近現代史記事紹介-8
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気に入った新聞コラム
「あいまいな日本」の呪縛解こう 麗澤大学准教授 ジェイソン・モーガン
2023/9/18 08:00 ジェイソン モーガン オピニオン 正論
全くその通りですね。
どうしようもない日本の政府、メディア、教育。
溜息ばかりです。
2023/09/23
ジェイソン・モーガンは、1977年生まれ。 アメリカ合衆国ルイジアナ州出身。麗澤大学 国際学部 准教授。専門は日本史、法社会学史。
「あいまいな日本」の呪縛解こう 麗澤大学准教授 ジェイソン・モーガン
歴史から目を背けず
終戦から78年がたったが、広島、長崎への原爆投下や終戦の日をめぐるメディアの報道が具体性に欠けた気がする。
1945年8月6日に、米軍B―29爆撃機「エノラ・ゲイ」(機長ポール・チベッツ大佐)から広島市の中心にある太田川を渡るTの字の形をする相生橋の上に、「リトルボーイ」という渾名(あだな)を持つ原爆が投下された。
同月9日、B―29爆撃機「ボックスカー」(機長チャールズ・スウィーニー少佐)から「ファットマン」という原爆が長崎市の三菱工場の上に投下された。
原爆投下の前に米軍は、日本各地の都市を焼夷(しょうい)弾などで空襲した。原爆投下や大空襲などの結果として、70万人以上の日本人の非戦闘者が亡くなった。先の大戦で日本列島で誰が、誰を殺したのか、はっきりしているのだ。
しかし、今年8月、以上のような史実がどこかへと吹っ飛ばされたような気がしてならない。日本の新聞やテレビなどを見ると、いったい誰が大空襲、原爆投下をやったのか、霧に包まれた謎のように言葉を濁される。広島や長崎で、たまたま天から降りた原爆が「平和」に対して攻撃したと言うかのような番組もあった。
連合国軍総司令部(GHQ)による占領についてもその中身はあいまいだ。占領軍が日本国民に対して情報戦を繰り広げ、日本人を洗脳した結果、大戦で命を落とされた英霊を忘れるように日本国民が誘導された。だが、主流メディアで一切無視されるのだ。
主なメディアは米国の罪と日本人の苦しみをぼやかしているとしか言いようがない。誰が日本人の頭の上に鉄の雹(ひょう)の嵐のように爆弾を落としたか、誰が「無条件降伏」という政策を推したのか、誰が戦後日本人を洗脳したのか、誰が戦後憲法で日本を永遠に弱体化したのか、口にチャックして沈黙を保つ戦後日本のメディアは、あいまいすぎるのだ。
依存の意識捨てられず
メディアだけではない。戦後78年たっても、ワシントンが「同盟国」とする日本の国民に、広島、長崎や他にも数多くの日本の町に住む国民を無差別に殺戮(さつりく)したことを一度も謝ったことがない。米大統領が広島などを訪れても、日本の中から、反省しろ、謝れ、日本の罪のない子供やお年寄りなどを皆殺しにしたことで土下座しろ、誰もそう叫んでいない。
日本には、水に流すという、戦いが終われば相手を憎まない美徳がある。しかし、歴史から目を背けることとは違う。敵を許すことは確かに日本の素晴らしい美徳だが、戦後日本人は、そもそも敵が罪を犯したこと自体を語っていない。心に閉じ込められている過去のことまで許しが届かない。
日本の中に自国をことさら悪く描く自虐史観が蔓延(まんえん)し、過去に米国が日本に対して行った残酷なことがタブー化されている。これは美徳どころか、残念すぎる。
そのせいで日本人がさらなる被害を味わっているに違いない。戦後日本で元敵の名前が語られない限り、戦後の呪縛から解放されない。結果、劣等感で刷り込まれた戦後日本人は、先祖に対してジェノサイド(民族大量虐殺)を犯した同じ元敵に対して対等感が持てない、その元敵に自国の防衛で依存するのをやめられない。
先の大戦での敵国からきた、長年日本に滞在している私は、以上の歴史の真実について申し訳ないと思っていることは事実だが、戦後日本の大戦に対するあいまいさが非常に危ないとも思っている。
過去のことについてはっきり語れない日本の戦後コンプレックスが、2023年のいま、独裁者がこれから起こす次の戦争の備えへの妨げになっているのではないかと懸念している。
戦後の呪縛から解放されない日本は、新しい敵に対しても手足を縛られている。
真実をはっきり口にし備える
今年亡くなった作家、大江健三郎が1994年のノーベル文学賞受賞講演で語った「あいまいな日本の私」が心に浮かんできた。その講演の題名は68年にノーベル文学賞を受賞した川端康成の「美しい日本の私」から取られた。大江は、川端の日本観も「あいまい」だったというのだが、そうだろうか。私は川端のその講演の中で登場する曹洞宗の開祖、道元禅師の名詩がヒントだと思う。
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」は、密教的な意味に満ちていると大江は指摘する。だが、道元は、物事を直接に指して、花、ほととぎすなど名前をはっきりと言う。飾らず、まわりくどくなく、あいまいにせず、真実をはっきりと口にすることが、道元が、あいまいな日本の私たちに教えてくれている教訓だと思う。
大戦で敵が誰だったのか、その敵が何をやったのか、はっきり語り冷静に教訓としよう。どっちつかずの「あいまいな私」の呪縛から解かれた日本には、今の敵は誰なのかがはっきり見えてきて、その敵から日本を守る準備を急げると期待したい。
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私が気に入った新聞コラムから学んだこと
日本も自死するか…移民推進論が隠す真実 飯山陽氏 The考寄稿
2023/8/22 06:00 菅原 慎太郎 政治 移民問題
移民推進は多くの問題を抱えているのは欧州各国で実証済みであるが、日本の政治家は全くわからないらしい。
これから移民を推進するということは、将来の日本の「自死」を覚悟しなければならないということですね。
是非今の政治家と経団連幹部には読んで勉強してもらいたい寄稿文でした。
でも今の政治家では無理かもね。
2023/09/05
飯山 陽(いいやま あかり、1976年(昭和51年)2月7日[3] - )は、日本のイスラム思想研究者、アラビア語通訳。麗澤大学国際問題研究センター客員教授。専門はイスラム法学・イスラム教に関わる世界情勢の調査・分析など。
日本も自死するか…移民推進論が隠す真実
飯山陽 The考寄稿
「外国人と共生する社会を考えていかなければならない」「アラブ首長国連邦は人口1000万ですが、自分の国の国民は100万しかいない。900万人の外国人と共生している国です」
満面の笑みを湛えてこう語ったのは岸田文雄総理だ。7月22日、政策提言組織「令和臨調」発足1周年で開催された対話集会でのことである。
日本は今、大移民時代を迎えようとしている。
政府は6月、外国人労働者の永住につながる在留資格「特定技能2号」について、対象を2分野から11分野に広げると閣議決定した。移民受け入れ加速へと舵を切ったのは間違いない。
政府は難民認定や避難民の受け入れも進めている。7月にはアフガニスタン人114人を難民に認定、在留スーダン人にも就労可能な「特定活動」の在留資格を認めると決定、8月には在留資格のない子供140人程度に在留特別許可を出すと発表した。
総務省が7月26日に発表した人口動態調査によると、全都道府県で日本人の人口が減少する一方、外国人の人口は過去最多の299万人に達した。国立社会保障・人口問題研究所の推計では2067年には総人口の10・2%が外国人になる。
政府が移民・難民の受け入れを推進し規制緩和を続ける現状を鑑みれば、人口の1割を外国人が占める日はより早くやってくる可能性が高い。
経団連の十倉雅和会長が特定技能2号の対象分野拡大について、「少子化の影響で生産人口が減る中で、非常に歓迎すべきことだ」と述べたように、移民について経済界や政府、メディア、「専門家」らが唱えるのは専ら、高齢化で人手不足に悩む日本には、経済や福祉維持のために外国人労働者が必要不可欠だという「移民こそ解決」論である。
しかしそれは正しいのか。そして我々は果たして、大量の移民を受け入れれば日本社会が抜本的に変化するという現実を受け入れる覚悟はできているのだろうか。
労働力不足は解決しない
懸念は多い。
第一に、大量の移民を受け入れたとしても高齢化や人手不足は解決しない。
2001年に国連が発表した移民に関する研究は、移民は人口減少の緩和には役立つが、人口の高齢化を相殺し、高齢になった移民も含めた扶養率を維持するにはあり得ないほど大量の移民が必要であり、非現実的だと結論づけている。
また米国のシンクタンク「世界開発センター」(CGD)は、毎年数百万人の移民を受け入れているEU (欧州連合)では50年までに4000万人の労働力が不足すると推定している。CGDは移民こそ解決だと提案するが、人手不足を理由とした移民受け入れに終わりはない。
第二に、移民受け入れは国家や国民の経済的負担を増やす可能性がある。22年5月にドイツ連邦雇用庁が公開したデータによると、15年から16年の難民危機の間にドイツ入りした難民認定希望者約180万人のおよそ半数が社会福祉給付金(ハルツⅣ)で生活している。180万人のうち67万人は無職であり、46万人は雇用されているものの、約半数は単純労働に従事し低賃金のためハルツⅣの給付を受けているという。外国人に対するハルツⅣ給付額は07年以来倍増し、20年には130億ユーロ(約2兆円)に達している。
21年のデンマーク財務省の報告書によると、デンマークで非西洋系移民とその子孫のためにかかったコストは18年に310億デンマーククローネ(約6500億円)に達し、うち約半数を占めるMENAPT諸国(中東、北アフリカ、パキスタン、トルコ)出身の移民にかかったコストがその約8割を占めている。
フランス対外治安総局(DGSE)元局長のピエール・ブロシャン氏はマクロ経済の視点から、第三諸国からやつてくる労働スキルの低い移民を受け入れたとしても、利益を得るのは移民本人と低賃金労働者を確保できる雇用主だけであり、国家と国民は損をすると主張する。移民は賃金、1人当たりの生産性、GDP(国内総生産)、投資や雇用率に下方圧力をかけ、その一方で失業率には上昇圧力がかかるからだ。
治安が悪化・・・欧州の失敗
第三に、大量の移民を受け入れれば人口動態が大きく変化する。フランス国立統計経済研究所(INSEE)が今年3月に発表したデータによると、フランスの総人口6760万人のうち10.3%を移民1世、10.9%を移民2世、10.2%を移民3世が占める。フランスでは移民系がすでに人口の約3分の1を占めているのだ。またINSEEによると、19年にフランスで生まれた新生児の21.5%にアラブ・イスラム系の名前が付けられており、その割合は1969年の2.6%から急増している。イスラム教徒の子はイスラム教徒、というのがイスラム教の教義だ。フランスは徐々に、そして確実に、キリスト教徒の国ではなくなりつつある。
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原爆は「日本人」に投下せよ 衝撃の「ハイドパーク覚書」 林千勝
2023/8/13 20:00 政治 外交 週刊フジ
公開された「ハイドパーク覚書」はなぜかメディアが取り上げない。何故か?
2023/08/15
林 千勝(はやし ちかつ、1961年〈昭和36年〉 - [1])は、日本の歴史家、作家。昭和史、戦史を専門とする。東京都出身。東京大学経済学部卒業。富士銀行(現みずほ銀行)に入社。退社後、民間会社に勤務。
発掘・考察 大東亜戦争
原爆は「日本人」に投下せよ 衝撃の「ハイドパーク覚書」 林千勝
広島G7(先進7カ国)サミットで、各国首脳が訪れた広島市の原爆資料館には、多くの日本人が知らない「ハイドパーク覚書」が展示されている。なぜ、広島・長崎の人々の頭上への原爆投下に至ったのか。
その答えが記された〝一次史料〟であるハイドパーク覚書は、1944=昭和19=年9月18日、米ニューヨーク州ハイドパークで、フランクリン・ルーズベルト米大統領と、ウィンストン・チャーチル英首相の会談の内容が記されたものだ。原本は、ハイドパーク郊外にあるルーズベルト大統領図書館に保管されている。
原爆資料館の展示はコピーだが、この覚書の中盤に重要な一文が記されている。
《When a ”bomb” is finally available, It might perhaps, after mature consideration, be used against the Japanese, who should be warned that this bombardment will be repeated until they surrender.》
(爆弾が最終的に使用可能になった時には、熟慮の後にだが、多分日本人に対して使用していいだろう。なお、日本人には、この爆撃は降伏するまで繰り返し行われる旨、警告しなければならない)
原文は、英米首脳の合意・了解事項として、原爆投下目標は(市街地で暮らす)〝人間であり、日本人〟と明言し、〝降伏しなければ、「繰り返し」投下し〟ほぼ全滅させる趣旨を警告するとしている。〝非人道性〟の最たるものだ。
43年5月、米国軍事政策委員会は「トラック島(=西太平洋、カロリン諸島内に位置する島々)に集結する日本艦隊に原爆を投下することが望ましい」と大半の意見としてまとめた。当初から投下目標は、原爆開発の競争相手と見なしていたドイツではなかった。
しかし、44年2月に対象としていた日本艦隊が壊滅し、投下目標がなくなってしまった。そして9月、ハイドパーク会談で対象を人間、しかも「日本人」(「市街地・労働者・住民」)にした。彼らには、黄色人種への根深い差別意識がある。そのような意識がなければ、科学者や軍人そして政治家が、人々の頭上に直接原爆を投下するという発想にはならないはずだ。
原爆資料館の意義深いさまざまな展示を総合すると、米国による広島・長崎への「原爆投下の目的」は、次の3つとなる。
第1は、日本人に対して使用すること。
第2は、原爆の開発に膨大な経費(20億ドル)を投入したため、米国内に向けて費用対効果を正当化する必要があったこと。
第3に、原爆投下での戦争終結で、ソ連の勢力拡大を抑止すること。つまりは、戦後秩序を統制し、支配権、覇権を握ること。原爆を投下しその大量殺戮(さつりく)の威力・破壊力を見せつければ世界に恐怖を植え付け、支配できるということだ。これが現在に至るまで世界の核秩序につながっている。
さらに、重要な点は、原爆資料館の展示では、終戦や本土上陸作戦による米軍の犠牲の回避が原爆投下の理由とされていないことだ。
「日本人」への原爆投下を了解事項として確認したハイドパーク覚書の方針は、45年4月12日、ルーズベルト大統領が亡くなった後も変更がなく、疑問の余地のない明確化された想定だった。
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「戦後」からの脱却を 論説委員兼政治部編集委員 阿比留瑠比
2023/8/15 18:00 阿比留 瑠比 政治 日米外交とバイデン政権終戦の8月憲法改正
これだけ近現代史の情報が開示されている中で、戦後78年経っても、戦後のアメリカの占領政策から抜け出せないでいる日本国民の精神は、どこかおかしい。世界情勢が大きく変わる今、このまま、戦後を脱却できないでいると、早晩日本はなくなると思います。政治、メディア、教育を全て変えていかないと先がない。
2023/08/16
阿比留 瑠比(あびる るい、1966年3月4日 - )は、日本の政治部記者。産経新聞社政治部編集委員。福岡県太宰府市出身。県立筑紫丘高校、早稲田大学政治経済学部を卒業後、1990年4月産経新聞社に入社。 仙台総局、文化部(生活班)、社会部を経て政治部へ異動。政治部では内閣記者会(首相官邸担当、キャップ)、外務省兼遊軍担当を務めたのちに再び首相官邸担当に異動。
「戦後」からの脱却を 論説委員兼政治部編集委員 阿比留瑠比
東京・日本武道館での全国戦没者追悼式をはじめ、終戦の日は多くの鎮魂や追悼の行事、集会が催される。日本にとって大きな節目を迎えた日なのだから当然だが、この日が「戦後78年」だと強調されればされるほど、相変わらず「戦後」の枠組みの中で語られていることに違和感も覚える。
大きく変遷する激動の世界にあって、いつまで先の大戦から何年という視点にとらわれていなければならないのか。「戦後」とは何か。日本が敗戦国という位置づけに封じ込められ、あるいは自ら好んで閉じ籠もってきた歳月のことだろう。
日本は長年、「歴史は勝者が書くものだから」(外務次官経験者)とそれを受け入れ、外交では謝罪外交、土下座外交を繰り返し、国防はないがしろにし、子供たちの歴史教科書すら外国に当然のごとく干渉されても唯々諾々と従ってきた。
何よりいまだに一度も改正していない憲法が「戦後」の象徴である。バイデン米大統領は副大統領時代の2016年8月の選挙演説で、当時の共和党のトランプ候補に向けてこう言い放った。
「核保有国になれないとする憲法を、私たちが書いたことを彼は知らないのか」
連合国軍総司令部(GHQ)民政局次長として日本国憲法起草グループの実務責任者だったケーデイス氏は、産経新聞の古森義久・ワシントン駐在客員特派員に対し、憲法の目的について赤裸々に語っている。
「最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことでした」
日本が米国の疲護下で経済成長に専念できた時代は、それでよかったのかもしれない。だが、今やロシアによるウクライナ侵路を例に引くまでもなく、中国や北朝鮮の軍事的脅威が厳然と目の前に存在する。相対的に米国の力は弱まっている。
もはや「戦後」から脱却し、新しい時代に適応しなければ日本は生き残れないだろう。
昨年7月に暗殺された安倍晋三元首相を、坂元一哉大阪大名誉教授は「戦後を終わらせた首相」と呼んだ。(本紙令和2年10月19日付朝刊)。理由は、安全保障関連法や戦後70年談話で、「戦後長く続いた安全保障の法的基盤における重大欠陥を是正し、また戦後日本外交を必要以上に後ろ向きにした歴史認識問題に一応の一決着をつけたこと」などだった。同感である。
過去の体験を検証し、教訓を得ることは大切である。だが、占領政策を引き継ぐかのようにやたらと「戦後」を唱え強調するのは、そろそろやめにしたい。
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この夏に思う 国家安全保障上の最大の要諦 東京大学名誉教授・小堀桂一郎
2023/8/11 08:00 小堀 桂一郎 オピニオン 正論 終戦の8月
まさにその通りで、コメントのしようがありません。
2023/08/11
小堀 桂一郎(こぼり けいいちろう、1933年生まれ)は、日本の文学者。東京大学名誉教授、明星大学名誉教授。専攻はドイツ文学、比較文学、比較文化、日本思想史
この夏に思う 国家安全保障上の最大の要諦
東京大学名誉教授・小堀桂一郎
昭和20年8月15日正午、昭和天皇の玉音放送を以て対連合国戦争の終戦を命ぜられる詔勅を拝聴したのは、本年で78年の過去の事になる。小学校6年生の児童として畏まつてあの放送を拝聴した記憶はなほ脳裡に鮮明であるが、それが今や80年近い昔の事だつたと改めて認識すると、流石に<時は流れたり>の感慨が湧いてくる。
78年という時の流れ
戯れに昭和20年から78年を溯つての昔といふとそれは慶応3年に当る。最後の将軍徳川慶喜が大政奉還を奏上し、やがて王政復古の大号令が宣下された年である。昭和20年頃の青少年にとつて、幕府の終焉と維新の開始は、謂(い)はば蒼古の歴史上の事件であつて、当時なほ生存の古老から体験談として親しく語り聞かされたとしても、自分とは何の縁もない昔物語としか響かなかつたであらう。
それと同じ事で、現在の働き盛りの或いは修学中の世代の人々にとつて、昭和20年夏に受けた国民の心の激動を、戦前世代が自らの体験談として熱心に語つたとしても、やはり遠い昔話としてその意味の深刻さに同感できるといふ所まではゆかないのではないか。
昭和20年を折目として我が国の歴史をそれ以前と以後との二つに分けてみると、同じ78年でもその前半と後半とでは、眼に映る様相もその骨格をなす深部の構造も、到底同じ視点からは論じられないほどの大きな懸隔がある。
前半では日本国はその出発点の姿と到着点での姿とが甚しく違つてゐる。先づ国土の規模の一時的減少と漸次的拡大とが激しく揺れ動いた。山縣有朋の表現を借りて言ふならば、主権線と利益線との双方でその消長が頻頻と生じてゐる。そして我が国のその動きと対応する周辺の諸国・地域の伸縮と変容も亦(また)著しいものだつた事が、年次的に世界地図を見れば判る。
それに対して後半の78年では欧米植民地帝国の主権線下にあつたAA諸国・地域の独立達成以降、地図の上での大きな変動は少く、折返し線から数年の内に決定した領土・領海線の固定化が今のところとにかく続いたままである。
緊縛状態への無関心は危険
我が国一国に限つて言へば、戦後沖縄が平和裡に国家主権下に復帰した慶事以外、現状固定化の様相が顕著である。折返し線の前半にあれほどの主権線の変動が頻発した事が不思議に思はれて来る。
この現状固定化の最大の原因は、憲法が主権国家としての我が国の主権線に関はる運動を厳しく緊縛してゐる故であり、今更乍(なが)ら大戦での戦勝国米国の占領政策の成功ぶりに暗然となる。
戦後に生きる我々現代人は利益線の伸長といふ形での国利民福の増大にさほどの価値を置いてはゐない。故にこの被緊縛状態にも大して苦痛を感ずる事はない。
然し玆(ここ)に一つ真剣に考へておくべき問題がある。それは我が国土と国民の安全保障にとつて、この緊縛状態への無関心は、実は甚だ危険なのだといふ一事である。
日本の周辺諸国は、かの歴史の折返し線の寸前までは、我が国が世界最強の陸軍を保有する国であつたのに、その国が今は自らの手足を堅く緊縛して80年近くをその状態に自足し謹慎してゐる事実をよく知つてゐる。我が国のその消極的姿勢を自らの国利国益の伸長のために存分に利用する事に何らの躊躇を感ずるものではない。
問われる現在の国民の意識
かうした逼塞状態を打破し、折返し線以前の活気ある日本を取り戻したい、といふのが純正保守思想の運動に携はる人々の熱い念願だつた。その機会は少からずあつたのだが、常に潰して来たのが所謂敗戦利得権者達であつた。その者達によつて、平成7年6月には「戦後50年国会決議」が劃策され広汎に生じた反対論に怯んでか、村山富市首相談話といふ歪んだ形で、結局対外的には日本の国会が大東亜戦争を反省しての謝罪決議をしたも同然の効果を生んだ。
平成27年の「戦後70年談話」はその村山談話を再確認した如き劣悪なものだつた。それが閣議決定といふ責任逃れにも似た形をとり乍ら、国民挙(こぞ)つての敬愛と信頼の対象であつた安倍晋三氏の名を以て発表された事は絶望的な破局だつた。<日本を取り戻す>との目標を掲げて思想上の歴史戦を闘つて来た保守陣営の真摯な志は、又しても政治的現実妥協路線により無残に裏切られた事になる。
あの幻滅から早くも8年が過ぎた。「70年談話」への胸裡の忿怒(ふんぬ)はまだ収らないが、然しそれに拘泥(こだわ)つてゐる余裕は無い。現実の政治戦の思想的骨格である「歴史戦」は今その厳しさの極致に迫つて来てゐる。平成7年6月の国会決議謀略に向けての本欄の特集でもふれた或るドイツの歴史家の定言だが<或る時代の一国民の運命を決定するのは過ぎ去つた歴史それ自体ではなく、その歴史に対する今現在の国民の戦闘的関係である>。この意味での我々の戦闘的歴史修正要求こそが、国家安全保障の最大の要諦である。(こぼり けいいちろう)
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最近、【デイリーWiLL】で学んだこと
●アメリカの原爆投下計画の機密文書
日米戦争を策謀した「国際金融資本」と原爆投下の真実
【デイリーWiLL】【林千勝氏】より抽出したものです。
戦後78年経ち、歴史の真実の機密文書が公開されているにも関わらず、日本国民に全く知らされていないとは、どうゆうことなのか?・・非常に残念ですね。
10か所の日系人の強制収容所もそうだが、当時のアメリカの国家がメディアの言論統制を駆使してまで、日本国及び日本民族を根絶やしにしようとしたことは明白ですが、ポツダム宣言受諾でかろうじて助かったということですね。そのアメリカが今、国家分断の危機に立たされているということらしい。
2023/08/10
●1945年8月10日
マンハッタン計画責任者グローブス将軍のマンハッタン計画の指令書
ジョージ・マーシャル ライブラリーの機密文書
2020年8月、戦後75年で機密解除
●1945年8月10日
6日に広島、9日に長崎に投下
原爆3発目は8月24日以降から前倒しで、8月17以降に投下の指令書
●1945年8月10(同日)
トルーマンは、日本降伏が近づいているという譲歩y判断から、一連の原爆投下をいったん停止するも・・・・日本降伏の報は言って来ず。米国による原爆投下の非人道性を遅まきながら認識した模様。
ヘンリー・ウオーレス日記から
副大統領→商務長官
●1945年8月13日
ジョン・E・ハル将軍(陸軍省作戦部参謀長補佐、後の琉球総督)とライル・シーマン大佐(グローブス将軍の補佐)との電話会議記録。 ジョージ・マーシャル ライブラリーの機密文書。
2発の原爆は絶大な効果を日本人に及ぼした。(広島と長崎)
繰り返し落とすという当初案に沿って、
8月19日に3発目投下可能
9月に4・5発目投下可能
10月に6~8発目投下可能
10日ごとに投下は固い。上陸侵攻前にまとめて投下も。
●1945年8月14日
ワシントンの英国公使からの本国への電文
原爆投下は英米の共同合意(トルーマンとチャーチル)
トルーマンの意向を英国に電文した。内容は以下。
●1945年8月14日
トルーマンより上位の判断者の存在
トルーマンの考えは3発目を東京に投下
8月14日午後4時5分に日本がポツダム宣言受諾し、東京原爆投下をまぬがれた。
終戦になったので2発で止まった。
●千島列島、北方領土の侵攻作戦は、アメリカのシナリオだった。実行者はソ連。
アメリカとソ連の責任者の打ち合わせの様子。
アラスカの基地でアメリカ軍がソ連の侵攻の準備を整えた。
ソ連と連携し侵攻した。アメリカ軍の誇る北方領土侵攻作戦の機密文書が解除された。
その歴史の事実を日本人は全く知らされていない。日本は実質米国の占領下にまだある。
日本国民は、歴史の真実が共有されていない。原爆も北方領土も。
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「脱清人」になるなかれ 論説委員・川瀬弘至
2023/7/30 15:00 川瀬 弘至 オピニオン コラム 日曜に書く
沖縄県の玉城デニー知事は中国の領土になりたいという意思表示だと思いますが、中国の領土になるのなら、沖縄はいっそのこと占領国のアメリカに返した方が良いと思ってしまいます。沖縄県民は、なにをぼんやりしているのだろうか。
今の世界情勢をもっときちんと見極めて、沖縄の県民は真剣にこの問題を考えるべきだと思います。平和な沖縄がなくなる前に・・!。
2023/08/03
「脱清人」になるなかれ・川瀬弘至氏
「脱清人(だっしんじん)」―。明治維新後に日本が琉球王国を併合した際、反発して清(中国)に脱出し、清の政府要人らに「琉球救援」の軍隊派遣を求めた一部の琉球士族たちである。
日本政府に抵抗
日本の江戸時代にあたる17世紀初頭から19世紀後半、琉球王国は、薩摩藩の支配を受けつつ中国(明(みん)、のちに清)にも朝貢する〝日中両属〟の形をとっていた。維新を成し遂げた日本が帰属を確定するため、琉球に対し清への朝貢を停止するよう求めたのは明治8(1875)年である。
琉球の上級士族と、中国からの渡来人の末裔(まつえい)である久米(くめ)士族(久米村=那覇市久米=に居住したためそう呼ばれる)は反対した。特権階級の地位が揺らぐと危惧したのだろう。有力者らが上京し、両属関係を維持するよう日本政府に要請したほか、清の駐日公使や欧米列強の各公使らにも援助を求めた。
各国の介入を恐れた日本は、琉球の意見も聞きつつ徐々に同化していく従来の方針を改め、国王尚泰(しょうたい)を侯爵に叙して東京に住まわせたうえ、琉球を廃して沖縄県を設置した。
ときに明治12(1879)年、琉球処分である。
上級士族らは納得せず、県政への不服従運動を展開した。しかし尚泰と下級士族は日本との同化を受け入れ、重税に苦しんでいた一般民衆も新体制を望んだ。すると上級士族らは次々に清へ脱出して脱清人となり、北京、天津、福州を拠点に「琉球救援」運動を展開。軍隊を派遣して奪還するよう、清の要人に繰り返し請願した。
だが、清は動かなかった。脱清人は悲嘆し、久米士族の林世功(りん・せいこう)が北京の総理衙門(がもん)(外務省)前で自決する事件も起きた。
沖縄の帰属問題は、1894~95年の日清戦争で日本が圧勝したため完全に決着する。脱清人の希望はついえ、多くは沖縄に戻った。ちゃっかり県の要職につくものもいたという。
知事墓参の波紋
それから約130年、忘却のかなたにみえた脱清人だが、林世功はじめ中国で客死した14人が埋葬された北京郊外の「琉球国墓地」を、恭しく参拝した人物がいる。
7月上旬に訪中した沖縄県の玉城デニー知事だ。
日本のマスコミはこの墓地について「清朝時代に琉球王国から派遣された役人らが埋葬されている」などとぼかして報じたが、中国のメディアは、清に助けを求めて自決した林世功らの墓地だと明確に伝えている。
参拝した玉城丹尼(中国語ではデニーをこう書く)が、ここに眠る琉球の祖先たちに「中国とのつながりを守っていく」と誓ったと―。
こうした報道を、筆者はやばいと思っている。
玉城氏の墓参自体を批判するつもりはない。誰であれ死者を弔うのが日本人の宗教観だ。
ただし知事である以上、自身の言動が他国にどう伝わるかを少しは考えてもらいたい。
北京で発行されている大衆紙「新京報」は玉城氏の墓参に合わせて長文の解説記事を掲載。琉球はかつて中国の属国だった、それを日本が強引に併合して沖縄県とした、沖縄の帰属問題はまだ解決していない―などと書きたてた。
人民日報系の雑誌「国家人文歴史」は沖縄の米軍基地問題を特集で取り上げ、「日本政府の対応に琉球の民衆は大きな失望と反感を抱き、独立を求める声も強まっている」と論じた。
やばっ、である。
尖閣問題に言及せず
中国に変な下心を抱かせないよう、玉城氏は墓参より先に、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で中国海警局船が領海侵入などを繰り返している現状について抗議すべきであった。
もし「わが県の尖閣諸島は日本国の領土であり、挑発行為はやめていただきたい」ときっぱり言ったならば、中国メディアの報道ぶりも違っただろう。
だが、玉城氏は中国要人らとの会談で、尖閣の「せ」の字も出さなかった。まことに残念である。
各種世論調査によれば沖縄県民の大多数が日本人であることを自覚し、中国の軍備増強を警戒している。一方でごく一部の人たちが、海外に向けて日本政府の悪口を発信している。
この状況は、琉球処分当時に似ているといえなくもない。
清は軍勢を送らなかったが、習近平指導部はどうか。
北京の墓地に眠る脱清人を、よみがえらせてはならない。 (かわせ ひろゆき)
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米国よりマシな日本・ケビン・M・ドーク氏
麻薬の問題、LGBT論争・・・
2023/07/30 オピニオン The考寄稿
このケビン・M・ドーク氏の提言は、今の日本の問題点を鋭く正確についていると思います。
このままの国家感ではいずれ日本という国はなくなってしまうような気がします。
2023/08/01
ケビン・ドーク(Kevin M. Doak、1960年 - )は、アメリカ合衆国の歴史学者、専攻:日本近代史・日本思想史。現在、ジョージタウン大学東アジア言語文化学部教授、ウェイクフォレスト大学教授、イリノイ大学教授。また京都大学、東京大学、立教大学、甲南大学、東海大学に留学経験があり現在はこれら5つの大学の客員教授である。 高校時代に日本(長野県上田市)に留学。イリノイ州クインシー・カレッジ卒業。シカゴ大学で博士号取得。イリノイ大学准教授を経て、現在、ジョージタウン大学教授。麗澤大学国際問題研究センター客員教授。公益財団法人国家基本問題研究所客員研究員。第1回「寺田真理記念・日本研究賞」(「国基研 日本研究賞」)受賞。
米国よりマシな日本・ケビン・M・ドーク氏
日本人は何かと「アメリカに比べて日本は・・」と、自国がいかに遅れているか言おうとする。私はそういう日本人に言いたい。「何を言っているのですか、日本はまだましですよ」と。
たしかにアメサカの方が日本より優れている点はたくさんある。経済力も軍事力も、国際的な影響力もアメリカの方が上だ。しかし、それでも社会に安定があるという意味で、日本はアメリカにまさっている。
アメリカの社会秩序は今、危機に瀕している。
日本の街中はどこも概して清潔だが、アメリカの都市部では、表通りから一歩入ると街中にゴミが山積みになっている。家族が崩壊している地域が多く、さまざまな犯罪も増えている。例えば、私が勤めるジョージタウン大学のある首都ワシントンDC。私はDCの中心部に行くのが正直、恐ろしい。若者がドラィバーを脅して、車を奪う「カージャッキング」が多発しているからである。
彼らは貧しいから車を奪うのではない。犯罪をゲーム感覚で楽しんでいる。つまり、していいことと悪いことの判断がつかなくなっているのだ。社会からモラル、つまり道徳が失われていると言い換えてもいい。
最大の原因は麻薬の蔓延であろう。アメリカ政府の疾病対策センター(CDC) の発表によると、薬物過剰摂取による死者は2021年4月までの1年で10万人を超えている。ベトナム戦争の米軍の死者は総数で5万8000人といわれるが、薬物の死者は、1年でその2倍近く。死者だけでこれだけの数になるのだから、麻薬常習者の数は計り知れない。アメリカの民主主義にとっては一種のタブーともいえるが、街中で政治的な抗議活動を行っている人の中にも、多くの場合、麻薬中毒の人々が少なからず含まれている。その結果、暴力行為がはびこり、場合によっては、民衆が暴徒化する。麻薬がレイプなど性犯罪の温床になっていることは言うまでもないが、LGBTなど性的少数者の問題でも、麻薬で正気を失った性的行為が深刻になっている。
しかし、政治家も政治的エリート、メデイアもそれらの麻薬問題を直視せず、「複雑な問題だ」と言葉を濁す。日本にも麻薬犯罪はあるが、発覚すれば、社会的に厳しく糾弾される。日本には、まだ道徳が生きているのだ。
宗教・なき自由主義の末路
ァメリカでは近年、キリスト教を信仰する人、教会に行く人が急速に減つている。これは今のアメリカの不安定さと深く関係している。日本の場合は、宗教がなくても、道徳的基盤が生活文化の中に組み込まれているが、西欧は違う。道徳はキリス卜教に深く根ざし、特にアメリカの場合は、キリスト教がなくなれば道徳の基盤が失われる。
宗教や道徳などなくとも、法律があれば秩序は守られると思うかもしれないが、少なくともアメリカに関する限り、それは大いなる誤謬である。なぜならば、アメリカでは、憲法も法律も、宗教や道徳という人々が共有する価値観の上に築き上げられてきたものだからだ。アメリカ人にとって宗教や道徳の裏付けがない法律は単なる時の政治権力の道具に過ぎず、人々が従うに値する存在ではなくなる。
こう書くと、「ヨーロッパでもカナダでも、人々はアメリカ人ほど教会に通わないが・・」と疑間に思う人もいるだろう。たしかにヨーロッパの人はアメリカ人のように教会に行かないし、カナダでも1960年代から、多くの国民が教会に通わなくなったーこれは静かな革命(Quiet Revolution )と呼ばれる。
だ注、西欧の中でも、アメリ力は独特の歴史を持つ国である。独立革命で英国王室やその政府との関係を断ち切って成立した国であり、そのことによって、英国に支配されず、個人に重きを置いた進歩的な国家を築いた。強い個人主義は、個々人が放縦に走り、弱肉強食の無秩序に陥る危険と背中合わせだが、アメリカはその個人主義をキリスト教とそれに基づく道徳で抑制し、個々人をまとめることで秩序を守り国家を発展させた。アメリカ建国の父の一人であり、第2代大統領を務めたジョン・アダムズは「私たちの憲法は道徳的で宗教的な人々のためにのみ作られた」と語ったが、この国はキリスト教がなければ、国家も憲法も成り立たなかった。
しかし、今進んでいるのは「棄教」とも言うべき宗教離れだ。それも自由だと言えば自由かもしれないが、今のアメリカの自由は、犯罪も麻薬も自由、無政府主義的な自由になりつつある。自由主義は、他人の権利を尊重するというルールと秩序に基づくものだと考える人もいるかもしれない。しかし、今のアメリカを見る限り、その考えは通じない。例えば、LGBTをめぐる論争では、運動家の多くが同性婚や、生まれつきの体ではなく性自認によって性別を決める「自由」を主張する一方で、これに反対する人々の「自由を決して認めない。「ヘイトスピーチだ」とレッテルを貼り、葬り去ろうとする。これがアメリカの自由主義の現実だ。自由は尊いが、それを制御する宗教や道徳がなければ、悪魔の道具になるのだ。
不安定なナショナリズム
自由主義をめぐっては日本でも同じような問題が起きているという。しかし幸いなことに、アメリカほど極端な状況には陥っていない。日本の道徳が宗教(キリスト教とは違えど)から来るものなのか、それ以前の文化的な伝統に基づくものなのか、ここではあえて論じない。ここで論じたいのは、日本のナショナリズムである。アメリカは英国からの独立によりナショナリズムを確立したが、日本のナショナリズムは今も不安定である。日本人とは民族なのか、国民なのか、日本人にとって日本という国家はどういう存在なのか。日本人はいまも明確な認識を持てずにいる。
日本人は明治維新で自分たちが日本人であることを認識、日本という国家意識も強まった、その意味で、明治以降の日本ではナショナリズムは強まったのだという学者は少なくない。しかし、明治維新はあくまで武士階級による「上からの」革命であり、西欧列強という外国から日本の独立を守るために行われたものである。大多数の民にとって、日本という国家が何のためにあるのか明確な自覚のないままに行われたものに過ぎなかった。それ故に、明治憲法下の国民(天皇に対する「臣民」と呼ばれた)の権利も、不安定なものだった。
戦後、日本のナショナリズムはアメリカの占領でさらに複雑になった。日本国憲法には国民の権利が明確に書き込まれたがその憲法自体はアメリカの指示で制定されたものだった。日本人は主権回復から70年以上経っても、いまだに自分たちの手による憲法すら持てずにいる。
約1年前、銃撃事件で亡くなった安倍晋三元首相は、その日本の不安定なナショナリズムを安定させようとした人物だった。熱心に拉致問題に取り組み、国民投票法制定を成し遂げたのみならず、憲法改正を進めようとした。これは国民と国家の関係を考え直し、日本という国家を日本人という国民のためのものにしようとした試みだった。しかし、それは未完に終わった。今の岸田文雄政権が第一に取り組むべきは、安倍氏の未完のプロジェクトを完成させることだと思う。
註:ナショナリズム
国家または民族の統一・独立・発展を推し進めることを強調する主義・運動。
▷ 「国家主義」「民族主義」「国粋主義」などと訳す。 nationalism
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ジャーナリスト・古森義久氏のあめりかノート
「米中対立は文明の衝突なのか」
2023/7/17 古森義久 国際 米中対立古森義久のあめりかノート
まさに文明の衝突だと思いますね。今後アメリカが対応をどう変えていくのか?
2023/07/18
古森 義久(こもり よしひさ、1941年〈昭和16年〉3月11日 - )は、日本のジャーナリスト。麗澤大学特別教授。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構特別アドバイザー。国際問題評論家。国際教養大学客員教授。ジョージタウン大学「ワシントン柔道クラブ」で指導経験がある柔道家。
米中対立は文明の衝突なのか 古森義久
米国と中国の対立は最近の両国高官の一連の会談にもかかわらず、険しさを増している。特に米側では両国の対立は民主主義と全体主義という政治理念のぶつかり合いだけではなく、文明の衝突だとする新たな見解が議会や中国研究界の有力者から表明されるようになった。
「文明の衝突」論とは米中両国はそもそも歴史、文化、伝統、社会、民族などを総合した文明が異なることが衝突の主因だとする考察である。米国の民主主義から中国の共産主義に対して個人の自由や人権の抑圧を非難するというイデオロギーの衝突だけではない、とする主張だ。その差異には人種の違いまでが含まれるため断層の認識は格段と深く、険悪な色をも帯びる。
米国で最近、国政レベルで中国との対立を「文明の衝突」と定義づけたのは上院有力メンバーのマルコ・ルビオ議員だった。共和党の論客として上院外交委員会で長年、活躍し、2016年の大統領選ではドナルド・トランプ氏に挑戦した政治家である。
ルビオ議員は今年春、ワシントンの大手研究機関「ヘリテージ財団」における対中新政策発表の集会で基調演説し、以下の骨子を強調した。
「私たちは今の世界で人間関係のあり方をめぐる衝突に直面している。米国が建国以来、最大の価値としてきた個人の自由や創意に対し中国はその種の西洋的文明は資本主義とともに終わりつつあると断じて挑戦してきた」
「中国の共産党政権は個人の創意や批判を抑え、服従を強いる。この中国型モデルはいまの政治や政策を超え、中国の歴史そのものに由来する。国家や人間のあり方のこの種の挑戦は文朋の衝突以外のなにものでもない」
ルビオ議員は以来、議会での対中政策論議などでこの「文明の衝突」論を、表現を微妙に変えながらも繰り返してきた。その見解が中国研究の大御所とされるマイケル・ピルズベリー氏に支持されたことも注目に値する。
同氏は中国の軍事戦略にとくに詳しく、米国の歴代政権の対外戦略、対中戦略の重要な地位に就いてきた。
ピルズベリー氏は、現在はヘリテージ財団の中国研究の中心にあり、「新冷戦に勝つ 中国に反撃する計画」という長大な政策勧告書を発表した。ルビオ議員が演説したのはその発表の集会だった。ピルズベリー氏はその場でも「文明の衝突」に同意した。
同氏に直接、その点の見解を尋ねてみると、以下の答えが返ってきた。
「ソ連との対立はイデオロギーが主因だった。だが、ソ連とは宗教も合めて、西洋文明や歴史認識などといった共通項があった。一方、中国とは文明が異なる。民族、社会、歴史、文化、伝統などの総合という意味で、文明が異質なのだ」
「中国側でも習近平国家主席らが『中国は西側とは異なる例外的な文明を有しているのだ』とよく述べている。その文明の相違は人種という要素をも含むため、細かな神経の配慮を要することにもなる」
この意見が現実の反映だとすれば、米中対立は政府高官の対話の推進などでは解決はほど遠いということになろう。(ワシントン駐在客員特派員)
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最近、FBコラムで学んだこと
現代アメリカの保守主義 運動小史
江崎道郎 FB記事 2023/06/21
アメリカの保守主義の本質の6つの「規範」は、非常に勉強になりました。
自称「保守派」が日本には多いが、日本には日本の保守主義があり、アメリカと同じである必要はない。
その通りだと思います。政治家にはもっとしっかりして欲しいですね。
2023/06/28
江崎 道朗(えざき みちお、1962年 - )は、日本の評論家、情報史学者。専門は安全保障・インテリジェンス・近現代史研究。福岡県大川市生まれ。福岡県立伝習館高等学校を卒業。1984年、九州大学文学部哲学科を卒業。「日本を守る国民会議」事務局、日本青年協議会月刊誌『祖国と青年』編集長を経て、1997年から日本会議事務総局に勤務、日本会議国会議員懇談会の政策研究を担当する専任研究員。2020年3月には渡瀬裕哉、倉山満とともに「救国シンクタンク」を設立した。
●現代アメリカの保守主義・運動小史・江崎道郎監修
戦後のアメリカにおいて、保守主義を小ばかにする当時のアカデミズムに対して真っ向から反論を挑んだのが、当時三十四歳のラッセル・カークであった。
リベラル勢力は、ルソーの影響でキリスト教道徳や慣習に代表される伝統的価値観を否定しているが、その結果、フランス革命では無秩序状態が生まれ、治安を維持するために政敵を断頭台に送る恐怖政治が出現したではないか――イギリスの政治家エドマンド・バークは当時、フランス革命をこう批判した。
このバークの政治哲学を改めて「発見」したカークは、その著書The Conservative Mind (一九五三年、邦訳版『保守主義の精神』会田弘継訳、中公選書、二〇一八年)において、「祖先たちが築いてきた伝統的価値観を受け継ぎ、道徳的な秩序を維持していくことによってのみ自由で多様性ある社会生活を享受できるのだ」と主張し、「保守主義」こそが自由と自主独立の精神を守ることができることを説得力ある言葉で示したのだ。
本書でも詳しく述べているが、保守主義の本質は次の六つの「規範」にあるとカークは断言した。
一、個人の道義心が不可欠であることは言うまでも無く、神の意志(A divine intent)が社会を規定する。
二、最も急進的な体制は個人の自由が制限された画一性で特徴づけられる一方、伝統的な社会生活は多様さと神秘に満ちている。
三、文明社会は秩序と階級とを必要とする。
四、個人の財産と自主独立(Freedom)は不可分の関係にある。
五、人は理性よりも感情によって、より一層左右されることを知った上で、自分の意志と欲望を制御しなければならない。
六、社会は緩やかに変わらねばならない。
自由と民主主義や資本主義などをなんとなく支持している人たちは、単なる「保守派」に過ぎない。本気で自由を守ろうと思うならば、この六つの規範に基づく「保守主義」に立脚すべきだと、カークは説いたのだ。
アメリカの「保守主義」には、こうしたしっかりとした理論があるのだが、同盟国のこうした基本的なことさえ知らない自称「保守派」が日本には多いのが、いかにも残念だ(日本には日本の保守主義があり、アメリカと同じである必要はないと考えているが、同時にアメリカの保守主義の基本哲学ぐらいは知っておくべきだ)。
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