を守る国民会議」事務局、日本青年協議会月刊誌『祖国と青年』編集長を経て、1997年から日本会議事務総局に勤務、日本会議国会議員懇談会の政策研究を担当する専任研究員。2020年3月には渡瀬裕哉、倉山満とともに「救国シンクタンク」を設立した。 

 

日中国交正常化50年を記念して開かれたレセプションで記念撮影に臨む(左から)中国の孔鉉佑駐日大使、経団連の十倉雅和会長、福田康夫元首相、河野洋平元衆院議長、自民党の二階俊博元幹事長、林芳正外相=9月29日、東京都千代田区
日中国交正常化50年を記念して開かれたレセプションで記念撮影に臨む(左から)中国の孔鉉佑駐日大使、経団連の十倉雅和会長、福田康夫元首相、河野洋平元衆院議長、自民党の二階俊博元幹事長、林芳正外相=9月29日、東京都千代田区

 

 

日中「国交正常化」に異議あり 評論家・江崎道朗

 

日中国交樹立50周年にあたる今年は、日本の国家安全保障戦略改定の年でもあり、日中関係の再定義を行う絶好の機会を迎えているといえよう。だが、日本政府は、果たして再定義を行うつもりがあるのか、強い疑念を抱かざるを得ない。

 

名は体を表す

というのも日本政府が「日中国交正常化50周年」という用語を使っているからだ。

 

「国交正常化」という用語は、中華民国(台湾)との国交があったことを「異常」とみなし、中国共産党政権との国交を「正常」とみなす、中国共産党の歴史観を踏まえた言葉だ。

 

名は体を表す。外交関係で言葉は極めて重要であり、せめて「日中国交樹立50周年」と表現すべきだった。

 

だが9月29日、岸田文雄首相は「日中間には50年前に両国の国交正常化を成し遂げた知恵と幾多の困難を乗り越えてきた経験があります」というメッセージを中国に送ってしまった。

 

中華民国(台湾)との国交を「異常」と見なす中国共産党の政治用語を無批判に使っているのは、恐らく中国共産党の政治宣伝に関する専門家が日本政府にいないからなのだろうが、甚だお粗末だと言わざるを得ない。

 

一方、米国は、米中関係の再定義を行っている。

 

実はオバマ民主党政権は2015年の「国家安全保障戦略」において、中国については「協力と注視」と述べるだけであった。

 

だがトランプ共和党政権は17年12月の国家安全保障戦略において「米国の価値や利益とは正反対の世界への転換を図るライバル」だと中国を名指しで非難した。

 

この対中戦略の転換に伴って米中関係を再定義すべく20年5月20日、「中国に対する米国の戦略的アプローチ」と題する報告書を公表、次のように指摘した。

 

《1979年に米国と中国が国交を樹立して以来、米国の対中政策は、関与を深めることで中国の経済的・政治的な根本的な開放を促し、中国がより開かれた社会を持つ建設的で責任ある国際的な利害関係者として台頭することを期待することが前提となっていた》

 

対中政策転換の背景

だが、その期待は裏切られた。

 

《北京は、中国共産党の利益とイデオロギーに合わせて国際秩序を変革しようとしていることを公然と認めている》。よって《過去20年間の対中関与政策は『誤り(false)』だった》と結論付けているのだ。

 

この対中「関与」政策を「誤り」とみなす総括を踏まえて米国は、中国を競争相手とみなす対中「競争」政策へと転換する一方で、台湾との関係を再構築しようとしているわけだ。

 

この対中政策の転換に際してトランプ前政権のポンペオ国務長官は、歴史家のマイルズ・マオチュン・ユ海軍士官学校教授を対中政策アドバイザーに登用している。

 

ユ教授は日中戦争について扱った『The Dragon’s War : Allied Operations and the Fate of China 1937-1947』と『OSS in China : Prelude to Cold War』という本を書いている。

 

そこで米国の対中政策の転換の背景にどのような日中戦争観があるのか、日米近現代史や情報史学の研究に取り組んでいる山内智恵子氏らと分析し、その成果を『インテリジェンスで読む日中戦争』(筆者監修・山内著、ワニブックス)として発刊した。

 

日中戦争の総括を通じ

米国は戦前、中国大陸での経済活動の自由を求めて門戸開放を唱え、日本を軍事的に打ち負かせば、中国大陸で自由にビジネスができると考えた。

 

しかし日本を軍事的に打ち負かしたにもかかわらず、1949年、中国大陸は共産党の支配下に落ちた。なぜ、米国は中国大陸を失ったのか。

 

その要因についてのユ教授の議論をまとめると、①蔣介石政権に対する米国の軍事的経済的支援の量が足りなかった②蔣介石と米国と英国の対中戦略が一致していなかった③敵方の工作員の暗躍を許してしまい、米国の対中政策が歪(ゆが)められた④ホワイトハウス、米軍、国務省、インテリジェンス機関の指揮系統の混乱と組織間抗争によって自滅してしまった⑤米国は蔣介石政権や中国共産党のことをよく知らなかった─の5点を挙げることができる。

 

要は「親中」か「反中」か、のような単純な議論ではなく、中国との「競争」に勝つために、米国はどのような点に留意すべきなのかを日中戦争の総括を通じて明らかにしているわけだ。

 

米国の対外政策、対中政策は日本の命運に関わってくる。バイデン民主党政権も対中「競争」政策を継承しており、米中対立は続くことになる。

 

よって日本としても米国の対中政策の背後にある歴史観にまで踏み込んで分析を行い、日米中の関係を再定義すべきなのだ。『インテリジェンスで読む日中戦争』がその一助となれば幸いだ。(えざき みちお)

 

 

 

■ いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人

 

 

2018/06/23に読了した、ケント・ギルバート氏の著書「 いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人」の要約まとめを読み直し再度修正しました。

 

英霊、靖国神社、旭日旗、憲法改正、自主防衛、集団的自衛権・・・これらを議論したり再評価すると、日本が危険に晒されるのですか?

アメリカ人から見た、戦後日本の歴史戦の問題点を語っています。外国人ならではの視点で、非常に勉強になる本でした。

 

日本人はもっとリアルに安全保障を考えないといけないですね。

2022/10/13

 

カリフォルニア州弁護士 ケント・ギルバート氏
カリフォルニア州弁護士 ケント・ギルバート氏

 

ケント・シドニー・ギルバート(英: Kent Sidney Gilbert、1952年5月25日 - )は、アメリカ合衆国アイダホ州出身、カリフォルニア州弁護士。岡山理科大学客員教授。アイダホ州生まれ、ユタ州育ち。1970年にブリガムヤング大学に入学し、1971年に初来日。1980年、同大学で経営学修士号(MBA)、法務博士号(JD)を取得し、カリフォルニア州司法試験に合格して国際法律事務所に就職した。企業に関する法律コンサルタントとして再び来日(外国の弁護士が日本国内において法律事務を行うためには、外弁法に基づいて法務大臣の承認を受け、弁護士会へ入会することと、日本弁護士連合会(日弁連)への登録を要するため、外国法事務弁護士としての登録はされていない。)。

 

 

いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人 ケント・ギルバート著 要約

 

■まえがき

 

●日本人の多くは保守政権を支持しながらも、自由主義と民主主義の解体をもくろむ社会党、共産党に対して、それほど警戒心を持たなくなった。その主な原因は、戦後のGHQのWGIPの効果。

●日本人に、自虐史観と東京裁判史観を効率良く刷り込んだ。結果、左翼文士、大手メディア、教育界、法曹界を通じて、日本人全般を洗脳し弱体化させた。伝統的で保守的な価値観の破壊活動を続けてきた。

●キーワードを見ただけで思考停止、拒絶反応、それが洗脳というもの。

●報じられるニュースはどれも同じ。政策的プロパガンダに乗せられやすい。

●日本人の弱点は、権威ある職業や組織(学者・医師・弁護士・大企業・大手マスコミ)から発せられる情報であれば、ほとんど疑うことなく、信じる傾向にある。

●「お上」に逆らわない、「長いものには巻かれろ」、の感覚。

●日本社会にはびこった左翼、共産主義、反日左翼思想が、伝統的な精神や文化的価値観を破壊してきた。

 

 

第一章・日本人は共産主義、反日左翼に対して甘すぎる

 

■なぜ共産党が議席を増やすのか?

●アメリカでは共産党の存在が連邦法で禁止。危険な党

●日本の左翼は疑義ばかり、対案なしの壊し屋。共産主義は悪魔の思想。ソ連と中国だけでも1億人近い人々が殺害された。これは完全な外来思想。

 

■WGIPと日本国憲法の目的は、「共産革命」の実現

●GHQが残した負の遺産を左翼が利用し洗脳してきた。

●GHQの占領が終わった後も左翼思想を蔓延させたのはメディアの大罪。占領時代の報道禁止。

●WGPIの実施者は共産党と同根。共産党が狙っていた国体の破壊、皇室と国民性の破壊と、完全に一致していた。革命の下準備。

 

■「先の大戦に反対」ではなく、「連合国軍に協力」

●日本国憲法を使った二段階革命論を推進したのは、CIAの前身OSS(戦略情報局)にいたアメリカ人共産主義者。

●アメリカ人共産主義者に協力した野坂参三らの日本共産主義者たち。

●共産主義者らによる日本破壊計画は、日本の敗戦よりもはるか前から画策されていた。

●日本共産党は、敵である連合国軍に協力していた。

■日本を戦争に追い込んだアメリカ共産党

●日本を戦争に追い込んだルーズベルト大統領と、ソ連のスパイであった取り巻き連中。

●レーニンは1920年の段階で「世界共産化」を進めるため、アメリカを利用して日本に対抗し、日米両国の対立を煽るべきだ」と主張していた。

●アメリカ共産党は、根っこはソ連のコミュンテルン。

 

■「疑心暗鬼」「流血」「死」に覆われた歴史

●日本人が忘れている、日本共産党はもともとソ連コミュンテルンの日本支部。

宮本顕治はリンチ・スパイ・拷問・密告で服役。政治犯釈放。日本は破防法適用。

 

■敵の出方によって「暴力革命」もあり

●公安調査庁は2016年、日本共産党を破壊活動防止法の調査対象として閣議決定。

●平和主義、平和憲法、という言葉が、判断力を奪っている。国民の思考停止。

 

■影響力のある「サヨク芸能人・文化人」の罪深さ

●吉永小百合氏は、武器を持たないことが積極的平和主義だと発言。

鍵を賭けなければ泥棒は入らないと言っているのと同じ。通報・抵抗・助けが必要。自宅の鍵は自衛隊、抵抗は個別的自衛権。助けは集団的自営権。

●武器を捨てれば、即沖縄に中国軍進出する。ウイグル、チベット、内モンゴルの人民解放軍の暴虐。

●吉永小百合さんや、瀬戸内寂聴さんは、共産党の宣伝塔のようになっている。

 

■ホリエモンの戦争はコストに合わないは、視野狭窄

●今の戦争は、資源権益、武器取引ビジネス、金融派遣など、あらゆる要素がかかわってくる。

●日中戦争の開始は利益を上げる

資源提供者、破壊装置供給者、医療提供者、復興大規模建設で、利益がころがる。

相手国が、政治的、経済的、金融的な優位を日本に対して確立できれば、お構いなしに開始される。

これは大東亜戦争から最近のイラク戦争まで、続いてきた戦争の原則です。

●日本人悪美徳と価値観の破壊に邁進してきた瀬戸内さんのような戦後左翼が、堀江氏のような国家観を持たない日本人を大量生産した。

 

■感情的で想像力が欠如している表現者たちの「言論」

●ピースボードは、民進党の辻元清美議員が設立。井筒和幸も平和教のような発言。彼らは「憲法九条があるから日本は平和」と言い続けている。

●やくみつる氏の発言。「絶対戦わない!もう降参してでも中国領で日本は生き続けることをよしとする。

 

■「フェミナチ」上野千鶴子東大名誉教授のトンデモ度

●共産主義者の筋金入りの困った人、上野千鶴子東大名誉教授。その言動は、「軍隊で人殺しや暴力を学ぶから、男どもは女性を殺害するのだ」と言っているようなもの。

 

■民進党は脳死状態に陥っている

●公安調査庁の監視対象の共産党と今では完全に徒党を組んでいる。共産党は乗っ取ることを得意とする政党。これまで、労働組合、日弁連、反原発運動、他運動団体が共産党に乗っ取られてきた。

 

■そろそろ共産主義にNOを突き付けよう

●戦前から今日までのコミュンテルンや日米の共産党の動きと変わらぬ体質を眺めたうえで、共産主義者が数多くいたOSSやGHQと、彼らがつくった日本国憲法、東京裁判史観、それにWGIPなどとの関係をつぶさに見ると、そのあまりの滑稽さと残虐性に戦慄を覚えます。

●大いなる危惧は、日本人の共産党に対する危機意識のなさです。

 

 

第二章・なぜ日本はスパイ天国なのか?

 

■日本政府の秘密情報は戦前から筒抜けだった。

■日本軍司令部にいた「アメリカ軍のスパイたち」。

●アメリカのスパイ報告書には「南京大虐殺」はない。

●日本にはスパイ防止法がない。

 

■日本政府内に入り込むPRC(中華人民共和国)のスパイ

●大本営参謀瀬島隆三氏。戦後伊藤忠に入社。コミンテルンの対日工作活動。

●日本政府内に入り込む中国のスパイ。領事館、自衛隊、防衛学校・・帰化人5万人?と推定。

●丹羽宇一郎元中国大使の仰天発言。元伊藤忠会長。日本は中国の属国として生きればよい。

●北朝鮮のスパイ活動も続いている。・・民間団体・国立大大学院・・原子力技術の流出。

●なぜ日本は脇が甘いのか。・・島国という地形と、今まで異民族による過酷な支配がない・・平和ボケ。

●直ちに「スパイ防止法」の制定を。スパイ防止法は国家の存立にかかわる重要な法律

 

 

第三章・放送法を遵守しないメディア人の大罪

 

■日本の報道番組が「娯楽化している」

●アメリカの報道番組は、基本的にはキャスターが伝えるが、日本ではアイドル・タレント・学者、がコメントする。

●「慰安婦強制連行誤報問題」の朝日新聞、「南京百人切事件報道」の毎日新聞。

●テレビの存在自体が問題なのだ。

●メディアの最大の役割は、事実は事実として、色は付けない。判断に必要な材料を公平に提供。

 

■凄まじい偏向報道を垂れ流すTBS

●偏向報道のTBS。岸井成格氏・・政治主張を繰りかえす・・放送法四条に違反している

●放送法第四条にある「政治的に公平であること」や「意見対立問題は多くの角度の論点を明らかにすること」という趣旨に完全に違反している。

 

■私たちは「情報をフェアに出せ」と言っているだけ

●メディアはフェアに行動しなくてもよいと思っている。・・古館伊知郎氏もしかり。

●情報はフェアに出せと高須克弥氏が主張。ジャーナリストの西村幸祐評価。辛坊治郎氏評価。

●反対意見をマスコミは報道しない・・国民を誘導・・偏向報道。

 

■反対意見を黙殺する「権力に酔った人々」

●意見が違う人たちの声を黙殺するというプロパガンダ。

 

■マスコミが全体主義を醸成している

●辛坊治郎氏・・「民主党政権時代の言論弾圧が一番厳しかった」と述べている。

●日本のマスコミ報道が、共同通信の記事がそのまま右から左に流している。情報ルートが一か所しかないということは非常に危険です。結果情報統制と同じ効果をもたらす。マスコミは全体主義を形成する。

 

■「安保法案自体が国民の理解を得ていない」という欺瞞

●国民が選んだ議会で採決。

 安保法案がなぜ必要かを開設する番組はほとんどない。・・偏向マスコミの責任

●産経新聞、読売新聞・・そのなかでもまとも

 

■やはり野坂参三の洗脳工作手法を継承していたメディア政策

●2015年英国公文書・・日系二世でアメリカ共産党員であった有吉幸治・・終戦FBIに逮捕。

 

■NHKは検証番組「『真相はかうだ』の真相」を制作すべし

●GHQが台本を書き、NHKが流した、【真相はかうだ】の内実をすべて検証してほしい。

●まともなメディア人であれば、自分たちがまだ71年前の占領軍に思想支配されているということに気がつくはず。NHKがながしたメディア活動が戦後日本人に多大な影響を与えたことは事実。

 

■テレビ業界を本気で監視せよ

●メディアを監視する機関がない・・ありえない

 

■「国境なき記者団」なんて信用ならない。

●反日組織、国際連合と連携・・ジャパンタイムズ・反日プロパガンダ

 

 

第四章・外国や国際機関からの内政干渉を排す

 

■オバマ大統領の広島訪問に難癖をつけた韓国人の民度

●「自分たちがいつも最大の被害者でありたい」というタチの悪い韓国の反応。

 

■日本人は「謝罪病」で多くの国益を失ってきた

●謝罪病の克服は、「日本人の民族的課題」だ。

 

■「家族の価値」を否定する国連

●日本人には抵抗し難い組織、国連連合。活動はユネスコ・人権委員会・女性問題・・。

 

■女性の家事まで金を換算するのか

●共産主義者は国連職員、フェミニスト運動団体、人権団体などに入り込んで活動している。

●日本は、国連と団体の正体に警戒心を持つべき

 

■国連を使って日本政府を攻撃する日本人サヨク

●弁護士林陽子、朝日松井やより、福島瑞穂

●国連(国際連合)は誤訳・・「連合国」・・第二次世界大戦の戦勝国クラブ・・敵対勢力と化している

 

■敵国条項で日本を脅すPRC(中華人民共和国)

●日本政府は自衛隊を海外に派遣するかどうかを国連の決議によって決めるとしているが、これは単なる国家主権の放棄です。なぜ国連を、国際外交の一つの道具として見れないのか。

●国連は日本やドイツをまだ「潜在的敵国」として見ている。国連憲章の「敵国条項」により、軍事制裁を科すことができる。

●2012年9月27日、国連の場で、尖閣諸島問題を取り上げ、「第二次世界大戦の敗戦国が戦勝中国の領土を占領するなどもってのほかだ」として日本を非難したが、これは間違いなく、国際連合の敵国条項を意識した発言です。

 

■武力を使わない「情報戦」を制すべし

●71年間も国防を忘れ、遊んで暮らしてきたツケ。牙を抜いたのはGHQ、国内の共産主義者、メディア。

●中国が日本に対して戦争をしかけることは十分にあり得ると考えるべき。スイスでは「軍事力によってこそ国の独立が守られる」との意識がしみ込んでいる。

またスイスは「戦争は情報戦から始まる」ということも熟知している。

 

●スイスは冷戦時代に「民間防衛」という本を作成し、一般家庭に配布している。

●そこに書かれている「武力を使わない情報戦争」の手順は次のとおり。

第1段階・・工作員を政府中枢に送り込む

第2段階・・宣伝工作。メディアを掌握、¥し、大衆の意識を操作する。

第3段階・・教育現場に入り込み、国民の「国家意識」を破壊する。

第4段階・・抵抗意思を徐々に破壊し、「平和」や「人類愛」をプロパガンダに利用する。

第5段階・・テレビなどの宣伝メディアを利用し、「自分で考える力」を国民から奪っていく。

最終段階・・ターゲット国の民衆が無抵抗で腑抜けになったとき、大量移民で国を乗っ取る。

 

 

第五章・日本は何を、世界に発信していけばよいか

 

■日本は世界トップクラスの大国

●日本の国土面積は、イギリス、ドイツ、イタリア、より大きい大国である。大国でないとすれば、リーダーや国民のメンタル面に主な原因がある。

●自国の防衛をアメリカ一国に委ねる時代は終わった。

 

■お世辞にも高いと言えない日本の情報発信力

●アメリカは対外情報活動を積極的に行ってきた国です。

●情報活動の専門機関が必要・・情報発信の新しい民間プロジェクト立ち上げた櫻井よしこ氏評価。

 

■アジア版NATOを創設し、日本がリードせよ!

●アメリカ一国ではアジア全体の平和を保ちえない。

●APTO(アジア太平洋条約機構)・・日本・アメリカ・オーストラリア・台湾・フィリピン・インドネシア・ベトナム・インドまで含めて、多国間の集団安保保障体制の構築。

●政治とは、目の前の現実に対応し、将来に備えるために行われる。

●野党・憲法学者・メディアが、現政権による政治判断を、根拠なく批判し拒絶し、議論をダブー化する先進国を、見たことがない。

●「どうせ日本文化は外国人に理解できない」との、思い込みをやめる。

 

■「日本人弱体化計画」の犠牲者

●日本人が日本のことを知らない。教育の貧困。基礎的な教養が足りない。

 

■厳しい試練に直面する日本人の「平和ボケ」

●現在の日本の国防観の欠如。戦国・明治にはあった。

●平和ボケの理由は「日米安全保障条約」の存在。自国の安全保障を完全依存してしまった。今日では万能な保障ではなくなった。

●安保条約第五条をよく読むと、日本有事の際に、アメリカが自動的に参戦するとはどこにも書かれていない。

●アメリカの政治はもう既に、麻痺している。危機をアメリカ国民は共有している。アメリカは「これ以上、日本その他の国の面倒は見られないぞ」と言いかけている。日本の「巣立ち」を望んでいる。

●アメリカ軍が去った後は、必ず中国が侵略する。核・ミサイルの照準は札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡などに向けられている。

●必ず双務的な集団的自衛権を行使しなければならない。中国の人民解放軍が上陸してきたら、井筒監督が言うように白旗をあげて降伏しますか。そしてやくみつる氏のアドバイスどおり、中国領日本省の奴隷として生きていきますか?

 

■このままでは、日本はフィリピンの二の舞になる

●在日米軍は撤退したら、中国人民解放軍が、尖閣諸島・八重山諸島・琉球諸島・九州の一部を、組織的な攻撃をしてくる。

●中国は武力で既成事実をつくることが得意です。南シナ海ではもう取り返しがつかない状況まで進んでいると思います。

●フィリピンはアメリカ軍の基地を一掃した。その直後から、人民解放軍の近海での跳梁が始まり、自国の目の前の島をあっという間に獲られてしまった。日本もフィリピンの二の舞を演じることになります。

 

■尖閣の闘いは既に始まっている

●2015年末から中国海警局の公船は、海軍のフリゲート艦を改造した機関砲搭載の船に替わりはじめた。

●2016年6月9日、中国軍艦が尖閣諸島周辺に侵入。一連の示威行動は「尖閣諸島は必ず武力で制圧する」という中国の意思。憲法九条で攻撃できない。

●日本政府は、中国の横暴を喧伝する広報戦略が必要。有事の国際社会を味方にする。

 

 

あとがき

 

●「ファクト」で物事を考える。

●情緒的思い込みはダメ。

●失った大国として自信が必要。

 

 

 

■ 日本国、こんな状態を「平和」と呼べますか?

 

 

ナザレンコ・アンドリー氏の10月4日のツイッターを掲載します。

 

その通りですね。平和ボケ日本。いつまでつづくものやら。

2022/10/07

 

外交評論家 ナザレンコ・アンドリー氏 
外交評論家 ナザレンコ・アンドリー氏 

 

アンドリー・イーホロヴィチ・ナザレンコ(ウクライナ語: Андрій Ігорович Назаренко、英語: Andrii Igorovich Nazarenko、1995年1月18日 - )は、ウクライナのハルキウ(ハリコフ)出身の政治評論家、外交評論家、著作家、元英語教師、国際貿易従事者。日本のナショナリスト団体である日本会議、およびウクライナのナショナリスト政党である国民軍団(ナショナル・コー)の活動にも参画している。虎ノ門二ュースコメンテーター(ウクライナ人留学生としても出演)。

 

ナザレンコ・アンドリー🇺🇦🤝🇯🇵

@nippon_ukuraina

·

2022年 10月4日 投稿

 

日本国

•元総理が真っ昼間にテロリストに暗殺される国

•敵国のICBMが空を飛んでいる国

•自国民が敵国に拉致される国

•全ての隣国と領土問題抱える国

•毎日のように領海侵犯と領空侵犯される国

•敵国は全部核兵器保有国である国

 

こんな状態を「平和」と呼べますか?「安全」と言い切れますか?

 

 

 

■ 日露開戦直前の古書・露国の弱点

 

 

産経新聞社会面に、「日露開戦直前の古書・露国の弱点」が載っていましたので、書き起こして掲載します。

 

こういう古書がでてきて初めて知ることもあります。

2022/10/07

 

日露開戦前夜の古書「露国の弱点」 現代と重なるロシア観

2022/8/20 08:00 中村 雅和  国際 欧州・ロシア ライフ

 

『露国の弱点』原本
『露国の弱点』原本
明治37年1月に出版された『露国の弱点』 
明治37年1月に出版された『露国の弱点』 

 

 

日露開戦前夜の古書「露国の弱点」 現代と重なるロシア観 

 

日露戦争開戦直前、ロシア帝国の脅威にさらされていた日本で出版された書籍に、当時の日本人のロシア間の一端を示す記述が見つかった。皇帝の二枚舌とも取れる外交姿勢を批判し、軍隊の腐敗ぶりを断罪。100年以上の時を経てプーチン大統領の帝国主義的思考の下でウクライナへの侵攻を続け、5日には東・南部4州の併合手続きを終えたロシアとの共通点も浮かび上がる。

 

 

二枚舌外交の、軍隊の腐敗

 

「平和の主唱者、平和を破る」。こんな見出しで始まるのが、日露戦争開戦直前の明治37(1904)年1月30日に出版された『露国の弱点』だ。

 

平和の主唱者とはロシア皇帝、ニコライ2世を指す。1899年、オランダ・ハーグで平和会議の開催を呼びかけ、国際紛争の平和的解決などを提唱。一方で、不凍港を求めた南下政策の一環で極東への圧力を強め、日露関係は悪化の一途をたどった末、軍事衝突に至る。

 

『露国の弱点』は、こうしたニコライ2世の二枚舌的な姿勢を強く批判。「世界の公論豈(あ)に此の反覆を許さんや」(国際世論は、ロシアの裏切りを許すはずがない)と断じている。

 

 

暴行や略奪横行

 

プーチン大統領もウクライナ侵攻の直前、外交の場で平和を訴えながら、自らそれを踏みにじった。

 

「交渉と平和的手段を通じ、今すぐ、ないし近い将来での解決を望んでいる。

 

今年2月15日、プーチン大統領は、ドイツのショルツ首相との会談後、共同記者会見でこう語った。しかし、9日後の24日、「ネオ・ナチ政権からの解放」を名目にウクライナに侵政、各国から非難を浴びた。 

 

首都キーウ近郊のブチャでは、ロシア軍の撤退後、市民の遺体が多数見つかった。生存者は産経新聞の取材に、ロシア兵が殺害や拷間に及んでいた実態を証言。略奪したとみられる物品を隣国ベラルーシから母国へ送る様子を収めた映像も流出している。

 

『露国の弱点』でも「露の陸軍将校の腐敗」と題した一節で、兵士が薄給で厳しい境遇に置かれていると紹介。将校は「腐敗其の極に達し、婦女を姦し、財物を掠(かす)め、賄賂を貪り、毫(ごう)も軍人の志気を存せず」(婦女暴行や略奪、収賄などが横行し、職業軍人としての志は一切なく、腐敗を極めている)とした。

 

 

暴走し平和破る

 

『露国の弱点』を発売した「民友社」は、明治期に活躍したジャーナリスト、徳富蘇峰が設立した言論団

体だ。著作者として記された段隆介は北海道毎日新聞を経て、蘇峰が創刊した「国民新聞」に入り、専務

理事などを務めた。

 

国民新聞は、創刊当初政府に批判的なスタンスだったが、日清戦争後は政府系新聞の代表的存在となっていた。こうした背景を踏まえれば『露国の弱点』が日露戦争に乗じ、世論をあおる書物として出版された可能性もある。それでも「国家組織の矛盾混沌」「露の増兵は難中の難」「西伯利亜(シベリア)州民飢にかん」などとする指摘は、時を超えて通底するロシアの本質を突いているといえる。

 

実際、9月21日、プーチン大統領が予備役を徴兵する「部分的動員」を発表すると、ロシア各地の主要都市で大規模な抗議行動が相次いだ。米紙ニューヨーク・タイムズなどは、国外に脱出したロシア人が20万人を超えたと報じている。

 

日本在住のウクライナ人国際政治学者、グレンコ・アンドリー氏は「どの時代であってもロシアは約束を破るために約束をする。たまに暴走して平和を破るのではない。常に暴走し、常に平和を破っている」と指摘。「ロシア帝国、ソ連、そして現在のロシアに至るまで、看板が変わっただけで、考え方も国民性も全く変わらない」と語った。『露国の弱点』は国立国会図書館デジタルコレクション(thhps:dl.ndl.go.jp)でも公開されている。

 

 

 

■ 英王室の神と日本皇室の神々

 

 

産経新聞正論に、平川祐弘氏の「英王室の神と日本皇室の神々」のコラムが載っていましたので、書き起こして掲載します。

 

英国と日本は、やはり似ている国ですね

2022/10/06

 

英王室の神と日本皇室の神々 東京大学名誉教授・平川祐弘

2022/10/6 08:00 平川 祐弘  コラム 正論 英国王室

 

東京大学名誉教授の平川祐弘氏 
東京大学名誉教授の平川祐弘氏 

 

平川 祐弘(旧字体: 平川 祐弘、ひらかわ すけひろ、1931年〈昭和6年〉7月11日 - )は、日本の比較文学研究者、評論家。東京大学名誉教授、国家基本問題研究所理事。

 

 

英王室の神と日本皇室の神々 東京大学名誉教授・平川祐弘

 

 

第二次大戦の前、幼稚園で、私は世界の国名を習った。日英米独仏伊露西中の順で、英国が世界一の大国だった(日本は別格)。だから、昭和16年12月8日、「米英ニ対シ宣戦ヲ布告」とラジオ放送を聞いた時、英米の順がひっくり返ったと違和感を覚えた。

 

 

日本にとっての英国は世界第一

 

英国が世界第一と明治以来日本人は思ってきた。戦前は、外務省も大蔵省も海軍も、成績一番の俊秀を英国へ派遣した。中学でも、King’s Englishを、英国式スペルで教えた。英文科は英文学を教え、米文学は眼中にない。金持ちの息子が渡米し、博士号を取得しても「アメ・ドク」と低く見られた。

 

東大英文科が英米文学科に改名したのは1963年、戦後18年目。英国の威信は下ったが、私はハリウッドより英国映画が好きだった。今でも刑事コロンボよりミス・マープルやルイス警部を好んで見る。

 

だが国家の盛衰は激しい。戦後は米ソが二超大国で張り合い、近年は米中が対立する。大英帝国は解体し、英国の影は薄れたが、エリザベス二世は死に際し、余光を輝かせた。国葬を報じる英BBC放送には品位がある。チャールズ三世は、母親女王の国家への献身に言及し、自分も新国王として職務を果たし、信仰の守護者として努める、と誓った。

 

英国の君主に政治権力はないが、権威がある。整然たる儀式は王室を深く印象づけた。

 

東西の島国が同じなのは左側通行だけでない。共に立憲君主制である。上に立つ者には権威authorityと権力powerが必要だ。米国大統領は精神的権威と政治的権力の体現者である。

 

それだけに大統領がまずいことをしでかすと、合衆国民は動揺する。不徳のニクソンは弾劾(だんがい)され、クリントンは性的スキャンダルに塗(まみ)れた。米国の象徴であるだけに、オーソリティーとパワーを一身に集めた大統領の品位が地に落ちれば、米国の品位も落ちる。その醜状を見たときは、権威は君主に、権力は首相に分ける立憲君主制はいいものだ、と私は感じた。

 

 

「君臨スレドモ統治セズ」

 

明治維新で、王政復古派は、天皇親政を唱えたが、近代日本は国家構成の範を英国に求めた。明治天皇は重大会議に臨席するが、政治的意向を強く主張しない。幕府政治が何百年も続き、政権は将軍が握っていた。そのせいか、天皇は「君臨スレドモ統治セズ」の英国風になじみやすかった。

 

昭和天皇も民衆に崇(あが)められ、権威はあったが、権力の行使は控えた。英国王室のありかたを良しとしたからである。ただ、岡田首相暗殺未遂で政府の機能が失われた二・二六事件と、最高戦争指導会議の意見が二分した終戦の際だけは、決断を下すことで危機を乗り越えた。国民が昭和天皇を深く敬愛するゆえんである。

 

吉田茂は、傲岸(ごうがん)な貴族風の首相だが、昭和天皇に対しては「臣茂」と頭を低くしてお仕えした。エリザベス女王は逝去二日前、新任首相の拝謁で女王の務めを果たした。高齢でも退位はせず、96歳でバルモラル宮殿で亡くなったことは、スコットランド人の記憶に深く刻まれるだろう。

 

God Save the Kingの言葉が繰り返される。「なぜsavesでないのか」と質問が出たが、sがないのは、May God save the KingのMayが略された祈願形だからである。

 

トラス新首相は国葬に際し、聖書を朗読した。日本国憲法には「いかなる宗教団体も、国からの特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とある。今や多民族多宗教国家となった英国だが、戴冠(たいかん)式や国葬はウェストミンスター寺院で行われる。

 

しかるに日本では、天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫である天皇の国葬の際にも、鳥居を建てるのは憲法違反だなどという者がいた。

 

「神ヨ、陛下ヲ護リ給ヘ」と日本で首相が八百万(やおよろず)の神に対し、祈りをささげようものなら、憲法違反だとマスコミは騒ぐだろう。だが古代以来の神道文化の伝統を消し去ろうとする憲法なら、廃止するがいい。

 

英国の王家がキリスト教の儀礼を重んじるのと同様、日本の天皇家が自国の宗教儀礼を尊ぶのは当然ではないか。

 

 

神道重んずる皇室永続で終戦

 

国体護持とは神道を重んずる皇室の永続だが、降伏に際し、日本はそれを条件とした。それで終戦を成し遂げた鈴木貫太郎首相、米内光政海相、阿南惟幾(あなみこれちか)陸相、東郷茂徳外相などにお礼申したい。

 

『祖父東郷茂徳の生涯』(文芸春秋)の著者、東郷茂彦氏は神道学博士で、『「天皇」永続の研究―近現代における国体観と皇室論』(弘文堂)を刊行した。祖父の最後の外交努力を引き継ごうとする志がうかがわれる。終戦時、東郷外相の交渉相手のバーンズ米国務長官が漏らした言葉が思い出される。

 

「国王を見捨てて降伏した第一次大戦のドイツとは違う。日本は敵ながらあっぱれだ」と。(ひらかわ すけひろ)

 

 

 

■ 負けられない自由と民主主義

 

 

産経新聞の話の肖像画に、アルピニスト野口健氏が掲載されていました。最終29のコメントが非常に良かったので書き起こして掲載します。

 

環境保護、教育支援、学校建設、森林づくり、戦没者遺骨収集等、色々なことにチャレンジしてきた方、すばらしいです。

2022/10/02

 

アルピニスト・野口健<29> 負けられない自由と民主主義

2022/9/30 10:00喜多 由浩  ライフ 話の肖像画

 

登山家、環境活動家 野口健氏 
登山家、環境活動家 野口健氏 

 

野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、日本の登山家、環境活動家。亜細亜大学国際関係学部卒業。NPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表(2020年時点)として、ヒマラヤ・富士山での清掃活動といった環境保護への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている。亜細亜大学客員教授、了徳寺大学客員教授、徳島大学医学部運動機能外科非常勤講師。

 

 

負けられない自由と民主主義 野口健

 

《日本という国家の在り方には強い関心がある。いま日本を取り巻く国際環境は厳しくなるばかり。周囲は「力」による現状変更をうかがう覇権主義、核開発を進める独裁者、国際ルール無視の反日国家…。わが国はどう対抗すべきなのか》

 

うーん、なかなか難しい問題ですね。たとえば中国は、50年後、100年後をイメージして戦略的に動いている。しかも「(民主的な)選挙なし」にできるのです。香港の民主化運動や、チベットやウイグルの少数民族への弾圧も容赦なく徹底的に行う。国際社会の非難なんて気にもかけない。同じことを日本の政権がやれば、たちまち内閣が吹っ飛ぶでしょう。

 

香港問題にせよ、今回のロシアによるウクライナ侵攻にしても「そこまではやらないだろう」という専門家の見方はことごとく外れました。彼らの論理にしてみれば、徹底的に潰しておくことこそが国(政権)を維持することなのでしょう。

 

こういう(専制的な)国々と日本は対抗してゆかねばなりません。資源も大きな国土も持たず、軍事力の行使にも制約があるわが国にとって非常に難しいテーマです。日本が生き残ってゆくためには、もっと「したたかさ」が必要でしょう。6年間選挙がない参議院で専門家を養成したり、対中国で諸外国と連携する動きをさらに加速させたり…知恵を絞らねば日本という国がなくなってしまう事態さえ招きかねません。

 

 

《日本は歴史上、外国勢力の侵略を受けた経験がほとんどない。そのため、領土を奪われたり、異国に統治されたり、というイメージも描きにくい》

 

先の大戦で日本は敗れましたが、統治者としてやってきたのはアメリカでした。もしソ連(当時)だったら状況は全く違っていたでしょうね。その意味では日本人は「占領される」という本当の意味が分かっていない気がします。

 

いま、ウクライナはロシアの侵攻に対して、一歩も引かずに踏ん張っている。日本人の専門家の中には「早く妥協した方がいい」という人がいますが、もし譲歩すれば、たちまち国土が蹂躙(じゅうりん)され、無くなってしまう…ウクライナはそのことがよく分かっているのでしょう。

 

これは単にウクライナとロシアとの戦いではなく、自由と民主主義と専制主義との戦いです。もしもこの戦いに負けたら中国も動くでしょうね。それが分かっているから、アメリカなど西側国家も懸命にウクライナを支援している。負けるわけにはいかないのです。

 

日本や日本人はもっとリアルにウクライナのことを考えるべきですよ。というのも、どうも最近の日本人はリアルに想像することに欠けている気がするからです。もしも日本が中国やロシアに占領されたら、ウクライナで起きていることを(東京の)渋谷に置き換えたらどうなるか…それをリアルに想像してみたらいいと思います。

 

《来年50歳になる。現在の日本人男性の平均寿命から見たら、残り時間は30年あまり》

 

「残り時間」のことはよく考えるようになりましたよ。後継者のことも考えます。自分が活動を終えたらすべて終わっちゃう、では困りますから。まぁ、来春大学生になる娘(絵子(えこ)さん)が「私が全部引き継ぐ」と言ってくれていますけど。

 

自分の残り時間・30年をフルに使ったとしてもたぶん、1人では大したことはできません。それをいかに「広げていくか」「つなげていくか」だと思うのです。僕が活動を終えるときは人知れず消えていきたいですね(苦笑)。後は(好きな)畑でもやって余生を過ごします。(聞き手 喜多由浩)

 

 

 

■ 日中国交正常化は日本の裏切り

 

 

産経新聞に、松本彧彦氏のコメント「日中国交正常化は日本の裏切り」載っており、気になりましたので書き起こして掲載します。

 

1972年の日中国交正常化は、日本の裏切り。まったくその通りですね。今後の台湾国交正常化を期待しています。

2022/09/30

 

日台スポーツ・文化推進協会 松本彧彦理事長 

「日中国交正常化は日本の裏切り」

2022/9/29 19:35  政治 国際 台湾

 

日台スポーツ・文化推進協会の松本彧彦(まつもと あやひこ)理事長 
日台スポーツ・文化推進協会の松本彧彦(まつもと あやひこ)理事長 

 

松本彧彦 (まつもと あやひこ)1939年東京生まれ。 中央大学法学部法律学科卒業。 1946年訪独の際、東ベルリンに入る。 帰国後自由民主党に勤務し、その間「アジア青年会議」「世界青年会議」「アジア核実験禁止会議」などの国際会議に日本代表として出席。

 

 

「日中国交正常化は日本の裏切り」 松本彧彦理事長

 

1972(昭和47)年の日台断交当時を知る元自民党職員で日台スポーツ・文化推進協会理事長の松本彧彦(あやひこ)氏(82)が産経新聞の取材に応じ、国交正常化50年を迎えた日中関係と台湾について語った。発言の要旨は以下の通り。

 

 

日中両政府が国交を正常化してから50年の節目を迎えた。日中関係ばかりが注目されがちだが、その裏には台湾の悲しい歴史があり、多くの日本人が台湾に思いをはせる機会にもしてほしい。

 

日本と台湾は1952年の日華平和条約以降、円満な関係を築いていた。それだけに、台湾にとって日中国交正常化は日本の裏切り行為にほかならなかった。台湾と断交した直後、私は自民党職員として台湾に飛んだ。在留邦人に危害が及んだり、台湾海峡で日本船舶が拿捕(だほ)されたり、対抗措置が取られるのではという不安が渦巻いていた。

 

しかし、台湾からの報復は全くなかった。むしろ、その後、大地震など災害発生時に互いに救助隊や義援金を送り合い関係を深めてきた。国交があってもうまくいかない国があるのに、国交がなくてこんなに親密なのは不思議なものだ。

 

今後は日台の絆をさらに強くする活動に力を入れたい。課題はこれまで日台交流をしてきた自治体や民間団体に横のつながりがほとんどなかったことだ。個々の活動に横串を刺し、日台交流をもっと太く、大きな流れにすることが重要だ

 

中国は「核心的利益」といって台湾統一を目指す。「台湾有事は日本有事」というのはその通りだ。外交努力も必要だが、民間でも強固な日台関係を築けば、中国の野心に二の足を踏ませる抑止力につながるものと思っている。

 

 

 

■ 中国の対日工作に手をかした日本人達

 

 

中国の対日工作に手をかした日本人達

(日中友好侵略史より抜粋)・門田隆将氏

 

2022年9月29日の日中国交正常化50周年の時に読んだこの本は、本当に勉強になった本でした。アメリカに散々やられて属国となり、中国には50年間だまされ続け今や属国扱い、一体日本の政治家、経済界、学術界は何をしているのだろうか。

2022/09/29

 

作家・ジャーナリスト・門田隆将氏 
作家・ジャーナリスト・門田隆将氏 

 

門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年〈昭和33年〉6月16日[1] - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。本名は門脇 護(かどわき まもる)。1983年4月、新潮社入社。『週刊新潮』に配属される。2008年4月、新潮社を退社し独立。高知県安芸市出身。土佐中学校・高等学校、中央大学法学部政治学科卒業。 

 

 

中国の対日工作に手をかした日本人達

日中友好侵略史 門田隆将著 より抜粋

 

廖承志 日本生まれ日本育ち11歳まで東京。1927年早稲田大学。帰国後中国共産党入党。

1952年ウイーン、共産党系「諸国民平和会議」で、西園寺公一に会う。

西園寺公一 元華族 侯爵家長男 革新系無所属参議院議員1959年北京在住

松村謙三 早稲田大学出身、自民党衆議院議員 1959年松村訪中団北京訪問。蘭の花もらう。

高碕達之助 自由民主党議員。1962年廖承志と「LT貿易」開始。貿易を行うための覚書交わす。

有吉佐和子 1961年(昭和36)日本作家協会訪中。二度訪中。1965(昭和40)年半年間中国滞在。

1966年(昭和41)創価学会池田大作会長と会談。周恩来からの招待の伝言。日中国交回復の推進。

池田大作創価学会会長 1968年(昭和43)9月8日「学生部総会」で「日中国交正常化宣言」を行う。

翌9月9日聖教新聞掲載。池田大作40歳。のちの公明党・創価学会の路線を決定づけた。

公明党 1964年(昭和39)公明党結成。

 

ニクソン大統領、1971年、翌年5月まで訪中することを発表。

1956年中ソ対立。ベトナム戦争停戦の中国協力を求めるため。

1969年7月、キッシンジャー北京訪問。米中接近。

当時の国連の第二次世界大戦戦勝国の5Pは、アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国(台湾)

 

竹入義勝公明党委員長、1971年7月19日、衆議院代表質問で、日中国交5項目を佐藤首相に提出。

北京で周恩来と初会談後の中国の代弁の5項目。①一つの中国論、②台湾は中国の不可分の領土、③日華平和条約の破棄、④台湾は中国へ帰属、⑤中国の国連安保理事国入り。

1971年10月アルバニア決議可決。3/2の変更事項決議案は否決される。台湾退場。国連の中国工作大。

木村武雄自民党衆議院議員「元師」。戦時中に上海に「木村公館」の拠点。昭和30年代(1955年代)廖承志と正常化工作。田中角栄に日中国交を進言した。思想は師石原莞爾の「世界最終戦争論」・東亜連盟とアメリカ合衆国との決戦となる。

1972年5月9日東京柳橋料亭での「いな垣の乱」。5月15日の沖縄本土復帰を受けて佐藤派内の田中擁立グループ81人の旗上げ。肝いり役は元師こと木村武雄。田中に「中国で政権をとれ」と進言。

佐藤栄作の退陣表明は6月17日。7月5日総裁選で自民党総裁につく。

田中角栄総理「日本列島改造論」と「日中国交正常化」で総裁選勝利。対戦相手は「台湾派」の福田赳夫。

台湾派・石原慎太郎、渡辺美智雄、中川一郎、浜田幸一、綿貫民輔、右翼団体。

大平正芳外務大臣。日中国交正常化を推進したのは、大平正芳(当時外務大臣)、三木武夫、橋本登美三郎。

1972年7月20、日中国交回復促進議員連盟会長藤山愛一郎主宰の中国大使歓迎パーティーで大平外相と会う。7月22日孫平化氏は密命を帯びて大平外相と極秘会見。田中首相の北京訪問が非公式に確約された。7月24日自民党の「日中国交正常化協議会」発足。316名。

8月3日の会議で大平「日華断交」を言及。「日中国交正常化=日華断交」の見切り発車だった。

中国側は公明党ルートを使う。竹入・公明・創価学会は出版妨害事件で田中角栄に恩義あり。

1972年7月25日、竹入北京入り。後に竹入の回想録が池田の逆鱗にふれ創価学会から去ることになる。

竹入周恩来をと会談。中国側は日華平和条約を日蒋条約とする見解。賠償請求権を破棄する。9月下旬田中訪中で確認。(竹入メモ)。8月4日、田中・大平・竹入会談で要点箇条書き竹入メモを提出。

8月11日、大平外相が中国側に田中訪中を伝える。8月15日、田中首相訪中を中国に伝える。

 

「先に国交正常化ありき」の”前のめり”の姿勢が、完全に中国に手玉にとられた。

 

中国からの3か条、①中華人民共和国が合法政府②台湾派中国の不可分の領土③日華平和条約は廃棄。

尖閣諸島の帰属は棚上げ。これに対して、台湾蒋介石は「交渉拒絶」した。

日華断交の秘話(松本彧彦)。田中は1972年9月17日椎名悦三郎特使台北へ派遣決定。小坂善太郎外相を事前協議として9月18日北京へ派遣。台湾派外省人の怒りと、内省人の哀しみ。小坂外相への恫喝。

 

「手柄」に目が眩んだ政治家によって、必要な調査や研究を怠り中国の工作によって挙で転がされた日中国交正常化。50年経った今も脅しは変わらない。中国共産党の本質はなんら変わらない。

 

1972年9月25日、田中角栄、大平正芳、他50余名訪中。周恩来首相の対日工作が実った瞬間。

北京国際空港着。前年9月に毛沢東の暗殺を謀った林彪の墜落しした翌年。中国の内部事情を調べず先を急ぐ田中政権。すべて調べ上げて国交正常化に向けて緻密な戦略を練っていた中国。その時中国は、中ソ対立、文化革命で荒廃し尽くした国内状態だった。

日本側が切り出した条件は、①日華平和条約は国交正常化の瞬間に任務を終了。②第三国対米関係を損なわないように。国交正常化を成し遂げたい日本。国交正常化で利益を得たい中国。この時点で周恩来は勝利を確信。恩を着せる形で交渉を進める中国側の基本形は、最初の会談から明らかだった。

 

第四回会談。台湾問題、賠償問題、戦争の反省をめぐる問題。日本とアメリカを味方につけ劇的な危機的状況から脱出を図ろうとする中国の術中にはまった。

1972年9月29日、日中共同声明発表。日本側の全面譲歩により成立。中国を唯一の合法的政府と承認。台湾派は自国の領土は理解尊重するとして認めたわけではないとした。

 

田中角栄の政治家としての「功名心」と大平正芳の「贖罪意識」が創り出した成果はやがて「日中友好絶対主義」へと発展し日本の存在すら懸念される事態へと発展することになる。

 

元拓殖大学特任教授の中国論で曰く、日本人は中国人のことを知らなすぎる。私たちが思っている中国人と中国共産党の人間はまるで違う。将来不幸を背負うと言っていた。

1972年9月29日大平正芳外相の記者会見。「日華平和条約は存続の意義を失い終了したものと認められる」。椎名悦三郎特使の「今後も日台関係は従来どおり」と違う。松本氏号泣。台湾派は即時「対日断交」を声明。「日中友好絶対主義」が始まる。パンダ。日本企業はありがたかった。商社、ゼネコンは日本のODA(政府開発援助)を原資に中国に進出。すべて宏池会が窓口になった。中国に巨額の日本の資金が投入され、ノウハウ、技術も投入された。1978年10月鄧小平来日、中国への投資を高めるため、大企業トップ、経団連、日本商工会議所、経済同友会など訪問。新日鉄、日産、松下電器訪問。援助を申し入れる。

 

やがて日本経済は中国への「投資」から中国への「依存」へと形を変えていく。

 

1989年6月4日、天安門事件。人権弾圧。民主派の胡耀邦の死去。鄧小平、人民解放軍を投入弾圧。

宇野宗祐首相、外務省の独壇場。G7の中で1国日本だけが「閣僚級の交流禁止」「経済制裁」を反対。

解決策として中国は「天皇訪中」プロジェクトを始める。

海部俊樹首相1991年北京訪問。1992年10月23日天皇訪中。日本の歴史上の痛恨事。

宮沢喜一首相、河野洋平官房長官、橋本恕駐中国大使。(1992年天皇訪中時)

1998年江沢民日本訪問。歴史問題ぶり返す。変貌する中国。全てを変貌させた江沢民。

天皇訪問の宮中晩餐会でのスピーチ。日本軍国主義は全面的な対中国の侵略戦争を行った。日本を属国扱いして帰国。江沢民が始めた「反日教育」「愛国教育」。1840年のアヘン戦争以降の屈辱の百年(百年屈辱)を徹底して教えた。中国共産党が抗日戦争と解放戦争(国共内戦)に勝利し、人民に幸せをもたらしたと教育。中国国内向け行動。

橋本龍太郎首相の中国の女性工作員のとの交流を、新進党西村慎吾議員が国会質問した。1997年10月30日。一般のテレビや新聞では報じられなかった。西側の円借款の凍結解除の働きかけの疑問。1998年参院議員選挙で自民党敗北、橋本首相退陣。2006年死去。林玉蘭。ハニートラップ。

中国が欲しいのは、カネ、技術、軍事情報、企業秘密。スパイ防止法がない日本はたやすい。2004年5月、中国・上海の日本領事館に勤務し、外務省と総領事館の暗号通信を担当していた40代の男性領事の自殺。

狙われる日本企業。長崎県の自衛隊一等書記官の懲戒処分。

2012年8月15日、中国の活動家、尖閣に上陸。9月11日、民主党野田佳彦政権が尖閣諸諸島を買い上げ国有化。反日デモ、中国全土で日本企業が破壊・襲撃される。江沢民の反日教育の成果。2005年、2012年の反日デモ。経済活動を営む日本企業のトップや中国利権にしがみつく政治家。やがて制御不能の覇権国家・中国とやがて国際社会すべてが対峙しなければならなくなる。

 

2012年11月15日、第18回共産党大会、習近平総書記。2013年3月、全国人民代表大会で習近平国家主席選出。「百年の恥辱を忘れず、偉大なる中華民族の復興を果たす」とスローガン。1840年イギリスとのアヘン戦争から中華人民共和国成立の1949年までの恥辱の百年を指す言葉。この間中国(当時は清)欧米列強の植民地化、日本は満州国の建国、廬溝橋事件後の日中戦争で首都南京陥落。そのまま突入した第二次世界大戦で枢軸国は敗北、日本は大陸から去った。その後4年間国民党・蒋介石と共産党・毛沢東の「国共内戦」後、1949年10月1日に中華人筋共和国が建国された。「百年国恥」の終了。

63年後2013年、習近平は百年国恥を「忘れてはならない」と宣言した。百年国恥とは事実上、中国では日本への恨みを意味する。小学校から教え込まれた。日本がターゲット。敵が必要、それが「日本」。

 

南シナ海岩礁を中国領。東沙・南沙・西沙諸島で「九段戦」引き領土と主張。2016年ハーグ仲裁裁判所の決定も無視。軍事基地化。2010年GDPで日本を抜き態度を変えた。「千人計画」に呼び寄せられた日本人。中国の国家プロジェクト。2008年スタート。「軍民融合」。2015年日本学術会議が国務院傘下の中国科学技術協会と連携。日本人技術者、学者の引き抜き。2020年5月4日読売新聞が技術を狙う中国「千人計画」を連載。千人計画に応募。世界中から毎年千人の応募。2016年7月発表の軍民融合戦略は軍事技術の進化。軍事転用。日本の技術者が欲しい。ロボット・AI。奈良林教授(東京工業大学特任教授)曰く中国人留学生の監視強化必要。中国人留学現在12万人。軍事技術には日本の技術が不可欠だから。自立型巡行ミサイル。レーダーに映らない。中国と合弁企業を作る大手自動車メーカー、大学に警鐘。トヨタ

2019年4月21日、「精華大学-トヨタ連合研究院」設立。燃料電池のドローンへの応用。今後5年間共同研究。トヨタの特許実施権を無償で提供。平和ボケした日本の経済界や学術界。2022年複合機などの設計や製造の全工程を中国なうで行う規制導入。中国による先進技術奪取は凄まじい。日本は商売優先。

 

やっと目覚めたアメリカ。1972年2月のニクソン訪中から始まった米中蜜月から対立の時代へ。2011年中国の人権弾圧が転換期に。2013年南シナ海岩礁埋め立て。2001年の中国WTO加盟もアメリカ失敗。

トランプを抱き込んだ「安倍晋三」。2019年武漢発祥の「新型コロナ」。「中国に感謝せよ」で切れた米国。

習近平は最大の敵・トランプをコロナによって倒すことに成功。ロバート・エルドリッチ、日本の「無知と無関心が一番危険」。日本経済の中国依存は極めて深刻。中国よりの政治の世界の問題。日本にいる中国人は100万人時代(80万~90万)。自衛隊の4倍。中国の国防動員法。

 

「友好」に踊った五十年。ウイグルジェノサイドで2021年は日本がいかに中国共産党の「影響下」にあるかを証明した年。公明党の反対。日中国交正常化五十年の「成果」ということ。2022年2月24日ロシアウクライナに侵攻。二階俊明幹事長と中国人・将暁松。2021年3月12日感謝状を将暁松69歳に送る。

2020年4月将暁松は旭日中授賞も授与。江沢民の後ろ立て。メディアも頼る。2007年グリーンピアをめぐる二取引。二階が紹介。中国資本により日本の水資源が買われ、山林も買収され、大都会の一等地やタワーマンションまで中国人に買われる時代が来た。村山富市内閣時のWTOのGATS条約を制限なしにした。重要土地等調査法も公明党により骨抜きにされたザル法。上海電力問題。

 

国交正常化五十年となり、対日工作は想像を絶する成果を挙げた。政権そのものを牛耳り、国会を動かし、中国共産党が日本の政治そのものに直接的に大きな影響を与えている。

 

中国共産党の思惑に踊らされていることを知りながら、日本を”売り続けている”政治家や官僚、経済人には、もはや言うべき言葉も持たない。このままではいずれ日本は、ウイグルと同じ運命が待っているだろう。

 

2016年5月、77歳の自民党職員松本松本彧彦、台北の高級墓地へ、政治家張群の墓参り。

東日本大震災の援助。中国では反日教育がつづき、台湾では日本との交流・交友を促進するための教育が行われている。「民間交流」の成果。「台湾有事は日本有事」安倍元首相。

 

2022年日本と中国は「国交正常化五十周年」を迎えた。半世紀を経て、日本はその記念日を安倍晋三元首相の国葬という哀しみの中で迎える。中国の対日侵略と対峙し、その危険性を世界の首脳に訴え続けた人物である。国交正常化五十年を機に、その歴史を日本は振り返り、これを教訓とし、二度と同じ失敗をしてはならない。日本が自由・民主・人権のアジアの盟主として、毅然として中国と対峙できる国になることを祈って筆を措かせていただく。・・門田隆将

 

 

山岡鉄秀Twitterより

@jcn92977110  2022/09/29 19時間

最初から工作だった。自民党左派も右派も公明党・創価学会も全て攻略された。政局で日中国交回復にのめり込み台湾を捨てた。天皇訪中で利用された挙句反日教育が開始された。現在の絶望的な媚中自公政権を作った70年に及ぶ中国の浸透工作。全日本人必読の書!

 

門田隆将Twitterより

@KadotaRyusho 2022/9/29 9時間

今日は日中国交正常化50周年。32年間も世界最大の中国援助国であり続けた日本は資金&技術で世界平和を脅かす“モンスター”を育てた。EEZに弾道ミサイルをぶち込み、国後・択捉で露と共同軍事演習をするまでに至った国。ここで友好という名の“侵略”と対峙できなければ日本は滅ぶ。

 

 

 

■【安倍元首相国葬】菅義偉前首相・友人代表の追悼の辞全文

 

 

2022年9/27日、安倍元首相の国葬が執り行われました。菅義偉前首相の友人代表の追悼の辞が、非常に印象に残ったので書き起こして掲載します。

 

世界を俯瞰的にみれるいい政治家でした。当分出ないかも。

2022/09/28

 

【安倍元首相国葬】菅義偉前首相「真のリーダーでした」 友人代表の追悼の辞全文

2022/9/27 15:07 産経新聞 政治

 

安倍晋三元首相の国葬で追悼の辞を述べる菅義偉前首相=27日午後2時50分、東京都千代田区(松本健吾撮影) 
安倍晋三元首相の国葬で追悼の辞を述べる菅義偉前首相=27日午後2時50分、東京都千代田区(松本健吾撮影) 

 

27日に営まれた安倍晋三元首相の国葬(国葬儀)で、自民党の菅義偉前首相は友人代表として追悼の辞を述べた。菅氏は安倍氏との出会いや第2次安倍政権時代の日々を振り返り、「あらゆる苦楽を共にした(第2次安倍政権での)7年8カ月。私は本当に幸せでした」と述べた。菅氏の追悼の辞の全文は次の通り。(産経新聞 政治)

 

 

2022年9月27日 安倍元首相国葬
2022年9月27日 安倍元首相国葬

 

 

【安倍元首相国葬】菅義偉前首相友人代表の追悼の辞全文

 

7月の8日でした。

 

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい。同じ空間で同じ空気を共にしたい。その一心で現地に向かい、そしてあなたならではの温かなほほ笑みに、最後の一瞬、接することができました。

 

あの運命の日から、80日がたってしまいました。

 

あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。

 

季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情でも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。

 

天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、生命(いのち)を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。

 

口惜しくてなりません。悲しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。

 

 

しかし、安倍総理とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

 

20代、30代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

 

総理、あなたは今日よりも明日の方がよくなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ。これがあなたの口癖でした。

 

 

次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちが、こんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上にうれしいことはありません。報われた思いであります。

 

平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。

 

すると、記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。

 

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれればうれしい」と、そういうお話でした。

 

信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。

 

そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

 

 

私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。

 

最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。3時間後にはようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを「菅義偉、生涯最大の達成」として、いつまでも誇らしく思うであろうと思います。

 

総理が官邸にいるときは欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。今でも、ふと一人になると、そうした日々の様子がまざまざと蘇ってまいります。

 

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

 

 

一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。

 

安倍総理。日本国はあなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など難しかった法案を、すべて成立をさせることができました。どの一つを欠いても、わが国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものであります。

 

国難を突破し、強い日本を創る。そして真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

 

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。私だけではなく、すべてのスタッフたちがあの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたはわが国、日本にとっての真のリーダーでした

 

 

衆議院第1会館1212号室の、あなたの机には読みかけの本が1冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。

 

ここまで読んだという最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで、線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。

 

総理、今、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

 

「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」

 

「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」

 

深い悲しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。

 

 

 

■ ウクライナの反転攻勢は成功する

 

 

産経新聞に掲載された、「E・ルトワック氏世界を解く」に、「ウクライナの反転攻勢は成功する」が載っており、目を惹いたので、書き起こして掲載します。

 

ロシアのウクライナ侵攻はいよいよ大詰めにきたということか?

2022/09/22

 

E・ルトワック氏世界を解く  ウクライナの反転攻勢は成功する

2022/9/21 16:03 国際 欧州・ロシア

 

国際政治学者 エドワード・ルトワック氏
国際政治学者 エドワード・ルトワック氏

 

エドワード・ルトワック(Edward Nicolae Luttwak、1942年11月4日)は、アメリカ合衆国の国際政治学者。専門は、大戦略、軍事史、国際関係論。ルーマニアのユダヤ人の家庭に生まれ、イタリア、イギリスで育つ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、英国軍、フランス軍、イスラエル軍に所属した後、1975年にジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論の博士号取得。現在、戦略国際問題研究所シニアアドバイザー。

 

 

ウクライナの反転攻勢は成功する

 

 

ロシアに侵攻されたウクライナが東部と南部で攻勢に転じ、ほぼ東部ハリコフ州を奪還した。ウクライナ軍はこれまでロシアの侵攻拡大を食い止めてきたが、ついにロシア軍を押し返し、領土を奪い返す能力を身に付けたのだ。

 

ウクライナの攻勢は、第二次世界大戦の欧州戦線のように戦車同士が正面からぶつかり合って突破を図るのではなく、ロシア軍の弾薬庫や前線司令部にミサイルで精密攻撃を加えて戦闘機能を低下させた上で、大鎌のように敵の背後へ回り込んでいくのだ。回り込む際に、ロシア軍の防御力が弱い部分に切り込んでいくのが要諦だ。

 

こうするとロシア軍は包囲されるのを恐れて退却する。第二次大戦でドイツ軍が多用した戦術だ。ウクライナ軍もこのやり方を使えば、ドニエプル川のほとりにある南部ヘルソン州を奪還することも可能なはずだ。

 

そうなれば戦況は決定的に変わる。プーチン露大統領は対応について難しい決断を迫られよう。

 

 

プーチン氏には3つの選択肢がある。

 

1つ目はい侵攻に踏み切った自身の判断は誤りだったことを認めて謝罪し、部隊を撤退させて戦いの終結を宣言することだ。国際社会はこれを受けて経済制裁の解除に動く。ロシアにとっては最善の選択肢だ。

しかし、プーチン氏は自ら敗北を認めないだろう。同氏が権力を握る限り、この選一択は取りえない。ただ、プーチン氏が失脚し、後任の指導者が撤退を決断するならば事情は別だ。

 

2つ目は、21日に発令された部分的動員で戦局を挽回できなかった場合、ウクライナに対して正式に宣戦し、ロシア軍の正規部隊を総動員して大規模攻勢をかけることだ。攻勢が奏功したらウクライナを屈服させ、有利な立場で停戦交渉に入ることができるかもしれない。

ただ、プーチン氏は今回の侵攻を「ウクライナの非軍事化と非ナチ化のための特別軍事作戦」と位置づけ、戦争ではないと言い張り続けてきた。なぜか。モスクワやサンクトペテルブルクなどの大都市で侵攻作戦に対する不満が具体的な抗議活動として噴出することが分かつているのだ。

現在、前線のロシア兵の大半は地方出身者やカネで雇われた連中などだ。戦争となれば大都市出身の若者も戦地に送られ、戦死者が出る。兵士の母親らの反発が強まるのは必至だ。

 

そして、3つ目の選択肢として指摘されているのがロシアによる核使用だ。

プーチン氏が核使用に踏み切れば、世界史は大きく塗り替えられる。

ただし、私はこの可能性はないと考える。政治的リスクを考慮して営戦布告と軍の総働員を回避するような人物が、核使用を決断できるとは思わない。

 

いずれの選択肢もプーチン氏には重い決断となる。こうした状況下で多くの人がとりがちなのは「何も決断せず、これまでと同じことを延々と続ける」という行動だ。プーチン氏も「何も決めない」という道に逃げ込む可能性がある

 

 

一方、ウクラィナの軍事的成功を支えているのは米国による支援だ。

 

米国は、高精細度の衛星画像を含め、口シア軍の配置や動きに関する確度の高い情報をウクライナに提供している。ウクライナはその情報に基づいて攻撃目標を設定し、米国から供与された高機動ロケット砲システム「バイマース」による攻撃で効果的にロシア軍の拠点を破壊している。

また、ウクライナ軍は今回の反転攻勢で、南部が主戦場だと見せかけて東部で前進するという陽動作戦を実施した。

これが可能だったのは、ウクライナ軍部隊がハイマースや装輸装甲車など機動性の高い兵器で編成され、迅速に動くことができるからだ。

これが戦車を軸とする鈍重な機甲部隊だったら兵力の移動を直ちに察知されるし、包囲行動も難しい。

 

東部のルガンスク州とドネツク州、そして南部のヘルソン州でウクラィナ軍は前進を続けるだろう。ただヘルソン州にはドニエプル川という大河が流れている。ロシア軍が橋を爆破した場合、ウクライナ軍がさらに南に進むには舟艇をかき集めて渡河作戦を実施する必要がある。

逆に、川の北側に展開するロシア軍は今後、ウクライサ軍に追い詰められ、川を渡って退却する事態に陥るかもしれない。

 

いずれにせよ、ウクライナ軍がこのまま快進撃を続けることができれば、いつかはロシアに占領された領土を完全に奪還し、2月24日の侵攻開始前の状態を回復するだろう。(聞き手 黒瀬悦成)

 

19日、ウクライナ東部ハリコフ州イジュム近くで、ウクライナ兵を乗せた軍車両(ロイター=共同) 
19日、ウクライナ東部ハリコフ州イジュム近くで、ウクライナ兵を乗せた軍車両(ロイター=共同) 

 

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