近現代史記事紹介-6

 

■ 危機の日本 首相奮起を

 コラムを後で読み返したい時のために、書き起こして掲載しています。

 

気に入った新聞コラム

美しき勁き国へ 危機の日本 首相奮起を 

ジャーナリスト 櫻井よしこ氏

 

2023/1/9 08:00  コラム 美しき勁き国へ 櫻井よしこ安全保障政策

 

いつも忌憚のない提言です。

岸田首相も、今が、素人からみても変わるチャンスですが。

しかし、残念ながら今の政治家には、無理かもしれませんね。

頑張ってほしいですけれど。

2023/01/12

 

ジャーナリスト 櫻井よしこ氏 
ジャーナリスト 櫻井よしこ氏 

 

櫻井 よしこ(さくらい よしこ、1945年〈昭和20年〉10月26日 - )は、日本の女性ジャーナリスト。ベトナム民主共和国・ハノイの野戦病院で日本人の両親の間に生まれた。慶應義塾大学文学部中退後、ハワイ大学マノア校歴史学部を卒業。英字新聞クリスチャン・サイエンス・モニター東京支局などを経て、1980年5月から1996年3月まで日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターを務めた。『「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会』(民間憲法臨調)代表。2007年12月、国家基本問題研究所を設立し初代理事長。2012年10月、インターネットテレビ「言論テレビ:櫻LIVE」を始める。2014年10月、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を、2015年8月には「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」を結成。産経新聞で2018年9月から、「美しき勁き国へ」を連載中。

 

 

危機の日本 首相奮起を 

 

令和5年は尋常ならざる危機の年だ。戦争を大前提にして準備しなければ取り返しのつかない事態に陥る。戦争回避には強い軍事力と経済力が必要で、抑止力を飛躍的に高めずして、私たちが享受する平穏な生活は守れない。

 

だが、わが国は準備不足だ。第一に継戦能力がない。軍事力増強を支える経済力は財務省主導の財政・金融政策で弱体化されつつある。憲法と法律は自衛隊の手足を縛り続ける。日本国と日本人全体の危機意識が薄いのだ。

 

かつて、わが国は列強の脅威にさらされ、開国し、富国強兵政策を実行した。発足時には独自の軍隊さえなかった明治政府と、軍事的に中国に圧倒されている現在の日本の姿が重なる。

 

日清戦争前夜の明治26(1893年)、山県有朋は国民に軍備増強で重い負担をかける心苦しさを語り、「国家の安全と人民の福利を購ふの資本だ」と説いた。彼は清国の向こうにロシア、フランスの野望を見てとり、10年もしない内に「東洋の禍機」が暴発すると考えた。弱肉強食のこの時代、わが国が他のアジア諸国のように植民地にされなかったのは、わが国に先を見通す戦略とそれを支える死に物狂いの戦術、富国強兵政策があったからだ。

 

かつて清国の脅威の先に列強諸国の野望があったように、いま、ウクライナと台湾の先に中露による冷徹かつ壮大な世界秩序の書き換えの野望がある。昨秋の中国共産党大会で、習近平国家主席は中国主導の「人類運命共同体」が世界の前途だと語った。中国は、米国は衰退期にあり、西側の民主主義は機能停止に陥ったと信じ、中華の価値観とルールが世界秩序の基盤をなすべきだと考えている。

 

この異形の大国を受けいれるわけにはいかない。彼らの価値観に太古からあらがってきたまれなる国がわが国だ。604年の「十七条の憲法」も明治元(1868)年の「五箇条の御誓文」も、一人一人を大事にする精神に貫かれている。明治期、軍事に特化した印象を与える山県も、「(身分の)上下を平均し人権を斉一にする道」を説いた。人権は万人に平等だとする日本の考え方は、第一次世界大戦後の国際連盟創設時に人種差別撤廃条項創設の提唱に発展した。実に開明的な目本の主張はウイルソン米大統領が不条理に葬り去った。

 

だが今、世界がかつての日本の主張に追いついた。中国のウイグル人に対する弾圧非難が一例だ。それなのに、日本に輝きを添えてきた大事な価値観を、肝心のわが国が忘れ去っている。日本にこそ中国政府を非難する資格がある。ロシアに領土を不法に奪われている日本こそウクライナを積極的に支援すべき立場にある。日本国の歴史やその歩みを支えた価値観を忘れてしまってどうするのだ。

 

迫り来る中国の脅威の前で、わが国はいま、米国との軍事協力強化に取り組んでいる。この努力が単なる軍事協力に終われば、日本は精神的に米国に追従するだけの国になる。中国も日本を侮り、からめとり戦術に出るだろう。 

 

だが日本が日本らしさを発揮するとき、状況は劇的に変わるだろう。中国は、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有などを盛り込んだ日本の新たな「安保3文書」に激しく反応した。わが国への恐れゆえであろう。日清、日露以降、世界戦争を戦った日本人に対する記憶がそうさせるのだ。

 

人間にとっても国家にとっても当然のことなのだが、気概を持つことの人事さを再確認したい。気概は力の強化と揺るぎない自信につながる。私たちが強い精神を取り戻すことが、中国に対しては日本国の抑止力を大いに高め、同盟国の米国に対しては信頼を深めることになる。

 

本紙8日付の朝刊における台湾の李喜朋元参謀総長の指摘は冷静だった。米台間には共通の指揮・通信体制も作戦計画もなく、台湾有事で米台が共同作戦を行うことは難しい。「日本が台湾を助けてくれるとは思わない」が、「事前に台湾の防衛戦略を知り、準備することが日本の国益になる」との内容だ。

 

ウクライナでロシアのプーチン大統領に勝利を与えてはならないように、台湾で中国の習近平国家主席に勝利を与えてはならないのは明らかだ。そのための唯一の道は日米台の協力体制を築くことだ。米国がウクライナ問題でアジアに軸足を移しかねているいま、わが国こそ、米国に働きかけなければならない。対中国で日本は生まれかわる決意で抑止力を高めると説き、具体策を示すのだ。

 

たとえば、中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域や南シナ海で、少しずつ着実に、継続的に状況を有利にする「サラミ戦術」を展開し、影響圏を拡大してきた。いま、私たちが「逆サラミ戦術」を展開する場面ではないか。日米台で情報を共有し、有事対応についてシミュレーションを繰り返すのだ。回数を重ねれば、事実上の日米台同盟につながり、中国の台湾攻略を防ぐ一手となる。習氏が権力基盤の浮沈をかけて台湾攻略に出てこようとするのに対し、抑止を確実にするには日米台の覚悟が必要で、日本は日本の国益のためにこそ、その覚悟を促す立場に立つのがよい。

 

世界史大転換の今、国政に携わる政治家、とりわけ岸田文雄首相は幸運である。怠惰な眠りの中で長く自立しなかった日本を鮮やかな目醒に導き、新たな国家像を打ち立てることができる。国の形を大きく変えた明治維新では多くの人材が日本国の未来に命をささげた。いま、政治家たる人々は、その政治生命を賭けて日本のために働くことができる。これ以上望めない幸運な巡り合わせではないか。

 

 

 

■ 年頭にあたり 本年焦眉の国民的課題「国防」

 

私の気に入った新聞コラム

年頭にあたり 本年焦眉の国民的課題「国防」 

東京大学名誉教授・小堀桂一郎

 

2023/1/4 08:00 コラム 正論

 

今の世界状況を考えると「国防」は重要な課題ですね。

2023/01/04

 

東京大学名誉教授 小堀桂一郎氏 
東京大学名誉教授 小堀桂一郎氏 

 

小堀 桂一郎(こぼり けいいちろう、1933年生まれ)は、日本の文学者。東京大学名誉教授、明星大学名誉教授。専攻はドイツ文学、比較文学、比較文化、日本思想史

 

 

年頭にあたり 本年焦眉の国民的課題「国防」 東京大学名誉教授・小堀桂一郎

 

国家と国民の安泰堅持のため

年頭に当り一篇(いっぺん)の論策を公にする機会を頂いたとなると、目下の事の自然として本年の我が国にとつて何が最も重要な課題となるかについての思案となる。その結果は現今の脆弱(ぜいじゃく)且(か)つ不安定な国際的政治環境の中で如何(いか)にして国家と国民の安泰を堅実に保持してゆくか、その難問題を国民一般が自分達自身の現実として考へてゆくべきだ、と言ふ以外にない。

 

昨年2月末に始まつたウクライナ事変が、解決も和平の兆すらも見えぬままに遂に年を越す事になつた。異常事態も長びけば、どうしてもそこに不断の緊張の連続に対する疲労と倦厭(けんえん)の情が生ずる。事変発生の当初はウクライナ国民の受難に対しての同情から結束して支援の手をさし伸べてゐた西側の自由主義諸国も、出口が見えぬままに続いてゐる紛争の常態化に面して、初めの義憤の情も緩む時が来る。支援の効果を自己の利害に照らしての計算も生ずる。

 

侵略戦争の当事者であるロシアの国軍も倦厭の情に駆られる点では同じ事で、さうなると戦闘行為の質が悪くなる。軍隊同士が戦つて勝敗を決する会戦を避け、民間の生活施設の破壊や非戦闘員である市民の殺戮(さつりく)を以(もっ)て相手国に厭戦(えんせん)気分を起こさせようとする。

 

軍事行動の質の劣化は日本国民が大東亜戦争終末期の米軍の作戦で身に染みて体験した事である。日本国の降伏を早めるために、米軍は昭和19年の末頃から、戦略爆撃との尤(もっと)もらしい名目の下、民生の破壊と国民の大量殺戮を目的とする全国60余の中小都市への絨緞(じゅうたん)爆撃を開始した。国民は戦争とはさういふものだと諦観して黙つてそれに堪へてゐた。しかしその極点に来たのが都市住民の鏖殺(おうさつ)を狙つた東京下町大空襲と広島・長崎への原爆投下である。

 

米空軍の日本国焼土化作戦は温帯に在る列島の春から8月にかけてであつたが、現時のロシア軍のウクライナ民生の破壊は厳冬期の現地での電力供給の停止・窮乏を惹起(じゃっき)し、住民の日常生活への致命的打撃となる。戦中の物的窮乏を体験した世代はウクライナ国民の受難に只(ただ)心が痛むばかりである。

 

歴史の記憶を後の世代に

此処(ここ)で私共は、もしロシアがアイヌ人の保護のためといふ荒唐無稽の名目を掲げて北海道に侵寇(しんこう)して来た場合、昭和20年夏の樺太と満洲で同胞が体験したソ連軍の蛮行が、現にこの皇土の内部で反復再現されるであらう危険を真剣に肝に銘じておくべきである。

 

同じ脅威が列島の西南部、尖閣諸島を尖端とする沖縄県の島々にも迫つてゐる。ロシアと同様、覇権欲に駆られた独裁者を国家元首とする中国の軍隊の質の劣悪は現に紛争中のロシア軍のそれとほぼ同様だと見てよい。

 

平成28年に設立された「通州事件アーカイブズ」は文献の蒐集(しゅうしゅう)を終り、『通州事件・目撃者の証言』を刊行してゐる。昭和12年7月に河北省通州で発生した日本人居留民の大量虐殺事件の残酷な記録は、事実上読むに堪へない凄惨さに充満したものである。もしあの国の軍隊が日本の領土に侵入して来れば、同様の残虐事件が必ずや起るであらうとの警告として不快を堪(こら)へて読んでおく方がよい。

 

台湾の国民は日華停戦後の1947年に生じた2月28日の弾圧事件の苛酷な記憶を持つ世代が少数派と化してゆくにつれて、中国の台湾籠絡政策の宣伝に惹きつけられる層が増えてゆく由である。此処でも半世紀余りの程遠からぬ過去の歴史の記憶を具体的に後続の世代に語り伝へておく事の重要さを指摘しておくべきであらう。

 

法の整備に大同団結を

二つの覇権主義大国が日本列島の領有を狙つて虎視眈々(たんたん)とその機会を窺つてゐるのに加へて、北朝鮮は我が国を侵略するだけの力量も野望も持たない代りに、日本などは海没して地図から消えてしまへばよいと言はむばかりの害意と憎悪に凝り固まつた国である。彼の国が頻(しき)りに発射実験を試みてゐる大陸間弾道ミサイルにもし本当に核弾頭を仕組めば、日本国を破滅させてみせるとの暴言も現実化するかもしれない。

 

この様に国土の安全保障が複数の敵意によつて脅かされてゐる状況の中で我々はこの新しい年を迎へる事になる。当然乍(なが)ら焦眉の課題が有事法制の整備とそれに実効あらしめるための防衛力の増強である。法制の究極にあるのは言ふまでもなく憲法の改正であり、その眼目は9条2項の廃棄である。

 

所が憲法の改正を目標として先づ掲げてしまふと、年来の苦い経験が教へる通り、議論は国防理念を巡る神学的観念論や法的手続き論が先行して議論が一向に核心に近づいてゆかない。今緊急肝要な事は、輿論(よろん)が、今回此処に述べた様な近い過去の痛切な体験を思ひ返し、その意味を再検討し、法整備の緊急必要性に大同団結する事である。輿論による支援と促進があれば、現政権の中枢部にゐる人々もそれに応へる形で改憲への道を急がざるを得ないはずである。(こぼり けいいちろう)

 

 

 

■ 2023年世界情勢展望 世界秩序4つの源流

 

国際秩序4つの源流

 

私の好きなジャーナリスト長谷川幸洋の解説で勉強しています。

2023/01/03

 

ジャーナリスト 長谷川幸洋氏 
ジャーナリスト 長谷川幸洋氏 

 

長谷川 幸洋(はせがわ ゆきひろ、1953年1月18日- )は、日本のジャーナリスト、元新聞記者。元東京・中日新聞論説副主幹。

 

 

「2023世界情勢・展望」ウクライナ、ロシア、中国、台湾。

 

長谷川氏曰く、2023年は2022年以上の大波乱があるとのこと。

その理由は、

ヘンリー・キッシンジャーが「国際秩序」の書籍で指摘している

国際秩序の4つの源流

 

1648年の30年戦争の、ウエストファリア条約後の国際秩序は、西方教会を源流とする、自由と民主主義の主権国家群である。

 

しかし、その国際秩序の外側にあるのが、中国、イスラム、ロシアの国家で、西側と異なる国家である。

 

Wikipediaより引用 
Wikipediaより引用 

 

 

国際秩序の4つの源流とは

 

西方教会を源流とする、自由と民主主義の国家群、アメリカ、ヨーロッパ

正教会による正統的な統治のロシア正教会を源流とする専制独裁主義国家、ロシア

イスラム教を崇拝する単一統治の専制独裁主義国家、イスラム国家群

皇帝君主を源流とする中華思想、専制独裁主義国家、中国

 

長谷川氏が提起する、もう一つのキーワードは

パーマストン子爵(1784年~1865年英首相)の言葉

「永遠の同盟はない、あるのは永遠の国益だけだ」。

 

西側諸国から見ると異端の国が3つ、

2023年を考えるにあたり、この国際秩序4つの源流が、

情勢変化のポイントになるかもしれませんね。

 

 

 

■ 2023年に起きないこと

 

2023年に起きないこと 

産経新聞 2022/12/29 10:00 宮家 邦彦  

 

ウクライナ侵攻宮家邦彦のWorld Watch

 

私の気に入った新聞コラム(2023年の予想コラムです)

さて、今年はどのくらい予想が当たるか?

 

でも、この2023年の予想は、少し甘いような気がします。

かなり厳しい状況も考えられると思いますが。

2022/12/31

 

元外交官、評論家 宮家邦彦氏
元外交官、評論家 宮家邦彦氏

 

宮家 邦彦(みやけ くにひこ、1953年〈昭和28年〉10月12日[1] - )は、日本の元外交官、評論家、研究者。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、株式会社外交政策研究所代表、立命館大学教育開発推進機構客員教授、中東調査会顧問、内閣官房参与(外交)。専門は外交・安全保障。祖先は後鳥羽上皇。妻は北里柴三郎の曽孫。神奈川県出身。

 

 

傘〟を広げて立つロシアのプーチン大統領。核の脅しも辞さないその言動を、2023年も世界が注視する =10月31日、ロシア・ソチ(AP) 
傘〟を広げて立つロシアのプーチン大統領。核の脅しも辞さないその言動を、2023年も世界が注視する =10月31日、ロシア・ソチ(AP) 

 

 

今年もあと数日、どうやらコロナ禍は来年も続きそうな勢いだが、本年もこの拙いコラムをご愛読いただき衷心より感謝申し上げる。

さて、今年筆者は新年早々「2022年に起きないこと」として、①ロシアのプーチン大統領は諦めない、②中国は台湾侵攻しない、③北朝鮮は暴発しない、④米国のトランプ前大統領は引退しない、⑤ASEAN(東南アジア諸国連合)は結束しない、などと書いたが、最後に「日本の防衛費の倍増はない」と筆が滑ってしまった。先日発表された「安保3文書」と岸田内閣の歴史的勇断を予測できなかったわけだが、これほど嬉(うれ)しい誤算はない。日本の外交安保政策の優先順位が「中国の台頭」に移ったことを象徴する戦後最も重要な文書であり、関係者の努力に心から敬意を表したい。

ついでに調子に乗って、今回も2023年に「何が起きないか」を勝手に予想してみよう。

 

①プーチンは諦めない

前回予想と同じだ。前回筆者は「米国の関心が米中覇権争いに移ったことを踏まえ、プーチン氏はソ連崩壊後のNATO(北大西洋条約機構)拡大という『新常態』を『なかったこと』にする絶好の機会が来たと考えた」と書いた。今のプーチン氏は「負ける」と思っていないし、負けるわけにはいかない。それはウクライナのゼレンスキー大統領も同様だろう。されば早期停戦は難しいと見る。この予測が外れるほど嬉しいことはないのだが。

 

②中国は台湾侵攻しない

前日筆者は「中国共産党大会の年に習近平氏は『冒険』は避けるだろう」と書いた。2023年も台湾に侵攻する可能性は低いが、再来年以降は「侵攻しない」と断言する勇気がない。

 

③北朝鮮は暴発しない

来年も北朝鮮の金正恩氏はコロナと経済制裁の二重苦で動きが取れず、バイデン米政権も対話再開に関心はないだろう。北朝鮮は生存のため核兵器開発を継続するので「非核化」は進展しない。韓国の尹錫悦大統領就任で北朝鮮はますます「威嚇」を強めるだろうが、決して本来の意味の「挑発」はしない。

 

④トランプは失速しない

前回、米国のトランプ氏は「政治活動を本格再開し、2024年の大統領選で再起を図る」と書いた。中間選挙でトランプ氏はかなり傷ついたが米共和党が「脱トランプ」に踏み切れるかは未知数だ。内部分裂気昧の民主党側も「ポスト・バイデン」を考える余裕などないだろう。来年末までは混沌の星雲状態が続くはずだ。

 

⑤中東は安定しない

中東周辺の各国、特にイラン、トルコ、湾岸アラブ諸国のどの国も、昨年8月の米軍アフガニスタン撤退で生まれた「力の真空」は埋められない。イラン核合意は今や「死に体」であり、イスラエルも強硬路線に逆戻りしたので、地域全体の安定が進むとは到底思えない。

 

⑥EUは分裂しない

ロシアのウクライナ侵略のためか、エネルギー不足にもかかわらず、ショルツ独新政権は予想以上に現実的だ。前回同様、「独仏連携は当面続くので、欧州連合(EU)は破綻しないだろう。

 

⑦印は軍事同盟を急がない

これも前回と同様だ。今春東京でQUAD(日米豪印)首脳会合が開かれたが、QUADは軍事同盟ではなく、インドが日米豪と「軍事同盟」に踏み切ることは当分ない。

 

⑧日本は急に変わらない

最後は日本だ。昨年は「防衛費倍増なし」と書いて見事に外れた。今年は日本の新しい安全保障政策がどこまで具体化されるかが焦点だ。仮にNATO並み国内総生産(GDP)比2%が実現しても、問題は現場と最前線での「戦い方改革」である。実戦に備えるには時間がかかる。今は時間をかけてでも戦い方を変える時だ。来年もご愛読お願い申し上げる。

 

 

 

■ 2023年は戦後課題と向き合う

 

 

産経新聞のあめりかノートに、古森義久氏の「2023年は戦後と向き合う」載っており、気になったので書き起こして掲載します。

 

2023年は、ますます混沌とした時代になるのだろうか。

2022/12/26

 

2023年は戦後課題と向き合う

2022/12/25 08:00 古森義久   国際 米州 古森義久のあめりかノート

 

ジャーナリスト 古森義久氏 
ジャーナリスト 古森義久氏 

 

古森義久(こもり よしひさ、1941年〈昭和16年〉3月11日 - )は、日本のジャーナリスト。麗澤大学特別教授。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構特別アドバイザー。国際問題評論家。国際教養大学客員教授。ジョージタウン大学「ワシントン柔道クラブ」で指導経験がある柔道家。

 

 

2023年は戦後課題と向き合う

 

一年の終わりに新年の世界を占ってみよう。国際情勢は人間の暦に沿って動きはしないが、ワシントンでも東京でもこの時期に立ち止まり新年の世界を展望することは自然な慣行である。

さて2023(令和5)年の世界では歴史的と呼べるほど激しい変化のうねりが予測される。その激流、奔流を5つに分類して報告しよう。それぞれの動きは当然、相互に絡み合うが、その特徴ごとに分けてみた。

 

第1は既成の国際秩序への挑戦である。第二次大戦後に米国主導で築かれた国際的枠組みへの敵対的な攻勢は新年も激しく続くだろう。

 

この国際秩序は国連、北大西洋条約機構(NATO)、日米同盟などに象徴される。当初はソ連共産党政権に敵対されたが、米側の連携は多数を制した。だが、今や中国がこの既成の国際秩序を崩そうと挑んできた。ロシアも似た動きをとる。イランや北朝鮮も反米という形で追随する。

 

第2は軍事力の役割の拡大である。自国の利益の追求に軍事力を使う国が増えてきたのだ。

 

ロシアのウクライナ侵略が分かりやすい。ウクライナ側がその侵略を抑える最大手段も軍事力である。中国は南シナ海のスプラトリー諸島に設けた人工島を軍事占拠し、尖閣諸島の日本領海に武装した船を侵入させる。台湾の統一にも軍事力行使の意図を宣言する。新年も国際′情勢での軍事要因が大きくなることが確実なのだ。

 

第3は各国家の主権の強化である。この動きはグローバル化の後退と一体となっている。

 

新型コロナウイルス感染の大流行で国家間の交流が激減した。それでなくてもグローバル化は米国のトランプ前政権の自国第一主義や英国の欧州連合(EU)離脱で大幅に後退していた。となると各国家は独自の判断をより多く求められる。自主性の発揮、つまり主権の行使の重みが増すわけだ。

 

第4は政治理念、つまりイデオロギーの重要性の増大である。

 

米国が先導する国際秩序は自由民主主義、人権尊重、法の支配など明確な政治理念に立脚してきた。その秩序への挑戦は異なる理念を基盤とする。だから既成の国際秩序にとどまる側は民主主義を堅持し、共産主義や全体主義を排することとなる。国家としてイデオロギーの明示を余儀なくされる国際情勢となるわけだ。

 

第5は経済至上主義の瓦解である。

 

自国の繁栄と他国の経済との協調があれば政治、安全保障、外交などは円滑にいくとする経済最先の思考が新年には崩れたままになるだろう。口シアのウクライナ侵略と米欧側の反発は、安全保障や政治の前には経済的要因が「従」になることを実証した。中国は他国との衝突に経済関係を人質や武器として政治利用する。

 

以上、眺めてくると、新年の国際激流は日本にとって苦手な変動ばかりである。国際秩序、軍事力、国家主権、政治理念、そして非経済的要因の重み、など戦後の日本が背を向けてきた諸課題とも言えよう。であれば、新年の日本は外部からの国難に直面することにもなりかねないのである。(ワシントン駐在客員特派員)

 

 

 

■ 「自分史」を書いてみませんか

 

 

産経新聞正論に、渡辺利夫氏の「自分史を書いてみませんか」が載っており、興味を惹いたので書き起こして掲載します。

 

なかなか良いかもしれませんね。非常に参考になりました。

2022/12/23

 

「自分史」を書いてみませんか  拓殖大学顧問・渡辺利夫

2022/12/22 08:00 コラム 正論

 

経済学者、渡辺利夫氏 
経済学者、渡辺利夫氏 

 

渡辺 利夫(わたなべ としお、1939年6月22日- )は、日本の経済学者。学位は、経済学博士。東京工業大学名誉教授、拓殖大学顧問、公益財団法人オイスカ会長。日本李登輝友の会会長。一般社団法人高齢者活躍支援協議会会長。専門は開発経済学と現在アジア経済論。山梨県甲府市生まれ 。

 

 

「自分史」を書いてみませんか  渡辺利夫氏

 

ある年齢になったら自分史を書いてみる。貴重なことだと私は考えます。文章というのは不思議なものです。さまざまな人生経験について、あれやこれやと思いを巡らせてもその像はぼんやりしたものですが、これを文章化しますと、連想が連想を呼んで次々と〝新しい過去〟が再現されてきます。私は新聞社などの主催する作文・論文コンテストの審査員をいくつか務めてきました。授賞式の挨拶では、次のようなことを生徒や学生に伝えています。

 

文章化することの意味

 

〝若い世代の君たちも、家庭、学校、海外研修、地域活動、その他さまざまな場でいろんな経験を積んでこられました。しかし、それらもこれを文章化しないと人生のささやかな経験としてほとんどが忘れ去られていきます。経験は文章化することにより初めて「経験知」となり、これが一つの確かなブロックとなります。別の経験を文章化してもう一つのブロックができあがります。いくつものブロックを積みあげていくと、簡単には崩れない経験知の塊ができます。その塊の大きさが、人間が成長したことの証しです。さまざまな経験を、本当に自分自身の人生にとってかけがえのないものとするには、文章化が必要です〟

 

人間は喜怒哀楽、さまざまな感情の中を生きています。踊りあがらんばかりの喜びに沸くこともありましょうが、胸を塞がれて身動きもできないほどの絶望に陥ることもある。遠い過去のものであっても辛い経験であれば、これが「心的外傷」となり人間を懊悩(おうのう)させることがあります。過去の手ひどい経験が「フラッシュバック」(心的外傷後ストレス障害)を引き起こし、物事に集中できなくなったり眠れなくなったりして感情をうまくコントロールできない。

 

コロナ禍の中で不安障害や強迫観念に悩まされた人々も少なくありません。普通の人生を送っている人でも「どうしてあんなことをしてしまったのか」と、小さなことでもぐずぐずと悩むものです。そして、そんな自分が嫌になる、受け入れられない、という気分にさせられる。「否定的自我」といえば何やら面倒な表現ですが、そういうことです。

 

「悶々」感情から解放され

 

過去の体験についてはこれを文章化してみてはどうでしょうか。文章化とは自分を「客体化」することです。「悶々(もんもん)」の感情を文章化してしまえば、書いた人はもうこの悶々を平静にみつめてそこから解放され、「否定的自我」から「肯定的自我」へと変じていくことができます。

 

「人生量」という言葉はありませんが、私はあってもいいと思うのです。一人の人間が生涯を通じてどのくらいの量の人生を送ったのか、ということです。おそらく人間が一生の間にどのくらいの量の感情を抱いたか。この量が多い人ほど、その人生は豊かなものだと思うのです。「人生量」が「感情量」によって測られるとすれば、それは文章化された「感情表現量」によってだと思います。

 

文章化された自分は、実はもう自分そのものではありません。自分の顔は自分ではみえませんよね。鏡という自分ではない他者に映しだしてみなければ自分の顔はわかりません。鏡に映しだされた自分は本当の自分ではないのですが、それなくしては自分がどんな顔をした人間かがわからない。

 

私たちは、他者が自分をどう認識し、評価し、対応してくれるのか、この他者の認識と評価と対応に応じて、自分とはこういう存在なのだと悟らされ、そうして社会生活を送っているのです。私どもは社会生活の中で自己を形成し続ける存在です。自己は自己を通じて直接的に確認されるのではありません。自己は他者の目の中に宿る自己を間接的に確認しながら形成されていくものです。

 

他者の目に映る自己

 

人生における最初の他者が家族です。この他者に映る自己は、その後の私どもを待ち受ける、多分に緊張を要する人為的な人間関係に比べてはるかに深い愛に満ちたものです。「受容的」なものです。家族という他者の目に映る自己が受容的であることを確認し、私どもは「肯定的な自我」を形成していきます。家族関係がスムーズにいかず、緊張を孕(はら)むものであったりすると、「否定的な自我」が形成され、その後の人生の過程でさまざまな心理的葛藤に悩まされることになりかねません。

 

高校や大学を卒業して企業、団体などの組織の中で働くようになれば、そこで取り結ぶ人間関係は一段と錯綜(さくそう)したものとなります。そうした人間関係の中でも、他者の目に自分がどう映じているかを確認しながら、人生の船を漕(こ)いでいかなければなりません。きわめて多様な他者の目の中に投影される自己を確認しながら、自己の他者への対応を変化させ、自我を確かなものとして形成していこうではありませんか。

 

以上の話は奉職している大学の卒業式で語ったものの一部ですが、若者に対しての私なりのエールです。(わたなべ としお)

 

 

 

■ 宗教は民衆のアヘン

 

産経新聞の世界裏舞台で、作家の佐藤優氏が、「宗教は民衆のアヘン」と題して提言したコラムが目を惹いたので、書き起こして掲載します。

 

世界の宗教と民衆、なかなか難しい問題ですね。

2022/12/12

 

宗教は民衆のアヘン 佐藤優の世界裏舞台

2022/12/11 08:00 国際 欧州・ロシア コラム

 

作家・外交官 佐藤優氏 
作家・外交官 佐藤優氏 

 

佐藤 優(さとう まさる、1960年〈昭和35年〉1月18日 - )は、日本の作家、元外交官。同志社大学神学部客員教授、静岡文化芸術大学招聘客員教授。学位は神学修士(同志社大学・1985年)。在ロシア日本国大使館三等書記官、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、外務省大臣官房総務課課長補佐を歴任。その経験を生かして、インテリジェンスや国際関係、世界史、宗教などについて著作活動を行なっている。東京都渋谷区生まれ。1975年、埼玉県立浦和高等学校入学。高校時代は夏に中欧・東欧(ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、ポーランド)とソ連(現在のロシア連邦とウクライナ、ウズベキスタン)を一人旅する。同志社大学神学部に進学。同大学大学院神学研究科博士前期課程を修了し、神学修士号を取得した。1985年4月にノンキャリアの専門職員として外務省に入省。5月に欧亜局(2001年1月に欧州局とアジア大洋州局へ分割・改組)ソビエト連邦課に配属された。1987年8月末にモスクワ国立大学言語学部にロシア語を学ぶため留学した。1988年から1995年まで、ソビエト連邦の崩壊を挟んで在ソ連・在ロシア日本国大使館に勤務し、1991年の8月クーデターの際、ミハイル・ゴルバチョフ大統領の生存情報について独自の人脈を駆使し、東京の外務本省に連絡する。アメリカ合衆国よりも情報が早く、当時のアメリカ合衆国大統領であるジョージ・H・W・ブッシュに「アメイジング!」と言わしめた。佐藤のロシア人脈は政財界から文化芸術界、マフィアにまで及び、その情報収集能力はアメリカの中央情報局(CIA)からも一目置かれていた。日本帰任後の1998年には、国際情報局分析第一課主任分析官となる。外務省勤務のかたわら、モスクワ大学哲学部に新設された宗教史宗教哲学科の客員講師(弁証法神学)や東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務めた。

 

 

 

宗教は民衆のアヘン  佐藤優の世界裏舞台

 

7月に安倍晋三元首相が銃撃され、死亡した事件後、宗教をめぐる日本の政界と社会の雰囲気が一変した。銃撃した容疑者の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する強い恨みが犯行の動機であったと報じられて以降、旧統一教会の具体的な違法行為や社会通念から著しく逸脱した行為に対する批判のみならず、宗教的価値観を基準に生きていくことに対する蔑視や揶揄(やゆ)が強まっている。

特に宗教とマインドコントロールを結びつけた非難に危惧を覚える。筆者はプロテスタントのキリスト教徒で、同志社大学神学部と大学院で組織神学(キリスト教の理論)を学んだ。現在も神学研究を続けている。カトリック教会、プロテスタント教会、正教会のいずれにおいても、生殖行為を経ずに生まれたイエスが十字架にかけられて葬られ、3日後に復活したと信じられている。このような信仰内容は自然科学的知見に反する。ある意味、キリスト教徒は処女降誕、死者の復活というマインドコントロール下に置かれた人たちなのである。

旧ソ連では、このような科学的知見と矛盾する信仰を親が子に伝えてはならないと、家庭内での宗教教育が禁止された。共産党体制下のソ連では国家が「宗教2世」を根絶しようとしたのだ。しかし宗教者はさまざまな方策で家庭内での信仰を継承した。共産党体制が崩壊するとともに旧ソ連を構成した15の共和国で宗教がよみがえった。

 

現下日本のマスメディアにおける宗教観は、旧ソ連の科学的無神論を想起させる。ソ連時代は学校教育で以下のマルクスの言葉を暗記させられた。

 

《宗教上の不幸は、一つには実際の不幸のあらわれであり、一つには実際の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやんでいる者のため息であり、また心のない世界の心情であるとともに精神のない状態の精神である。それは、民衆のアヘンである》(日高晋訳「へーゲル法哲学批判」。昭和32年、新潮社『マルクス・エングルス選集第1巻』 33ページ)

 

どうもマスメディア関係者や一部の国会議員、弁護士は、宗教は意識の遅れた人、知識が不十分な人が信じる迷信と思っているようだ。そして、迷信は個人の心の中に留めておくべきで、宗教的価値観に基づいた政治活動は行ってはならないと考えているのだろう。しかし宗教を信じる人の中には、生活の全領域で宗教的価値観に基づいて行動すべきと信じ、実践する人たちがいる。筆者もそのような宗教観を基準に生きている。

 

しかし暗い時代状況においても光は見えてくる。思想家の柄谷行人氏が10月に上梓した『力と交換様式』

(岩波書店)は、宗教に対して新たな光を当てた重要な作品だ。柄谷氏は『マルクス その可能性の中心』(昭和53年、講談社)で思想界・哲学界で注目されるようになった強靭な思考力を持った思想家で文芸批評家だ。柄谷氏は唯物論的思考を徹底した結果、宗教的価値を評価するようになった。

 

柄谷氏は世界史の構造を、A・互酬(贈与と返礼)/B・服従と保護(略奪と再分配)/C・商品交換(貨幣と商品)/D・Aの高次での回復、という4つの交換様式で読み解く。Aが氏族(部族)、Bが国家、Cが資本主義を典型的に示し、柄谷氏が理想とするのはDが主流となる社会だ。

 

《歴史的に存在してきたキリスト教の場合、”神”は、むしろ、国家権力の総元締めとして働くものであった。だからといって、そこにDが潜んでいる可能性、また、今後においてそれが現れる可能性を否定することもできない。また、それらの様相は、時代によって異なる。のみならず、他の世界宗教についても、多かれ少なかれ同様のことがいえる》(『力と交換様式』391ページ)

 

人々が同胞としての共同体意識を持ち、近代的な物質的繁栄も享受し、秩序が維持された社会がDだ

例えば創価学会は世界宗教であると自己規定しているが、その理念にはD的なものがある。キリスト教、仏教、イスラム教などの世界宗教はもとよりユダヤ教、神道のような宗教にもDの潜在力があると思う。日本神話の高天原にもD的な価値観があると思う。

 

 

 

■ 正義をふりかざす日本人

 

 

産経新聞のThe考に藤原正彦氏の「正義をふりかざす日本人」というコラムは載っており、非常に興味を惹く内容だったので、書き起こして掲載します。

 

政治家も、メディアも、日本人も、これから大丈夫かな?と、ふっと考えさせる提言でした。日本はこれからますます衰退していくのかも。この人の提言はいつも的を得ていますね。

2022/12/11

 

正義をふりかざす日本人  藤原正彦

2022/12/7 07:00  ライフ・学術・アート・教育

 

数学者 藤原正彦氏 
数学者 藤原正彦氏 

 

藤原 正彦(ふじわら まさひこ、昭和18年(1943年)7月9日 - )は、日本の数学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストとしても知られる。妻は、お茶の水女子大学で発達心理学を専攻し、カウンセラー、心理学講師そして翻訳家として活動する藤原美子。新田次郎、藤原てい夫妻の次男として、満洲国の首都新京に生まれる。ソ連軍の満洲国侵攻に伴い汽車で新京を脱出したが、朝鮮半島北部で汽車が停車したため、日本への帰還の北朝鮮から福岡市までの残り区間は母と子3人(兄、本人、妹)による1年以上のソ連軍からの苦難の逃避行となった。母・藤原ていのベストセラー『流れる星は生きている』の中でも活写されたこの経験は、本人のエッセイの中でも様々な形で繰り返し言及されており、老いた母を伴っての満洲再訪記が『祖国とは国語』(2003年)に収録されている。

 

 

正義をふりかざす日本人  藤原正彦

 

知性と民主主義の衰退

 

日本人は正義をふりかざすのが大好きになったらしい。国会ではここ半年ほど、どの政治家が旧統一教会とどんな関係があったか、大臣たちの領収書や政治資金に関する不始末などに口角泡を飛ばしている。新聞、テレビ、週刊誌などメディアも持ち前の正義感を発揮し騒ぎ立て、野党は鬼の首を取ったように与党に詰め寄る。ここ数年を振り返っても、森友学園、加計学園、桜を見る会で一年も騒いだり、議員の金や女やポリティカル・コレクトネス(PC)に関するスキャンダルについて探偵ごっこに興じたりしてきた。

 

国会審議の中身のなさには呆れるが、政治の中枢を担う有能な人材として選ばれたはずの大臣が片端から馬脚を露わすのを見ると、政治家の劣化を思い知らされる。選挙で勝つには金や組織が必要なため、高潔高見識の人は全国津々浦々にいても政治家になるのは難しいのだろう。

 

どのスキャンダルもケシカランことではあるが、一言で言うとさざ波ほどの出来事ばかりだ。国益や国防にほとんど影響を及ぼさぬどころか、どれも十年後にはすっかり忘れられてしまうような事柄である。国会やメディアがこのような些細なことに正義の旗を振り回し、これに国民が共鳴して悲憤慷慨する、というのが近頃の日本と言ってよい。

 

正義とはイヤなものだ。これに拘っていると、大きな問題が一向に解決しないからだ。弱者を追いこんでいるグローバリズム、進む一方の少子化、経済成長を二十年余りも妨げている緊縮財政、上がらない労働賃金、外国人労働者の安易な受け入れ、国力の指標となるであろうエネルギーや半導体での出遅れ。教育では愚にもつかぬグローバル人材育成とか小学校英語、国立大学への乏しい予算が招いた科学技術力の著しい低下、など喫緊の懸案が多々ある。とりわけロシアによる十九世紀的なウクライナ侵攻が、この二十一世紀に恥ずかし気もなく行われるのを目の当たりにし、北朝鮮のミサイルや中国による尖閣や台湾への侵攻により、日本が戦争にまきこまれる脅威が現実化しつつあるというのに、自主防衛力の飛躍的向上すら遅々として進まない。敵を攻撃する力がなければ自分を守れない、などということは、私などは幼稚園の頃から知っていた。そもそも国防を担う自衛隊はいまだに憲法九条違反の非合法組織として置かれたままである。

 

 

メディアとSNS依存

 

国民が「スキヤンダルに戯れているヒマはないはずだ」と怒り出さないのは、国民までもが事の軽重を判断できなくなっているからだろう。自ら考えることをせず、メディアやSNSなどのもたらす情報に全面依存しているからである。

 

小泉竹中政権の郵政民営化がその典型であった。今から見ると、国民にとって近くの郵便局が消え、国内なら一日か二日で届いた手紙が一週間近くかかるようになったただけのものである。それまで郵政事業は黒字で税金などの投入もなく、民営化する必要などまったくなかったのに、郵貯と簡保の350兆円に狙いをつけたアメリカが、日本に執拗かつ強力な圧力を加えた結果であった。政、官、財、主要メディア、御用学者がアメリカからの「官から民」要求を、無邪気にも盟友からの温かいアドバイスと受け止め一斉に賛成した。メディアに盲従する国民も双手を挙げて支持したから、郵政選挙で小泉政権は圧勝した。かつては郵貯と簡保の百%近くは日本国債で運用されていたが、今や郵貯で五分の一、簡保で二分の一ほどに減らされ、多くが米国債など外国への投資に向けられている。アメリカの狙い通りになった。日本人が汗水たらして貯めた金が国内投資に回らないから、経済成長できないし、地方が疲弊する。郵政改革を支持した人々は、その結果を験証し国民に伝える責務があるのだが、何もしようとしないし反省もしない。だから同じ過ちが繰り返される

 

中国やロシアは息を吐くようにアカラサマナ嘘を吐くが、アメリカは国益のためとあらば、はるかに巧妙な大嘘をつく。戦後に限ってもGHQによるWGIP(罪意識扶植計画)という日本人洗脳工作を行った。また給食をパン食とし「米を食べるとバカになる」などというまことしやかな嘘を広めたため、日本人の食文化はご飯と味噌汁からパンと牛乳へと一変し、日本の生命線たる米作をはじめとする農業は大幅に潰された。米国の余剰農産物対策だった。

 

 

活字離れの致命的打撃

 

日本人が大事なことに騒がず、つまらぬことにいきり立つ、というのは雑多な情報の中から本質的なものを選択するのが不得意になったということにある。この能力は情報の氾濫する二十一世紀において最も重要な能力の一つと言える。これに欠けると情報の海に溺れてしまう。

 

戦後、アメリカニズムが我が国に導入され、幸せを最大にするには自由を最大にすること、自由を最大にするには選択肢を最大にすること、という考えが主流となった。この中で人々は途方もない数の選択肢を前に、絶えず決断を迫られている。選択するには土台となる知識や教養が必要だし、自分でよく考えることも必要だ。しかも選択した結果には責任が伴う。選択とは苦痛なのである。独裁者がなくならない一因だ。私だってコーヒー豆を買うときにはモカ、コロンビア、ブルーマウンテン、キリマンジャロなどと面倒だから、「この店で一番売れている豆を下さい」と言うことにしている。

 

人々は選択が辛いからすぐにメディアやSNSなど手近な情報や見解に頼り、それらに流されてしまう。流されないためには、自分の頭でじっくり考える習慣や考えの土台となる正しい知識と教養、そして惻隠など豊かな情緒が必要である。国のリーダーたる政官財学やメディアにはこれに加えて大局観や歴史観も要求される。これらはすべて読書を通して得られる。世界で進行中の活字離れがこれらに対する致命的打撃となっている。にも拘わらず、読書文化の衰退が人々の知的衰退につながることを憂える声すら、正義をふりかざす声にかき消され聞こえてこない。

 

欧米や日本など民主主義先進国は、人権抑圧で彩られる権威主義国を見て、「民主主義こそ」と勝ち誇つているようだが、民主主義は「国民一人一人が成熟した判断を下せる」という、どの国にとっても達成困難な前提の上に成立している。

 

大半の学生が新聞さえ読まないというほど活字文化が衰えた昨今、民主主義は急速にポピュリズムに接近してきている。年数をかけず同義となるだろう。そうなった日にも、かつてやれグローバリズム、やれAI、やれデジタルと浮き足立ち、PCや正義をふりかざすばかりで、活字離れのもたらす深刻な災禍に無自覚でいた罪を反省する人はいないのだろう。

 

 

 

■ SDGsの大嘘

 

 

2022/10/04に読了した、

「SDGsの大嘘」、池田清彦著を掲載します。

 

2022年も世界的に「脱炭素」の動きが活発化しています。

SDGsの問題点と本質を書いたこの本は、非常に勉強になる内容でした。

また、近代国家におけるサスティナビリティについての色々な情報もたくさんあり、中身の詰まった、本当に良い本でした。

 

2022/12/03

 

生物学者 池田清彦氏 
生物学者 池田清彦氏 

 

池田 清彦(いけだ きよひこ、1947年7月14日 - )は、日本の生物学者、評論家。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。理学博士(東京都立大学)。高尾599ミュージアム名誉館長。構造主義を生物学に当てはめた構造主義生物学の支持者のひとりとして知られている。また、科学全体に構造主義を当てはめた「構造主義科学論」も唱えており、その視点を用いつつ科学論、社会評論等も多数行っている。昆虫採集マニアでもあり、昆虫についての著作も多い。西條剛央、京極真とともに、構造構成主義研究シリーズの編集委員を務める。また養老孟司や奥本大三郎とは昆虫採集を共通の趣味として親交があり、共著が数冊ある。

 

 

SDGsの大嘘  池田清彦著 要約  

 

■はじめに

 

●SDGs=「持続可能な開発目標」=17目標を掲げる。

●国連サミットで「2030年までに達成すべき目標」=一種の霊感商法のような怪しさが漂っている。

●実現は難しい=「絵にかいた餅」=ゴールへ突き進むと間違いなく世界は今より悪くなる。

●利益を得るのは、一部の国やSDGsをビジネスにしている企業。日本は負け組かもしれない。

●国連が垂れ流すこの「嘘」を鵜呑みにした政府やマスコミのキャンペーンでほとんどの人は頑張る。

●この構造は「環境問題の嘘」、「人為的地球温暖化論」の構図とまるっきり同じである。

●「環境を守らなければならない」という人々の善意につけ込んで、後押しする政府機関や企業は国民から多額のカネを搾り取っている。SDGsも人為的地球環境温暖化論も基本的には全く同じで、反対しづらい善意のスローガンを並べているだけで「地獄への一本道」になっている。

 

■第一章・SDGsは嘘だらけ

 

●キャッチフレーズの成り立ちに潜む矛盾

持続可能であるということはそこで開発は止まる。造語。矛盾だらけの支離滅裂な言葉である。

 

●誰も反対できない17のお題目

1.貧困をなくそう

2.飢餓をゼロに

3.すべての人に健康と福祉を

4.質の高い教育をみんなに

5.ジェンダー平等を実現しよう

6.安全な水とトイレを世界中に

7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに

8.働きがいも経済成長も

9.産業と技術革新の基盤をつくろう

10.人や国の不平等をなくそう

11.住み続けられるまちづくりを

12.つくる責任 つかう責任

13.気候変動に具体的な対策を

14.海の豊かさを守ろう

15.陸の豊かさも守ろう

16.平和と公正をすべての人に

17.パートナーシップで目標を達成しよう

どの目標も、言われてみれば「そのとおり」という素晴らしい美辞麗句ばかりだ。「絵に描いた餅」。

5・10・12・16・17の5つの目標は人や社会の「意識」の話だが、全世界の意識は変えられない。

3・4・8・9・11の5つの目標は、インフラ整備や経済振興の話だが、国の経済力によって差があるので世界すべては難しい。

 

●エネルギー、水、食料に関する目標はすべて胡散臭い

「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」「6.安全な水とトイレを世界中に」「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」というエネルギー、食料、水、生物多様性に関する目標は、私からすれば「いったいどうするつもりだよ?」と驚くほど、矛盾だらけ。かなり胡散臭い。

「エネルギーをみんなに」も、「クリーンに」という目標は達成できても。「エネルギーをみんなに」は達成できないし、「貧困をなくそう」という目標とも大きく矛盾する。

 

不可能なことを実現するためにはどうすればいいかという、深い話はほとんどされていない。

「海の豊かさを守ろう」も現実的ではない。現実漁獲高はすさまじく増大し、それを規制して漁獲量を減らしたら、「飢餓をゼロに」とか、「貧困をなくそう」という目標は達成できない。

 

素晴らしい話はどれだけ語られても、まったく実現できないおとぎ話ならば、それは「嘘」と変わらない。SDGsは嘘だという理由はここにある。

 

●「人口を減らそう」という目標の欠落

17の目標には、地球の持続可能を考えるうえで、およそ欠かすことのできない目標が含まれておらず、その解決策にもまったく言及していない。それは人口問題である。

20世紀初頭:16億5000万人、この100年で爆発的に増え、現在79億人。

 

この人口増加を抑えないで、SDGsが掲げる「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」「6.安全な水とトイレを世界中に」「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」という目標を徹底的に追求していくと、人類は間違いなく、地獄へ直行していく。

原生林や原野といった自然生態系が消滅、野生動植物の生物多様性が激減、結局はエネルギーや食料、水などのリソースの奪い合いが始まり、「資源争奪戦争」がスタートする。

 

これを回避する究極の方途は「みんなで協力して人口を減らそう」だ。科学的な視点で今の地球と人類の状況をみれば、エネルギーや食料、水などのリソースを、人や野生動物を含めた全世界の生物たちにどう分配するかが課題なのは明らかである。

 

●地球上のエネルギー量は有限

「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」「6.安全な水とトイレを世界中に」「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」という目標を達成するには、現在の人口79億人に見合う食料や水、そしてエネルギーというリソースが必要だが、現時点ですでに供給量が必要量を下回っている。

化石燃料、ウラン、地熱以外は、すべて太陽エネルギーに依存している。「再生可能エネルギーというのは、実は太陽エネルギーの奪い合い」だという現実は変わらない。地球上のエネルギー量には「上限」があって、今も79億人が奪い合っている状況だ。美しいスローガンは実行に移すことは非常に困難な目標だ。

 

●生態系とは「炭水化物の奪い合い」

同様の矛盾は「2.飢餓をゼロに」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」という目標にも当てはまる。地球上の食料も太陽に依存している。食料の量というのは、陸上と水界の光合成の量によって決まる。人間は人間同士だけでなく、地球上の生物と「炭水化物の奪い合い」をしている。

79億の人の地球で貧困や飢餓を解消するには今以上の炭水化物が必要になるが、しかし上限がある。

足りない分は他の動植物から収奪する、結果、陸や海の生物多様性は減少する。

「飢餓をゼロに」と「海の豊かさを守ろう」はトレードオフの関係にある。とばっちりは人類以外の生物だ。この厳しい現実に触れることなく「飢餓をゼロに」「海の豊かさを守ろう」と「海の豊かさを守ろう」

「陸の豊かさも守ろう」という矛盾した目標が横並び。この大きな欺瞞こそが胡散臭いと感じるゆえんのひとつである。

 

●人口が増えることでサスティナビリティは破綻する

人口問題という根本的な問題を解消しない限り、「2.飢餓をゼロに」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」という目標はバッティングする。

 

自然の中で適正な数の人間が、野生の動植物をとって食べていくというのが実は最もサスティナブルなのだ。

人口の増加に影響を受けるのは狩猟採集社会と農耕社会。人口増加で「破滅型狩猟」「田畑の減少」がおこる。「農業の効率化」が必要。それには害虫駆除を行うが、そうなると他の生物の食料が奪われる。当然生物多様性は損なわれる。「飢餓をゼロに」「陸の豊かさも守ろう」というのは完全に矛盾した話。両立できると並べているSDGsは極めて悪質な「嘘」をついていることになる。

 

●貧困・飢餓問題に拍車をかける高級牛ステーキ

「2.飢餓をゼロに」「15.陸の豊かさも守ろう」という目標が守れない要因は「肉食」である。

世界のほとんどの国で「肉食」が広がっている。肉食、大量の肥料、穀物生産、農業の効率化、他の野生生物の絶滅危機、の矛盾。本当の意味での「サスティナブル」は何を食べるべきか?を考えること。

 

●「豊かさを守る」以前に、水産資源は枯渇している

人口が膨れ上がった今の地球で、貧困や飢餓をなくして豊かな人間社会をつくることと、陸や海の豊かさを守るという目標は両立しない。水源資源の窮状が語っている。

海の中、世界の水源資源はオーバーキャッチング(とりすぎ)を長く続けてきたことで、かなり危機的状況にある。資源自体がかなり減少している。

 

●中国が世界の魚を食べ尽くす

漁獲高制限必要。中国は12億人の腹を満たすため世界中の水産資源をとり、2019年の世界の漁獲量2億1200万トンの内4割近くを占める8250万トンという漁獲量で世界一となっている。漁獲量の奪い合い。

今後は水源資源のシェアが問題。「海の豊かさを守ろう」なんていう能天気な目標を掲げていられるような状況にならない。

 

●アサリ偽装問題が示す「水産大国」の真実

日本の海が衰退。日本周辺の水産資源が激減。国産アサリは絶滅危惧種。

 

●スーパーに並ぶ海産物のほとんどは輸入品

輸入して「畜養」で国産にしている。国産比率はかなり低い。戦争、経済制裁の影響を受ける。

 

●抗生物質の海を泳ぐ養殖サーモン

日本の海産物の危機感は薄い。「養殖にシフトすればいい」という楽観論。「海の豊かさを守ろう」の目標は犠牲にしなくてはならない。養殖魚は抗生物質を混ぜた餌。厚生物質が海を泳ぐ。外国産サーモンも同じ。ノルウエー、チリ。

情けない食の事情を改善しないで、「海の豊かさを守ろう」と呑気に言っている場合でない。

 

SDGsの目標より、まずは食糧危機に備えて、日本人が飢え死にしないように国内自給率を上げていくことの方が、日本にとって本当のSDGsである。

 

●究極のSDGsは「みんなで人口を減らそう」

人類が限りある地球上の天然資源を他の生物とシェアして生きているという現実を踏まえると、SDGsのお題目ではどうにもならない。

世界人口79億で、「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」という目標を達成しようと思ったら、陸上や海の豊かさを守ることは不可能。逆に本気で、生物多様性を守り、陸や海の環境をサスティナブルにしようとすれば、これまで以上に貧富の差が拡大して、食料の争奪戦に負けた国の人々は深刻な飢え直面する。

目標をやればやるほど世界を悪くする恐れがある。

 

回避する道は、世界中で「みんなで協力して人口増加を抑制していきましょう」と呼びかけること。

人口減少はサスティナブル。

人間の頭数を限りある資源に合わせて減らしていけば、余計な自然破壊も生態系の破壊も怒らない。ある意味、「究極のSDGs」だと言っていい。

 

●「人口抑制」はグローバル資本主義を妨げる

この人口抑制の目標をSDGsに入れない理由。SDGsを喧伝している欧州やアメリカの西側諸侯にとって「人口抑制」は受け入れ難いものという事情。基本的にグローバル資本主義によって地位を確立し、国際社会への影響力を維持しているから。グローバル資本主義は人口が増え続けないと困る現実がある。

グローバル企業、世界的消費者、安い労働力、途上国などで人口が増えているからだ。

 

●欧州の「不都合な真実」

日本と同じく人口が減り続ける欧州。イギリスやドイツは続々と移民を受入れている。少しもサスティナブルではないことをやっている。

グローバル資本主義で壊した生態系から、目をそらさせることがSDGsの本来の目的ではないのか。

問題の本質から外れたSDGsの目標のせいで、世界は着々と破滅へ向かって進んでいる。

 

●脱資本主義への兆し

西側諸国のグローバル資本主義を食い止める方法を自分たちで考えることが必要。

「AI」と「ベーシックインカム」の活用。AIの導入が進んでいけば、人工抑制が徐々に進む。

「働かなくていい社会」が徐々に実現。すべての人の生活を一定水準まで保証する、ベーシックインカム。農耕社会が始まるまで気の遠くなるほどの期間、人間はほとんど働いていなかった。それが働くことで生活の豊かさを追い、収穫、人手、穀物、効率的、結果、グローバル・キャピタリズムに行き着いた。

 

今世界を破滅へと導いている西欧諸国のグローバル資本主義を食い止めるには「働かなくていい世界」を一日も早く実現することだと言える。

 

●国連はなぜ「SDGs」などと言い始めたのか

政府や企業やマスコミが呼びかけられているSDGsの正体は?

なぜそんな「嘘」だらけの目標を、国連という国際機関が採択したのか?

政治的駆引きにより盛り込まれたお題目。

 

●SDGsの前身とは?

MDDs(ミレニアム開発目標)。2000年9月、国連ミレニアム・サミットで採択されたもので、途上国を対象とした国際社会の目標である。平和と安全、開発と貧困、環境、人権、グッドガバナンス(よい統治)などを課題として挙げ、2015年を期限とて、以下8つの目標が掲げられた。

目標1:極度の貧困と飢餓の撲滅

目標2:初等教育の完全普及の達成

目標3:ジェンダー平等推進と女性の地位向上

目標4:乳幼児死亡率の削減

目標5:妊産婦の健康の改善

目標6:HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止

目標7:環境の持続可能性確保

目標8:開発のためのグローバルなパートナーシップの推進

SDGsはこの途上国向けの目標であるNDGsの後継。

2015年にある程度達成できたということで、さらに先進国も含めた地球規模に拡大しようと、同じ2015年に採択されたのがSDGsである。

 

●MDGsの目標はカネで達成できた

「MDGsがうまくいったから、次はSDGs」がおかしい。

MDGsはあくまで途上国対象。これは、先進国がお金を出し合って途上国に投資すれば達成できた。基本的にはMDGsで掲げられている目標はインフラ整備だからだ。目標4は、医療インフラの整備や医学の進歩の成果。

 

●安い労働力を確保したいグローバル資本主義

途上国で、インフラ整備で達成できたから、「今度はそれを地球規模に広げていきます」は冷静に考えて無茶苦茶な話だ。

 

●国連による「ゴリ押し」の真意

対象を地球規模に拡大したせいで、「損をする人々」や「犠牲になる生物や環境」というのが現れた。

「各国の間でかなりの政治的駆引きがあった」可能性が大。自国の利益が生じるようにネゴシエーションも重ね、SDGsという「嘘」と「矛盾」だらけの国際的ルールをでっちあげた。

行ったのは、世界を牛耳るグローバル資本主義を掲げる西側諸国。自国の繁栄、今の経済システムを守る、さらなる富を生むための新しい手段として、SDGsという概念が「発明」された可能性がある。

 

 

第2章・「環境ビジネス」で丸儲けしているのは誰か?

 

●世界的なキャンペーンの裏側に潜むものとは

重要な視点は「誰が得をするのか」。

SDGsは現在の世界秩序を維持し、西側諸国が最終的に得するような構造になっているのではないか。

特にEUが得するSDGsが、「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」というエネルギー・環境関連目標だ。要するに、これは「脱炭素」という動きだ。

EUは、エネルギー・環境関連で主導権を握りたいがために、「脱炭素」という自分たちの有利なルールを世界に広める必要がある。

 

●SDGsは地球のためではなくEUのため?

なぜEUがそんなことをするのか?ズバリ、自分たちが生き残るためだ。

アメリカ:シェールガス・オイル。オーストラリア:石炭。

ヨーロッパもエネルギー資源に乏しい。EUは全体として化石燃料に乏しい。

「資源を大量に持っている国」に優位に立つには、「ゲームのルールを自分たちに有利なものへと変えること」だ。世界の常識を石油、石炭、シェールガス・オイルは時代遅れで、他のエネルギーに力を入れている国の方が将来有望だというふうに「世界の常識」を変えてしまうこと。それこそが、ヨーロッパが進めている太陽光、風力、水力、という再生可能エネルギーへのシフトの価値を高めていく戦略なのだ。

EUやヨーロッパの、ガソリン車を規制して電気自動車の普及に力を入れるのは「自分たちのため」。ロシア、アメリカという資源国との差を埋める戦略を後押しするのがSDGsだ。そうすればCO2垂れ流しで成長した中国、中東産油国への牽制にもなる。

 

●政治やビジネスにこっそり利用されている

SDGsの裏側には、EUのエネルギー戦略がる。「脱炭素」を広めて、太陽光、風力、電気自動車を広める。

「脱炭素」には問題が多い:電気自動車のバッテリーやハイテク機器を大量に生産すれば、CO2はめちゃくちゃでる。燃料である電気は、太陽光や風力でつくるからエコだというけど、それを作るソーラーパネルで中国がCO2をめちゃくちゃ出している。電気自動車のバッテリーの処理はかなり面倒だ。

トータルで考えると、電気自動車でCO2が削減できるかはかなり怪しい。

電気を作るコストでいえば最も安いのは石炭火力と原発だけど、原発は事故が起き時の費用と廃棄物再処理でコスト増。

トータルで最も安いのは、石炭による火力発電だ。次がロシアの天然ガス、さらにアメリカのシェールガス・オイル。EUはそれらの国からエネルギーを買うしかない。

EUは世界的な「脱炭素キャンペーン」をぶち上げてこれをひっくり返そうとしている。EUやイギリスの思惑がにじみ出ている。プロパガンダ。

 

●いちばん得をしているのは誰なのか

経済活動が「ESG投資」。SDGsを推進する企業に積極に投資しようという話。SDGsと「ESG投資」によって、EUに世界中から莫大な資金がながれ込んでいる。

 

●途上国はますます貧しくなる

「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」に合致するビジネス、太陽光発電、再生可能エネルギー企業とか、電気自動車の企業などは、各国政府も政策的なバックアップをするから好調になっている。電気自動車のテスラもそう。一方、自動車メーカー、鉄鋼分野の企業は厳しい。

安価な化石燃料で経済を回している途上国はどんどん貧乏になるし、飢餓もふえるだろう。

 

●SDGsを叫べば「なんでもアリの」モラルハザード

 ●ソーラーパネルで日本の土壌が「死ぬ」

SDGsが掲げる目標を目指そうとして、破滅の道を突き進んでいるのは、太陽発電である。

日本の状況:農地に続々とソーラーパネル。山林を削る。

続々と太陽光パネルが設置されているわけだが、これはサスティナブルとは真逆だ。SDGs的な「飢餓をゼロに」や「陸の豊かさも守ろう」という目標とも真っ向から対立する。太陽光パネルの下の地面で生きてきた生物は光合成ができないで死に絶える。それを食べていた生物にも影響がでる。周辺の生態系も壊されていく。一度ソーラーパネルを設置した土地を再び農地として使うことはかなり難しい。太陽エネルギーが届かないわけだから、土壌の中にいる微生物などにも悪影響があり、農作物を育てる栄養素もなくなってしまう。その土地はいわば「死んだ」ことになる。

「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」というスローガンに本気で騙されて、ソーラーパネルだらけの国土にしてしまうと、食料自給率37%の日本では、国際的紛争で日本が食料を輸入できない状況になったら、たくさんの人が飢え死にする恐れがある。

 

●太陽光発電はちっともエコではない

農地や山林のソーラーパネルは環境破壊を進行させていく恐れもある。・・企業が倒産の場合、管理しないまま生態系を壊す瓦礫の山として放置される。太陽光発電が地球にやさしくCO2を減らすはインチキだ。

 

●水力発電の方が「環境に優しい」

地球にやさしくない風力発電・・洋上風力発電をつくるとその先の海岸・風下に風が行かなくなる・・風力発電のせいで生育が悪くなる。地球上の限りあるエネルギーを奪ってモーターを回している以上、環境破壊は出てくる。

水力発電の方がまだマシ。小規模な水力発電をたくさんつくれば地域の電力は賄う。環境負荷が少ない。

エネルギーの地産地消も進む。しかし結局は日本の電力は大手の電力会社が牛耳っているから難しい。また自治体単位の小規模水力発電は、河川を管理している国土交通省の許可が下りないだろう。

 

●「地球温暖化」の予想はどれも大ハズレ

「人為的地球温暖化」は説得力ゼロ。・・環境データを一部の人間が都合のいい様に切り取ってでっち上げたもの。有名なもの列挙。「環境問題の嘘 令和版・MdN出版」

1.1987年、米国NASAのハンセン・・2020年まで平均気温3℃上昇・・実際は0.5℃。

2.アル・ゴア・・2020年までにキリマンジャロの雪消滅・・今に至るまで消滅していない

3.2009年米国地質調査所ファグレ・・2020年までモンタナグレーシャーの氷河が消滅・・氷河は健在。

4.2000年イギリス気候研究ユニットヴァイナー・・2020年に英国で雪が降らない・・今でもよく降る。

「地球は、化石燃料起原のCO2の排出により温暖化している」という未来予測は、全て外れている。

インチキだということになると、メガソーラー、電気自動車、その他もろもろの商売が正当性を失い、儲けている人々や企業が困る・・だから語らない。都合の悪い話に人々の目がいかないように、新しい胡散臭いデータを引っ張り出してきて、だたCO2削減を煽っている。

 

●太陽・黒点の増減でも気候変動は起きる

「気候変動」のシミュミレーションがいい加減である。CO2以外の変数を入れていない。

太陽活動の影響、火山の爆発、は入らない・・インチキ。嘘の触れ回り。

 

●CO2が多いほうが植物の生産性は高くなる

大気中のCO2濃度が300ppmから400ppmに上がっても、人体環境にさしたる影響はない。

CO2がたくさんある方が植物の生産性が高くなる。・・悪い話ではない。光合成の専門家からすれば温暖化はむしろ好ましい。白亜時代は、CO2濃度は今の5倍、気温は10℃も高かった。白亜紀は少なくても

今と比べものにならないほど陸も海も豊かで、生物多様性も高かった。「CO2で環境が破壊される」という話は、人間がでっち上げた妄想だ。

 

●CO2はむしろ増やしていったほうがいい

マクロレベルでみると、大気中のCO2はどんどん減る傾向。CO2は海に入って石灰岩で固定される。数億年で地球上の大気中のCO2はなくなってしまう可能がある。

SDGsは、アメリカ、中国、ロシア、中東と比べて、天然エネルギーの資源を持たない欧州が「自らの劣勢を挽回しよう」という、エネルギー安全保障に関する戦略的な意味合いが強い。なぜ日本社会はこれほどまでにSDGsに夢中になるのか私には理解できない。

 

 

第3章・マスコミの滞在

 

●繰り返される「SDGs」と洗脳

日本人の場合は、「テレビ」の影響。テレビで言っていることはとりあえず賛同。日本人には「世間の目を気にしている人」がすごく多い。

 

●「長いものには巻かれろ」という日本人気質

「長いものには巻かれろ」という感覚が、日本人の強固な基低をなしている。国民も巻かれて賛同。

日本政府も同じ・・国際社会からヘンと言われることが怖い・・国連が掲げるSDGsにはとりあえず賛同する。マスクについての姿勢も同じ。

 

●SDGsキャンペーンと日本の同調力

新型コロナ禍・・フランス、イギリスは、革命や内戦で民衆が自ら自由を勝ち取った歴史的経緯があるから「命も大切だけど、自由は大切」と主張する人がかなりいる。日本は「世間の目」を気にする。

「とりあえず従っておくか」という日本人の気質が最大限に発揮されたのが太平洋戦争だと思う。「非国民」と叩かれるのが嫌だから、とりあえず従う。

 

●テレビ局がキャンペーンに精を出す理由

テレビ局はSDGsの検証もせずに、国連から言われたことをそのまま右から左へと流す。

日本のマスコミは政府の方針に逆らうよりも、ほかの日本企業・組織と同じく、その時々の流行に乗った方が、広告収入が増えて儲かるからだ。

もう一つの理由は、日本人はなぜか「ブルシット・ジョブ」が大好きで、マスコミもそれに加担している。ブルシット・ジョブとは2018年出版のデヴィッド・グレーバーの著書で、本人でさえ、完璧に無意味で不必要で、有害でさえあると認識しているが、組織の維持、自身の雇用を守るために、意味があるかのようにふるわざるを得ない仕事を指す。

 

●「スポーツ人口を増やす」のはなんのため?・・・ブルシット・ジョブ

●SDGsをビジネス化する仕組みの誕生

テレビ局はSDGsに賛同することで、国連や西側諸国と同じことを自分たちも訴えているという満足感が得られる。

SDGsを推進することで一部の人たちが大儲けできるシステムが出来上がってしまった。・・広告代理店やSDGsキャンペーンに協賛する企業からの収入。

日本社会には、一度こういうシステムが出来上がってしまうと、それを壊すことができずに、みんなで後生大事に守っていくというところがある。

 

●ダイオキシンの害がインチキだとわかっても・・ビジネスが出来上がってしまったから続ける。

●実は環境に優しかった「野焼き」・・野焼きの方が、本当のSDGsである。

●新聞とテレビの利益供与

日本では、一度システムや法律が出来上がってしまったものに関しては、そのあとにどれほど間違っているかやインチキかを指摘しても、なかなか覆すことができない。マスメディアも賛成に回る。

この「長いものには巻かれろ」的構造における最大の問題は、結果的に最も損をするのが国民だということだ。新型コロナも同じ。2類相当のままの方は国からいろいろカネをもらえるからだ。専門家や病院経営者が猛反対をしている。

 

●「システム」をひっくり返した経験がない日本人

日本では、一度できてしまったシステムは、それがどれほど不条理で非科学的でも、そして多くの人々が犠牲になっても、なかなかやめられない。・・必死に守り抜こうとする。

日本で民衆が革命で権利や自由を勝ち取ったことは歴史上一度もない。明治維新は一部の武士、戦後の民主主義は太平洋戦争でGHQの指示に従った結果。日本人にとって、全ての出来事は「自然現象」なのである。SDGsに載せられるのは、こういう日本人の気質が起因しているはずだ。

 

●ロクなことを言わない「専門家」たち

番組をクビになるから。

 

●難しい事実よりも「単純な話」が受け入れられる

「専門家がロクな意見を言わない」と感じるのは、非常に単純な多数派見解を話す専門家が多いことだ。CO2が増えるのはとにかく悪いことだという図式しか頭にない・・これでは科学ではなくて宗教みたいになってくる。

科学的な視点から言えば、温暖化ガスは水蒸気もかなり重要だ。火山活動も影響する。

 

●「エコ意識の高さ=知識人の証」という幻想

アメリカ・・リベラル層は環境問題に意識が高い・・バイデン

共和党員は「地球温暖化はインチキ」。トランプはパリ協定から脱退。

 

 

第4章・ニッポンの里山の秘密

 

●日本の最善策は「余計なことは何もしない」ことだ

●真の意味でのサスティナビリティとは

日本の「水田」ほど、サスティナビリティなものはない。

 

●メソポタミア文明を滅ぼした「塩害」

灌漑農業、森林伐採・・塩害の進行をさらに早めた。

 

●サスティナブルだった日本の稲作栽培

日本の農業は「稲作栽培」。山の沢から水・・田圃・・流れる。同じ土地で農業する。

 

●本当はスゴイ、日本の里山

SDGs先進国の日本が、「どうやって日本人が持続可能な社会をつくっていけるか」を必死に考えた結果。

持続可能な農業をやっていく・・日本のサスティナブルな社会とは、「限られた土地と資源のなかで、どうやったら最も効率的に自給自足できるか」ということを突き詰めた結果誕生したもの。・・「里山」である。

 

●里山は自然ではなく「人為的につくられたもの」

人為的につくられたサスティナビリティの高い環境が里山である。・・その地で自給自足するための先人たちの知恵の結晶。・・人間の手入れが行き届いたもの。

 

●持続可能性はどうやって機能していたか

永幡嘉之氏・「フォト・レポート 里山危機」岩波ブックレット」がおすすめ。

極めて合理的に、そして人為的に環境というものが管理されていたのが、里山の真の姿。

 

●里山の自然は「自給自足を突き詰めた結果」

水田、水路、溜め池、人家のまわりの薪炭林、人工林(クリ林)、草原(牛の食料を確保)、干し草、草原のススキ、養蚕用のクワ畑、果樹園、茶畑、カブや野菜畑。自給自足で生き延びるための装置がすべてそろっていたのが里山だ。

里山の自然は、そこで暮らす人々が効率的に自給自足をしていくために整備・管理された結果、生じたものであって、現代的な「自然保護」とはなんら関係がない。

 

●里山を呑み込んだ効率化の波

里山は「自然環境」よりも「効率」重視。・・「そこで生きる人間の数の上限が決められていた」

家を継ぐのは長男。その他の兄弟は家を出て暮らす。・・里山のエネルギーや食料というのは上限が決まっていたから。・・里山を持続させるために住民の人数を抑制していた。「口減らし」。行き先のない人は江戸に行く。・・江戸は里山の人口の調整弁みたいなもの。現在は崩壊した。

 

●巨大都市・江戸にみられた驚異的なサスティナビリティ

里山崩壊は、「エネルギー革命による効率化」によるところが大きい。電気・ガスの普及、薪炭林不要、農耕器具の普及で牛不必要、草原も不要。

「エネルギー革命による効率化によって、それまでのSDGsが崩壊してしまう」

 

●下肥で農作物を育てるという最先端のSDGs

江戸は当時、世界的にみても、桁外れに先進的でサスティナブルな都市だった。

人間の糞尿を肥料として活用した・・同時代のヨーロッパには存在しない。「肥溜め」。

糞尿を発酵させるとかなり良質な窒素肥料になることを祖先は知っていた。「下肥」エコサイクル。

下肥を江戸の周りの農地に回した。・・一大産業。

今の日本は、糞尿は下水に流して終わりで、かなりもったいない。

下肥の日本式SDGsも戦後消えた・・化学肥料の誕生。

 

●江戸の町がきわめて清潔だった理由

下肥のおかげで江戸は「清潔さ」を維持した。ヨーロッパは道路に捨てた・・ハイヒール誕生。江戸は雪駄という、ペタンとした草履で生活していた。道路に糞尿が落ちていなかったからだ。

江戸は上水道も整備。神田上水、玉川上水、本所上水、青山上水、三田上水、千川上水の「江戸の六上水」が建設。その他「水売り」もいた。

 

●栄養豊富な漁港だった江戸前の海

江戸はSDGsを実践していた。・・「江戸前の海」。東京湾の漁場。海へ流れるごみは富栄養となる。

江戸は、規模は異なるが里山と同じような「効率的な自給自足」のシステムが、均衡を保って成立していた。日本ができた原因は「江戸の人々が肉食ではなかった」から。

 

●江戸と里山をSDGsにした最大の要因

江戸の人々は、牛、鶏、豚を食わない。当時の日本人は米と野菜食がメイン。タンパク質は魚から。

淡水魚、海の魚の干し物。日本特有のSDGsな食生活。

肉食はサスティナビリティという観点から着目すると問題が山ほど起きる。穀物・牧草地・・自然環境の破壊につながる。

 

●狂いだした生態系の行方

サスティナブルな社会実現をできるか否かは、「CO2を出さない」という問題よりも「肉食かどうか」ということが重要なのだ。

SDGs目標の「飢餓をゼロに」は生物多様性を損なうことになるという結末を招く。・・農業の大規模化、殺虫剤、農作物の品質改良、遺伝子組み換え作物により。「陸の豊かさを守ろう」からも乖離する。殺虫剤のネオニコチノイドはかなり問題。他にフィプロニルも問題。

 

●日本から「赤トンボ」を激減させた農薬の恐怖

フィプロニルで赤トンボが激減。EUではこれらの農薬は使用禁止だが、日本ではまだ普通に使える。

 

●遺伝子組み換え作物は地球にも人間にも優しい

農業の効率化と環境への優しさの観点で、遺伝子組み換え作物(GMO)がある。

遺伝子を操作してその作物を食べた虫だけ死ぬGMOをつくる。人体への影響はない。人間にも自然環境にも一番優しいのがGMOだ。

「培養肉」の開発もある。

 

●世界の食料問題を解決する「培養肉」の可能性

培養肉の強みは「牛を殺さない」ということだ。

 

食料の問題は科学技術である程度まで解決できたとしてもエネルギーは難題だ。

■日本の場合はエネルギーの確保は非常に悩ましい。

■原発の稼働はメリットよりもデメリットがはるかに大きい。

■太陽光発電は、太陽光パネルを敷き詰めることで日本の農地や山林を破壊して食料自給力をさらに悪化させてしまう。

■海中や稜線の風力発電にしても、結局は風下の生態系に悪影響を及ぼすので、そんなに大量に設置できるものではない。

■本来、最も日本に向いているのが、石炭による火力発電だ。日本にはCO2の排出量を従来よりも抑える高性能な火力発電施設をつくれる独自の技術をもっているが、西側諸国の脱炭素キャンペーンによって完全に「宝の持ち腐れ」状態になっている。

 

●日本向きなのは地熱発電と「エネルギーの地産地消」

一番は地熱発電。地熱発電をメインに据えて各地域でエネルギーの地産地消を進めていくのが理想的な姿だと思う。

小規模な水力発電や風力発電などの施設をたくさんつくって、エネルギーをその周辺だけで消費すれば、それほど環境にも影響がない。

地域ごとの、特色ある小規模発電と、地熱発電や火力発電を組み合わせていけば、原発などに頼ることなくエネルギーを安定的に供給できる。

 

●日本が目指すべきSDGsとは

地熱発電とエネルギーの地産地消。日本流のSDGsに再び目覚めてほしい。

 

 

おわりに

 

●「ウクライナ支援は正義」という危険な兆候

西側諸国メディアの「ウクライナ=善」「ロシア=悪」という単純な二元論で情報を捉えるムードはけっこう危険な兆候だ。

ウクライナを全面的に支援することが「絶対的な正義」なのかというと、それは全く別の話だ。

「善意で敷き詰められた道」ができたときこそ、注意しなくてはいけない。

善意から始まったが、いつの間にか戦闘の拡大という地獄へとつながってしまう。

 

●なぜ「正義」に酔いしれてしまうのか

ウクライナ支援という「善意」を全面的に信じ込み、そこにのめりこんでいくことで「地獄への道」に足を踏み入れてしまうというのは、日本という国にも当てはまることだ。日本政府は「防衛装備移転三原則」によって殺傷力のある武器を他国に提供することを禁じている。しかし、もし西側諸国のムードに引きずられれば、なし崩し的に武器の輸出や輸入のハードルが下がっていく可能性がある。そうなればお次はという話になる。

日本が軍事力を増強すれば、当然、周辺国との緊張が高まる。何かのきっかけで武力衝突が起きるリスクが大きくなるのだ。そんなことになったら、損をするのは国民だ。多くの死者、海上輸送ストップ、エネルギーや食料価格暴騰、国民の生活はメチャクチャになる。

ウクライナ支援という「正義」に酔いしれることの危険性についてさまざまな専門家が指摘しているが、それを受け入れる日本人は多くはいない。自らが信じる正義に浸るのは。それが「気持ちがいいこと」だからだ。

 

●報酬系から考えるSDGs問題の本質

報酬系の機能は依存症になりやすい。いわば「感謝される快感」の溺れてしまった状態だ。

人々が正義に酔いしれるのは「気持ちがいいことだから」ということを理解すれば、SDGsの問題の本質もみえてくるはずだ。

 

●「いいことをして気持ちがいい」という快感に騙されるな

国連が、持続可能な開発目標として17のゴールを掲げてからというもの、世界ではSDGsを推進することこそが正しいとされ、政府も企業もこれに従うのが当たり前だという「正義の風」が吹き荒れている。

賛同するだけでも「いいことをした」と、また報酬系が働く。そんなことを続けるうちに、どんどん「SDGs中毒」に陥るのだ。SDGsは世界にとっても日本にとっても「地獄への一本道」である。

一日も早く「SDGsの快楽」を断ち切って、正気にもどってもらいたい。・・2022年6月 池田清彦

 

 

 

■ 日本をおとしめるプーチン氏の思考回路

 

 

産経新聞のロシア深層に、遠藤良介氏の「日本をおとしめるプーチン氏の思考回路」が載っており、面白いコラムだったので書き起こして掲載します。

 

ロシアからみる日本の位置づけは興味深い。ヤルタ会談のとらえ方が思考の起点になっているということですね。

2022/12/01

 

ロシア深層

日本を貶めるプーチン氏の思考回路 遠藤良介

2022/11/29 16:30  国際 欧州・ロシア

 

ロシアジャーナリスト 遠藤良介氏
ロシアジャーナリスト 遠藤良介氏

 

遠藤良介は1973年、愛媛県生まれ。東京外国語大学ロシア東欧語学科卒。同大学院地域文化研究科博士前期課程修了(国際学修士)。産経新聞入社後、横浜総局、盛岡支局、東京本社外信部などを経て2006年からモスクワ支局。14年から18年まで同支局長。日本人記者として歴代最長の連続11年8カ月にわたってモスクワ特派員を務め、ロシア・旧ソ連圏を最前線で追い続けた。08年のジョージア(グルジア)紛争や14年のクリミア併合、ウクライナ東部紛争でも現地取材。18年8月に帰国し、現在は外信部次長兼論説委員。

 

 

遠藤良介のロシア深層

日本をおとしめるプーチン氏の思考回路

目指すは「新ヤルタ体制」

 

 

ロシアのプーチン大統領は日本を米国の属国だとみている。やや旧聞に属するが、ウクライナ東・南部4州の併合を宣言した9月30日の演説で明白に述べていた。「(米国は)現在までドイツと日本、韓国などを事実上占領し、皮肉にもそれを対等の同盟と称している」

 

プーチン氏は「(米国は)これらの国の指導者らを監視し、職場だけでなく住居にも盗聴装置を仕掛けている」とも主張した。「それをしている者も、奴隷のように黙って受け入れている者も大いに恥ずべきだ」という。

 

侮辱も甚だしい。否、妄想もここまでたくましくなると感嘆を禁じ得ない。

 

彼の頭の中で、米国は世界を支配しようとしている存在だ。ロシアはそれにあらがい、世界の「多極化」を目指して先頭に立っているのだと自任している。先に紹介した発言は彼の本音であると同時に、米国の同盟諸国を挑発し、離反させる狙いから出たものだろう。

 

 

もともとプーチン氏は第二次大戦後の秩序をつくったヤルタ合意(1945年2月)を賛美している。

 

米英ソの首脳はヤルタ会談で枢軸国の扱いを話し合い、「軍事的に掌握した国が占領統治の実権を握る」と取り決めた。これにより、ソ連は東欧諸国を支配して共産化を進め、東西冷戦の構図が定着した。ヤル

タ体制とも呼ばれる。

 

今日の米欧では、ヤルタ合意は小国を犠牲にする「重大な過ち」だったとみなされている。これに対してプーチン氏は、ヤルタ体制こそが世界に安定をもたらしたと称賛してきた。

 

もはや当時の米ソによるような「世界二分割」は不可能だ。そこでプーチン氏が目指しているのは、いわ

「新ヤルタ体制」である。      

 

つまり、米中露などいくつかの大国が勢力圏を分け合い、世界を分割統治する。彼はこれを「多極世界」と称し、ロシアは「極」の一つであるべきだと考えている。

 

プーチン氏の中で、独立国の主権という概念はきわめて乏しい。彼にとって「主権国家」とは、核兵器を持ち、同盟国の意向に左右されずに行動できる国を指す。ウクライナ侵略の淵源も、この思考回路にあ

る。

 

プーチン氏はウクライナ人とロシア人を「一つの民族Lとみなしている。それなのに、ウクライナは年を追って親欧米路線を強め、北大西洋条約機構(NATO)加盟も望み始めた。

 

ウクライナには主権があり、国の進路を決めるのはその国民だということが彼には理解できない。米欧がウクライナの「過激民族主義者」を手先にして反露の「愧儡政権」を打ち立てたのだと考えた。米欧はウクライナをロシアに向けた「軍事拠点」にしているとして侵略の挙に出た。

 

プーチン氏の世界観を大半の国は受け入れられない。その証拠に今、ロシアは旧ソ連諸国の独立国家共同体(CIS)や露主導の集団安全保障条約機構(CSTO)の中でも孤立している。

 

ロシアの友好国は隣国のベラルーシとイラン、北朝鮮とごくわずかで、中国ですらロシアに過度の肩入れはしづらい。

 

こんな状況だからこそ、民主主義陣営はプーチン氏の挑発に乗らず、結束をいっそう強固にすることだ。プーチン氏の世界観は時代錯誤の極みであり、彼には退場以外の道がないのだと思い知らせる必要がある。(外信部次長兼論説委員)

 

 

 

■ 米、激しさを増す「文化戦争」

 

 

産経新聞に掲載された、「E・ルトワック氏世界を解く」に、米、激しさを増す「文化戦争」が載っており、興味を惹いたので書き起こして掲載します。

 

アメリカの政局は、非常に大事ですね。

2022/11/27

 

米、激しさを増す「文化戦争」

2022/11/23 16:00 黒瀬 悦成 国際 米州 バイデン米政権と中間選挙

 

国際政治学者  E・ルトワック氏
国際政治学者  E・ルトワック氏

 

エドワード・ルトワック(Edward Nicolae Luttwak、1942年11月4日)は、アメリカ合衆国の国際政治学者。専門は、大戦略、軍事史、国際関係論。ルーマニアのユダヤ人の家庭に生まれ、イタリア、イギリスで育つ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、英国軍、フランス軍、イスラエル軍に所属した後、1975年にジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論の博士号取得。現在、戦略国際問題研究所シニアアドバイザー。

 

 

米、激しさを増す「文化戦争」

 

米中間選挙は、下院の多数派を共和党が辛うじて奪還した一方、上院は民主党が多数派を維持した。州知事選は、民主党の新人が西部アリゾナと東部メリーランド、マサチューセッツの3州で当選する一方、西部ネバダ州で共和党の新人が民主党の現職を下した。全米50州の知事の勢力図は現時点で民主党24、共和党25となる。

 

中間選挙では、大統領の与党が敗北するのが通例だが、民主党は上院選と知事選で大健闘したといえる。大統領選は州単位で投開票や集計が行われ、州知事に選挙システムを決める裁量があるため、州知事を押さえておくことは大統領選に向けても重要だ。

 

問題は、中間選挙の結果を受けて米国の外交政策に影響があるかどうかだ。

 

まず、対中国政策については超党派の合意があり、変わることはない。ウクライナ政策も、共和党も一部‐の議員を除いてウクライナ支援を支持しており、大した変化はないだろう。

 

財政政策に関しては、連邦準備制度理事会(FRB)が「財政支出を増やすのなら利上げする」とのメッセージを発しており、拡大路線をとることはないと思われる。

 

下院の結果を受けて、議会における経済政策の主導権は民主党から共和党に移った。民主党は今後、インフレ対策などと称して巨額の歳出法案を通すことは難しくなった。

 

共和党としては、気候変動やエネルギーといった重要政策を転換させたいところだが、本質的な政策変更はホワイトハウスを奪還しない限りは無理だ。ましてや上院を制することができなかった現状では、選択肢は限られている。

 

それでも、民主党が進めようとしている人口妊娠中絶の権利拡大や、大学現場での急進左派的な過程の導入は阻止できるだろう。

 

米国では、小学校5年生からの性教育を幼稚園に引き下げ、LGBT(性的少数者)についても積極的に学ばせるべきだと主張を左派勢力が展開する一方、保守派がこうした動きに強く反発している。

 

宗教や教育、性といった社会的価値観が異なる勢力が妥協することなく対立する「文化戦争」は激しさを増していくことだろう。

 

 

米大統領再選 お互いに弱点

 

今回の中間選挙は、政策論争もさることながら、2024年の大統領選の前哺戦としても注目された。

 

民主党のバイデン大統領(80)は中間選挙の結果を受けて再選への決意を前にもまして強めた。20年の前回大統領選で下した共和党のトランプ前大統領(76)が今月、早々と再選出馬を表明したことも、バイデン氏を出馬に傾かせたと思われる。

 

バイデン氏の再選出馬を阻むものがあるとすれば、「高齢で判断力が低下している」などの健康不安説が高まることだ。

 

現時点では仮定の話に過ぎないが、万が一バイデン氏の健康状態が深刻化したにもかかわらず同氏が退任を拒否した場合、大統領を頂点とする核戦争のための「団家指揮権限を維持する観点から、トランプ氏の在任中に取り沙汰された、合衆国憲法修正25条(職務が遂行できなくなった大統領の権限停止)の適用論が浮上する可能性もある。

 

バイデン氏を補佐し、バイデン氏が職務遂行不能になった場合に後釜となるハリス副大統領(58)についても、民主党の内外でその資質が疑間視されている。

 

一方、トランプ氏については、私の見立てでは共和党内で同氏を真剣に支持している人は、せいぜい全体の2割程度だ。圧倒的多数は本音では反トランプだ。世界の多くの国では、米国政治におけるトランプ氏の重要性を誇張して報道する傾向がある。確かに騒がしい人物だが、支持は一定以上には広がつていない。

 

中間選挙で共和党が伸び悩んだのは、「トランプ氏のせいだ」という批判も党内で高まっており、本人の思惑通り大統領選の本選候補になれるとはかぎらない。

 

日本としては、1期目の残り2年間の任期におけるバイデン氏の対中政策を注視していく必要がある。

 

安倍晋三元首相は生前、「台湾有事は日本有事だ」と述べていた。岸田文雄首相も今年5月のバィデン氏との首脳会談で、「防衛力の抜本的な強化」と「防衛費の相当な増額を確保する決意」を表明した。

 

バイデン氏は米大統領として、台湾に対する安全保障上の義務を初めて明言した。日米政府は今後、台湾有事に際して日本が具体的に何ができるのか、何ができないのかを定義するための協議に入る。これは極めて重要な話し合いとなるはずだ。(聞き手 黒瀬悦成)毎月1回掲載E・ルトワック氏

 

 

 

■ 日本文明に基づいた祝日の名に

 

 

産経新聞正論のコラムに、進歩祐司氏の「日本文明に基づいた祝日の名に」が載っており、共感したので書き起こして掲載します。

 

やはり本来の意味の名前に戻すべきですね。

2022/11/24

 

日本文明に基づいた祝日の名に 文芸批評家・新保祐司

2022/11/23 08:00 コラム 正論

 

文芸批評家 新保祐司氏 
文芸批評家 新保祐司氏 

 

新保 祐司(しんぽ ゆうじ、1953年5月12日 - )は、日本の文芸評論家。宮城県仙台市出身。1977年東京大学文学部仏文科卒業。元都留文科大学副学長・教授。キリスト教や日本の伝統・文化に理解を示す。自らの評論を「文芸的な評論」とし、詩的な文章をつくることを主眼としている。2007年度の第8回正論新風賞を受賞。2017年度の第33回正論大賞を受賞した。

 

 

日本文明に基づいた祝日の名に 文芸批評家・新保祐司

 

 

「新嘗祭」が名を変え

 

今日は、「勤労感謝の日」である。祝日法には、その趣旨として「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」とある。明治初年に「新嘗(にいなめ)祭」と定められたものが、敗戦後に名を変えたのである。

 

福田恆存は、昭和29年に「『勤労感謝の日』といふことばからは、なにか工場労働者の顔が浮んでくる。下手すると戦争中の勤労動員を憶ひだします。官僚的、乃至(ないし)は階級闘争的です。率直にいつて、百姓仕事や商業と勤労といふことばとは、ぜんぜん結びつきません」と語った。それに対して、稲などの五穀の収穫を祝う「新嘗祭」は、日本文明の根底としての農耕生活に基づいている。日本文明の保持が重要な課題となっている今日、この祝日の名の変更は、改めて考えてみるべきだと思う。

 

その年の収穫を祝う行事は、世界中で広く見られる。日本の「新嘗祭」も同じような趣旨であり、そのままでよかったのであるが、占領下ではそうはいかなかった。

 

福田は、「戦後は、皇室中心主義も神道もいけないといふことになつた。農耕生活も非合理でばかばかしいといふことになつた。そこで過去の祭日は、全部否定してしまつて」、「勤労感謝の日」などのような「奇妙な祭日をでつちあげたわけです」と語っている。アメリカでは11月の第4木曜日がその年の収穫を感謝する「Thanksgiving Day(感謝祭)」であり、「感謝」という言葉は、この「Thanksgiving」からきたに違いない。

 

正月の四方拝、春季及び秋季皇霊祭、神嘗祭、新嘗祭などの「過去の祭日」については「いづれも皇室の行事に、あるいは祖先をまつる神道に関係がありました。しかし、もつと深く考へれば、(略)それらは日本の農耕生活にもとづいてゐたのであります。むしろ皇室のほうが、それに拠(よ)つたのです」と、それらが日本文明の根底から生まれたものであることに注意を促している。

 

 

「奇妙な祭日」と感じるわけ

 

「勤労感謝の日」を「奇妙な祭日」と感じさせるのは、趣旨にある「国民たがいに感謝しあう」という文言にもある。「新嘗祭」は天神地祇(てんしんちぎ)に感謝しアメリカの「Thanksgiving Day」は本来、神に感謝する。しかし、日本では「戦後民主主義」の通念の中で、感謝する対象が失われた。そこで、国民が「たがいに感謝しあう」こととなった。水平的な感謝である。このような感謝は、垂直性がないために空疎なものになりがちだ。

 

「勤労」ならば11月ではなく、企業の決算が多い3月末とか夏や冬の賞与が支給される頃がよいのではないか。他の祝日に比べて、「勤労感謝の日」に、その趣旨に関連した行事が少ないのは、これらの不自然さから生じていると思われる。「新嘗祭」という祝日名ならば、日本の伝統行事を広く社会に伝承することができる。

 

すでに70年余りこの名でやってきたのだから、拘(こだわ)らなくてもいいのではないかと考える向きもあるだろうが、名は正しくなければならないのである。『論語』に、「子路曰(いわ)く、衛君、子を待ちて政を為さしむれば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。子曰く、必ずや名を正さんか。子路曰く、是(これ)あるかな、子の迂なるや。奚(なん)ぞそれ正さん。子曰く、野なるかな由や」という問答がある。訳すると、次のようになる。弟子の子路が、孔子に衛の国で政治を任されたら、何から手をつけますかと尋ねたところ、孔子は何よりも名を正しくしたいと答えた。それを聞いて、子路は、これだから困りますね先生は、現実離れしていますよと言った。すると、孔子は、愛弟子の子路を、事の本質が分かっていないなあと言って、たしなめた。

 

 

名と実が合っていること

 

名が正しいとは、名と実が合っていることであり、それが、国家の根本なのである。例えば、大東亜戦争が太平洋戦争、敗戦が終戦という名で言われていることが、日本という国家と日本人の歴史観の根底を崩れたものにしてしまっていることを思えばよい。「新嘗祭」が、「勤労感謝の日」という実と合わない名になっていることを問題にするのを「迂なるや」と捉え、経済対策や軍事費の問題などが喫緊の課題だというのは、「野なるかな」なのである。

 

名と実が合っているという点では、「紀元節」が「建国記念の日」になっているのは許容範囲かもしれない。しかし、「新嘗祭」が「勤労感謝の日」になっているのは、「明治節」が「文化の日」になっているのと同じく、名が正しくないということなのである。

 

日本の産業構造は変わり、農耕生活の様相も変貌した。しかし、今でも稲穂の実る風景を眺めるとき、「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいおあき)の瑞穂(みずほ)の国」の思いがこみ上げてくる。祝日は、日本文明に基づく名であることが必要なのだ。それによって、将来の日本人によっても心から祝われるものとなり、日本のアイデンティティーが確固たるものとなるからである。(しんぽ ゆうじ)

 

 

 

■ 共和党が下院握る重み

 

 

産経新聞アメリカノートに。古森義久氏の「共和党が下院を握る重み」が載っており、興味を惹いたので書き起こして掲載します。

 

アメリカの米連邦議会下院の重みは、なかなか日本人には分かりませんが、確かに重要な変化ですね。アメリカのメディアも日本のメディアと同じで、本質から外れた報道誤断が多いですね。

2022/11/21

 

 

共和党が下院握る重み

2022/11/21 08:00 古森 義久 有料会員記事

国際 米州 古森義久のあめりかノート・バイデン米政権と中間選挙

 

国際問題評論家 古森義久氏 
国際問題評論家 古森義久氏 

 

古森義久は、日本のジャーナリスト。麗澤大学特別教授。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構特別アドバイザー。国際問題評論家。国際教養大学客員教授。ジョージタウン大学「ワシントン柔道クラブ」で指導経験がある柔道家。

 

トランプ前大統領(左)と共和党のマッカーシー下院院内総務(政治団体「セーブ・アメリカ」提供、共同) 
トランプ前大統領(左)と共和党のマッカーシー下院院内総務(政治団体「セーブ・アメリカ」提供、共同) 

 

 

共和党が下院を握る重み・古森義久氏

 

「私はいま、民主党の一党支配の時代が終わったことを誇りをもって宣言する」

 

米連邦議会下院の共和党院内総務ケビン・マッカーシー議員が高らかに述べた。日本でも異例なほどに関心が高まった今月8日の米中間選挙は現地時間の16日、共和党が下院(定数435)で多数派の民主党を破り、過半数218議席以上を獲得することが決まった。下院の次期議長就任が確実視されているマッカーシー議員は、テレビ番組で「私たちは下院議長のナンシー・ペロシ氏を解任した」として、民主党側の指導者であるペロシ議長の敗北をも念押ししたのだった。

 

連続当選9回目のマッカーシー議員は、政治的には堅固な保守である。ドナルド・トランプ前大統領を2016年の大統領選当時から熱心に支持してきた。前回の20年大統領選後もトランプ氏による「不正選挙」の主張に同調し、連邦捜査局(FBI)によるトランプ氏の邸宅への家宅捜索も「不当捜査」であるとして非難してきた。

 

そんなトランプ氏を支持する議員が、下院での共和党勝利を宣言したのだ。しかも、トランプ氏否定の象徴のような存在だったペロシ議長を敗者であると断じたのだ。この現実は、メディァの多くが描く「民主党の善戦」とか「トランプ氏の敗北」という構図とは異なつていた。

 

今回の中間選挙の結果をどう読むか。光の当て方で投射される構図の前提は変わる。候補者でもなかったトランプ氏への評価に関する推測に集中し、共和党側の実際の下院における勝利を見ないとすれば、米国政治の大きな誤断だろう。この種の推測は的外れな事前の世論調査の誤審をあたかも客観的な前提として扱う錯誤とも重なる。

 

いま重視すべきは、米連邦議会では下院で過半数を得て、上院で多数派を握った政党の側がそれぞれの議事運営のほぼ全権を握るという実態である。来年1月3日からの新議会では下院議長ポストが民主党から共和党に移る。外交、軍事などすべての委員会の委員長ポストも共和党が得る。下院運営の主導権が共和党の手に移るのだ。

 

マッカーシー議員はすでにバイデン政権の主要政策に正面から反対する姿勢を明確にした。民主党が主導して下院に創設したトランプ支持派による米議会襲撃事件での責任追及の特別委員会を閉鎖する方針とみられる。

 

議会での多数党は、証人喚間や宣誓証言など法的拘束力を持つ調査活動をも自由に開始できる。今回、下院共和党の幹部議員たちは「ハンター・バイデン事件」の正面からの調査着手の意図を表朋している。

 

バイデン大統領の次男ハンター氏が父親の副大統領在任中、ウクライナや中国の腐敗企業の相談役となり巨額の報酬を不当に得たという疑惑は、すでに刑事捜査の対象になっていた。共和党側はこの疑惑を下院で追及し、バイデン大統領の弾劾までを視野に入れると宣言している。

 

下院での主導権の逆転が、バイデン政権の後退となることは不可避だろう。今回の中間選挙の結果には、こんな特徴もあるのである。(ヮシン‐トン駐在客員特派員〉

 

 

 

■ 外交評論家加瀬英明氏を語る

 

 

産経新聞の産経抄が、11月15日に亡くなられた外交評論家の加瀬英明氏について語られていましたので書き起こして掲載します。

 

また一人、保守の論客がいなくなりました。残念です。

2022/11/18

 

2022/11/17 05:00  コラム 産経抄

 

外交評論家 加瀬英明氏 
外交評論家 加瀬英明氏 

 

加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日- 2022年11月15日)は、日本の外交評論家。自由社社長。日本会議代表委員、日本教育再生機構代表委員などを務め、右派・保守の論者として知られた。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる。慶應義塾大学経済学部卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育ったことなどがきっかけで、評論・執筆活動を行うようになる。政財界でも活動し、福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任した。

 

 

外交評論家加瀬英明氏を語る

 

外交評論家の加瀬英明さんは、外交官の父に連れられて生後6カ月で英国に渡り、3歳で帰国している。小学3年生で終戦を迎えた。当時から「保守派の論客」の兆しはあった。

 

▼戦後すぐは子供の読み物がなく、少年向きの愛国小説を読みふけった。横須賀市内の中学校に通っていたとき、行き帰りにアメリカの軍艦を見ながら、日本を再び独立国に、との思いを募らせていた。左翼嫌いが決定的になったのは、「60年安保騒動」で左翼のデモ隊の狂態を目の当たりにしてからだ。

 

▼ロシアによるウクライナ侵略と台湾有事の「複合危機」に警鐘を鳴らしていた、加瀬さんの訃報が届いた。85歳だった。初めて雑誌に国際情勢についての記事を発表したのは19歳だった。今年に入ってからも著作を刊行しているから、60年以上書き続けてきたことになる。

 

歴代首相の特別顧問として対外折衝にも当たった。ただ通常の外交官と違って、自由に発言してきた。たとえば自伝によれば、ニューヨークの知人宅で紹介された元米陸軍長官とこんな会話を交わしている。「もし日本が原子爆弾を持っていたら、核攻撃を加えただろうか」「あなたは答えを知っている。もしそうなら、日本に対して使用することはなかった」。 

 

▼加瀬さんは、ビートルズの元メンバー、ジョン・レノンの夫人、オノ・ヨーコさんのいとこにあたる。日本文化を愛したレノンの平和主義と神道とのかかわりについて2年前に書いたことがある。すると加瀬さんは数日後、夕刊フジに連載中のコラムで念を押していた。 

 

「ジョンはベトナム戦争で戦ったベトナム人民を支持し、日本が米国の不当な圧迫に耐えられず、立ち上がって戦ったと信じた。やわな平和主義者ではない」(産経抄)

 

 

 

■ 日本の「グリーン自滅」を防げ

 

 

産経新聞正論コラムの、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志氏の、「日本のグリーン自滅を防げ」が目を惹きましたので、書き起こして掲載します。

 

これは難しい問題ですが、結構重要な問題ですね。

2022/11/17

 

日本の「グリーン自滅」を防げ キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志

2022/11/16 08:00  コラム 正論

 

キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志氏 
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志氏 

 

杉山 大志(すぎやま たいし、1969年- )は、日本のエネルギー・環境研究者。地球温暖化問題およびエネルギー政策を専門とする。地球温暖化による気候危機説については懐疑派である。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特任教授。2004年より気候変動に関する政府間パネル(IPCC)評価報告書等の執筆者。産業構造審議会産業技術環境分科会 地球環境小委員会地球温暖化対策検討ワーキンググループ委員。総合資源エネルギー調査会省エネルギー・新エネルギー分科会省エネルギー小委員会工場等判断基準ワーキンググループ委員。2020年より産経新聞「正論」欄執筆陣。

 

 

日本の「グリーン自滅」を防げ キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志

 

 

岸田文雄首相肝いりのGX(グリーントランスフォーメーション)実行会議で、政府は官民合わせ10年間で150兆円を投資し、脱炭素による経済成長を目指す、とした。だが現行の案では、むしろ巨大な国民負担となり、日本経済が崩壊する懸念が大だ。

 

 

150兆円の費用負担

 

政府は2009年の民主党政権時からCO2を削減しつつ経済成長するグリーン成長に言及していた。当時の目玉は太陽光発電の大量導入だった。だが結果として、いま年間3兆円の再生可能エネルギー賦課金が国民負担となっている。経済成長どころではない。

 

さていま政府は20兆円の「GX経済移行債」(GX債)を原資にグリーン技術への投資に加え、130兆円の民間投資を「規制と支援を一体として促進する」としている。だがこれは太陽光発電を導入してきたのと同じことを何倍にもするという意味だ。光熱費はどこまで上がるのか。

 

いまリストアップされている技術はどうか。再生可能エネルギーを最優先し、そのための送電線や蓄電池の導入、そして水素の利用等となっている。だがこれは、万事順調に技術開発が進んだとしても、大幅に高コストになる。

 

政府はこれら新規技術の既存技術との価格差の補塡(ほてん)までするという。150兆円の投資はそのまま国民負担になり、日本はますます高コスト体質になる。経済成長に資するはずがない。

 

そもそも日本政府の現状分析がお粗末だ。政府は「2050年にCO2排出を実質ゼロにする」という国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)のパリ協定の下で各国が掲げた目標の達成を前提としている。だから「どんな高価な技術でもCO2さえゼロならばよい」という奇妙な論法になる。現実には世界中で化石燃料を使っている。これで2050年までにゼロになることは技術的にも、政治的にもありえない。

 

 

本当のリスクは中露だ

 

過去30年間、「冷戦は終わった。地球規模の協力で温暖化が解決される」という物語が先進国を中心に共有されてきた。だが現実には中露とG7(先進7カ国)の「新冷戦」が始まった。これは「独裁主義」対「民主主義」の戦いで、困難なものだ。

 

その緒戦において明らかになったのは、脱炭素に傾倒した欧米のエネルギー政策が完全な失敗だったことだ。再エネに幻想を抱き、化石燃料産業を抑圧したことで自ら作り出したエネルギー供給の脆弱(ぜいじゃく)性をロシアに突かれた。世界はエネルギー危機に襲われている。

 

脱炭素はもはや形だけになった。いまや欧米諸国も、中国も、インドも、世界中の国が化石燃料の確保に奔走している。

 

中国は発電の過半を安価な石炭火力が担い続けながら、原発を拡大しており、2030年には米国を抜いて世界一の原発大国となろうとしている。

 

中国は安いエネルギーで勝負してくる。ところがいまの日本の方針では、エネルギーは高くなる一方だ。これでは産業は衰退する。

 

温暖化のリスクも合理的に比較すべきだ。台風等の災害の激甚化は起きていない。気候変動に関するモデルによる不吉な予測は不確かだ。そのモデルを信じても温暖化は1兆トンのCO2排出あたりで0・5度にすぎない。すると年間排出量10億トンの日本のCO2削減が10年遅れても気温は1000分の5度しか上がらない。

 

中国は製造業こそ国の経済と軍事の根幹だと認識し「中国製造2025」計画を立て、あらゆる政府支援をしている。いま日本が直面するリスクは中露であり、温暖化ではない。製造業は衰退させるのでなく、強化せねばならない。

 

 

「日本製造債」に発展解消を

 

政府は「GX債」の償還のためとして炭素税や排出量取引制度の導入を検討しているが、これは製造業を衰退させる。そもそも国債は、それを原資に経済成長をもたらし、一般財源の税収増で償還すべきものだ。建設国債はこの論理だ。GX債が経済成長をもたらすとしながらその償還に新しい財源が要るというのは論理破綻だ。

 

GX債を発展解消する一案として、日本の製造業を振興するための「日本製造債」としてはどうか。新冷戦を受け世界各国は製造業の国内回帰を進めている。日本も工場を誘致すべきで、国債は原資になる。

 

また日本は防衛力強化の必要に迫られている。国内に防衛産業を立地し育てるべきだ。

 

もちろん、CO2削減技術にも投資すればよい。ただし経済成長に資する見込みのある技術に限る。革新型原子炉や核融合炉などが候補だ。コスト競争力がある技術ならば世界中で喜んで導入される。高価な技術を国内だけで強引に普及させるより、よほどCO2の削減になる。

 

エネルギー多消費産業も誘致すべきだ。これにはデータセンター等のデジタル産業も含まれる。

 

「CO2」にとらわれて製造業が衰えると新冷戦にも敗れ、日本の民主主義が危うくなる。(すぎやま たいし)

 

 

 

■ 日本は目を覚ます必要がある

 

 

産経新聞コラムに、「日本は目を覚ます必要がある」が載っていましたので書き起こして掲載します。

 

今の政府は、国防そっちのけで、失言だ更迭だと騒いでいますが。どうなるのか?

2022/11/12

 

2022/11/12 05:00 コラム 産経抄

 

元米国防副次官補 エルブリッジ・コルビー氏
元米国防副次官補 エルブリッジ・コルビー氏

 

エルブリッジ・コルビー(42)氏は、1979年生まれ。米ハーバード大学卒業、エール大法科大学院修了。元米国防副次官補。新アメリカ安全保障センター(CNAS)上席研究員などを経て、戦略・戦力開発担当の米国防副次官補を務め、2018年の「国家防衛戦略」の策定を主導した。現在は、大国間競争を主要テーマとする政策研究機関「マラソン・イニシアチブ」共同代表。

 

 

「日本は目を覚ます必要がある。目をこすりながら徐々にではなく、即座にベッドから飛び起きなければならない」。トランプ米前政権で国防戦略をまとめたコルビー元国防次官補代理が、雑誌『ウェッジ』11月号への寄稿文で訴えていた。日本の防衛は嘆かわしいほど不十分だというのである。

 

▼コルビー氏は、防衛力を強化しない日本は日米同盟の崩壊を招くと警鐘を鳴らす。所得の3・5%以上を防衛に費やす米国民の間で、日本は無気力で不公平だとの認識が生まれるからである。「米国民がなぜ、自分自身を犠牲にする気がない人たちのために多大な犠牲を払わなければならないのか」

 

▼安倍晋三元首相が、ロシアのウクライナ侵略開始から1カ月余がたつ頃に語った言葉を思い出す。「ドイツは目覚めたのに、日本は寝覚めが悪いね。ちゃんと防衛費を増やさないと世界が驚くよ」。ドイツのショルツ首相は2月末、国防費を国内総生産(GDP)比で前年の1・53%から2%以上へと大幅に引き上げると表明していた。

 

▼ショルツ氏は目的を説明した。「自由と民主主義を守るためだ」。そうであれば、日本にも同じ陣営の一員として応分の負担が求められて当然だろう。中国、ロシア、北朝鮮と三方を核兵器を保有する独裁国家に囲まれているのだからなおさらである。

 

▼テレビ朝日によると中国の習近平国家主席は8日、共産党中央軍事委員会で迷彩服を着て強調した。「すべてのエネルギーを戦争に合わせ勝利するための能力を向上させなければならない」。まさに戦後最大の危機が訪れている。

 

翻って日本の国会議員は失言だ更迭だと内向きな騒動に明け暮れ、財務省は防衛費抑制に手練手管を弄するばかり。迷夢から覚めない。

 

 

 

参考資料 Wedge限定公開記事

 

【限定公開】無駄にする時間はない 日米は同盟強化へ手を尽くせ

台湾統一を目論む中国 「有事」の日に日本は備えよ

エルブリッジ・コルビー (元米国防副次官補)

 

国際秩序が揺らぐ今、日米同盟はかつてないほど重要な意義を持つ。元米国防副次官補が語った日本のとるべき道とは。「Wedge」2022年11月号に掲載されているWEDGE SPECIAL OPINION「台湾統一を目論む中国  「有事」の日に日本は備えよ」では、そこに欠かせない視点を提言しております。記事内容を一部、限定公開いたします。

 

 

2022年5月、合同演習中の日米艦艇。海を越えてくる中国の脅威を直視し、強固な日米同盟で中国との勢力均衡を実現すべきだ (DVIDS) 
2022年5月、合同演習中の日米艦艇。海を越えてくる中国の脅威を直視し、強固な日米同盟で中国との勢力均衡を実現すべきだ (DVIDS) 
中国は6月、2隻目の国産空母「福建」を進水させた (XINHUA NEWS AGENCY/AFLO) 
中国は6月、2隻目の国産空母「福建」を進水させた (XINHUA NEWS AGENCY/AFLO) 

 

 

今年8月のペロシ米下院議長の訪台に、中国は大規模な軍事演習で応えた。「台湾有事」が現実味を増す中で、日本のとるべき道とは何なのか。中国の内情とはいかなるものか。日本の防衛体制は盤石なのか。トランプ政権下で米国防副次官補を務めたエルブリッジ・コルビー氏をはじめ、気鋭の専門家たちが、「火薬庫」たる東アジアの今を読み解いた。

 

日本は目を覚ます必要がある。目をこすりながら徐々にではなく、即座にベッドから飛び起きなければならない。日本の防衛は今の時代にとって、嘆かわしく危険なほど不十分だというのが紛れもない事実だ。この状況を変える必要がある。しかも直ちに、だ。

 

「吉田ドクトリン」(吉田茂元首相が打ち出した経済重視・軽武装の考え方)の世界、日本が事実上、自国の防衛を米国にアウトソーシングしていた世界は、今や遠い過去の話だ。あの世界は、中国が近隣の台湾のみならず、日本自体にとっても恐ろしい脅威を突き付ける世界になっているのだ。

 

中国人民解放軍はもはや、ただ台湾問題を解決するためだけの軍隊ではない。明らかに戦力投射型の軍隊になりつつあり、空母や宇宙衛星、航続距離の長い潜水艦、爆撃機をふんだんに備えている。これは効果的な反撃能力で応じない限り、西太平洋全体、さらにはもっと遠い先まで圧倒的な戦力を投射できるようになる軍隊だ。

 

間違ってはならない。日本はほぼ確実に北京の視野に入っている。たとえ中国政府が台湾を制圧したいだけだったとしても、地域内で日米の部隊を攻撃することは十分考えられる。一つには、中国が恐らく、米国と日本が台湾の援護に駆けつけると想定するためだ。日米両政府の声明は実際、そのような見方を裏付ける。さらに、中国の射撃訓練を撮影したオープンソースの衛星写真には、在日米軍だけでなく、日本の自衛隊だけが運用している航空機のレプリカも写っている。日本は中国の軍隊に関心がないかもしれないが、中国軍の方は日本に関心があるのだ。

 

もちろん、中国は日本を併合したいとは考えていないだろう。だが、中国政府が日本を自国のアジア覇権の下に置きたいと考えていることは妥当な想定だ。この構想では、日本は中国の支配の歯車の一つ、中国の太陽に対する経済的、地政学的な月になる。これは間違いなく、今ほど自由ではなく、繁栄が後退し、危機的状況の日本を意味する。

 

さらに、歴史と中国の国民心理を考えると、中国政府が日本のために特別な屈辱を用意している可能性が高い。筆者は日本人を代弁するつもりはない。だが、もし自分が日本人だったら、こうした事態は何としてでも避けたいところだ。

 

「単独」での対峙は困難 再認識すべき日米同盟の重要性

その意味で、日米同盟がかつてないほど重要になる。

 

 

 

■ 75年顧みられない憲法の限界

 

 

産経新聞の主権回復のコラムに「75年顧みられない憲法の限界」が載っていましたので書き起こして掲載します。

 

憲法の作り直しは必要ですね。75年間変わらない方がおかしい。政府の憲法審査会を動かして行かないと手遅れになるかも。

2022/11/09

 

主権を支える言葉の力 第5部 日本復活への未来(1)

75年顧みられない憲法の限界  2022/11/8 08:00 主権回復 コラム

 

作家 石原慎太郎氏
作家 石原慎太郎氏

 

石原 慎太郎(いしはら しんたろう、旧字体:石原 愼太郞、1932年〈昭和7年〉9月30日 - 2022年〈令和4年〉2月1日)は、日本の作家、政治家。参議院議員(1期)、環境庁長官(福田赳夫内閣)、運輸大臣(竹下内閣)、東京都知事(第14代 - 17代)、衆議院議員(9期)、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問を歴任。一橋大学在学中の1956年(昭和31年)に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞、「太陽族」が生まれる契機となる。また、同作品の映画化では弟・裕次郎をデビューさせた。作家としては他に芸術選奨文部大臣賞、平林たい子文学賞などを受賞。『「NO」と言える日本-新日米関係の方策-』(盛田昭夫との共著)、裕次郎を題材にした『弟』はミリオンセラーとなった。趣味はサッカー、ヨット、テニス、スキューバダイビング、射撃。実弟は俳優の石原裕次郎。長男は自由民主党元衆議院議員の石原伸晃。次男は俳優・タレント・気象予報士の石原良純。三男は自由民主党衆議院議員の石原宏高。四男は画家の石原延啓。

 

 

75年顧みられない憲法の限界

 

言葉は、人を鼓舞する

 

ウクライナの大統領、ウォロディミル・ゼレンスキー(44)が、フェイスブック(FB)を駆使して国民に発信し続ける短い演説は、それを体現しているといえるだろう。

「われわれはここにいます。私たちは自分たちの独立と自分たちの国を守っています。これからも。ウクライナに栄光あれ」

 

ロシアの侵攻から2日後、2月26日に投稿されたゎずか30秒あまりの演説。首都キーウ(キエフ)の市街地を赤く照らし出す灯火が戦時下の緊張感を伝えていた。その日、中心部から約20キロの地点にロシア軍の戦車が侵入した。

 

映像からは疲労感もうかがわれる。芝居がかっているわけではないし、語気を荒らげる場面もない。それでも力強さをまとう。

 

9月に死去した英女王のエリザベス2世。新型コロナウイルス禍に苦しむ国民に向け、異例のテレビ演説を行つたことがある。

 

「私たちが強い決意を持ち団結し続けていれば、この病を克服するだろうということをお伝えしたいのです。数年後に国民のみなさんがこの困難にどう対応したかについて誇りを持てることを望みます。私たちの子孫は、英国の私たちの世代がどんなに強かったかと話すでしょう」

 

人をつないだ言葉は、ときに人を離反させる。

 

「ルガンスク、ドネツク、ヘルソン、ザポロジエに住む人たちは永遠にロシア国民だ」。9月30日、モ

スクワ・クレムリン。ロシアの大統領、ウラジーミル・プーチン(70)は約40分にわたる演説で、ウクライナ4州のロシア併合を一方的に宣言した。

 

 

誇れない「長寿」

 

言葉は人を強くする。そして、脆くもする。そして、75年間、一度も顧みられたことがない「言葉」がある

 

東京大教授、ケネス・盛・マッケルウェイン(比較政治制度)の分析によると、2013年時点のデータにある177の現行憲法の中で、日本国憲法は「非改正で世界一長寿」だという。一方、メキシコは100年ほどの間に70回以上も改正を繰り返している。

 

この「長寿」は誇るべきことだろうか。少なくとも、手を加えるところがないほど完成されたものである、ということを証明してくれているわけではないだろう。

 

憲法前文にはこうある

 

《日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した》

 

この「に」という助詞。その用法が誤りであるのか、正しいのかには議論もある。ただ、その一文字の「誤用」にこだわったのが、東京都知事も務めた作家の石原慎太郎だった。

 

石原は2014年の衆院予算委で借金を例に挙げて政府の認識をただした。相手に金を貸す際に「君に信頼して」とはいわない。「君を信頼して」だ、と。助詞の誤用によって「主体者の立場の位置が曖昧になってしまう」と訴え、憲法の作り直しを求めた

 

 

損なわれた信頼

 

占領下に制定され、連合国軍総司令部(GHQ)の関与も色濃い日本国憲法には、「押しつけ憲法」といういわくもつきまとう。シェークスピア作品の翻訳などを手がけた評論家の福田恒存はこう言及する。

 

《悪文といふよりは、死文と言ふべく、そこには起草者の、いや翻訳者の心も表情も感じられない》

 

福田が1965年に発表した「当用憲法論」の一節だが、各条項は全て死文の堆積だと断じ、「こんなものを信じたり、有り難がったりする人は、左右を問はず信じる気になれません」とした上で、無効とし、廃棄することを論じた。

 

そして、その条文。第9条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とありながら、自衛隊は存在する。自衛隊違憲論の余地が生まれる。

 

近現代日本の精神史に詳しい文芸批評家の浜崎洋介(44)は語る。

 

「憲法は国家と国民、治者と被治者の信頼感を醸成するためのツールとして存在している。掲げる理念を『言葉』と捉え、現実を『行動』とするならば、いつまで言行不一致の地に足がついていない言葉を使い続けるのだろうか。時間がかかることは間違いないが、長きにわたって損なわれた言葉への信頼は取り戻されなければならない」

 

今年の世界はウクライナ戦争や中国による覇権的な影響力拡大の動きに揺さぶられ、日本の政治・経済・社会システムは前にも増してほころびが目立つようになった。この一年間、日本の主権回復について問いかけてきた締めくくりとして、日本の将来像を決定づける課題の克服と、復活への道筋を展望したい。(敬称、呼称略)

 

 

 

■ 「竹島は日本領」示す米国製の地図発見

 

 

朝日新聞デジタルに「竹島は日本領」示す米国製の地図発見、が載っていましたので書き起こして掲載します。

 

他にもイギリス、ドイツで色々見つかっていますね。今は常識ですが、これが通らないのが韓国ですね。

2022/11/08

 

 

「竹島は日本領」示す米国製の地図発見 島根編入前の1897年発行

2022年11月6日 10時15分  朝日新聞デジタル

 

島根大学法文学部准教授 舩杉力修氏
島根大学法文学部准教授 舩杉力修氏

 

舩杉力修(ふなすぎ りきのぶ)は、島根大学法文学部准教授 (歴史地理学)。

 

 

竹島を日本領として表示した米国製地図(部分)=個人蔵、舩杉力修・島根大准教授提供 
竹島を日本領として表示した米国製地図(部分)=個人蔵、舩杉力修・島根大准教授提供 

 

 

「竹島は日本領」示す米国製の地図発見 島根編入前の1897年発行

 

日韓が領有権を争う島根県隠岐の島町の竹島(韓国名・独島)を日本領と表示した1897年発行の米国製の地図が見つかったと、島根大学の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)准教授(歴史地理学)が明らかにした。

 

竹島が島根県に編入される1905年以前から、国際的に日本領と認識されていたことを裏づける資料だという。

 

地図は米ニューヨークの百科事典製作会社が発行したもので、隠岐の島町在住の個人が所蔵していた。地図では日本領は黄色、韓国領はピンク色で表示。竹島は日本領と同じ黄色で、英国での名称「ホーネット島」やフランスでの名称「リアンクール岩」と表記し、いずれも地図の索引に日本領と記載している。

 

 舩杉准教授によると、竹島が日本領であると表示する1905年以前の地図が見つかったのはイギリス、フランス、ドイツ製の地図に続くという。舩杉准教授は「竹島が島根県に編入される1905年以前に、米国内では日本領であると認識されていたことを示す貴重な地図だ」と話している。(大村治郎)

 

 

 

■ 習体制は「外敵」を欲する

 

 

産経新聞の緯度経度に、古森義久氏の「習体制は外敵を欲する」というコラムが載っており、興味深い内容だったので書き起こして掲載します。

 

もう今は、中国への「まず対話を」が、一番危険だと思うが、どうも政府は11月中に日中首脳会談を開き、遺憾を伝え対話を進めるらしい。完全にネボケでいますね。

2022/11/05

 

習体制は「外敵」を欲する 古森義久

2022/11/4 09:00 古森 義久 コラム 緯度経度

 

ジャーナリスト 古森義久氏 
ジャーナリスト 古森義久氏 

 

古森義久は、日本のジャーナリスト。麗澤大学特別教授。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構特別アドバイザー。国際問題評論家。国際教養大学客員教授。ジョージタウン大学「ワシントン柔道クラブ」で指導経験がある柔道家。

 

10月16日、北京での第20回中国共産党大会で活動報告する習近平総書記(国家主席)=共同  
10月16日、北京での第20回中国共産党大会で活動報告する習近平総書記(国家主席)=共同  

 

 

習体制は「外敵」を欲する 古森義久

 

中国の習近平独裁新体制が世界、特に米国とその同盟諸国にどんな影響を及ぼすのか。米首都ワシントンの中国研究者たちは今、その分析に忙殺されている。その過程では、当然ながら日本への新たな波は何なのかが気がかりとなる。

 

戦略国際問題研究所(CSIS)の中国パワー・プロジェクト部長、ボニー・リン氏は、「習氏は党大会の報告で『中国を脅し、抑圧し、封じ込めようとする外部の試みは劇的に増している』と述べ、米国とその同盟諸国への対決を強める姿勢を明確にした」と指摘した。

 

リン氏は、習氏が経済停滞や新型コロナウイルス禍の被害という内憂を覆うため、外敵を撃滅する姿勢をみせることが必要になるだろうと論じた。その外敵である米国の同盟国としては、まず日本が浮かんでくる。

 

アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)のアジア研究部長で、長年の中国研究者であるダン・ブルーメンソール氏も、具体的に日本を指摘している。習新体制は、国内での締め付けを正当化するために国外の「中国の敵や脅威」を強調し、その対象となるのが、まず日本と米国だろうというのだ。

 

同氏は最近の論文で、習氏が毛沢東時代の文化大革命で推進されたような思想的団結を呼び掛けたり、独裁強化を正当化するため、「外敵を撃破する」として野心的、覇権的な対外姿勢を強めたりすると予測。その標的が、日本と米国になるとの見方を示した。

 

だが、中国が日米両国への敵視を同時に強めるというこの分析も、一概には信じられない。過去には、中国が米国との関係が険悪になると、唐突に日本への姿勢を柔和にした事例があるからだ。

 

もっとも、その姿勢は日米離反を図る戦術だった。日米同盟が保持する国際安全保障策や、その基礎となる自由民主主義の価値観に中国が根本から反対する基本構図は変わらない。

 

では中国のこの変化の流れに日本はどう対応すべきなのか。日本側でいま目立つのは「日本は引っ越しできない」という見解と「中国とまず対話を」という主張のようだ。日本は中国の隣国だからとにかく仲良くせねばならず、そのために中国側の言動への批判をも抑えようという示唆は、自民党の二階俊博氏の持論のようだが、国際情勢の現実に反する。

 

この世界では、隣国だからこそ積年の利害の衝突で相互に厳しく接する国が多数ある。インドとパキスタン、ロシアとウクライナなどが、ほんの一例だ。

 

「まず対話を」という声は、元駐中国大使の宮本雄二氏らから発信されているようだが、2国間関係では対話は単なる手段であり、目的ではない。何のための対話か、対話の先にある目的は何かが肝要だろう。

 

そのために中国の対日政策の実態をつかみ、日本の国益に沿ってその変更を求め、同時に敵性政策への抑止に努めることだろう。

 

日本が中国への抑止や抗議をせずに融和の道を歩むとどうなるか。米国歴代政権の対中政策部門で活動してきたロバー卜・サター氏の言葉がよみがえる。「中国に同調すれば、中国の政策がよい方向に変わるという期待は危険な錯誤だ。中国は周辺諸国の制圧と支配を強め、その先には従属への組み込みがあるだけだ」(ワシントン駐在客員特派員)

 

 

 

■ 教育が「最大の国防」である意味

 

 

産経新聞正論コラムに、織田邦男氏の「教育が「最大の国防」である意味」が載っており興味を惹きましたので書き起こして掲載します。

 

国防についてはきちんと考えないといけない時期に来ていると思います。

2022/11/04

 

教育が「最大の国防」である意味 麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男

2022/11/3 08:00 コラム 正論

 

麗澤大学特別教授 織田邦男氏 
麗澤大学特別教授 織田邦男氏 

 

織田 邦男(おりた くにお、1952年1月19日 - )は日本の評論家、麗澤大学特別教授、元・航空自衛官元空将。国家戦略研究所(自営)所長。

 

 

教育が「最大の国防」である意味 麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男

 

 

昭和21年6月、第90回帝国議会で日本国憲法に関し、次のような質疑があった。「侵略された国が自国を護る為めの戦争は、我々は正しい戦争と言って差支へないと思う。(略)戦争一般放棄と云ふ形でなしに、我々は之を侵略戦争の放棄、斯うするのがもつと的確ではないか」

 

 

戦う意思も重要な要素

 

この前日、吉田茂首相は「第九条第二項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と答弁している。質問に立った代議士は、実は日本共産党の野坂参三氏である。今の主張と真逆である。昔の共産党は「正論」も述べていたのだ。

 

現在、ウクライナはロシアの侵略に対し、自らの国は自らで守るという「正しい戦争」を戦っている。だからこそ国際社会は、軍事支援を続けている。2014年、ウクライナはロシアによるクリミア半島の無血併合を許した。ドンバス地方での防衛戦も不甲斐なかった。この時、国際社会の経済制裁、軍事支援は名ばかりだった。

 

気になる世論調査結果(World Values Survey 2021年1月)がある。「もし戦争が起こったら、国のために戦うか」の問いに「はい」と答えたのは、日本は13・2%で世界79カ国中、断然最下位だった。その次のリトアニアでも32%を超す。中国88・6%、韓国67・4%、平均が約60%である。

 

防衛力が不十分と相手が認識すれば、戦争は抑止できない。装備だけではない。戦う意思も防衛力の重要な要素である。日本が戦争放棄を唱えても、ミサイルやドローンは容赦なく飛んでくる。逃げる場所もないとき、「13・2%」以外の人は、どうするつもりだろう。「13・2%」では日本有事の際、国際社会の支援どころか、日米同盟も機能しないだろう。同盟とはいえ日本に血を流す覚悟がなければ米国も助けるわけがない。

 

 

自衛官の高い使命感

 

他方、自衛官の質的レベルは高い。他国と共同訓練をやっても一目置かれる存在だ。災害派遣でも大活躍だ。「いざという時はやはり自衛隊」と、今や最も信頼される組織となっている。

 

では自衛官の高い使命感と「13・2%」のギャップはどう解釈すればいいのだろう。「軍」や「戦争」を忌避する風潮や教育の影響が大きい。戦後教育は、国家は悪であり敵対する存在とする偏ったイデオロギー色の強い教育がなされてきた。国家や権威を否定し、「個」や「私」を何より優先させた。思想、信条を押し付けないとの美名のもと、教育現場で国旗、国歌を否定するという異常な教育が長年続けられてきた。

 

国旗国歌法ができ、教育基本法が改正され、少しは改善された。だが教育現場はあまり変わっていないと聞く。そういう教育で育った若者でも、自衛隊で教育を受ければ素晴らしい若者に変身する。

 

自衛隊には特別な人が入隊するからと言う人がいる。これは誤解である。自衛隊には平均的な若者が入ってくる。君が代が歌えない、礼儀を知らない、挨拶ができない、満足な言葉遣いもできない若者も多い。だが自衛隊の教育を受ければ、親も驚くほど変身する。もちろん不祥事を起こす不心得者もいる。しかし一般社会と比較すれば格段に少ない。

 

防衛大学校でも将来自衛官になる明確な目標を持って入校する学生は2割にも満たない。だが「軍人になる前に真の紳士、淑女たれ」との教育を受けると、卒業時には約8割が自衛官に任官する。

 

 

「公」の復活を期待する

 

自衛隊の教育を一言で言うと「『公』の復活」である。入隊したら先ず、宣誓をする。「事に臨んでは危険を顧みず…」と。「個」や「私」の優先から、一転して「公」を第一とする価値観への転換である。教育、訓練、そして実践を通じ、人に尽くす喜び、国家に尽くす生きがいを自覚すれば、みるみる眼が輝いてくる。

 

人間は本来、世の為、人の為、「公」に尽くすことを喜びとするDNAを持っている。「あらゆる人間愛の中でも、最も重要で最も大きな喜びを与えてくれるのは祖国に対する愛である」と歴史家キケロも語る。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と聖書にもある。

 

このDNAを発芽させ、「人は人に生かされ、人は人のために生きる」ことを実感した時、真の紳士、淑女に変身する。このような普遍的価値観にはあえて目を伏せ、枝葉末節のみ教育してきたのが戦後教育であり、その結果が「13・2%」なのだ。

 

中国共産党大会で習近平氏の異例の3期目続投が決まった。主要ポストはイエスマンで占められ独裁体制が完成した。習氏は台湾統一を強調し、武力行使を否定しなかった。台湾有事は日本有事である。「防衛力の抜本的強化」を急がねばならない。だが教育も忘れてはならない。トマス・ジェファーソンは言う。「最大の国防は良く教育された市民である」と。(おりた くにお)

 

 

 

■ 国基研日本研究賞記念講演・楊海英氏

 

 

第三回「国基研 日本研究賞」受賞者楊海英氏の記念講演が、非常に良かったので書き起こして掲載します。

 

南モンゴル出身の楊海英氏の体験も交えた研究講演は、満州とモンゴル、戦中戦後を考えるにあたり、非常に勉強になる内容でした。歴史から何を学ぶかが大事ですね。

外国人から見た戦後は終わっていないという主張は、非常に興味深いものがあります。

2022/11/03

 

平成28年7月6日 公益財団法人 国家基本問題研究所 国基研 日本研究賞 東京・内幸町 イイノホール
平成28年7月6日 公益財団法人 国家基本問題研究所 国基研 日本研究賞 東京・内幸町 イイノホール

 

 

櫻井よしこ理事長 - あいさつ

国家基本問題研究所が主宰する日本研究賞は三年目を迎え、今年もすばらしい方々を選ぶことができました。大賞は南モンゴル出身で、今は日本国籍を取得されている楊海英さんが受章されました。受賞の対象になったのは、『日本陸軍とモンゴル――興安軍官学校の知られざる戦い』、そして『チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史』という二つの作品です。

今日は、大賞の楊海英さんに記念講演をしていただきます。

 

楊海英さんは、南モンゴル(内モンゴル)の出身です。中国にたいへん弾圧をされているところです。その歴史を見ますと、旧日本軍の影響力が非常に強い国柄です。楊海英さんのお話は、大東亜戦争において、私たちが成し得たことは何だったのか。成し得なかったことは何だったのか。今、私たちは戦後何年という話をしますが、戦後は終わっていないというのが楊海英さんの主張のポイントの一つです。なぜ、終わっていないのか。お話を聴けば、たくさん考える視点が与えられると思います。

 

 

静岡大学人文社会科学部教授  楊海英氏 
静岡大学人文社会科学部教授 楊海英氏 

 

楊 海英(よう かいえい、ヤン・ハイイン、1964年(昭和39年)9月15日 - )は、内モンゴル出身の文化人類学、歴史人類学者。静岡大学人文社会科学部教授。モンゴル名はオーノス・チョクト、帰化後の日本名は大野旭(おおの あきら)。楊海英は中国名のペンネーム。

 

 

日本研究賞 記念講演全文  楊 海英(大野旭)・静岡大学教授

「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」(中央公論新社、2015年)

「チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史」(文藝春秋、2014年)

 

皆さんがこれまで受けてきた教育の中、あるいは日常生活の中で、軍人という言葉はあまり出てこなかったと思います。そして、軍人と民族主義者は結びつかないかもしれません。日本文明あるいは日本型文明がすばらしい文明であることは自明ですが、その文明を誰がつくったのか。これまで、そこをあいまいにしてきたのではないかと思います。

 

私はあえて、その真実を軍人と表現しました。日本人の軍人だけではなく、モンゴル人の軍人も含まれています。実は、二十世紀の一時期、モンゴル人も大日本帝国の軍人でした。そのことは、『チベットに舞う日本刀』と『日本陸軍とモンゴル』で書きました。

 

私は日本に来て二十七年になりますが、現代の日本人は、軍隊と軍人を避けているという印象を受けます。つい最近も、共産党の幹部が防衛費を「人を殺すための予算」と発言しています。週末に参議院選挙がありますが、この大事な選挙期間中に、中国の戦闘機が尖閣諸島に現れ、そして、まさに今、南シナ海では軍事演習をしています。自衛隊も一生懸命スクランブル発進で対応していますが、それに必要な経費を「人を殺すための予算」と表現している人がいる。自衛隊は日本を守っているのに、なぜ彼らを忌避するのか。

 

中国が東シナ海で膨張し、沖縄県の尖閣諸島を自国の領土だと主張している現在、日本は国家存亡の危機に直面していると思います。中国では、沖縄も中国の領土であるという論調が政府系の新聞、メディアにしばしば見られます。ですから、中国の野望は決して尖閣諸島で終わりません。彼らはアメリカに対して、広大な太平洋を二国で分け合おうと言っています。ということは、沖縄どころか西太平洋ハワイまでが中国の内海になる危険性も十分あるということです。

 

前例があります。私のふるさと南モンゴルです。今、行政上は中国の内モンゴル自治区ですが、戦前は満州国とモンゴル自治邦という二つの国家でした。満州国とモンゴル自治邦にそれぞれモンゴル人がいて、日本の強い影響下にありました。一九四五年八月、終戦によって、日本人は草原から撤退しました。しかし、日本は満州国とモンゴル自治邦という、日本の内地とさほど変わらない、非常に近代化の進んだ二つの国家をモンゴル人に残してくれました。

 

国家にはあらゆる装置が必要です。軍隊、工業、農業、モンゴルの場合は牧畜業、そして教育。この近代的な装置をすべて日本が残してくれたおかげで、モンゴル人は戦後、民族の独立、つまり中国からの独立が実現できると思っていました。しかし、ソ連、アメリカ、イギリスが結んだ対日戦後処理の秘密協定であるヤルタ協定で、南モンゴルは中国に占領させるという裏取引があったのです。ソ連はこの協定に従って、満州とモンゴル自治邦に出兵し、結果として、南モンゴルは中国の領土となってしまったのです。

 

南モンゴルに中国人が入ってくるときは、まさに尖閣諸島に現れるのと同じです。少しずつじわじわっと侵略し、気がついたら、人口の逆転現象が起きていたのです。

私は、亡国の民です。その亡国の経験から言えば、やはり尖閣問題は今、非常に危機的な状況にあると思います。今日の話のポイントではありませんが、大変な事態だということだけは知っておいてほしいと思います。

 

さて、本題に入ります。二十世紀において、モンゴル人の軍人と日本人の軍人がどのように近代文明をつくりあげてきたのか。その歴史についてお話しします。モンゴル人の歴史は、同時に日本人の近代史でもあります。

モンゴル人は普段、非常にゆったりした感じで、馬に乗っていますが、いざ敵が出現すると、瞬時に凛とした姿になり、遊牧の戦士になります。そして敵に向かって突進していきます。

私から見ると、日本人もやはり武を貴ぶ民族だと思います。たとえば、日露戦争のときの日本軍が戦馬に乗ってロシア軍に突進していく姿を描いた絵があります。

考えてみると、たいしたものです。日本には騎馬の伝統あるいは騎馬兵の伝統がそれほどありません。しかし、近代のヨーロッパに行って研究し、それを導入して、すぐに運営できたわけです。日本に馬はいましたが、モンゴルの馬より小さかったはずです。ところが、日本軍が乗っている馬は非常に背が高い。これは明治維新のころ、日本がアメリカ、オーストラリアなどから十数万頭も馬を輸入し、それをヨーロッパふうの背の高い馬に品種改良していったのです。日本人が慣れていなかったはずの背の高い馬に乗り、歴史的にずっと運用してきた騎兵ではないにもかかわらず、それを見事に運営してロシア人に立ち向かっていったのです。

 

ロシアはモスクワから日本海のウラジオストックまで、ユーラシアのあらゆる民族を征服してできた大帝国です。その大帝国を日露戦争で、東洋の小さな国・日本が打ち破った。この衝撃がユーラシアの諸民族、モンゴル人、トルコ人、アラブ人に与えた影響は非常に大きい。今でも、モンゴルあるいは中央アジアで調査をすると、「日本人はすごい」と、ロシアに勝った功績、衝撃についての評価は非常に高いものです。

 

私は「日本民族の精神性とは何だろう」といつも思います。日本は世界一すばらしい近代文明をつくりあげました。その近代文明を創造した明治維新以降の日本人を思い浮かべてみてください。おそらく彼らは全員、サムライ兼知識人です。モンゴルは日本の近代文明を学ぼうと、日本にやってきます。つまりモンゴルの近代化は、日本から学んだのです。もちろん、モンゴルは陸続きのロシアからも学びました。

 

モンゴル人の精神性の基は、遊牧、礼節、知識、戦士です。モンゴルは何があっても礼節を大切にする民族です。そして、生活の根底にあるのは遊牧です。移動しながら生活をする際も、礼節が非常に大切です。そして、移動しているので、幅広い知識が得らます。

 

農耕を営む人はずっと村の中にいますので、入ってくる知識は限られています。日本は農耕文明だと思われがちですが、日本は農耕だけではなく、海洋文明でもあります。船に乗って世界中の海を回るので、遊牧民と同じように移動しています。移動している人には知識が入り、その知識を大切にします。移動している人は保守的ではなく、開明的です。

 

モンゴルの男はすべて戦士です。そんなモンゴル人たちが目指したのが、日本型の近代文明です。

 

そして、近代型の文明の担い手は、モンゴルも日本も共通しています。軍人兼知識人です。明治維新の初期は、サムライ兼知識人でしたが、一九三〇年代になって、あるいは戦後にかけても、日本型の近代文明の担い手たちは、見事に軍人兼知識人です。

 

戦前をすべて否定する風潮が日本にあります。しかし、戦前と現代の日本は断絶しているわけではありません。高度成長期あるいは現代の日本をつくりあげたのは、やはり軍人たちです。もちろん他の存在を否定しているわけではありません。

 

そして、軍人兼知識人たちは、同時に民族主義者でもありました。私は「軍人民族主義者」と呼んでいます。軍人民族主義者が近代日本型文明をつくり、その日本型文明をモンゴル人は学ぼうとしました。しかし、戦後、軍隊、軍人を否定する風潮が、日本では非常に強いと、私には見えます。考えてみると、軍人と軍隊に対する否定は、自分たちが歩んできた歴史に対する否定です。彼らが日本型文明をつくりあげたのに、彼らを否定するのは、文明に対する否定でもあります。そして、何よりも民族の自決への否定です。

 

日本人は西洋による植民地化を避けるために、明治維新を推進しました。もしそのとき、サムライ兼知識人がいなければ、日本はイギリスあるいはロシアの植民地になっていたかもしれません。しかし、サムライ兼知識人たちの奮闘があって、それを避けられたのです。

 

モンゴルの場合は、中国の植民地になっていました。そのため、モンゴルの軍人たちは民族自決の目標を掲げ、日本とロシアと協力して、中国の支配から独立しようと頑張ったのです。日本人と違って、私たちは私たちの軍人、軍隊を否定しません。彼らにもダーティな部分、情けない部分、哀しい部分がありました。それでも、私たちは遊牧の戦士として、武を貴ぶ民族として、私たちの軍人、私たちの軍隊を私たちの歴史の一部として、心から愛しているのです。

 

千葉県の習志野は、サムライ兼知識人、軍人兼知識人たちが日本型文明をつくった揺籃の地です。ここに騎兵第十三連隊という看板があります。

 

騎兵第十三連隊 
騎兵第十三連隊 
歴史を伝えるモニュメント 
歴史を伝えるモニュメント 

満州国生徒隊 
満州国生徒隊 
偕行文庫に伝わるモンゴル軍 
偕行文庫に伝わるモンゴル軍 

 

 

習志野はかつてモンゴルのような草原だったと思いますが、そこに近代日本の騎兵あるいは機甲部隊が展開されていたのです。ここには学校もありました。その学校にモンゴル人は留学してきます。

習志野には「騎兵第十三連隊記念碑」と歴史を伝えるモニュメントがあります。

 

この近くに小さな祠もあります。日本は歴史をきちんと残すという伝統があります。この点はモンゴルと違います。モンゴルも歴史は残りますが、南モンゴルの場合、中国の存在が大きいので、歴史の書き替えが、ひんぱんに行われています。

 

もう一つ、満州国生徒隊という看板がある建物は、現在も残っています。

 

満州国生徒隊という名称は、ここに満州国のモンゴル人たちが留学していたからです。満州国ができてから、ほぼ毎年のように優秀なモンゴル人たちが選ばれて、日本の近代型の騎兵戦術を学ぶため、習志野に留学しています。

 

ご存じのように、モンゴルは遊牧の民で、ジンギス・ハーンの子孫です。ジンギス・ハーンの軍隊が世界帝国をつくりあげたのは、騎兵の力です。モンゴルの遊牧民の騎兵戦術がヨーロッパに伝わり、ヨーロッパ人がモンゴルに敗れた経験を生かしながら、ヨーロッパ流の騎兵術を誕生させます。ヨーロッパの騎兵術はどんどん進化し、それを秋山好古など、明治の軍人が学んで、日本に持ってきます。そして、その明治のサムライから今度はジンギス・ハーンの子孫が学ぶという、まさにユーラシア大陸を一周した文化の伝達です。非常にロマンチックな物語性を感じます。

 

習志野に留学していた人たちに関する記録は、靖国神社にも伝わっています。靖国神社の偕行文庫という資料室に、日本軍の史料が豊富に保存されていますが、その中にモンゴル軍の史料もあります。

 

私は、その中の当事者たちを南モンゴルで追跡調査しました。彼らは、満州国時代に何をしていたのか。そして、満州国が崩壊してから、彼らは何をし、どんな運命を辿ったのか。その人生史を調べ、日本側の記録と中国、内モンゴルでのインタビューを合わせて、『日本陸軍とモンゴル』、『チベットに舞う日本刀』を書きました。モンゴル側と日本側の史料の両方を持ち合わせて研究すると、歴史の真相がわかります。

 

モンゴル人にとって、日本軍の軍刀は憧れの対象でした。日本刀はサムライの精神を見事に表す道具です。モンゴルの青年たちは、満州国の軍人になって、一生懸命勉強して日本に留学します。そして、あの日本刀をぶら下げてみたい。それが彼らの夢だったのです。

 

これは日本の騎兵たちの習志野での訓練の風景です。

 

日本騎兵の訓練風景 
日本騎兵の訓練風景 
モンゴル軍の訓練風景 
モンゴル軍の訓練風景 

興安軍官学校 
興安軍官学校 
陸士への留学を終えたモンゴル兵 
陸士への留学を終えたモンゴル兵 

 

 

障害を飛び越えている風景ですが、同じような訓練方法をモンゴル軍も導入していました。これはモンゴル軍の火の輪をくぐる訓練風景です。

 

私の父親もモンゴル軍の一員でしたが、わが家にもこれと似たような写真がいっぱいありました。残念ながら文化大革命のときに没収されてしまいました。

さらに、日本はモンゴルのために満州国時代に興安軍官学校をつくってくれました。

 

この建物の造りは習志野にある騎兵第十三連隊の本部とまったく同じです。

 

日本は旧植民地において、とにかく学校をつくるのに熱心でした。台湾や朝鮮半島にも、国民小学校から各種専門学校、大学まで、いろいろな学校をつくっています。

 

特に、興安軍官学校はモンゴルという特定の民族のための学校です。満州国軍官学校は五族協和、つまり漢民族も朝鮮人も入る学校です。韓国の朴槿恵大統領のお父さん、朴正煕元大統領も満州国の軍官学校を出ています。そして、日本に留学もしていますので、その名簿は靖国神社に残っています。

 

日本陸軍士官学校の名簿は五十音順ではなく、成績順です。私は朴大統領の名前を見つけようと(当時の姓名は高木正雄)探したところ、かなり上のほうにありました。成績がよかったのです(十五番目)。

 

日本が特定の民族のために軍官学校をつくったのは、モンゴルだけです。軍官学校は軍のエリートを育てる学校です。これはよほどの信頼がないとできません。なぜなら、軍人は武器を持ちますから、その武器を誰に向けるのかということが非常に重要だからです。日本とモンゴルは相互に信頼し合っていたので、軍官学校をつくったと言えます。

 

日本がつくった学校の中で、モンゴルで一番人気があったのは興安軍官学校です。ここから二千数百人が卒業して、彼らがモンゴル軍の幹部になっていきました。彼らは徹底的な日本の陸軍士官学校の教育を受けて育っていますから、一九五〇年代まで、作戦命令もすべて日本語で書いています。

 

戦後、モンゴル軍は中華人民共和国の人民解放軍に編入されました。それでも、しばらくは、日本式の訓練方法を維持していたのです。そのことは内モンゴルのモンゴル軍が残した『騎兵操典』の中に記録があります。

これが日本の陸軍士官学校(陸士)に留学していたモンゴル人が、興安軍官学校に帰ってくるときの風景です。

 

記録を見ると、興安軍官学校には毎年数千人の中から五、六十人しか入学できません。大変なエリートですが、その中からさらに選ばれた人たちが、日本に留学し、帰国してきたときの表情が実にすばらしいです。

 

写真は一つの真実を伝えます。満州国時代、あるいはモンゴル自治邦時代のモンゴル人の写真を見ていると、みんないい顔しています。私は、一九四九年以降、中華人民共和国の市民になってからの写真も集めて、研究の資料にしていますが、だんだんその顔が暗くなっていくのです。

 

当事者たちにインタビューしてみても、「自分の人生の中で、興安軍官学校時代、陸士時代はもう輝くように幸せなときだった」と言うのです。満州国もモンゴル自治邦も、日本の支配下にあったのは事実ですし、中には、いばった日本人もいたようです。それでも、「人生の中で最高に幸せな時代だった」と言うのが、彼らに共通した認識でした。

 

彼らは徹底的な日本風の訓練を受けましたが、興安軍官学校の生徒だけでなく、満州国あるいはモンゴル自治邦の普通の中学校においても、日本式の剣道などの教育が実施されていました。日本的な訓練を受けて育ったモンゴルの近代的な知識人ですが、中国では「日本刀をぶら下げた連中」と馬鹿にした言い方をします。それはモンゴルの青年軍人たちが、日本刀に憧れていたという一つの真実も伝えているのです。日本刀は崇拝の対象で、むやみに人を斬るものではないと、サムライ精神も学んでいます。つまりモンゴル人は、人を斬る武器として日本刀を学び、使ったのではありません。日本刀にこめられた人間として守らなければならない精神──正直、公平、卑しくないこと。こうした精神を学んだのです。モンゴル人本来が持っていた礼節、仁義を大切にするという精神が見事にサムライスピリッツと一致したということです。

 

日本統治時代に、多くの日本刀をぶら下げた知識人が誕生しています。すべてエリートです。モンゴル語のほか、中国語も、日本語も話せます。場合によってはロシア語もできます。満州国時代とモンゴル自治邦時代に、三、四ヵ国語ができるモンゴル人のエリートが育ちました。

 

彼らはモンゴル軍ですが、同時に大日本帝国の軍隊でもありました。指揮官が抜刀の礼をし、遥拝の礼を行っているのはモンゴル軍です。

 

モンゴル軍の遥拝の礼 
モンゴル軍の遥拝の礼 
颯爽蒙古騎兵 
颯爽蒙古騎兵 

 

 

モンゴル軍は、日本軍の一員として各地を転戦し、華北の戦線ではモンゴル軍が奮戦していました。当時の新聞には、大同に入場するモンゴル騎馬軍「颯爽蒙古騎兵、彼等また日章旗の下に」と、書かれています。

 

名実ともに日本軍とともに、いわば大和のサムライとモンゴルのサムライが肩を並べて戦ったわけです。

 

当時の精神性を表す歌もいっぱい誕生しました。たとえば、「蒙古新生の歌」は大変すばらしい詩です。その中に、「幼年校の精鋭よ」という歌詞がありますが、日本はモンゴル自治邦の中で、蒙古軍幼年学校をつくり、さらに興安軍官学校をつくりました。モンゴル人のために軍の学校を二つもつくっているのです。

 

たとえば、名古屋陸軍幼年学校、熊本幼年学校、仙台幼年学校などの陸軍幼年学校は、すべてヨーロッパの貴族の軍隊教育を参考にしてつくった教育制度です。幼年学校を出たら、陸軍士官学校、その上が、陸軍大学校です。日本の陸軍大学校にモンゴル人は一人入っています。

 

これが、一九四五年までの歴史でした。そして、一九四五年以降、日本人のサムライたちは、日本列島に帰り、残されたモンゴルは、独立しようとしました。モンゴル人民共和国という同胞の国との統一合併を求めましたが、ヤルタ協定によって南モンゴルは中国に占領させることになったので、結果として、中国の一部になってしまったのです。

 

 日本が満州国とモンゴル自治邦に残した軍隊は、五個師団の精鋭中の精鋭でした。しかし、その半分は中国共産党に、半分は国民党に分かれて、血で血を洗う戦いが始まるわけです。そして、一九四九年に中華人民共和国が誕生し、国民党は台湾に渡ります。

 

一九五〇年から毛沢東は三年連続、天安門広場で閲兵式を行います。そのとき、南モンゴルの騎馬兵が天安門を通るのです。戦争が終わってからまだ五年しか経ってないので、ほとんどの兵士も指揮官も、すべて日本統治時代を経験した人たちでした。

 

私は当事者にインタビューしましたが、号令はモンゴル語ですべきなのに、「つい日本語が出てしまう」とみんな言っていました。作戦命令は当然、日本語です。そのうち、中国の人民解放軍の指揮官から「もう日本語を使うな」と命令されますが、日本語で受けた訓練、受けた教育ですから、モンゴル軍の頭の中の近代的な知識は日本語でできていました。そこで、「どうしても日本語で思考するので、日本語が出てしまう」と彼らは言っていました。

 

天安門を通ったときが、実にかっこいい。白馬連隊、黒馬連隊、黒い馬、白い馬、そして茶褐色の馬、毛色を揃えているのです。その後、彼らの一部は朝鮮戦争にも動員されました。

伝統的には蒙古の馬は背の小さな馬でしたが、近代に入って、日本と同じように急速に西洋化します。日本がアメリカとオーストラリアから導入したヨーロッパ系統の馬、それが大量にモンゴルに持ち込まれます。ソ連軍もまた大量のヨーロッパの馬を連れてきます。南モンゴルの草原でユーラシアレベルでの馬の混血が始まるのです。ヨーロッパ系の馬はお腹が細く、脚がすらっとしています。モンゴルの馬は脚が太く、寒さに強い。そして持久力がすごい。何日間連続して走っても大丈夫です。ヨーロッパ系の馬は最初モンゴルで苦労していました。というのは、彼らは軍糧、特別の飼料しか食べません。ですから、その補給が断たれると、戦馬は走れなくなってしまうのです。

 

モンゴル軍のロゴマークにも、日本刀が入っています。

 

モンゴル軍と日本刀 
モンゴル軍と日本刀 
モンゴル軍騎兵隊第十五連隊 
モンゴル軍騎兵隊第十五連隊 

 

 

日本の伝統がモンゴルにきちんと残っているのです。

 

中国は、日本が残した五個師団に対して、徹底的な粛正、再編成をします。反中国的な思想、あるいは独立思想を持っている人は、次から次へと騎兵から追い出されていきます。これは一九五六年、モンゴル軍騎兵隊第十五連隊です。

 

ここに私の父親がいます。父親は満州国を経験していません。しかし、父は私以上に反中国で、思想が非常に反動的だったので、除隊させられてしまいました。

 

除隊させられなかったら、運命が変わっていたかもしれません。一九五八年からモンゴル軍がチベットに派遣されます。ダライ・ラマ法王が五七年から中国の侵略に対して抵抗しますが、五九年には十数万人のチベット人を連れてインドに亡命します。そのダライ・ラマのチベット人をとことん追いつめ、鎮圧していた先兵がモンゴル軍です。これは中国の「夷を以て夷を制す」、つまり少数民族を使って少数民族を弾圧するという、実に汚いやり方です。

 

さらに、一九六一年当時、中国軍にソ連の戦闘機が配備されている空軍がありました。しかし、ソ連の戦闘機は六〇〇〇メートル以上飛べませんでした。チベット人はインドへ逃げるために五〇〇〇メートル、六〇〇〇メートルの山々も越えていきます。そのかわいそうなチベット人を五〇〇〇メートル、六〇〇〇メートルまで追いつめたのが、モンゴル軍です。

 

彼らは日本型の近代文明を導入し、モンゴルの近代化を実現しようと努力しました。しかし、独立は実現できず、中国に併合されると、中国のために汚い仕事もしました。チベット侵略の先兵を務めたという点で、同じ少数民族が少数民族を鎮圧するのは悲劇です。それでも、モンゴル人はモンゴル軍を愛しています。ぜひ日本も、日本の軍人を誇りに思うように変わってほしいと思います。

 

日本人女性の話をします。八重子さんという方で、彼女のご主人、トグさんはモンゴル人です。これは一九六〇年代初期に撮った一枚ですが、彼女は波乱万丈の人生を送っています。

 

八重子さん一家 
八重子さん一家 

 

 

八重子さんは一九二八年、山口県に生まれ、十四歳のときに中国へ少年義勇隊として渡っています。蘇州を経由して、哈爾濱義勇隊中央病院で看護婦の勉強をして、看護婦養成所の三期生になります。

 

一九四五年、戦争が終わりましたが、彼女は中国共産党の八路軍の第四野戦軍の看護婦になります。なぜかといえば、中国共産党は人材が足りなかったのです。特に医者や看護婦がいなかった。ですから大量の日本人が留用人士とされて残されたのです。彼女の場合、朝鮮人の病院長から、「中国革命のために残ってください。中国革命のために蒋介石をやっつけましょう」と懇願されて残りました。そして、人民解放軍とともに国民党の軍隊と戦いながら海南島の近くまで南下します。

 

その途中で、同じ病院の院長だったトグさんと恋愛をします。トグさんは日本の医科大学にも留学したモンゴル人です。彼と相思相愛になって結婚しますが、八重子さんは最初、結婚に躊躇していました。トグさんが「私と結婚しないなら自殺する」と言って、八重子さんを口説き落として結婚したのです。八重子さんは一九五四年に除隊となって、内モンゴル自治区の包頭市の第二医院の医師になります。

 

ところが、一九六六年から文化大革命が勃発し、二年後にトグさんは暴行を受けて殺されました。日本に協力したこと、日本が撤退したあと、モンゴル人民共和国と統一合併をしたいと頑張ったことが、罪になりました。夫が殺されたあと、一九七四年に八重子さんは日本に帰ってきます。私は『墓標なき草原』(岩波書店刊)の中で書いていますが、当時ジェノサイドがありました。研究者によっていろいろ説がありますが、モンゴル人が一〇万人、あるいは五、六万人殺されています。当時、モンゴル人の人口は一五〇万ですから、五万人だろうと一〇万人だろうと、非常に大きい数字です。見事に日本統治時代を経験したエリートたちが殺されているのです。

 

トグさんも、その一人です。八重子さんは文革中にモンゴル人が大量虐殺されるのを家族の一員として経験しています。写真はたぶん文化大革命が始まる前の一枚ですので、子ども三人と幸せに暮らしている雰囲気が伝わってきます。『歴史通』(ワック刊)の七月号(二〇一六年)に、八重子さんの手記が出ています。これは感動的な人間ドラマですので、関心のある方は、ぜひお読みいただければと思います。

 

モンゴル人は日本時代を経験したがゆえに、大量虐殺を経験せざるを得なくなっているのです。つまり、モンゴル人の大量殺害は、中国が日本の過去を間接的に清算しようとして発動したジェノサイドです。背後に日本人とモンゴル人が築き上げた良好な関係があるからです。

 

ですから、私は最近「日本はもっと元植民地と勢力圏に積極的に関与すべきだ」と主張しています。フランスを見てください。フランスは一生懸命アラブと北アフリカの国々に関与しています。日本も元植民地、旧勢力圏に関与すべきです。フランスは戦勝国で、日本は敗戦国だからと思うかもしれませんが、そういう縮み思考は必要ありません。積極性が大事です。

 

隣人中国はジェントルマンではないので、日本人が縮み思考になると、尖閣諸島や南シナ海にどんどん出てきます。誰かが憲法九条をコピーして尖閣諸島に立っていれば、飛行機が飛ぶのをやめますか。軍艦が現れるのをやめますか。問題はそういう隣人ではないのです。ですから、もっと積極的に関与しなければならないと思います。関与というのは戦闘機を内モンゴルに飛ばすということではありません。これほど日本人といっしょに暮らしてきた人たちが、今どうなっているのだろうと、関心を持っていただく。そこから始まると思います。

 

日本が関与すべきだというのは、日本型の近代文明には普遍性があるからです。日本型近代文明の普遍性は、決してハイテクの製品、便利な生活だけではありません。価値観です。日本人の公平さ、正直さ。この価値観が日本文明を生んだ普遍性の原動力だと思います。

 

そして、南モンゴルが今の状況に置かれているのは、ヤルタ協定があるからです。ですから、ヤルタ協定も見直さなければなりません。実は、ヤルタ協定を見直してくれた人がいます。ロシアのプーチン大統領です。クリミア半島を併合しました。あのクリミア半島でヤルタ協定が結ばれたのです。ウクライナに属していたところをプーチンが力でもぎ取って自国領としました。これは、ヤルタ体制の見直しという前例をつくってくれたのです。ですから、私たちも戦後体制を少しずつ見直さなければならないと思います。戦後体制を見直しできたら、おそらく尖閣問題も能動的に解決できると思います。

 

日本の植民地だった台湾に行きますと、高雄駅とかいろいろなところに日本時代の建物が残っています。そして、台北の近くにも温泉街があって、日本時代の雰囲気を残しています。しかし、内モンゴルでは、日本時代の面影を確認するのは非常に困難になりました。

東京の池上本門寺には満州国軍の慰霊碑があります。靖国神社では戦馬が供養されています。

 

満州国軍慰霊碑 
満州国軍慰霊碑 
靖国神社の戦馬 
靖国神社の戦馬 

 

 

こういう風景を見ると、心が和みます。戦馬も供養されているというのは、日本精神あるいはモンゴルにも通じる精神性の表れだと思います。

 

現在、モンゴル軍は解散させられ、内モンゴルにはモンゴル人独自の軍隊はありません。軍隊がないため、中国政府はモンゴル人を大量虐殺できたのです。

 

南モンゴルの歴史が何を意味しているかと言えば、中国に平定された民族、国家の悲劇です。中国に呑み込まれると、その軍隊は他の民族を侵略する先兵になるのです。もし、日本が中華人民共和国日本自治州になったら、日本軍はアメリカを侵略する先兵になるかもしれません。そして、最終的には武装解除され、虐殺されるという運命になってしまうかもしれません。実際、内モンゴルの歴史がそれを物語っています。

 

南モンゴルは独立できませんでした。しかし、半分は独立できています。それが、白鵬の国モンゴル国です。希望はまだあります。日本型の近代文明はユーラシアの遊牧民、諸民族に高く評価されています。日本の未来は、ユーラシアにあると思います。そのユーラシアに立脚した世界戦略をつくらなければならないと思います。

 

モンゴル人同士で一つの国をつくるというのが最高の目標です。しかし、ヤルタ協定から、もう七十一年の歳月が経ってしまいました。そして今、南モンゴルのモンゴル人は五〇〇万人弱ですが、中国人は三〇〇〇万人もいます。これはもう多数の中国人に囲まれた弱小民族になってしまっています。ですから、国際社会の大国である日本は、中国が暴走しないよう、「私たちの友人を虐待するな」と、端的にずばりと言ってほしいと思います。

 

中国も将来どうなるかわかりません。チベット、ウィグル、南モンゴルの問題が未解決というだけでなく、漢民族自身が中国共産党に抑圧された状況下にあるのです。共産党支配下の中国がいつまで維持できるのかも未知数です。

 

ただ、世界は地方自治、地方分権、民主主義という流れですので、モンゴルも連邦、高度の自治という流れに乗らなければならないと思います。

 

歴史戦は当分まだ続くかと思います。『歴史通』の九月号(二〇一六年)で、渡辺利夫先生と不肖私が対談しています。その中で渡辺先生が「歴史戦こそが第三次世界大戦だ」とおっしゃっています。歴史戦は、冷戦構造の崩壊と連動している部分もあると思います。冷戦は東西二つの陣営のイデオロギー上の対立という要素がありましたが、冷戦構造が終わると、イデオロギーがなくなります。すると、負けた側の中国あるいはそれに付随する勢力が、再び歴史を武器として持ち出すわけです。

 

彼らは、従軍慰安婦問題、南京事件などを武器として、国際社会、国連を舞台にうごめいています。それに日本がどう対応するのか。それは、日本の近代文明をどう評価するかということと連動します。そういう意味で、第三次世界大戦は歴史戦争だという指摘を私は重く受け止めています。日本人が築き上げたすばらしい日本型近代文明の普遍性が世界に広がっていくためにも、この歴史戦は勝たなければならないと思います。

 

 

櫻井よしこ理事長 – 講演後のあいさつ

 

われわれは、敗戦したのだから、発言する立場にないし、発言してはならないという感じで、日本国内のことだけを考えて過ごしてきました。実は、日本が大東亜戦争の中で良かれと思ってしたことが、敗れたことによって、その場に残った人たちが大変な目に遭ってきている。敗北したあとにも、やるべきことがたくさんあったのではないか。

日本はその後、経済大国として蘇りました。蘇ったのなら、なおさら、戦時中のことに思いを致し、日本文明のあり方、日本型近代文明、その日本らしいエッセンスをいかに再生していくのか。

国内だけでなく、私たちが関係を持った民族、地域の中で、いかにもう一回息づかせるか。そのことによって、何ができるのかということを考えなければならないと思います。

実は、モンゴル、ウィグル、チベットの三民族に加えられている中国の弾圧は、生易しいものではありません。私は中国人がどのような方法で拷問をするのか、ある大学が熱心に研究して書いたものを読みましたが、あまりの残酷さに眠れませんでした。たとえば、針金で縛って柱に括りつけ、その前で火を焚いて、死ぬまでそうしておく。田を耕す鍬の鉄板の上に燃え盛る炭を入れ、人の頭の上に乗せて、焼き殺す。どんなに苦しいことかと思います。

このような人間とは思えないような拷問の方法が、少なくとも五〇種類はある。読んだ私が眠れないのですから、された民族はどうでしょうか。チベットの人たち、ウィグルの人たち、どれほどの人が殺されたか。死ぬまでに苦しみ抜かせ、できるだけ長い時間を費やして殺すのがよい方法だと漢民族は考え、それを実行します。

大東亜戦争で敗れたことによって、多くの問題が発生しました。私たち日本人がその半分のところに関与している。大東亜戦争は終わったけれど、私たちが関わった民族、関わった地域で、その後いったい何が起きているのか。

それを忘れないことが大切だと思いました。

 

ヤルタ協定は誤りであると、ブッシュ大統領も言いました。アメリカの視点から見ても、ヤルタ協定はアメリカが犯した最大の間違いだということです。若い皆さんにとっては、ヤルタ協定について考えてみるのも、一つのいい課題だと思います。

 

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