近現代史記事紹介-2

 

■ ソ連工作員によるプロパガンダで遅くなった日本の降伏

 

 インテリジェンスで読み解くWWⅡ-vol.11に、江崎道郎氏著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集した内容が、『ソ連工作員によるプロパガンダで遅くなった日本の降伏』として取り上げられていましたので、掲載します。

 

もし、ルーズヴェルト大統領が急死しなかったら、日本はどうなっていたか?非常に勉強になりました。

2022/04/04

 

 

ソ連工作員によるプロパガンダで遅くなった日本の降伏

江崎道朗 

インテリジェンスで読み解くWWⅡ-vol.11-第二次世界大戦

2022.3.31

 

第二次世界大戦後の日本に対して、実質的にはアメリカのルーズヴェルト政権が占領政策をつくったとも言えるわけですが、そこには共産党の影響が大きかったことが判明した。

 

第二次世界大戦後の日本に対して、実質的にはアメリカのルーズヴェルト政権が占領政策をつくったとも言えるわけですが、そこには共産党の影響が大きかったことが判明したのは、機密文書のヴェノナ文書が公開されたからです。評論家・情報史学研究家の江崎道朗氏が、今まで隠されていた近現代史を教えてくれました。

 

 

CIAの前身はソ連の工作員の巣だった戦略諜報局

 

1942年以降のアメリカは、あらゆる省庁に共産党員が多かれ少なかれ浸透している状態でした。

 

当時、重要な省庁だった農務省、資金を握る財務省や予算局、対外政策に関わる国務省、外国経済局、WPB、OSS、OWIなどには特に集中的に浸透していました。

 

なかでも注意しておきたいのがOSS、つまり戦略諜報局への浸透です。OSSの前身は日米開戦5カ月前の1941年7月に設立された大統領直轄の統一情報調査局(COI)で、1942年6月にOSSに改称されました。OSSは、世界各国の状況を研究し、戦争の遂行計画だけでなく、戦後の統治の仕組みまでを考える対外情報機関でした。

 

ルーズヴェルト大統領は、第二次世界大戦を通じて、イギリスに代わってアメリカが世界の覇権国家となることを見据えていました。

 

フランクリン・ルーズベルト 出典:ウィキメディア・コモンズ 
フランクリン・ルーズベルト 出典:ウィキメディア・コモンズ 

 

 

OSSは、他の省庁から「公平で正確な情報源」として頼られていた機関でした。情報機関という機関の性質から任務の機密性が高く、当時はその実態が知られていませんでしたが、現在では共産主義者の浸透ぶりが明らかになっています。

 

OSSの長官は、1945年9月の解散まで一貫してウィリアム・ドノバンという軍人が務めましたが、副官の筆頭格だったダンカン・リーという人物はソ連の工作員でした。ダンカン・リーは、ドノバン長官のもとに集まる機密書類をすべて読むことができる立場にいました。

 

しかも、このダンカン・リーは、OSS日本部門の責任者でした。ダンカン・リーの主導の下、OSS日本部門によって、東京裁判、神道を弾圧する神道指令、憲法改正、教育制度の改悪といった戦後の対日占領政策はつくられたのです。

 

実質的にルーズヴェルト民主党・共産党連立政権が、対日占領政策をつくったとも言えるわけですが、共産党の影響がそれほど大きいことが判明したのは、ヴェノナ文書が公開された以降のことです。

 

「日本に憲法を押し付け、軍隊を解散に追い込むなど、不当な占領政策を強いたアメリカはけしからん」と怒る方がいますが、正確に言えば「ルーズヴェルト民主党政権と、米国共産党によって、日本は不当な占領政策を押し付けられた」ということになるのです。

 

敗戦後の日本の命運を決定したのは、勝者のアメリカでしたが、そのアメリカに大きな影響を与えていたのがソ連だったわけです。

 

ちなみに、OSSを母体として戦後につくられた対外インテリジェンス機関が「CIA(中央情報局)」です。CIAという機関が、もともとソ連の工作員の巣だったということは知っておくべきでしょう。

 

 

ソ連による“日本を降伏させない”工作

 

戦時中、アメリカのルーズヴェルト政権は、日本に対して「無条件降伏」を求めていました。日本の奴隷化を意味しかねない「無条件降伏」に応じるわけにはいかないことから、当時の日本政府も軍部も徹底抗戦を叫ばざるを得ない状況に追い込まれていました。

 

ソ連の対日参戦は1945年8月8日です。5月8日のドイツ降伏からぴったり3カ月後でした。ドイツ降伏から2カ月または3カ月でソ連が対日参戦することと引き換えに、アジアの莫大な領土と権益を与えるという「ヤルタ密約」通りの、その期限最終日です。

 

1945年8月14日、日本のポツダム宣言受諾を発表するトルーマン 出典:アメリカ国立公文書記録管理局(ウィキメディア・コモンズ) 
1945年8月14日、日本のポツダム宣言受諾を発表するトルーマン 出典:アメリカ国立公文書記録管理局(ウィキメディア・コモンズ) 

 

 

翌8月9日から、日本がポツダム宣言を受諾した8月14日まで、実質わずか6日間でソ連は、外モンゴル、南樺太、千島列島、満洲の港湾と鉄道の事実上の支配権を手に入れました。なお、ソ連は日本が降伏したにもかかわらず8月22日まで対日戦争を続けました。北方領土の不法占拠は、この時に起こったのです。

 

満洲は中国大陸で最も工業化した地帯でした。日本が開発したインフラがあったからです。ソ連は、この豊かな満洲の実権を握るとともに、日本軍が残した大量の武器弾薬および工場も手に入れます。軍事物資の一部は中国共産党に渡りました。

 

ソ連はまた、対日参戦の準備という名目で、大量の食糧・燃料・資材をアメリカから獲得しています。さらにアメリカは、終戦時までに700隻以上の小型戦艦の船団をソ連に提供し、乗組員の訓練も請け負っています。ヤルタ密約によって、ソ連は濡れ手に粟の状態でした。

 

5月にドイツが降伏したことから、日本の降伏はもはや時間の問題でした。そこでソ連は、ソ連参戦の準備が整うまで日本を降伏させない、という工作を行いました。

参戦前に日本が降伏してしまえば、ヤルタ密約で合意した領土や利権が得られなくなるからです。すでに軍事的に“死に体”の日本を、できるだけ降伏させずにおくことが必要でした。

 

 

「無条件降伏」こだわり続けたルーズヴェルト

 

ソ連は、まずアメリカに対日参戦を正当化するプロパガンダを行います。「日本軍は抵抗力が強く、日本本土の地上戦を戦い抜かなければ降伏させられない」という軍事的情報をルーズヴェルト政権の上層部に上げ、これに反する情報は遮断するという工作を米軍や政府内で行っていました。

 

『スターリンの秘密工作員』によれば「アメリカ陸軍はソ連の対日参戦を必要としている」という意見が、軍の総意であるかのように吹聴したのは、ジョージ・マーシャル参謀総長と国防総省の彼のスタッフでした。マーシャルは、戦後の、対ソ警戒を強めた欧州復興援助計画(マーシャル・プラン)でよく知られていますから、反共のイメージが強いのですが、少なくとも戦中は極めて親ソだった人物です。

 

対日戦勝を一緒に祝う米ソの海軍兵 出典:ウィキメディア・コモンズ 
対日戦勝を一緒に祝う米ソの海軍兵 出典:ウィキメディア・コモンズ 
ジョージ・マーシャル 出典:ウィキメディア・コモンズ 
ジョージ・マーシャル 出典:ウィキメディア・コモンズ 

 

 

また、ソ連は強硬な対日和平方針を煽りました。苛酷な戦後計画を日本に突きつけて「無条件降伏しか認めない」とする方針をアメリカ側に維持させ、日本が降伏を躊躇するように仕向けました。現に、ルーズヴェルト政権とトルーマン政権が、天皇の安全を保証せずに無条件降伏を迫り続けたことが、日本の降伏を遅らせたのです。

 

ルーズヴェルト大統領は、スターリンのこうした戦略の最高の協力者でした。アメリカの軍幹部たちは、この事態を深刻にとらえて、ルーズヴェルトに諫言していました。無条件降伏を要求すれば、日本は死に物狂いの状況におかれて戦争は長びきます。それは連合軍側の戦死者が増えることを意味しました。それでも、ルーズヴェルトは無条件降伏を主張し続けました。

 

「ソ連の対日参戦は必要ない」「連合国軍はすでに勝っている、ただちに講和すべきだ」と主張する軍人たちが少なからずいたことは、戦後、連邦議会の調査や証人喚問、新聞報道などで明らかになっています。

 

海軍では、ウィリアム・リーヒやアーネスト・キング、チェスター・ニミッツといった高名な軍人が、ソ連軍の日本本土上陸侵攻に反対していました。それでもルーズヴェルト大統領は「無条件降伏」政策にこだわり続けました

 

ところが1945年4月、ルーズヴェルト大統領は急逝します。代わって大統領に就任した副大統領のトルーマンは、必ずしも「無条件降伏」政策にこだわっていませんでした。

 

よって、苛烈な硫黄島の戦いと沖縄戦を見たトルーマン政権は、日本との条件付き降伏を模索するようになったのです。

 

あのまま、ルーズヴェルト大統領が存命であったならば、場合によって日本は本土決戦を強いられていたかもしれません。

 

※本記事は、江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集したものです。

 

副大統領時代のトルーマン 出典:ウィキメディア・コモンズ 
副大統領時代のトルーマン 出典:ウィキメディア・コモンズ 

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■ 憲法前文の不都合な真実

 

 

憲法前文の不都合な真実

2022/4/1 10:00水内 茂幸コラム

 

産経新聞政治月旦に、日本国憲法前文の気になるコラムが載っていましたので、書き起こして掲載します。

 

もうそろそろ日本国が草案した憲法が必要ですね。もう今の世界状況に合わないと思います。

2002/04/02

 

破壊されたアパートの前を歩く地元住民=3月31日、ウクライナ・マリウポリ(ロイター) 
破壊されたアパートの前を歩く地元住民=3月31日、ウクライナ・マリウポリ(ロイター) 

 

 

「わが国の憲法前文を読み返してほしい。ロシアのウクライナ侵略を踏まえると、これまでと違う意味を感じるはずだ」

 

3月中旬、自民党の三役経験者からこう問いかけられた。改めて目を通すと「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というくだりがやはり引っかかる。他国の「公正と信義」に、一国の安全保障を委ねるという点だ。

 

核攻撃の可能性もちらつかせ、主権国家の転覆を狙うロシアに「公正と信義」のかけらもあるだろうか。日本の周囲を見渡せば、そのロシアが北方領土を不法占拠しているだけでなく、北朝鮮は日本の排他的経済水域(EEZ)内に弾道ミサイルを撃ち込み、中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)への圧力を強めている。ウクライナの事態を受け、このような前文の発想で日本を守れるか。確かに、一層の不安を覚える。

 

憲法前文は終戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局で法務経験のある3人の米軍人が起草にたずさわったとされる。敗戦の責任を強く意識させつつ、武力に頼らない究極の国際協調主義を盛り込んだ。当時の日本を無力化させようという思いもにじみ、GHQは日本側の修正要求を拒んでいる。それゆえに「敗戦国のわび証文」 「ボツダム宣言の受取証」などといった指摘もあった。

 

前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」したとも明記している。起草時は「日本の暴走」に歯止めをかける狙いだっただろう。だが、今の安全保障環境をあてはめて解釈すればどうか。戦争の惨禍を起こさないため、政府に求められる「行為」とは、他国が侵略を諦めるような抑止力を備えておくことが欠かせない。独立後、国内の核兵器を廃棄したウクライナの経過を考えると、今の惨状は残酷なまでにそれを物語っている。

 

前文でうたう平和主義は、9条が定める「戦力不保持」や「交戦権の否定」につながっている。これらが心理的な足かせとなり、時代に即した防衛力の整備を遅らせてきた。自由と民主主義の秩序が破壊されかねない国際情勢の急変を受けて、日本を守り抜くための議論、ひいては憲法改正のありようを与野党が具体的に競い合うのが道理ではないのか。

 

だが、国会は何十年も繰り返されてきた原則論の応酬に終始している。立憲民主党や共産党は、ロシアの侵略行為を目の当たりにした後も、憲法で掲げる平和主義の尊重こそが国際紛争の最終的な解決策などと主張し、抜本改正には消極的な姿勢を崩さない。

 

3月23日の参院憲法審査会で立民の有田芳生氏は、現行憲法が民間人や戦闘員の膨大な犠牲を背景に生まれたとして、その精神の実現が今一番大事だ」と訴え、複数の野党議員が同調した。自民党の衛藤晟一氏が、ロシアの行為をみれば「(理想は)現実でないと冷静に見なければならない」と反論したが、議論はかみ合わなかった。

 

軍事大国を目指すという意味ではない。信用できないどころか、現実に脅威をもたらす国々から、日本や日本国民をどう守るか。その処方箋が必要なのだ。国家の危機の実例を目の当たりにした有権者が夏の参院選でどう判断するか、期待したい。

(政治部次長.水内茂幸)

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■ 故郷とウクライナを重ねるチベット人

 

 

産経新聞中国点描に、ウクライナ侵攻関係の気になるレポートが載っていましたので、書き起こして掲載します。

 

中国人民解放軍による「チベット侵攻」も、忘れてはならないですね。

2022/03/30

 

故郷とウクライナを重ねるチベット人

矢板明夫の中国点描 ウクライナ侵攻

 

チベット駐台湾代表ケルサン・ギャルツェン氏

 

故郷とウクライナを重ねるチベット人

 

2月下旬のロシア軍によるウクライナ侵攻開始以降、台北市中心部などで週末ごとにウクライナを支援するデモが行われている。その中ではウクライナ国旗と一緒にチベットの雪山獅子旗を振るチベット人の姿が際立つ。デモ参加の呼びかけなど中心的な役割を果たしているのは、チベット亡命政府の駐台湾代表、ケルサン・ギャルツェン氏だ。

 

「ロシア軍に抵抗するウクライナ人の姿を見ていると、圧政下で暮らすチベット同胞を思い出す。ひとごとだと思えない」。ケルサン氏はそう語る。

 

侵攻開始とほぼ同じ時期の2月25日、チベット族の男性人気歌手ツェワン・ノルブさん(25)はチベット仏教の聖地、ラサのポタラ宮前で、中国政府による強権統治への抗議として焼身自殺を図って当局に阻止され、連行された後に死亡した。中国のチベット族居住地域ではラサで騒乱が起きた2008年以降、抗議の焼身自殺が多発し、メディアが伝えただけで150人以上に上っている。

 

ケルサン氏によると、台湾には約1千人のチベット人が暮らし、1959年に「チベット蜂起」が起きた3月10日の前後に対中抗議デモを行ってきた。今年は「ウクライナ支援」と「ツェワン・ノルブさん追悼」の2つの訴えが加わったことで、多くの台湾人が賛同し、例年の倍以上の参加者が集まったという。

 

「ウクライナ人はロシアから、チベット人と台湾人は中国から圧迫されている。国際社会と連携して、独裁政権による侵略行為にはっきりと『ノー』と突きつけることが大事だ」とケルサン氏は訴えた。

 

ケルサン氏は、今回のロシア軍のウクライナ侵攻が50年の中国人民解放軍によるチベット侵攻と極めて似ていると指摘する。当時、チベット軍も必死に抵抗した。しかし、チベットには国際社会の支援がなく、やむなく中国への併合を認める「平和協定」を中国政府と結んだ。中国政府は「改革を強要しない」などとする約束を守らず、チベットの「社会改造」に着手して多くのチベット族が投獄、殺害された。59年、抗議者と軍が衝突したチベット蜂起を受け、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世はインドに亡命した。

 

「独裁政権はいつも約束を守らない。このことを絶対に忘れてはならない」とケルサン氏は語気を強めた。

 

中国四川省カンゼ・チベット族自治州生まれのケルサン氏は、共産党の幹部を育成する社会主義学院を卒業後、いったん地元共産党委員会の職員となったが、「少数民族の信仰を否定」する中国当局のやり方に疑間を感じ、33歳のときに仲間と一緒にラサから徒歩でヒマラヤ山脈を越え、約1カ月かけてネパール経由でインドに亡命した。その後、亡命政府の職員となり、代表者議会の議員も約10年務めた。昨年、台北に赴任した。

 

今のチベットの状況について、ケルサン氏は「私が中国国内にいたときと比べて、人権状況はさらに悪化している。とても心配だ」と懸念する。一方で「今回のウクライナ侵攻を受け、国際社会はロシアや中国などの独裁政権の横暴さについて理解する人が増えた。われわれを支援する輪が広がっていることを実感している」と語った。(台北支局長)

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■ 東欧が「反戦」を嫌う理由

 

 

産経新聞の緯度経度に、ポーランド国際問題研究所のロレンツ・ボイチェフ研究員の記事が紹介されていましたので、書き起こして掲載します。

東欧の「反戦」を嫌う理由、非常に気になる内容でした。

2022/03/29

 

ミハル・ベグレビチさん 
ミハル・ベグレビチさん 

 ワルシャワ郊外の公民館で、ウクライナ難民の支援活動を行うミハル・ベグレビチさん(三井美奈撮影)

 

東欧が「反戦」を嫌う理由  筆者:三井美奈

 

 

「あなたの考えは『平和主義者』のたわ言ですよ」

 

ウクライナの隣国で、取材先からこんな言葉を浴びた。相手は、ポーランド国際問題研究所のロレンツ・ボイチェフ研究員(52)だ。

 

私の質問は「一刻も早い停戦を優先すべきではないか」というものだった。ボイチェフさんは「何も分かっていない」と言わんばかりに、停戦と「真の平和」の違いを語った。

 

筆者が住むフランスには、「人命第一。どんな手段を使っても、攻撃をやめさせろ」という議論がある。ウクライナヘの大量の武器支援は戦闘を激化し、犠牲を増やすという人もいる。だが、ボイチェフさんは「そんな西欧の厭戦気分を、ロシアは常に利用してきた。侵略を追認させるために、です」と訴えた。

 

ロシアに交渉で攻撃停止を求めれば、必ず「それなら、こちらの要求をのめ」と言ってくる。それは、ウクライナにおける親露派の政府樹立だったり、武装解除だったりするだろう。ボイチェフさんは、それは真の平和ではないという。

 

第二次世界大戦後、東欧諸国は旧ソ連の支配下に置かれた。「ソ連がすべて正しい」という歴史観を押し付けられ、絶対忠誠を誓う共産主義政党が政権を握った。学校で、子供はロシア語をたたき込まれた。

 

ボイチニフさんは「私はその世代です」と言った。戦争をしない代償として、国民はソ連に心まで支配された。1989年、ポーランドでそんな体制が崩壊したとき、彼は20歳だった。 

 

ワルシャワ郊外で、ウクライナ難民の支援活動をするミハル・ベグレビチさん(41)はその,とき9歳だった。父親は、非合法だった自主管理労組「連帯」の活動家。ベグレビチさんが生まれたとき(反体制派として投獄されていた。

       

「自由の中で育った人は『平和を』と簡単に言う。だが、戦争がなければよいのでしょうか。言いたいことも言えない暮らしが(平和と言えますか」と、私に問いかけた。難民を助けるのは、単なる親切心からではない。「ロシアにあらがうウクライナ人の戦いは、私たちにとって人ごとではないのです」

 

2人の話を聞いて、目が覚めた。日本は戦後、米国に占領された。一方的な戦犯裁判を押し付けられたにせよ、民主主義と自由経済を育むことができた。かつての西ドイツも同じだ。だが、ポーランドやウクライナの人たちにとって、ソ連支配下の平和は自由の死であり、民族の消滅だった。魂を奪われることだ。ソ連がロシアになっても、脅威は同じ。今のウクライナの戦いは「二度と、隷属の民にならない」という決意が支える。

 

フラシスのマクロン大統領は、プーチン露大統領と電話会談を繰り返し、停戦を呼び掛ける。ポーランドの人たちが不安な思いで見ているのを、現地に来て初めて知った。

 

東欧で米国への支持が強いのは「自由」で妥協しないからだ。ボイチェフさんは「第一次大戦以来、欧州の戦争は、すべて米国が終わらせた。米国こそ欧州安定の要です」と言い切る。

 

ベグレビチさんが、ウクライナから1人で脱出した15歳の中学生を迎えに行くというので、駅まで一緒に行った。夕暮れのプラットホームで少年は背を丸めて座っていた。ベグレビチさんは無言で肩をたたいた。

 

「大丈夫。君を全力で守るから」。こんなふうに言つているようだった。

(パリ支局長)三井美奈

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■ ロシアの侵略に対峙する歴史観を

 

 

産経新聞正論に、江崎道郎氏の、クライナ侵攻の気になる論評が載っていましたので、紹介します。

2022/03/029

 

情報史学者 江崎道朗氏
情報史学者 江崎道朗氏

 

日本の評論家、情報史学者。専門は安全保障・インテリジェンス・近現代史研究 

 

24日、ウクライナ南東部マリウポリで、ロシア軍を示す「Z」のマークが記された装甲車に乗る親ロシア派の兵士ら(ロイター=共同) 
24日、ウクライナ南東部マリウポリで、ロシア軍を示す「Z」のマークが記された装甲車に乗る親ロシア派の兵士ら(ロイター=共同) 

 

 

ロシアの侵略に対峙する歴史観を 評論家・江崎道朗

 

 

自由奪われ弾圧に苦しむ

 

ロシアによるウクライナ「侵略」に対して近隣諸国のポーランドやバルト三国などは激しく反発し、ウクライナに対する支援を続けている。

 

これら近隣諸国は第二次世界大戦とその後、ソ連によって占領・支配され、人権弾圧に苦しんできた記憶があり、「明日はわが身だ」と受け止めているからだ。

 

だがソ連の徹底した情報統制のせいで国際社会は戦後長らくソ連の「犯罪」をよく知らなかった。知らないどころか国際社会、それもリベラル系のマスコミは、ナチス・ドイツを打倒したソ連の功績を強調したのだ。

 

ソ連による占領と人権弾圧の実態が広く知られるようになったのは、1991年にソ連邦が解体し、バルト三国やポーランドなどが自由を取り戻してからだ。自由を奪われ、人権弾圧に苦しんできた近隣諸国がその実態について記録を集め、公開するようになったのだ。

 

こうした近隣諸国の奮闘もあって3年前の2019年9月19日、EU(欧州連合)の一組織である欧州議会は「欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶」と題する決議でこう主張した。

 

《80年前の8月23日、共産主義のソ連とナチス・ドイツがモロトフ・リッベントロップ協定と呼ばれる不可侵条約を締結し、その秘密議定書で欧州とこれら2つの全体主義体制に挟まれた独立諸国の領土とを分割して、彼らの権益圏内に組み込み、第二次世界大戦勃発への道を開いた》

 

開戦80年にあたり、ようやく欧州議会も、ソ連は「侵略国家だ」と批判し、ソ連を正義の側と見なしたニュルンベルク裁判の誤りを認めたのだ。決議はこう続ける。

 

《モロトフ・リッベントロップ協定と、それに続く1939年9月28日の独ソ境界・友好条約の直接の帰結として、ポーランド共和国はまずヒトラーに、また2週間後にはスターリンに侵略されて独立を奪われ、ポーランド国民にとって前例のない悲劇となった。共産主義のソ連は39年11月30日にフィンランドに対し侵略戦争を開始し、40年6月にはルーマニアの一部を占領・併合して一切返還せず独立共和国たるリトアニア、ラトビア、エストニアを併合した》

 

 

停戦協定守らなかったソ連

 

ソ連の「侵略」は停戦合意成立後も続いた。ソ連は停戦協定を守らず、近隣諸国への「侵略」を続けたのだ。

 

《第二次世界大戦終結のあと(中略)幾つかの欧州諸国は独裁体制のもとに残り、一部はソ連の直接占領や影響下に置かれ、自由、独立、尊厳、人権及び社会経済的発展を半世紀の間、奪われ続けた》

 

戦時中に、ソ連に占領されたポーランドやバルト三国では、知識人の処刑、略奪・暴行、シベリアなどでの強制労働などが横行した。しかも停戦協定後、自由と独立を取り戻すはずだったこれらの国々は、ソ連の衛星国にされてしまう。91年にソ連邦は解体され、バルト三国は独立を取り戻し、ポーランドも自由を取り戻した。

 

だが、プーチン政権はソ連の「侵略」を正当化し、再びソ連邦の復活を目指す動きを始めた。ポーランドをはじめとする近隣諸国が警戒するのも当然のことだ。欧州議会もこう指摘する。

 

《2019年8月にロシア政府当局者は、このモロトフ・リッベントロップ協定とその結果に対する責任を否定し、真に第二次世界大戦を引き起こしたのはポーランド、バルト諸国および西側であるという見解を現在広めつつある。(中略)現在のロシア指導層が歴史的事実を歪(ゆが)めてソビエト全体主義体制が犯した犯罪を糊塗(こと)しようとする努力を深く憂慮し(中略)欧州委員会がこうした努力に対して断固として対抗することを求める》

 

 

「戦勝国史観」は通用しない

 

ところがプーチン大統領は翌20年6月18日、米政治外交誌「ナショナル・インタレスト」(電子版)に「第二次世界大戦75年の本当の教訓」と題する論考を寄せ、この欧州議会の決議を「たわごとだ」と批判したのだ。

 

このようにソ連の「侵略と人権弾圧」を批判する欧米諸国と、ナチスを打倒した側面をもってソ連の「侵略」を正当化する「戦勝国史観」にこだわるプーチン政権との対立が激化していたのだが、日本側の関心は薄かった。

 

しかし日本も自由と人権を尊重する立場から、この論争に加わるべきではないのか。何しろ、日本もポツダム宣言受諾後にソ連によって多数の日本人がシベリアに抑留されて、命を落としたほか、北方領土を奪われ、いまなお、不法占拠をされているのだ。

 

今回のウクライナ「侵略」を受けて日本も「力による現状変更」に反対する立場から、対露制裁に踏み切った。併せて、ソ連の「侵略」を正当化するプーチン大統領の特異な歴史観に対しても欧米と連携して対峙(たいじ)し、徹底批判すべきだ。ソ連を正義とみなす戦勝国史観はもはや通用しなくなっているのだから。(えざき みちお)

 

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■ 民主主義防衛のエネルギー政策

 

 

産経新聞正論に、ウクライナ侵攻特集として載っていた、杉山大志氏の「民主主義防衛のエネルギー政策」が目を惹きましたので、紹介します。

2022/03/22

 

キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志

杉山 大志氏は、日本のエネルギー・環境研究者。温暖化問題およびエネルギー政策を専門とする。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特任教授。2004年より気候変動に関する政府間パネル(IPCC)評価報告書等の執筆者。産業構造審議会産業技術環境分科会 地球環境小委員会地球温暖化対策検討ワーキンググループ委員。総合資源エネルギー調査会省エネルギー・新エネルギー分科会省エネルギー小委員会工場等判断基準ワーキンググループ委員。2020年より産経新聞「正論」欄執筆陣。

 

 

民主主義防衛のエネルギー政策 

 

ロシアのプーチン大統領のウクライナ侵攻に対して欧州は経済制裁を発動した。だが腰が引けている。ロシアの経済・財政の柱は石油とガスの輸出だから、本当はこれを止めれば大打撃となる。だが今のところこれは制裁対象ではない。なぜか?

 

ガス供給が止まると、欧州も破滅するからだ。欧州はガス輸入量の約40%をロシアに依存している。これがないと暖房ができない。燃料不足で工場も止まる。欧州は今やロシアのガスなしではまともに生活できないのだ。欧州連合(EU)は脱炭素に熱心で、石炭を否定し、石油・ガスの開発を止めた。さらに脱原発まで進めた。この結果、エネルギー供給は「風とロシア」任せになった。昨年は風が弱く、ロシアのガスへの依存は危険なまでに高まった。

 

欧州与(くみ)しやすしと見たロシアはウクライナに侵攻した。この戦争は、自国のエネルギー供給を潰した欧州が招いたものだ。

 

 

米国は超党派で脱「脱炭素」

米共和党の元大統領候補テッド・クルーズ上院議員は、脱炭素に熱心なバイデン政権の自滅的なエネルギー政策こそが、アフガニスタンからの無様(ぶざま)な撤退と並んで、ロシアのウクライナ侵攻を招いた要因だ、と非難している。マルコ・ルビオ上院議員は「最大の対ロシア制裁は、いますぐ愚かなグリーンディールをやめると宣言することだ」と激しい調子で述べた。

 

米国は世界一の産油国・産ガス国だ。本気で資源を世界に供給していれば、エネルギー価格は大いに下がったはずだ。だがバイデン政権は脱炭素に熱心で、自国の石油・ガス企業に規制や圧力をかけ、事業や権益を放棄させてきた。結果、石油・ガスの世界市場の支配力は、石油輸出国機構(OPEC)とロシアが握り価格は高止まりした。インフレの悪化を懸念する欧米はますます経済制裁に及び腰になった。

 

ロシアは今でも、石油・ガス等の輸出で毎日10億ドルもの収入を欧州等から得ている。

 

米与党の民主党からも脱炭素への造反者が出ている。上院エネルギー資源委員会委員長を務めるジョー・マンチン議員は「国内の石油・ガスを大増産して自由世界に提供すべきだ」としている。バイデン政権は、議会の超党派での立法によって圧力を受け、路線変更を余儀なくされてゆくだろう。

 

 

欧州の政策大転換

 

欧州諸国でも、ロシアへのガス依存を減らし、米国等からの液化天然ガス(LNG)輸入、そして石炭の利用を増やそうという動きが相次いでいる。これまでの脱炭素一本やりの政策からは根本的な変化である。脱炭素の急先鋒(せんぽう)だったドイツ政府も例外ではない。ショルツ首相は、脱石炭・脱原発を再考して利用することやLNG基地の建設検討を表明した。

 

英国でも、環境問題を理由として事実上禁止されていたシェールガス採掘を開始すべきだ、という意見が、与党保守党の議員から噴出している。英国には十分なガス埋蔵量がある。米国なみに開発すれば、本来はロシアから輸入などせず、ガスは自給できていたはずなのだ。脱炭素を見直し、LNG、石炭、シェールガスなどの化石燃料資源を活用する必要性は切迫している。

 

だがこれまでの政策を自己否定することになるので、とくに英国やドイツなど脱炭素に熱心だった政権ほど、どの程度の早さで路線変更できるかは予断できない。

 

 

脱炭素モラトリアムを

 

今後、ロシアは世界市場から締め出されることになる。世界全体で石油・ガスは品薄になり、価格が高騰する。日本は、今のエネルギー基本計画にある「脱炭素」「再エネ最優先」といった政策を続けてはいけない。欧米と共に、自滅的な脱炭素政策をやめて、化石燃料産業を復活させねばならない。石炭火力をフル活用し、原子力の再稼働を進める必要がある。余ったガスは世界に転売する。

 

これは日本国内はもとより世界のエネルギー価格高騰を防ぐ。実はこれこそが、エネルギー輸出に財源を依存するロシアにとって最大の経済制裁になる。自由世界の窮状を救いつつ、プーチン大統領に打撃を与えることになる。

 

他方、国内の工場や家庭では、石油・ガスの価格高騰に直面している。エネルギー諸税や再エネ賦課金の引き下げが必要だ。これは再エネ支援などの高コストな政策を停止すればできる。

 

以上のような政策転換は2030年にCO2排出を46%削減という現行の政府目標と整合しない。だから脱炭素についてもモラトリアム(一時停止)が必要だ。2020年からの10年間、日本がCO2排出を全く減らさないとしてもそれによる地球の気温上昇はせいぜい0・005度に過ぎない。民主主義の防衛の方が重要だ。

 

脱炭素一本槍(やり)の先進国のエネルギー政策は、独裁政権に力を与え、戦争という最悪の結果を招いた。民主主義防衛のために、諸国はエネルギー政策の大転換を余儀なくされている。日本も例外ではありえない。(すぎやま たいし)

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■ 日本も「核共有」検討すべき

 

 

夕刊フジに掲載された、国際投資アナリスト大原氏の記事、「日本も「核共有」検討すべき」が、興味を惹きましたので掲載します。

2022/03/22

 

国際投資アナリスト大原浩氏
国際投資アナリスト大原浩氏

 

GINZAXグローバル経済・投資研究会代表。株式会社大原創研代表取締役。1960年静岡県生まれ。1984年同志社大学法学部を卒業後、上田短資(上田ハーロー)に入社。外国為替・インターバンク資金取引などを担当。1989年、フランス国営・クレディ・リヨネ銀行入行。金融先物・デリバティブ・オプションなど先端金融商品を扱う。1994年大原創研を設立して独立。国内外のビジネス・投資に広くかかわり、上場株投資だけでなく、ベンチャー投資なども積極的に行う。

 

 

日本も「核共有」検討すべき  

中国が侵略して米国は本当に対抗してくれるか?「経済制裁」でお茶を濁す可能性 

 

日本も「核共有」検討すべき 大原浩氏が緊急寄稿 

2022/3/16(水) 17:00配信 夕刊フジ

 

中国が侵略して米国は本当に対抗してくれるか?「経済制裁」でお茶を濁す可能性

 

 

ロシアのウクライナ侵攻は、日本を含む各国に自国防衛の重要性を痛感させた。国際投資アナリストの大原浩氏は緊急寄稿で、核兵器を持たない国が大国の都合で見捨てられる状況に懸念を示し、日本も自衛のための「核共有(シェアリング)」を検討すべきではないかと主張する。

 

ロシア(ソ連)は日本(人)にひどいことをしてきた国といえよう。代表的なものは、多くの体験者が悲惨な経験を生々しく語るシベリア抑留である。第二次世界大戦で日本の敗戦がほぼ確定した1945年8月8日には、卑劣にも一方的に日ソ不可侵条約を破棄し、北方四島を奪った。

 

日本の敗戦後、ソ連が「北日本」を、米国が「南日本」を統治する案もあったが、最終的に米軍が日本全体を占領したことは「不幸中の幸い」だったといえよう。もし、「北日本」がソ連の統治下にあったとしたら、背筋も凍る惨劇が繰り広げられていたに違いない。ウクライナの歴史を振り返るだけで容易に想像できる。

 

今回のウクライナ侵攻では、「手を出した」ロシアのプーチン大統領が悪い。しかしプーチン氏を追い込んだのは米民主党のバイデン政権ともいえるバイデン政権はウクライナのゼレンスキー大統領に、北大西洋条約機構(NATO)加盟の可能性をちらつかせ、ロシアへの強硬な姿勢をとらせた。

 

ところが2月7日にバイデン氏は、ロシアが侵攻した場合に米軍をウクライナに派遣することは「検討していない」と述べた。プーチン氏はバイデン氏によって誘い出されたようにも感じる。

 

ゼレンスキー大統領とウクライナ国民ははしごを外された形だ。「経済制裁」は持久戦であり、イランなども長年耐え忍んでいるから、今すぐウクライナを救うためにはほとんど役に立たないだろう。むしろ、ロシアの資源に頼る西側に資源価格高騰などのブーメランとして返ってくる可能性が高い。

 

ウクライナの悲劇は、ソ連邦崩壊後、2000ほどあったとされる核兵器を放棄したことに始まる。欧米とロシアの双方から圧力を受け、1994年1月、核兵器を放棄すると決断した。米露に英国を加えた3カ国は同年12月、「ブダペスト覚書」に署名し、ウクライナの安全を保障することを明記したのである。

 

いったいこの覚書はどうなったのだろうか。核を保有していない国が大国の都合で見捨てられるのであれば、「核がなければ本当の意味の安全保障はできない」ということだ。残念ながら北朝鮮の言い分が正しいということになってしまう。

 

われわれにとって大きな問題は、中国も300以上の核兵器を保有していることだ。

 

日米安全保障条約はあるが、尖閣諸島や沖縄が侵略されたときに、米国は、核保有国の中国と本当に対抗してくれるのか。「経済制裁」でお茶を濁すのではないだろうか。その場合は、日本もウクライナのようになるということである。

 

日本が「核保有国」になることに対しては、世界の国々の意向も配慮する必要があるだろう。したがって、安倍晋三元首相の「米国の核兵器を自国領土内に配備して共同運用する『核共有』政策について日本でも議論すべきだ」との意見はきわめて合理的だ。

 

すでにドイツ、ベルギー、イタリア、オランダなどが米国と「核共有」の関係にある。原発全廃を目指すドイツも「核共有」は行っているのだ。

 

憲法改正に手間取っている間に日本の安全保障は大きな脅威にさらされている。「できること」から早急に手を付けるべきではないだろうか。

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■ 中露に「世界はG7主導」の教訓

 

 

産経新聞に掲載された、「E・ルトワック氏世界を解く」の中露に「世界はG7主導」の教訓の記事が気になったので、書き起こして掲載します。

 

2月24日始まったロシアのウクライナ侵攻を考えるなかで、氏の見解は非常に勉強になりました。

2022/03/19

 

エドワード・ルトワック氏 
エドワード・ルトワック氏 

 

エドワード・ルトワック(Edward Nicolae Luttwak、1942年11月4日)は、アメリカ合衆国の国際政治学者。専門は、大戦略、軍事史、国際関係論。ルーマニアのユダヤ人の家庭に生まれ、イタリア、イギリスで育つ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、英国軍、フランス軍、イスラエル軍に所属した後、1975年にジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論の博士号取得。現在、戦略国際問題研究所シニアアドバイザー。

 

 

中露に「世界はG7主導」の教訓

E・ルトワック氏 世界を解く

 

ロシアによるウクライナ侵攻をめぐっては、非常に興味深く、そして予期しない重要な発見があった。それは、世界は今も先進7カ国(G7)によって率いられているという現実だ。 

 

この数十年間、専門家と称する人たちや、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で講演するような経済人や政治家は、世界で「力の拡散」が進んでいると唱えてきた。日米欧などの主要国で構成されるG7が弱体化し、代わりに中国やロシア、トルコなどの新興国を含む20ヵ国・地域によるG20の時代が到来している、という主張だ。

 

G7の一員である米英独などを主体とする北大西洋条約機構(NATO)も、ドイツなどが国防への投資を怠ってきたことから弱体化が指摘されてきた。ロシアは、そうした現状を見越して侵攻に踏み切ったわけだが、その瞬間からNATOは逆に極めて強力な組織に変貌を遂げた。

 

ショルツ独首相は国防費を国内総壁産(GDP)比2%以上に引き上げると表明したほか、加盟国のポーランドやデンマークなどが今月に入って国防費の大幅増額を決めた。NATOは目を覚ましたのだ。

 

NATOに呼応して、伝統的な中立国のフィンランドとスウェーデンもウクライナに武器を供与するという歴史的決断を下した。

 

しかも、米英や日本、独仏などの国々が一斉にその気になれば、各種の制裁措置を通じてロシアを世界経済から完全に切り離すことができることも示された。その結果、モスクワ市内ではルイ・ヴィトンなどの高級ブランド品店が一斉に体業したほか、ロシア自体がデフォルト(債務不履行)の危機に陥っている。

 

これらの事態は台湾統一の野心を抱いている中国に対しても、今の世界が「G7主導」であるとの教訓を突きつけたといえる。

 

中国は着実に軍備を増強させ、習近平国家主席の側近などは「台湾有事の際、まず米空母を1隻沈めておけば、米国はそれ以上介入しない」と豪語している。軍事的には正解かもしれないが、中国はロシアと同様に経済を遮断され、小さな箱に押し込められたような状態になるのは確実だ。

 

中国は、原油などのエネルギーはロシアからのパイプラインである程度はまかなうことができる。鉄鉱石の輸入が上まっても死活的な影響はない。

 

だが、大豆や小麦、家畜の飼料といった食糧の輸入がストップする事態となれば、畜産業や養鶏業が致命的打撃を受け、中国人民は深刻なタンパク質不足を経て飢餓に陥るだろう。

 

 

■プーチン氏、今や手詰まり

 

中国は平和なときには世界経務の中で成長を続けることができるが、一度戦争を起こせば直ちに世界から切り離される。またウクライナ侵攻で覚醒した欧州諸国は海軍力の増強に動くとみられ、アジアでの経済権益確保のために艦船を派遣することも想定される。

 

その意味でも、中国が台湾に対して冒険主義的な行動を取るリスクは大幅に低下したといえるはずだ。

 

そして、ドイツなど欧州諸国がウクライナの積極支援に転じ、先進7カ国(G7)主導の世界の復権へと導いたのは、ロシアに対して頑強に抵抗するウクライナの人々の姿に心を打たれたからだろう。

 

侵攻前、ロシアによるウクライナの情報収集は外国情報を扱う対外情報局(SVR)ではなく、「ウクライナは本来ロシアだ」という理由で国内治安機関の連邦保安局(FSB)が担当した。彼らがプーチン大統領に上げた情報分析では、ウクテイナ軍に戦意はなく、同国のゼレンスキー大統領はすぐに逃亡する、といったもので、見通しが極めて甘かった。

 

プーイン氏は今や軍事的に手詰まり状態に陥った。キエフに露軍部隊を突入させても甚大な損害を被るだけだろう。

 

他方、ウクライナは北西洋条約機構(NATO)に加盟することなぐ、NATO諸国や諸外国からあらゆる軍事支援を引き出し、世界を味方につけた。

 

そして、戦争の帰結がどうあれ、ウクライナ人は戦いを通じて「国民精神」と「民族駒同一性(アイデンティテイー)」を勝ち取ることができた。1948年の第1次中東戦争に勝利したイスラエルや、日清・日露戦争に勝った近代日本の例にもあるように、長らく他国に支配されたり、重要視されなかったりした国が大国に打ち勝てば大きな自信につながり、それが国を躍進させる原動力となる。

 

ゼレンスキー氏はいつ殺害されてもおかしくない状況にあるが、もしウクライナ人が同氏を失うことがあつても、同氏によってかき立てられた士気が衰えることは決してない。(聞き手 黒瀬悦成)

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■ 日本の歴史教科書には書かれない「秘密工作」を学問する

 

 

インテリジェンスで読み解くWWⅡ-vol.9に、江崎道郎氏著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集した内容が、『日本の歴史教科書には書かれない「秘密工作」を学問する』として取り上げられていましたので、掲載します。

非常に勉強になりました。

2022/3/17

江崎道郎氏 
江崎道郎氏 

 

日本の評論家、情報史学者。専門は安全保障・インテリジェンス・近現代史研究 

 

 

インテリジェンスで読み解くWWⅡ-vol.9-

欧米諸国では、スパイなどによる秘密工作について論じる学問が成立している。満州に進出してきた日本を恐れたソ連は、秘密工作によって日本を押さえつけようとした。

 

欧米諸国では、国際政治学や外交史の一分野として、スパイおよび工作員による秘密工作について論じる学問が成立しています。この学問を「インテリジェンス・ヒストリー」と言います。評論家・情報史学研究家の江崎道朗氏によると、ルーズヴェルト民主党政権の中にソ連のスパイが入り込んで、アメリカの外交を歪めているのではないかという問題意識を、当時の日本政府、正確に言えば外務省と内務省は持っていたようです。

 

 

日本の歴史教科書には書かれない「秘密工作」を学問する  江崎道郎

 

 

日米の対立を煽り敗戦革命を引き起こせ

 

ルーズヴェルト民主党政権にスパイを送り込んだソ連は、何を考えていたのでしょうか。その目的はなんだったのでしょうか。

 

ソ連の指導者レーニンは1919年、世界共産化(世界中で共産主義革命を引き起こすこと)を目指して、世界各地に共産主義の秘密工作を仕掛けるための世界的な組織としてコミンテルンを創設しました。コミンテルンは、共産主義インターナショナルとも呼ばれ、組織としては1943年に解散しました。

 

では、どうやって世界各国に共産主義の国をつくるのか。レーニンのすごいところは、世界各国に共産党をつくり、共産主義というイデオロギーを広めるだけでは、世界の共産化はできないことを理解していたことです。

 

共産主義というイデオロギーを一般大衆に広めることは重要だが、それ以上に重要なことは、資本主義国家同士の反目を煽って戦争を引き起こし、一方の国を敗戦に追い込み、その混乱に乗じて一気に権力を奪うことだという戦略を打ち出したのです。これを「敗戦革命論」と言います。

 

そして、この敗戦革命の工作対象となったのが、日本であり、アメリカであり、中国でした。日米両国の対立を煽って日米戦争へと誘導し、日本を敗戦に追い込み、共産革命を引き起こす戦略をとっていたのです。

 

そこで1919年、コミンテルン・アメリカ支部として「米国共産党」を設立します。

 

その翌年の1920年12月6日、レーニンは「ロシア共産党モスクワ組織の活動分子の会合での演説」の中でこう述べています。

 

共産主義政策の実践的課題は、この敵意を利用して、彼らをたがいにいがみ合わせることである。そこに新しい情勢が生まれる。二つの帝国主義国、日本とアメリカをとってみるなら両者はたたかおうとのぞんでおり、世界制覇をめざして、略奪する権利をめざして、たたかうであろう。……われわれ共産主義者は、他方の国に対抗して一方の国を利用しなければならない。[マルクス=レーニン主義研究会訳『レーニン全集 第31巻』大月書店/1959年]

 

つまり、日米両国が戦争をして潰し合うよう仕向けるために、アメリカにおいて反日感情を煽り、日本においては反米感情を煽る。そうやって日米両国が互いを非難しあい、憎み合えば、いずれ戦争になって日本は敗戦に追い込まれ、政府は打倒され、革命を起こすことが可能になる、と考えたわけです。

 

だから、今なお日本共産党は、共産主義の話はほとんど話さず、反米や政府批判だけ言うわけです。実にわかりやすい構図です。

 

こうしたソ連・コミンテルンの世界戦略の中で、アメリカに米国共産党が設立されたわけです。ただ、設立当初、米国共産党のメンバーたちは、レーニンの戦略をよく理解できておらず、アメリカの国民を相手に共産主義の話や、「労働者よ、団結せよ」といった革命の話をし続けたものだから、アメリカではほとんど相手にされませんでした。

 

ところが、1929年に世界恐慌が起こり、アメリカでも失業者があふれ、資本主義経済ではもうダメではないのか、新しい経済理論である共産主義の方がいいかもしれないという空気が生まれ、当時のエリート層が米国共産党に入ってくるようになったのです。

 

しかも1931年に満洲事変が起こり、日本が本格的に満洲に進出するようになりました。地図を見れば一目でわかりますが、満洲のすぐ隣は、ソ連です。ソ連は恐怖を感じました。僅か20数年前の日露戦争において、日本軍の優秀さは“いや”というほど知っていたからです。

 

そこでソ連は、コミンテルンを通じて、日本がソ連に攻めてこないよう、世界各国の共産党に指示を出します。具体的には、日本がソ連に攻めてこないようにするため、中国大陸で日本が戦争をせざるを得ないように仕掛けたのです。

 

つまり、中国の蔣介石政権や毛沢東率いる中国共産党に対して経済援助を実施し、彼らが日本軍と戦うよう仕向けたわけです。日本軍が中国で戦争をしていれば、ソ連まで攻める余裕はなくなりますから。

 

同時に、戦争というのは、莫大な資金と燃料、物資が必要です。そこで欧米の共産党に対して、欧米諸国が対日経済制裁を実施するよう指示したわけです。燃料と軍事物資を欧米から輸入できなくなれば、日本軍の活動は鈍化せざるを得ません。

 

このコミンテルンの指示に基づいて米国共産党は、日本の侵略に抵抗する中国人民の戦いを支援する世論を形成して、アメリカの力で日本を押さえつけるべく、「アメリカ中国人民友の会」という国民運動組織をつくります。会長は、アメリカの有名な雑誌『ネイション』編集者のマックスウェル・スチュアートでしたが、彼はヴェノナ文書によってソ連のスパイであることが判明しています。

 

ここで大事なことは、ソ連は自ら日本に対峙しようとするのではなく、アメリカや中国を使って日本を押さえつけようとした、ということです。ソ連は軍事力を強化して正面から日本を打ち破るよりも、秘密工作によって外国を唆し、外国の力で日本を押さえつけようとしたわけです。

 

 

インテリジェンスには3つの意味がある

 

「ソ連のスパイとか工作員の暗躍はあったかもしれないが、それは謀略論ではないのか」という疑問を持つ方も多いと思います。

 

工作員やスパイ、秘密工作などというとスパイ映画をイメージする人もいるかもしれません。つまり、それらは絵空事である、ということです。なぜなら一般的な学校で使われる歴史教科書には、そういったことが何も書かれていないからです。

 

確かに日本では、工作員やスパイ、あるいは秘密工作というものが、まともな学問あるいは研究の対象として扱われない傾向にあります。しかし欧米諸国では、国際政治学、外交史の一分野として、スパイおよび工作員による秘密工作について論じる学問が成立しています。

 

この学問を「インテリジェンス・ヒストリー」と言います。日本語に訳せば「情報史学」です。

 

インテリジェンス・ヒストリーという学問は1980年代のイギリスに始まり、機密文書の公開という世界的な潮流の中で注目を集めて、1990年代以降、欧米の主要大学で情報史やインテリジェンス学の学部・学科あるいは専攻コースが次々と設けられるようになりました。

 

インテリジェンス・ヒストリーという学問の存在を私に教えてくださったのは、京都大学の中西輝政名誉教授です。名著『大英帝国衰亡史』(PHP研究所/1997年)で知られる国際政治学者および歴史学者です。

 

中西名誉教授は、インテリジェンス・ヒストリーという学問について、2017年に行った私との対談の中で、次のように述べています。

 

「インテリジェンスは『知性』という意味でもあります。日本ではインテリジェンスは秘密情報を扱うとか、単なる情報の話にされてますけど、本来はきちんとしたモノの見方、考え方、世界観、価値観、歴史観、自分の知的な立脚点をもう一度持って、『これで本当に正しいのか』という問いかけを絶えず行う、自分を確立した人間が扱えるものです」

 

より厳密にいうと、「インテリジェンス」について中西輝政名誉教授は、オックスフォード大学のマイケル・ハーマン教授の定義を引用しながら、次の3つの意味があることを説明しています(『情報亡国の危機』東洋経済新報社)。

 

第一に、インテリジェンスとは、国策、政策に役立てるために、国家ないしは国家機関に準ずる組織が集めた情報の内容を指す。

 

いわゆる「秘密情報」、あるいは秘密ではないが独自に分析され練り上げられた「加工された情報」、つまり生の情報(インフォメーション)を受けとめて、それが自分の国の国益とか政府の立場、場合によると経済界の立場に対して、「どのような意味を持つのか」というところまで、信憑性を吟味したうえで解釈を施したもの。

 

第二に、そういうものを入手するための活動自体を指す場合もある。

 

第三に、そのような活動をする機関、あるいは組織つまり「情報機関」そのものを指す場合もある。

 

 

インテリジェンスにある4つの分野

 

そして、中西名誉教授は、このインテリジェンスが担当する分野は、大まかに言えば、次の4つであると説明しています。

 

第一は、情報を収集すること。これは相手の情報を盗むことも含まれている。

 

第二は、相手にそれをさせないこと。つまり防諜や「カウンター・インテリジェンス」という分野である。敵ないし外国のスパイを監視または取り締まることで、その役割は普通の国では警察が担うことになる。

 

第三は、宣伝・プロパガンダだ。プロパガンダには、「ホワイト・プロパガンダ」と「ブラック・プロパガンダ」があるといわれる。前者は、政策目的をもってある事実を知らしめる広報活動を指す。それに対して後者は、虚偽情報などあらゆる手段を使って相手を追い詰めていく活動だ。いわゆる完全な外交工作ゲームである。

 

第四は、秘密工作や、旧日本軍の言葉でいえば「謀略」行為を行うことだ。CIAはこれを「カバート・アクション」と呼び、ロシアでは「アクティブ・メジャー(積極工作)」と称することがある。

 

要は、インテリジェンスには、以上の3つの意味と4つの分野があるわけです。

 

そして、このインテリジェンスを踏まえた近現代史研究であるインテリジェンス・ヒストリーの学部や学科、専攻コースを設置して本格研究を進める動きは英語圏にとどまらず、オランダ、スペイン、フランス、ドイツ、イタリアなどにも広がっています。けれども、なぜか日本だけはこうした世界的動向から取り残されているのです。

 

中西輝政先生らの懸命な訴えにもかかわらず、残念ながら日本のアカデミズムの大勢は、こうした新しい動きを無視しており、インテリジェンスに対する理解も一向に深まりません。

 

そこで、こうした世界の動向を紹介すべく2016年に『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』(祥伝社新書)を上梓しました。この本において、アメリカは一枚岩ではなく、ルーズヴェルト民主党政権の対外政策とソ連の秘密工作との関係について、当時野党であった共和党の政治家たちが厳しく批判していた事実を紹介しました。

 

その続編として2017年に『日本は誰と戦ったのか』(KKベストセラーズ、2019年にワニブックスから新書版を発行)を上梓しました。この本は、著名な政治学者であるスタントン・エヴァンズと、インテリジェンス・ヒストリーの第一人者であるハーバート・ロマースタインによる共著『Stalin's Secret Agents(スターリンの秘密工作員)』を踏まえたものです。

 

エヴァンズらが書いた原著は、日米戦争を始めたのは日本であったとしても、その背後で日米を戦争へと追い込んだのが実はソ連・コミンテルンの工作員と、その協力者たちであったことを指摘しているのです。

 

※本記事は、江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集したものです。

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■ 人生で大切な18か条

 

 

1951年中国によるチベット軍事制圧後、1959年に中華人民共和国からの侵略と人権侵害行為に反発してインドへ亡命した、ダライ・ラマ14世の「人生で大切な18か条」を掲載します。

2022/03/15

 

ダライ・ラマ14世
ダライ・ラマ14世

 

1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていたが、1959年に中華人民共和国からの侵略と人権侵害行為に反発してインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。亡命後は、法的には領する国土をもたない亡命政権の長という地位にありながら、世界中にちらばるチベット民族に対して政教両面において指導的立場にある人物と目されている。また、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得、ノーベル平和賞を受賞したことでその国際的影響力はさらなる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされるようになった。2011年には、自身の政治的権限を委譲したいという意向を表明し、政府の長から引退することになった。これを承けた亡命チベット人憲章改定案では「チベット国民の守護者にして保護者であり、チベット人のアイデンティティと統合の象徴である」と規定され、ダライ・ラマがチベットの政教両面の権威者の座に即くというダライ・ラマ5世以来の伝統を終わらせることになった。Wikipediaより転記

 

 

人生で大切な「18か条」 ダライ・ラマ14世

 

 

01.大きな愛や仕事を手に入れるには大きなリスクがつきものである。

リスクは、人生におけるすべての大きな機会に関与しているものだということは心に留めておいてください。

 

 

02.失敗しても良い。失敗から学ぶことが大切だ。

失敗は成功の先駆けである。だから失敗を恐れてはいけない。ただし失敗する時には、必ず何かを学びなさい。さもなければ、あなたはまた同じ失敗を繰り返すことになるでしょう。何事かに九回失敗したとしても、それでも、九回の結果を生んだではないか。

 

 

03.自分を尊重し、周囲の人を尊重し、自分の行動に責任を持つこと。

自分自身を尊重できないような人は、偉大な成功をおさめることはまずありません。自分を認め、大切にすることで、周囲への尊重も生まれます。そして、あなたの過ちや不幸を、他人のせいにしてはいけません。すべてはあなた自身に責任があることを知りましょう。自分に親切でなくては、他人にそうあることはできません。他人に愛情と優しさを感じ、彼らが幸福で苦しまないことを望むには、同じことをまず自分自身に願わねばなりません。

 

 

04.望むものが得られないことは、時にすばらしい幸運を引き寄せてくれる。

あなたの希望通りにならない時もあるでしょう。でもそれは宇宙からの送りものだと思って受け止めてみて下さい。あなたが望まないことが、時に幸運を引き寄せてくれるきっかけになるものです。

 

 

05.ルールを破るために、ルールを学べ。

ルールは破られるものです。だから、それをどう適切に壊すべきかを知るためにも、ルールを学ぶ必要があるのです。それが処罰 を避ける手段でもあります。もし既存のルールがいつまでも疑問視されなければ、我々の文明は停滞したままかもしれません。

 

 

06.ささいな争いで、大切な友人を傷つけてはならない。

小さないざこざが、かけがえのない存在である友人関係を傷つけることがあるということを忘れないように。財産と権力があれば、友人を多く持てるように思うかもしれません。ところが、彼らはあなたの友ではなく、あなたの財産と権力が欲しいだけ。富と影響力を失えば、そそくさと姿を消してしまうでしょう。

 

 

07.間違いに気づいたら、プライドを捨てすぐに処置すること。

間違いを犯したと気が付いた時には、すぐにそれを訂正する処置を取りなさい。その時大切なのは、無駄なプライドは捨てることです。全責任を取って、お詫びをするのです。誠意ある行動は、間違いを犯したという事実よりも、人々に印象深く残ります。

 

 

08.毎日少しの時間でも、一人で過ごすこと。

どんな時でも、1日最低30分は一人の時間を過ごすようにしてください。この時間を確保することで、あなたの人生に今何が起こっているか、どう進むべきか、何を望んでいるのかを常に見直すことができます。

 

 

09.変化を受け入れても、大切な価値観は、失わないこと。

この世界は常に変化しています。変化を受け入れ、輝かしい未来を手にしましょう。ただし、自分の価値観は失わずにいることが大切です。

 

 

10.沈黙は時として、最高の解答になる。

議論中に、怒りや感情をぶつけるよりも、ロジックを持って静かに取り組む方が、議論をより適切に速く終えられます。あなたが厳しい状況に置かれたときこそ、沈黙を利用しましょう。

 

 

11.立派な人生を生きること。

後悔のない人生を送って下さい。そうすれば、あなたが年をとり振り返ったときに、再び思い出を楽しむことができるでしょう。後悔や苦悩を抱えていないで、誇りを持って過ごすことです。

 

 

12.家庭の愛情あふれる雰囲気は、あなたの人生の基盤となる。

人生が上手くいくためには、家族の愛にあふれた雰囲気が大切です。そして、あなたの振る舞い次第で、家族の空気はもっと素晴らしいものになります。さぁ家庭に愛情を注いでください 。

 

 

13.愛する人と口論になったとき、昔話を持ち出してはいけない。

議論に過去を持ち出すと、苦痛を増やし、状況を悪化させるだけです。特に愛する人と口論になった時は、現在の状況だけを扱いましょう。

 

 

14.あなたの知識を分け与えよう。それが不死への道である。

あなたが生涯で得た知識を周囲の人に分け与えましょう。それこそが、不死を達成するため方法です。さらに重要なのは、あなたの失敗を共有することです。他の人が同じ過ちを繰り返さないために。

 

 

15.私たちが住んでいる場所、地球に優しくしよう。

地球は私たちが住んでいて、これからも住み続けていく場所であるのは、明らかな事実です。地球を傷つけることは、自分自身と 自分の子供や愛する人の未来を傷つけていることになるのです。

 

 

16.できるだけ頻繁に、 行ったことがない場所へ行こう。

年に1回は、いや出来る限りは、新しい場所へ足を運び、新しいことを経験しなさい。あなたはどこかで新しい自分を発見し、以前よりもずっと幸せになれるかもしれません。

 

 

17.最高の人間関係は、互いを愛する気持ちが、互いを必要とする気持ちよりも、勝るものである。

もし相手を必要だという気持ちが、愛する気持ちよりも強い場合は、それは愛情ではなくただの依存関係です。本当の愛と執着を区別しましょう。前者は、何の見返りも期待せず、状況に左右されません。後者は、出来事や感情次第で変わります。

 

 

18.それを得るために諦めなくてはいけない物で、成功かどうかを判断すること。

あなたがそれを達成するために、あなた自身やあなたの愛する人を危険にさらす必要があった場合、それは真の成功ではありません。あなたが本当に何を望んでいるかを考えましょう。私たちの人生の目的は、幸せになることなのです。

 

出典元:かわしま進学塾KAWASHIN

 

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■ 中国の電撃侵略に備えよ

 

 

2021年2月9日の、虎ノ門ニュースで特集された「中国の電撃侵略に備えよ」が目を惹きましたので書き起こして掲載します。特集担当は、作家・ジャーナリストの門田隆将氏です。

 

台湾の統治の歴史、非常に勉強になりました。

2022/3/10

 

作家・ジャーナリスト・門田隆将氏 
作家・ジャーナリスト・門田隆将氏 

 

門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年6月16日)は、日本の作家、ジャーナリスト。

 

 

中国の電撃侵略に備えよ・・・門田隆将

 

 

中国と台湾の根本的な関係

中国は建国以来一度も台湾を支配したことがない!

 

 

台湾統治の変遷①

オランダ統治時代:1624年~1661年(37年間)

鄭氏統治時代:1661年~1683年(22年間)

清朝統治時代:1683~1895年(212年間)

 

 

台湾統治の変遷②

日本統治時代:1895年~1945年(50年)

国民党統治時代:1945年~1996年(51年間)

台湾民主化時代:1996年~現在(25年間)

 

 

中国が台湾を自分の国と主張する理由

世界の”5大国”の1つだった「台湾(中華民国)」

 

 

中国加盟前の世界情勢

1945年~1971年の国連安全保障理事会の常任理事国は

「アメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中華民国」

 ⇩

1971年アルバニア決議

中華人民共和国の加盟と、中華民国の脱退

 

 

世界の常識に挑戦したトランプ大統領

2016年、蔡英文氏を、プレジデント台湾と呼ぶ

2019年、アメリカ国防省が、台湾を「民主国家」と呼称

 

 

中国が台湾進攻の根拠

2005年施行「反国家分裂法」

 

中国の最近の台湾に関する動き

中国が「台湾独立派リスト」を公表

 

 

反国家分裂法とは

 

反国家分裂法

 

「反国家分裂法」違反を口実に「台湾進攻」を行う!?

 

 

台湾以外にも中国に侵略された地域

1949年 内モンゴル自治区へ

1951年 チベット軍事制圧 (ダライ・ラマ14世は1959年にインドへ亡命)

1955年 新彊ウイグル自治区設置

 

中国に侵略された国 
中国に侵略された国 

 

 

日本の中国への対抗策

アジア版NATO(環太平洋・インド洋条約機構)の必要性

 

 

門田氏の憲法九条の私案

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。わが国は、国際平和の維持と国民の生命・財産および領土を守るために自衛隊を保有し、いかなる国の侵略も干渉も許さず永久に独立を保持する。

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■ なぜ中国は、これほどまでに国家主義的か

 

 

アメリカの支援を求めて起こった香港のデモ行進時に寄せられた、2019年10月17日の建築家岩崎駿介氏のFBでの言葉が非常に印象的でしたので、ここに紹介します。

2022/03/01

 

建築家 岩崎駿介氏
建築家 岩崎駿介氏

 

岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、NGO活動家。1979年、国連アジア太平洋経済社会委員会のスラム課長。1982年、筑波大学助教授。1981年から1993年まで 日本国際ボランティアセンター代表。1993年から1998年まで環境問題政策提言NPO「市民フォーラム2001」事務局長及び代表。出典はウィキペディア(Wikipedia)より

 

 

なぜ中国は、これほどまでに国家主義的か・・・!

Awesome China ... Why is China so nationalistic!

 

中国は、やはり特異な国である。紀元前の夏王朝の時代から、特定な人物を一人選び、その人物を皇帝として、その絶対的権限を認め、原則としてすべての国民はそれに従うといシステムを選び取って現代にいたる。西欧人は天なる神を拝み、日本人は奥なる山を信仰したが、中国人は、階段の上に現れる皇帝を拝んだのである。

 

いま香港の人々は、これに激しく抵抗している。アメリカの助力をもとめ、アメリカの下院議会は香港支援を可決した。先日の10月13日、ネパールを訪問していた習近平主席は、恐ろしいことに香港を念頭において「中国を分断しようとする者は、身体と骨が粉々になる(粉身碎骨)」と述べたという。中国は、なぜこれほどまでに国家主義的なのか。これに戦いを挑む香港市民は、明らかに中国政府との対立を国内問題として捉えるのみではなく、今後、人類が生きていくときに、人間の「尊厳と自由」という概念において、どうしても問わねばならない問題として、運動を展開していると思う。

 

中国は端的言えば、国際的には資本主義経済システムに乗っかりながら、国内的には国家の統制のもとにおいての社会主義を遂行しようとしている。折しも、中国・アメリカの貿易戦争が激化する中、おそらく中国は揺らぎもしないでアメリカをいずれ押し切ると思う。

 

そしてこれを、いま「中国モデル」と言い、極端に言えば原則として「自由競争」を基礎とする資本主義に代わる国家統制のもとにおける新しい「経済社会システム」として世界を押し切ろうとしているのである。

 

その意味で、言うまでもなく日本人にも大いなるかかわりがある。競争に伴う幾多のいざこざを国家権力をもって抑え込み、一見、平和を装いながら、積極的に外資導入を図って経済開発を促進する。

 

中国の力にひれ伏す、国家独裁的なアフリカ諸国を従え、国連での多数を制して、今世紀における世界覇権を着々と積み上げている。

 

恐ろしきかな中国・・・何千年の歴史を踏まえて、中国の人々は何故このように権力に従順なのか。中国を旅した人は、皆、彼らの人柄を称賛する。しかし、ひとたび国家という枠組みに立つとき、なぜか彼らは絶対権力にしたがうことによって自分の利益を増進する戦略を選び取る。僕としては、香港の人たちに連帯したく、少なくも筆を持て応援したいと思っています。

 

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■ 環境主義者の真意は「アンチ資本主義」

 

 

世界を解く

環境主義者の真意は「アンチ資本主義」

 

産経新聞掲載されたエドワード・ルトワック氏のインタビュー記事が目を惹きましたので、書き起こして掲載します。

環境主義者の真意は?

2021/11/05 

 

エドワード・ルトワック氏 
エドワード・ルトワック氏 

 

エドワード・ルトワック(Edward Nicolae Luttwak、1942年11月4日)は、アメリカ合衆国の国際政治学者。専門は、大戦略、軍事史、国際関係論。ルーマニアのユダヤ人の家庭に生まれ、イタリア、イギリスで育つ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、英国軍、フランス軍、イスラエル軍に所属した後、1975年にジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論の博士号取得。現在、戦略国際問題研究所シニアアドバイザー。

 

 

10月末に開かれた20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の期間中、開催地のローマに滞在していた。良い機会なので、まずG20の意義について語りたい。

 

先進7カ国(G7)は高度に発展した民主主義同盟諸国の集まりであり、会合を開けば問題の対処に向けた答えを導き出すことができる。他方、G20も「重要な一等国」の称号を得た国々の集まりと見なされているが、実態は全く違う。

 

G20の一部の参加国は行政能力を欠いている。自国外に影響力を持たない国や真っ当な司法制度がない国もある。

 

G20の場で米中や米露といった特定の参加国が2国間会談の機会を設けられるよいう利点はあるが、枠組み全体では具体的な成果につながる本格的な政策論議は期待すべくもない。

中略

 

環境問題に熱心な勢力の表向きの主張は、気候変動を食い止めるために化石燃料を使うのをやめようというものだ。しかし、その真意は「アンチ資本主義」「アンチ経済成長」だ。ところが、そんな環境保護主義たちに対して世界各国の政府は「黙れ」と言う政治的な勇気がない。

 

資本主義の仕組みには間断なき成長が不可欠だ。こぎ続けなければ倒れてしまう自転車と同じだ。成長を求めるのであればエネルギーが必要だ。実用性の高いエネルギーを得るには化石燃料を燃やすか、原子力発電しかない。

 

原子力をめぐる問題の一つは、その危険性が極端に誇張されていることだ。

中略

 

温室効果ガスの削減を含む環境保護と経済成長の両立を目指す真の環境保護主義者であれば、原子力を指示すべきだ。中略・・

 

ビルゲイツ原子力ベンチャーを設立。ナトリウム冷却型の次世代小型原子炉の開発に乗り出した。

 

原発を推進するのか、それとも経済成長をあきらめるのか。世界は選択を迫られているのだ。

 

聞き手・黒瀬悦成。

 

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■ 無条件降伏の嘘と東京裁判(極東軍事裁判)

 

 

虎ノ門ニュース特集で「東京裁判の問題点」を取り上げていましたので、書き起こして掲載します。

 

特集のコメンテーターは、北村晴男氏、百田尚樹氏です。

 

非常に勉強になりました。ポツダム違反をしたのはソ連とアメリカということ。

それにしても戦後の教育界とマスコミ界はどうしようもないですね。

2021/08/17

 

東京裁判が行われた、市ヶ谷記念館
東京裁判が行われた、市ヶ谷記念館

 

 

終戦特集

無条件降伏の嘘と東京裁判(極東軍事裁判)

 

 

■ポツダム宣言受諾は「無条件降伏」ではない!

 

ポツダム宣言の第十三項には「我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し」とあり、無条件降伏の対象はあくまで「日本軍」であって日本国となっていない。したがって「ポツダム宣言」受諾は「有条降伏である」ととらえるべきだろう。出典:「日本国記」より

 

 

■ポツダム宣言(要旨)抜粋 6項から13項まで条件が書いてある。

 

(5)吾等の条件は以下の通りで、これに代わる条件は存在しない。

 

(9)日本軍隊は完全武装解除後、各自の家庭に復帰し平和的かつ生産的な生活を営む機会が与えられる。

●ソ連が違反した。シベリア

 

(10)吾等の俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重な処罰が与えられる。民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべきだ。言論、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重は確立される。

 

●アメリカが違反した戦争犯罪。民間人虐殺。不必要な大量虐殺、残虐な兵器の使用(原爆)

●GHQによる、言論、宗教及び思想の自由、基本的人権の違反

●国際法上は、占領下の国の憲法を勝手に作ってはいけない。これもアメリカは違反。

 

(13)日本政府が直ちに、全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、その行動の誠意について適当かつ十分な保証を提供するよう要求する。これ以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみである。

 

●無条件降伏はここにのみ出てくる。軍隊の無条件降伏。

●GHQが戦後の言論統制で、無条件降伏を広めた。

 

 

■ポツダム宣言受諾前、日米の応戦①

 

●日本が8月10日に出したポツダム宣言受諾電報

「右宣言は天皇の国家統治の大権を変更する要求を含まないという了解のもとにこれを受諾する

日本は確約書として入れている。

 

●国務長官ジェームズ・バーンズの回答

「天皇の国家統治の大権は占領とともに連合国軍司令官の下に置かれる」

 

 

■ポツダム宣言受諾前、日米の応戦②

 

●日本の回答

(要約)「天皇は国家統治の大権のもと連合国軍司令官の占領に協力する

 

●決裂交渉を恐れたアメリカは・・・

「日本がポツダム宣言を無条件で受諾したものとみなす」と通告しそのようにプレスリリースした。

●ポツダム宣言内容(条件付き)を、無条件で受諾したもの。

 

 

■極東国際軍事裁判(東京裁判)

 

●1946年5月~1948年11月

東京・市ヶ谷法廷などで行われ、東條英機ら7名は絞死刑、18名は禁固刑、その他は未決で釈放。

 

●A級=平和に対する罪、B級=通例の戦争犯罪、C級=人道に対する罪

 

 

■東京裁判の問題点①

 

●「罪刑法定主義」の無視

●「法律不遡及の原則」に反する

●根拠はマッカーサーによる「行政命令」に過ぎない

●「事後法」による判決

●「A級戦犯」(平和に対する罪)

●起訴日は昭和21年4月29日→昭和天皇の誕生日

●処刑日は昭和23年12月23日→皇太子の誕生日

 

 

■東京裁判の問題点②

 

●判事は戦勝国側の11カ国から1人ずつ任命

中立国からは1人も選ばれていない

●検察側は各国代表の11人、弁護側は鵜沢総明氏が弁護団長、清瀬一郎氏が副団長に選任。

しかし戦勝国・米国の弁護人25人も加わった。

●日ソ中立条約を一方的に破って対日参戦したソ連が、裁判管席、検察官席に座り、日本による「対ソ侵略」を糾弾した。

 

 

■パール判事の判決文の一部

 

「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面をはぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神はそのはかりを平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう」

 

「戦勝国は、敗戦国に対して憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る立場にある。しかし、戦勝国が敗戦国に与えることの出来ない一つのものは正義である。少なくとも、もし裁判所が法に反し政治に根ざすものであるならば、その形や体裁はどう繕っても正当な裁判とは言えない」

 

もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦におけるドイツ皇帝の(無差別殺人の)指令および、第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものである

 

本件の被告のばあいは、ナポレオンやヒトラー(など独裁者)のいずれの場合とも、いかなる点でも同一視することはできない。日本の憲法は完全に機能を発揮していた。元首、陸海軍および文官はすべての国家と同様、状態を逸しないで相互関係を維持していた。(中略)今次行われた戦争は、まさに日本という国の戦いだった。これらの人々は、なんら権力を簒奪したものではなく、国際的に承認された日本国の機構を運営したに過ぎなかった」

 

 

北村晴男氏の見解---GHQの統治が終わった後、東京裁判の実情、これをきちんと報道しないマスコミは何だったのだろう。

マッカーサーとトルーマンの対立、外交委員会の言動は興味深い。マッカーサー曰く、日本の安全保障上の戦争だった

 

東京裁判 産経ニュースより
東京裁判 産経ニュースより

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■ 人類に災禍もたらす中国共産党

 

 

産経新聞正論に、文化人類学者静岡大学教授・楊海英氏の「中国共産党100年」についての見解が載っていましたので、書き起こして掲載します。

非常に勉強になる内容でした。

2021/07/10

 

文化人類学者静岡大学教授・楊海英氏 
文化人類学者静岡大学教授・楊海英氏 

 

楊海英は、内モンゴル出身の文化人類学、歴史人類学者。静岡大学人文社会科学部教授。モンゴル名はオーノス・チョクト、帰化後の日本名は大野旭。楊海英は中国名のペンネーム。

設置された中国共産党創建100年を祝う展示物=30日(共同) 
設置された中国共産党創建100年を祝う展示物=30日(共同) 

 

「偉大で光栄な、正しい中国共産党」。中国共産党が自身に冠した常套(じょうとう)句である。結党100年に当たり人類史・世界史の視点から同党の歩みを振り返ってみよう。

 

 

≪過激な革命思想の源流≫

 

100年前の上海はフランス租界。13人の読書人とコミンテルン(共産主義の国際組織)の代表2人の計15人からなる小さな秘密結社が会合を開いた。会合に参加しなかった発起人は他に6人いたという。計19人の中国人のうち、実に8人が日本への留学生だった。当然、彼らは日本から学んだ最新の語彙を駆使して組織の名とした。中国共産党である。

 

共産や人民、共和といった近代の概念はほぼ例外なく江戸期以降の日本が西洋から導入した概念である。若き中国人たちは清末期に満州人の皇帝に派遣され日本に渡って知識を吸収し世界を知った。覚醒した彼らは自身を派遣した主人に向けて牙を剝(む)いた。「韃虜(だつりょ)(満州人とモンゴル人)を駆逐して中華を恢復(かいふく)する」という易姓革命だ。恢復された中華民国は名実ともに漢人の国だった。中国共産党員たちも、清朝を打倒した革命党の思想と闘争手法を継承した。

 

共産党の結党大会にコミンテルンの代表が参列しても、やがては発言権を奪われた。日本的な近代思想とソ連に代表される正統派社会主義思想も排除された。代わりに台頭したのは、毛沢東を主流とする中国本土派である。そこには暴力を優先する大漢民族中心思想の水脈があり、中国と、これからの世界に大きな危害をもたらしていると指摘しておきたい。

 

 

≪歴史の書き換えと暴虐≫

 

暴力優先の大漢民族中心思想を学界では皇漢(こうかん)(大いなる漢民族)思想と呼ぶ。革命党きっての文筆家・章太炎らによると、漢民族は神話上の祖先、黄帝の時代に西アジアのバビロンから東方へ移住してきた。移住者は土着の諸民族を追い出し中華を創成した「優等民族」だという。近代に入ると、新興の白人種にこそ及ばなくなったが、東夷(とうい)南蛮北狄(ほくてき)西戎(せいじゅう)よりは、はるかに優れた民族だと信じている。歴史的にも「中華民族」は四夷より進んで、今後ますます発展する、という人類史に対する壮大な空想である。

 

こうした誇大妄想が、伝統的な中華思想と西洋からの進化論の野合へと発展していく。曰(いわ)く皇漢は諸民族の運命を左右する使命を帯びる。東夷たる日本の中国進出と過去の匈奴(きょうど)・突厥(とっけつ)・蒙古などの南進は非正当な侵略行為で、皇漢の周辺地域への侵略は国土開拓と諸民族解放だと歴史の書き換えが始まった。

 

歴史の改竄(かいざん)を忠実に実践したのは、穏健なライバルである国民党を台湾に追放した共産党である。中国共産党は誰よりも清末革命党の皇漢思想を信条として掲げ、かつ暴力に移していった。彼らからすれば、「遅れた劣等種」のモンゴル人とウイグル人、それにチベット人を同化させるのは、白人種が世界の諸民族を支配して「文明化」させるのと同じく「光栄な使命」となる。諸民族の抵抗は容赦なく弾圧せねばならない。こうして文化大革命期にはモンゴル人が、現在ではウイグル人がジェノサイドの犠牲者とされたのである。進化論と皇漢思想という悪魔が生んだ中国共産党の暴力志向の哲学的背景はここにある。

 

 

≪地球と人類への危険集団≫

 

他人の命を軽視し、ひたすら自民族を優等な人種と見なす中国共産党がこのまま暴走を続ければ、地球と人類全体にさらに大きな災禍が降りかかってくる。

 

「お前ら少数民族を消すのは簡単さ、指一本でできる」―これは2003年冬に青海省にある中国の核実験場の党書記が私に向かって言い放った言葉だった。私は以前から中国の核実験が専ら内モンゴルと東トルキスタン(いわゆる新疆)、それにチベット人地域で行われてきたことに抗議していたから、彼らの不快を買っていた。

 

2018年には中国南方科技大学の賀建奎副教授が世界初のゲノムを編集した嬰児(えいじ)を作り出した結果、国際社会に大きな倫理上の衝撃をもたらした。一昨年冬からは地球規模で武漢発肺炎が猖獗(しょうけつ)を極め、パンデミックの結果、1億8千万人以上が感染、約400万人が命を失う惨劇となった。すべてが中国共産党の存在と関係していることに、人類は真剣に対応しないといけなくなってきた。

 

中国共産党員は今や1億人に迫る勢いを見せている。高度に組織化され、いかなる時も共産党の利益が優先される、世界に類例を見ない異質な組織に成長した。この党は世界一豊富な資金をバックに、世界最先端の科学技術を武器にして、世界最多の人口を人質にするように化けてきた。

 

現在、中国共産党の根幹を成している皇漢思想は衰えるどころか、ますます増幅しているからだ。彼らは最先端の技術で世界征服と全人類の中国人への同化を目論(もくろ)み、独自の「中華民族の偉大な復興」を唱えているからだ。日中友好という邪教を妄信するのではなく、一日も早く対中戦略の練り直しが日本に求められているのではないか。(よう かいえい)

 

 

 

関連記事

 

中国共産党創立100周年に祝電した者たち 2021/07/02

 

 

自民党河野洋平氏

自民党が二階俊博幹事長

立憲民主党小沢一郎氏

立憲民主党枝野幸男代表

社民党福島瑞穂代表

公明党山口那津男代表

創価学会池田大作名誉会長と原田稔会長

 

 

楊海英SNSより転記

 

楊海英「私は80年代に北京の中国外務省の参加の外国語大学に居たが、授業であった「日本と外交関係をどう作るか」の答えは「日本国内の友好勢力を育てる」だった。その勢力の1つが、池田大作が周恩来と友好関係を結んでいる創価学会。その”友好”が創価学会の権威、更には公明党の権威になっている」。

 

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■ 無謀な「脱炭素」で政治危機に

 

 

産経新聞正論に、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志氏の脱炭素への見解が載っていましたので、書き起こして掲載します。

2021/07/08

 

キヤノングローバル戦略研究所・杉山大志氏 
キヤノングローバル戦略研究所・杉山大志氏 

 

杉山 大志氏は、日本のエネルギー・環境研究者。温暖化問題およびエネルギー政策を専門とする。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特任教授。2004年より気候変動に関する政府間パネル(IPCC)評価報告書等の執筆者。産業構造審議会産業技術環境分科会 地球環境小委員会地球温暖化対策検討ワーキンググループ委員。総合資源エネルギー調査会省エネルギー・新エネルギー分科会省エネルギー小委員会工場等判断基準ワーキンググループ委員。

 

 

埼玉県内に設置された太陽光パネル

温室効果ガス削減効果が期待されるが、電力安定供給の面では弱みがある

 

いま日本は菅義偉政権のもと2050年にCO2ゼロ、すなわち脱炭素を目指し、30年度には13年度比でCO2を46%削減するとしている。これは従前の目標であった26%から20ポイントもの深掘りだ。政府はエネルギー基本計画及び温暖化対策計画の見直しを進めているが、相当に慎重な書きぶりにしないと、遠からず政治危機が訪れる。

 

 

≪消費税増税以上の負担≫

 

これまでの太陽光発電の実績では1%の削減のために毎年1兆円の賦課金を国民が負担している。つまりこのペースでできるとしても20ポイントの深掘りには毎年20兆円が追加でかかる。これは奇(く)しくも今の消費税の総額に等しい。つまり脱炭素は30年までに消費税率を20%に上げるのと同等の国民負担になる。これを明言すれば、いかなる政権も安泰ではいられまい。

 

海外でも負担が明確になるにつれ脱炭素への反乱が始まった。

 

スイスでは、30年までにCO2を半減するという「CO2法改正案」が、国民投票で否決された。同案はスイスの主流政党・メディアにより幅広く支持されてきたものだけに、衝撃は大きかった。

 

産業団体が署名を集め、国民投票に持ち込んだ。彼らは「CO2法に反対する経済委員会」を組織して反対キャンペーンを展開した。ポスターには「お前、頭、大丈夫か? また税金だって? 高くて、役立たず、不公平。誤ったCO2法にノー」とあった。

 

英国では、家庭の暖房において主流であるガスを禁止して電気式のみにする、さらにはガソリン自動車を禁止して電気自動車のみにする、といった政策が検討された。だがその費用が世帯当たりで数百万円に上るという試算が白日の下に晒(さら)されると、ジョンソン政権のお膝元の保守党議員、ベーカー元ブレグジット担当閣外相が公然と反旗を翻した。氏は大衆紙サンに「脱炭素―ガス使用禁止で貧しい人が寒さに震える」と題した記事を書き「このままではサッチャー政権の人頭税導入の時のような政治危機になる」とした。日本でも脱炭素は消費税増税を上回る政治危機になるかもしれない。

 

 

≪「炭素税で成長」は非常識≫

 

日本政府は脱炭素を「グリーン成長で実現する」という綺麗(きれい)ごとを言っており、莫大(ばくだい)な費用がかかることを隠している。環境省が6月21日に開催した審議会ではCO21トン当たり1万円の炭素税を導入しても、税収の半分を省エネ投資の補助に使うことで、経済成長を損なうことなくCO2削減ができる、と主張している。

 

だがそんなはずはない。日本の年間CO2排出量は約10億トンなので、1トンあたり1万円ならば税収は10兆円となる。これは消費税収20兆円の半分にあたるから、消費税率を10%から15%に上げるのと同じことになる。常識的に考えて、これは大変な不況を招く。

 

「炭素税収を原資に省エネ補助をすれば経済は成長する」という結論もナンセンスである。

 

「政府が税金を取って、民間に代わって投資する」ことで経済が成長するという考え方は、経済学の常識に反する。特に省エネ投資のように、無数の企業や市民が自分の利害に直結する意思決定をする場合は、なおさらである。

 

政府の補助があったので購入したものの、受注が不調で使われていない、といった無駄な機械は日本の至るところにある。

政府の事業はよく失敗する。決して役人が無能なのではない。政府の事業には、政治家が介入し、官僚機構は肥大し、規制を歪(ゆが)ませて自らに利益誘導しようとする事業者が入り込むから、所謂(いわゆる)「政府の失敗」が多いのだ。

 

 

≪家の上に「ジェノサイド」≫

 

日本は太陽光発電の大量導入を続けてきた。今これをさらに加速しようという意見が強い。だがこれは別の政治危機を招く。太陽光発電の世界市場を席捲(せっけん)している中国製品は、強制労働との関係の疑いが濃厚だ。

 

米国は6月24日、ウイグルでの強制労働に関与した制裁として、中国企業4社の製品の輸入を禁止した。この4社は太陽光発電の心臓部にあたるシリコンの精錬と結晶製造にあたる最大手企業で、事実上殆(ほとん)どの中国製太陽光パネルが禁止になったとみられる。

 

太陽光パネルは唾棄すべき理由で安価になった。結晶シリコンは、世界の45%がウイグル地区で生産されている。残りは30%がウイグル以外の中国であり、中国は合計で75%となっている。他の国々は全て合わせても25%だ。

 

日本の太陽光発電パネルはいまや8割が海外製品になっており、中国製品も多い。米国並みの措置を日本も採れば、太陽光発電の導入には急ブレーキがかかり、価格高騰も避けられない。

 

だがそれでも、日本も断固とした措置を速やかに採るべきだ。

 

環境のため良かれと思った太陽光発電が強制労働を助長するのは本末転倒だ。このままでは、家の上の太陽光パネルを見るたびに、おぞましいジェノサイド(民族大量虐殺)を思い出すことになる。かかる事態を、日本政府は許すべきではない。(すぎやま たいし)

 

 

 

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温暖化対策の暴走に抵抗せよ 

キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志

2021/04/29

 

気候変動に関するオンライン首脳会合に臨むバイデン米大統領(左)=22日(共同) 
気候変動に関するオンライン首脳会合に臨むバイデン米大統領(左)=22日(共同) 

 

 

米国が主催した気候変動サミットにおいて、菅義偉首相は「2030年にCO2等の温室効果ガスを2013年比で46%削減することを目指し、さらに50%の高みに向けて挑戦を続ける」とした。これは既存の目標である26%に20ポイント以上も上乗せするものだ。

 

 

≪破滅的な米国気候外交≫

 

 

日本が46%乃至(ないし)50%としたのは米国が50%乃至52%としたのに横並びにしただけだ。1997年に京都議定書に合意した時は米国の7%より1ポイントだけ少ない6%だった。2015年にパリ協定に合意した時は米国と同じ26%だった。何(いず)れも米国は一旦合意したがやがて反故(ほご)にした。歩調を合わせた日本は梯子(はしご)を外された。

 

今回も確実に同じ事になる。

 

なぜなら、議会のほぼ半分を占める共和党は「気候危機」なる説はフェイクだと知っている。のみならず米国は世界一の産油国・産ガス国であり、民主党議員であっても地元産業のためには造反し、共和党議員とともに温暖化対策に反対票を投じる。環境税や排出量取引などの規制は議会を通ることはない。米国はCO2を大きく減らすことなどできないのだ。

 

なぜ米国はできもしない目標にこだわったか。それは「地球の気候は危機に瀕(ひん)し、気温上昇を1・5度に抑えねばならない、それには2030年に半減、2050年にゼロでなければならない」という「気候危機説」に基づく。

 

これは御用学者が唱え、西欧の指導層と米民主党では信奉されている。ただし台風やハリケーンなどの統計を見ると、災害の激甚化などは全く起きておらず、この気候危機説はフェイクにすぎない。にもかかわらず、CNNなどの御用メディアが、不都合な事実を無視し、反論を封殺してきた。

 

サミットでバイデン政権の最大の目的は、気候危機説を信奉する人々、特に民主党内で存在感を増すサンダース氏らの左派を満足させることだった。中国、インド、ロシアなどは目標の深掘りに応じず、結果としては日米欧が一方的に莫大(ばくだい)な経済的負担を負うことになった。

 

 

≪尻目に中国は高笑い≫

 

サミットで中国の習近平国家主席は自信に満ちた演説をした。「中国は米国がパリ協定に復帰することを歓迎する」として、政権交代の度に方針が変わる米国の信頼性の無さを論(あげつら)った。また正式な交渉の場は国連であり、米国主導のサミットではないこともはっきりさせた。

 

国連は中国にとって都合の良い場である。G77と呼ばれる数多くの開発途上国とともに、中国は経済開発の権利を守り先進国の責任を問うリーダー格である。

 

中国はサミットへの参加をテコに有利な取引をした。すなわちサミットに先立つ米中の共同声明で「産業と電力を脱炭素化するための政策、措置、技術」を共に追求する、とした。この文言は、今後の貿易戦争に当たって、中国の利益を害するような米国の制裁を抑制するために利用されるだろう。

 

中国の現行の計画では今後5年で排出は1割増える。この増分だけで日本の年間排出量12億トンとほぼ同じだ。また日本の石炭火力発電は約5千万キロワットであるが、毎年、中国はこれに匹敵する量を建設している。

 

今回のサミットで先進国は自滅的に経済を痛めつける約束をした一方、中国は相変わらず全くCO2に束縛されないことになった。

 

それだけではない。太陽光発電や電気自動車は中国が大きな産業を有し、先進国が創(つく)る市場を制覇できる。途上国に対しても、中国はグリーンインフラ整備を名目に一帯一路構想をいっそう推進すると表明した。

 

先進国が石油消費を減らし、石油産業が大打撃を受ける一方で、中国は産油国からの調達が容易になる。先進国はCO2を理由に途上国の火力発電事業から撤退するが、おかげで中国はこの市場を独占できる。先進国に化石燃料を取り上げられた途上国はこぞって中国を頼るようになる。中国は高笑いだ。

 

日本はどうすべきか。今後、エネルギー政策を見直すプロセスが始まる。大事なのは具体的な政策だ。安全保障と経済を熟慮し、一つ一つ妥当性を吟味すべきである。

 

 

≪費用抑制を制度化せよ≫

 

太陽光発電の実態として、1%のCO2削減のために、毎年1兆円の費用が掛かった。26%から46%まで深掘りすると、単純に計算しても追加で毎年20兆円掛かる。まず総額がいくらか、政府は明確にすべきだ。

 

次いで、費用の高騰を防ぐ制度が必要だ。そこで「政策のカーボンプライシング」を提案する。一定の「炭素価格」として例えば1トン当たり4千円と設定し、政策は全てこの炭素価格を用いて費用対効果を分析し、安全保障なども勘案しつつ、政策実施の可否を決める。これで無駄遣いを阻める。

 

CO2ゼロなど不可能であり、気候危機はフェイクだという認識は、米共和党を中心に早晩世界に広がる。それまで粘り強く国益を守るしかない。(すぎやま たいし)

 

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■ 国民の“命の敵”となった憲法9条

 

 

産経新聞正論に、作家・ジャーナリスト・門田隆将氏の「憲法9条」についての見解が載っていましたので、書き起こして掲載します。

現状はかなり厳しい状況ですが。

2021/04/30

 

作家・ジャーナリスト・門田隆将氏 
作家・ジャーナリスト・門田隆将氏 

 

門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年6月16日)は、日本の作家、ジャーナリスト。本名は門脇護(かどわき まもる)。

 

 

陸海空の戦力保有と国の交戦権を否定した憲法9条は、平和憲法の象徴として左派勢力によって神聖化されてきた。しかし、逆にその条項が国民の「命の敵」と化していることについて論考したい。

 

 

≪国際情勢の激変の中で≫

 

まもなく施行から74年を迎える日本国憲法は成立以来、一言一句変わっていないという意味で「世界最古の憲法」である。

 

同じ第二次大戦の敗戦国でもドイツは連合国の介入を押しのけ、1949年5月、政治家・法律家で構成する議会評議会で条文を起草し、ドイツ連邦共和国基本法を定めた。その後も六十余回改正し、内外の状況変化に対応してきた。その意味で全く変わらない日本国憲法とは対(つい)を成している。

 

では、なぜ日本国憲法が国民の「命の敵」となってきたのか。

 

戦後76年という歳月は、想像もつかない国際情勢の変化を生んだ。だが直近の10年、特にこの5年の変化は凄(すさ)まじい。理由は中国の「力による現状変更」にある。私はこの激変まで熱心に憲法改正を説いていたわけではなかったことを先に告白しておく。

 

戦後長く続いた米ソ冷戦下で憲法改正の必要性は現在ほど高くはなかった。冷戦の最前線が欧州だったからだ。しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、共産主義国が次々瓦解(がかい)し、遂(つい)には盟主・ソ連も解体、ロシアとなった。安全保障を米国に丸投げし、その核の傘の下で日本は平和を享受できたのである。だが、やがて国際秩序を破壊する国が登場した。

 

 

≪中国の侵攻への「対策なし」≫

 

中華人民共和国である。1949年の建国以降、チベット、ウイグル、南モンゴルを版図(はんと)に収め、香港の人権を踏み潰(つぶ)し、台湾への侵攻意図を隠しもしない国だ。南シナ海では他国の排他的経済水域内の岩礁を埋め立てるなど軍事基地化し、日本には尖閣を自国領土と宣言し、連日、領海侵入を繰り返している。

 

「必要があれば、いつでも武力で我が国の領土(※尖閣のこと)を守る準備はできている」

 

軍幹部が常に発するこの言葉は、いつでも尖閣を奪取するという意志表明にほかならない。つまり東アジアは、どの国も中国の脅威に晒(さら)されているのだ。

 

ポイントは、習近平国家主席が2013年以来広言している「偉大なる中華民族の復興」にある。建国百年の2049年までに世界の覇権奪取を実現することを意味する言葉だ。これは、かつて歴代の王朝が誇った「華夷(かい)秩序」を強く意識している。中華帝国が世界の中心にあり、まわりの蛮族(ばんぞく)は帝国につき従い、朝貢するものだ。中華民族にとっては、これが世界の理想の形なのである。

 

さらにこの言葉には前段がある。「百年の恥辱」への恨みを晴らす、というものだ。偉大なる中華民族の復興は、アヘン戦争以来の百年の恥辱を晴らした上で実行されるのである。大都市に創(つく)られた租界、満洲国の建国、百万を超える大兵力投入による大陸支配。中国が恨みを晴らす主敵が「日本」であることを忘れてはならない。しかし日本には中国の侵攻への対策は何もない。相変わらず米国一国に頼っているだけである。

 

欧州は1949年、NATO(北大西洋条約機構)を創設し、集団的自衛権の抑止力によってソ連に対抗する方策を取った。ソ連が加盟国を攻撃すれば、全体への攻撃とみなして「全体で反撃する」というものだ。この集団安保体制は72年間、ソ連そしてロシアの侵攻から欧州を守っている。

 

 

≪抑止力で平和守る改正私案≫

 

2000年以降、NATO入りの成否で明暗を分けた国がある。「バルト三国」と「ウクライナとジョージア」だ。ラトビア、リトアニア、エストニアのバルト三国は、ロシアの介入に苦戦しながらもNATO入りを果たす。一方、ウクライナとジョージアは国内の親ロ勢力が強く、世論構築ができず加盟できなかった。ウクライナはクリミア併合、ジョージアも2州独立という目に遭(あ)ったことは記憶に新しい。政財官マスコミが中国に侵蝕(しんしょく)されている日本と極めて酷似しているだけに恐ろしい。

 

集団的自衛権の抑止力によって平和を守る-米国一国でなく、各国がスクラムを組み、アジア版NATOを創設し、中国の力による現状変更を止めなければならない。だが、日本には集団的自衛権を否定する憲法9条があり、それが叶(かな)わない。憲法が国民の「命の敵」と化した理由がそこにある。集団的自衛権の獲得は急務であり同時に自衛隊の合憲化も不可欠。この2点を踏まえ、私は具体的な憲法9条改正案を提案したい。

  

憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。わが国は、国際平和の維持と国民の生命・財産及び領土を守るために自衛隊を保有し、いかなる国の侵略も干渉も許さず、永久に独立を保持する。

  

家族や子孫の命を守るために私たちは歴史への使命を果たさなければならない。(かどた りゅうしょう)

 

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■ 僕は左翼の人たちに聞きたいんだよ

 

 

「僕は左翼の人たちに聞きたいんだよ」

保守の歴史家・伊藤隆88歳が“令和の日本”に苛立つ理由

 

文春オンラインに保守の歴史家・伊藤隆氏の面白いインタビュー記事が載っており、気になったので書き起こして掲載します。

聞き手は、近現代史研究者の辻田真佐憲氏です。

 

なかなか面白いインタビュー内容でした。

2021/04/17 

 

保守の歴史家・伊藤隆氏 
保守の歴史家・伊藤隆氏 

 

伊藤 隆(いとう たかし、1932年(昭和7年)10月16日 )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。専攻は日本近現代政治史。日本近代史、特に昭和戦前期政治史研究の重鎮で、多くの近代日本一次史料の発掘公刊を代表として精力的に行った。「日本教育再生機構」顧問、新しい歴史教科書をつくる会元理事。国家基本問題研究所理事。

 

重要人物の日記や書簡などの一次史料発掘や、竹下登・後藤田正晴らをはじめとした「オーラル・ヒストリー」の取り組みで、日本近現代史研究に大きな影響を与えてきた伊藤隆さん(東京大学名誉教授)。現在は国家基本問題研究所(国基研)の理事を務めるなど、保守論客の一人としても知られています。

 

88歳になった今でも最前線で研究を続ける歴史家の目には、近年の日本やかつての教え子はどのように映っているのか――。近現代史研究者の辻田真佐憲さんが聞きました。

 

インタビュー記事前編

 

日本学術会議は「なくしたほうがいい」

 

――櫻井よしこさんが理事長を務めている国基研の「日本学術会議は廃止せよ」という意見広告に、伊藤さんは賛同人として名前を連ねています。ただ、あのとき任命拒否された6名のうち1人は、弟子に当たる加藤陽子さんでした。この一連の問題についてどのようにお考えなのか、まずは伺いたいです。

 

伊藤 もともと日本学術会議って、僕とはまったく無縁の存在でね。あれはいろんな学閥というかな、大学とか、企業とか……それと民科(民主主義科学者協会)という、共産党系の人たちにとっては関心があるんだろうけど、他の大半の学者にはまったく関係ないんですよ。どちらかといえば、今はもう左翼の巣窟になってるからね。あんなもん、なくしたほうがいいと、僕は思っているわけです。

 

――あの6名の方が任命拒否されたのは、政府の安全保障の法制に反対したからだ、という意見もあります。

 

伊藤 安全保障についての研究に、彼らはだいたい否定的ですから。それはだって、今、安全保障の問題は日本にとって一番緊急じゃないですか。(任命拒否の背景は)たぶんそういうことだろうな、と僕は思っていますけども。

 

――加藤さんについては、以前、毎日放送でやっていた『教育と愛国』という番組でインタビューをお受けになっていますね。同じタイトルで本にもなっています。

 

伊藤 なんだかね、いろいろ忘れてるね。それ、僕がインタビューを受けてるの? (本を確認して)……本当だ。ああ、なんかね、この本、送ってくれなかったな。

 

――そうなんですね。この中で伊藤さんは、山川の教科書を執筆されたとき、問題のある記述を直した。ところが、その後を継いだ加藤さんが、せっかく直した箇所を元に戻してしまった、と仰っています。そして加藤さんに対して「あれは本性を隠していた」と。とはいえ、お二人は師弟関係で、かつては大学の中でかなりコミュニケーションもあったはずですよね。

 

伊藤 そう。

 

――それがなぜ、このようなことになってしまったのですか。

 

 

かつての教え子たちについて

 

伊藤 僕のところにいる分には、左翼を丸出しじゃ具合が悪いと思って、隠していたんでしょう。いい論文を書いてましたけどね。でも、ゼミの報告なんかを聞いてると、初めに理論があって、それに必要なデータを集めるという、そういうやり方だからね、非常に気に入らなかったんだけど。

 

――指導をされていた頃から、伊藤さんとしては違和感があったということなんでしょうか。

 

伊藤 いや、そのときは本当にうまくやってたと思います。

 

――学術会議の問題に関しては、同じく弟子である古川隆久さんも、「任命拒否の撤回を求めます!」という署名運動をされています。古川さんに対しては?

 

伊藤 似たようなもんですね。彼はもともとそんなに左翼だったわけじゃなくて、だんだん、だんだん……今の歴史学界を見たら、やっぱり左翼でないとやりにくいんですよ。

 

――ある意味生存戦略によって変わっていったと?

 

伊藤 それが自然なんでしょうね。上昇志向のある人はそうなると思いますよ。

 

――しかし伊藤さんご自身はそうならずに、東大の教授にまでなられたわけですよね。なぜ、そのようなことが可能だったんでしょうか。

 

伊藤 その頃は左翼が全盛というほどではなかったんですよ。左翼でない者も住める世の中だった。ただ、大学にいる頃はやっぱり、これは将来、就職は無理かなと思ってました。大学はだいたい左翼が握ってたからね。

 

 

かつて共産党に入党した理由

 

――伊藤さんは一貫してマルクス主義の問題について言及されていますが、学生の頃には一時期、共産党に入党されていましたね。それは当時、共産党やマルクス主義に対して何か共感があったからなのでしょうか。

 

伊藤 そうですね。僕はね、中学の1年のときに戦争が終わったのかな。それで先生たちを見ていると、それまで軍国主義的な態度をとっていた人たちが、コロッと変わったわけですよ。それで、そういう人たちのことをすごく嫌いになって。そこから始まっているんです。

 

――権威を振りかざすような人間は嫌いだと?

 

伊藤 というよりも、世の中の動きに自分を合わせていくような、そういう連中が嫌で。そうしてみると、やっぱり共産党は一貫している、と思ったことは確かですね。でも、入ってみるとね、中は同じだった。要するに、いかにして昇進するかということでね。小心翼々とやっているわけですよ。お金の問題に汚いし、女性関係は本当にいい加減だし。僕は一時期は本当に、職業的な運動家になろうと思ってたの。

 

――民青のキャップもされていました。

 

伊藤 そう。でも、これはダメだと思って、六全協(日本共産党第6回全国協議会)のときをきっかけにして、共産党から離れたんです。

――その後の共産主義やマルクス主義との関わりを見ますと、伊藤さんはその方面からかなり批判、攻撃をされているなとも思います。小学館の「日本の歴史」シリーズの一巻として出された『十五年戦争』に対する反応はちょっと驚きました。自費出版本の『落ち穂拾い』で引用されていますが、「反動的歴史観」「再読するに耐えぬ」「吐き出したいほどの著書」「不愉快きわまりない本」(松尾章一)と……。これが当時としては標準的な空気だったのでしょうか。

 

伊藤 本当に彼らがそう考えているのか、それともそう言わないと自分の身が危ないと思って言っているのかは、よくわからないですけれど。もう滅多やたらにやられましたよ。

 

 

保守と左翼のバランスは変わっていない?

 

――昭和50年代ですと、それ以外にも、伊藤さんがNHKの高校講座『日本史』を担当されたときに、朝鮮戦争が北朝鮮の侵略で始まったと書こうとすると訂正を求められたとか、強烈なエピソードがたくさんあります。とはいえ、今はそれほどでもないような気がするんですけれども。

 

伊藤 それは、左翼も認めざるを得ないからでしょ。北朝鮮が攻め込んだということは。

 

――かつてはマルクス主義がすごく強かった、それに対していろいろ対抗しなければならなかった、というのはよくわかるんです。ただ、現代は左翼も弱くなっていて、たとえば安倍さんが歴代最長の政権を築いたように、むしろ保守の方が強いのかなという気もするんですが。

 

伊藤 いや、そんなことはないですよ。自由民主党は憲法改正を綱領のトップに置いているにもかかわらず、未だに何もできないでしょ。なぜかと言ったら、自民党の中にも東京裁判史観みたいな人がいるわけ。だからね、ものすごく強いんですよ。ソ連が崩壊したときも、かなりの人が「これでマルクス主義は終わりだ」と言ったんです。でも、「そんなことはない」と僕は言ったんですよ。だって、隣に中国共産党があるじゃない。北朝鮮の(朝鮮)労働党があるじゃない。ベトナムも共産党だよ。

 

まあ、中国共産党というのはアジア的なものであって、純粋な共産党じゃないんだと言う人もいましたけど、やっぱりね、一党独裁でやってるわけですから。それでこの間までODAを貰っていたような国が、今や偉そうに日本を見下して、尖閣列島をよこせと言ってる。

 

――安倍さんがあれだけ長く総理を務めたとはいえ、日本ではまだまだ左翼、共産党は厳然たる力を持っている?

 

 

「尖閣列島を取られたらどうするのか」

 

伊藤 だって、安倍さんも憲法改正はできなかったじゃない。

 

――かつては国会でも、社会党の存在が大きかった時代がありました。3分の1ほどの議席を持っていて、共産党もある程度の勢力があった。そうした頃に比べると、やはり左翼も弱くなったような気がどうしても否めないのですが。

 

伊藤 逆に薄まった左翼がいろんなところに浸透してると考えたほうがいいんじゃないですかね。文藝春秋みたいに。僕は左翼の人たちに聞きたいんだよ。今、これだけ中国に日本が狙われてるのにさ、向こうから撃ってきたらどうするつもりなのかと。尖閣列島を取られたらどうするのかと。

 

――左翼にも色んな人がいて、中には憲法改正して国を守ることが重要だと主張する、いわゆる左翼ナショナリズムの人もいるとは思いますが。

 

伊藤 でも、憲法改正の前に起こったらどうします? それは前から言われていることなのにね、何も解決できていないから、僕は非常に苛立ってるんです。

 

――伊藤さんは、安倍さんのことは評価していますか。

 

伊藤 僕はずっと安倍さんの支持者だから。前にもちょっと会ったことがあるし。

 

――安倍さんとお会いになったときは、やはり歴史の話をされるんですか。

 

伊藤 いや。あれは何だったろうなあ……何かの機会に会って、ちょっと話をしたんです。

 

――伊藤さんが安倍さんを評価されているのは、教育基本法の改正や安保法制の整備などの点についてですか。

 

伊藤 うん。でも、それぐらいしかできなかったんだよね。だって国民の支持がなければ、憲法改正も無理でしょ。

 

 

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

 

――なるほど。では、憲法改正まで至らなかったのは、安倍さんが悪いというよりは、国民の動向の問題だったと?

 

伊藤 やっぱり戦後の、アメリカが日本人に対して行った教育、それの最たるものが東京裁判だけど、その影響がずっと続いているわけですよ。

 

――「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と言われるものですね。それについては、2018年に賀茂道子さんの『ウォー・ギルト・プログラム』が出ましたね。そこでは、アメリカの大掛かりな工作が一方的に成功したというより、「軍国主義者すべてが悪かった」ということで処理したかった日本側の事情も指摘されています。

 

伊藤 まぁ、何でもかんでも日本人のせいというさ。9条の問題もそうだけど、そういう形で今は崩そうとしているんだよね。

 

――同書は、実証的にもしっかりした内容だったと思うのですが……。伊藤さんは、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムはかなり影響力があったとお考えですか。

 

伊藤 ものすごくあったと思いますよ。

 

――それは江藤淳さんの本(『閉された言語空間』)を読まれて?

 

伊藤 それだけじゃないですけどね。だって現実に彼らがやっていた検閲の内容がわかるわけでしょ。ははあ、こういうことを日本人に言わせたくなかったんだって。

 

ーー一方で、日本は占領が解けると、収監されていた戦犯容疑者たちをすぐに釈放したりもしています。そうした対応を見ると、そこまでGHQの情報工作がうまくいってはなかったんじゃないかとも考えられるのですが。

 

伊藤 いやいや、そんなことはないですよ。戦犯を釈放した話は、朝鮮戦争とかでアメリカの姿勢が変わったこととも関係があると思いますよ。つまりはそれも、アメリカの影響力の下で行われたことです。

 

 

歴史を分析するための“立脚点”

 

――次に、歴史との向き合い方について伺えればと思います。伊藤さんは、マルクス主義的な歴史観に対して、実証主義的な手法によって対抗してきた方なのだと思います。ただ、『正論』に掲載された江崎道朗さんとの対談では、実証主義に対しても批判しているところがあります。

 

その箇所を読みますと、「『実証主義』に走るひともいて、非常に細かな問題は扱うのですが、ではそれが歴史研究のなかで、どこにどうつながっているのかがわからない、という話になる」「視座や、よってたつ論理がないと説明が付かないし、実証研究など成り立たないんです。ただ、こういう資料がありました、こういう事実があったで終わってしまう。非常に厳しいのです」と。これは、単に実証だけやっている人はダメなんだ、という意味でしょうか。

 

伊藤 そうですね。やっぱり、歴史を分析するための立脚点は、自分で作っていかなきゃいかんでしょ。それをマルクス主義の図式とか、東京裁判史観とか、そういうものに全部頼ってる人が非常に多いわけです。それをもとにしてやったって、いろんな事実の中で、自分の理屈に合うものを集めてくるだけだから。それは実証とは言わないんじゃないかな。

――ただ、一般に実証主義といいますと、資料を見て「これがありました、あれがありました」という事実だけを扱う、そのようなイメージを持っている人も多いのではないかと思いますが。

 

伊藤 そこに価値観が入っちゃうと、やっぱりまずいんです。歴史のことを考えるときに、善悪とか誰々の責任だとか、そういう言い方はダメです。だけど、だいたいこういうふうに歴史を認識するという、その構造はやっぱり必要ですね。

 

 

今の若い歴史家をどう見ている?

 

――伊藤さんは『昭和初期政治史研究』の中で「進歩と復古」と「革新と漸進」という軸を作られたわけですけれども。

 

伊藤 誰でもそれを、自分で作りなさいということです。ただ、世の中というかな、歴史学界にはマルクス主義、東京裁判史観が流布している。それに沿わないとなかなか、認めてくれないわけですよ。大学に就職するときとかに、こいつは変な奴だとはねられないように、そっちに寄っていくわけ。そのうちに、本当に引き込まれてしまう。

 

――逆に、今の若い歴史家の中で、そうした歴史観に引きずられずに、新しい視座を作ろうとしているな、と思われる人はいますか?

 

伊藤 いやあ、それがあんまり見当たらないんで、残念だなと思っているわけですよ。

 

――さきほどの『正論』の対談で、伊藤さんは「宮脇淳子さんと江崎さん、それに櫻井よしこさんははっきりした議論をする人」と仰っています。ただ、例えば櫻井さんは歴史家というよりはジャーナリストですよね。こういった方々について、伊藤さんはどう評価されているのでしょうか。

 

伊藤 そういうなら、江崎さんも歴史家ではないからね。歴史には非常に関心を持っているけど、彼は政治の実務家ですし。それから宮脇さんは、非常に目を開かせてくれるすばらしい学者なんですが、東洋史ですから。東洋史といっても、やっぱりアウトサイダーではありますけど。僕は今、その3人を尊敬してるんです。

 

――それ以外で、評価されているかたはいますか。

 

伊藤 そうですねえ。あと、僕は古代史は専門じゃないからあれだけど、田中英道さんの最近の著作なんてちょっと面白いなあと思ってるんですけどね。半信半疑なところもありますが、でも、やっぱりマルクス主義に毒されてないという点で非常に面白いと思って。

 

 

アウトサイダーへの期待

 

――伊藤さんとしては、アウトサイダーのほうが見るべき人はいるとお考えですか。

 

伊藤 そうです。自分で考えて歴史を分析してますから。

 

――最近ですと、百田尚樹さんの『日本国紀』がすごく売れていました。

 

伊藤 僕、あれ、読んでないんだよ。

 

――そうですか。ちなみに、東大にいらっしゃったときも、文学部のつながりより、御厨貴さんや北岡伸一さんなど、法学部系の人とのお付き合いが多かったのかなと思いますが。

 

伊藤 それはね、そうじゃないんです。彼らが僕のゼミに来たんですよ。というのも、僕は法学部との付き合いは深かったんです。法学部の教授になった三谷太一郎氏がアメリカに留学にいったときに代わりに講義をやったり、あとは国史から法学部へ行った佐藤誠三郎は一番の親友ですから。で、僕を高く評価してくれたのも岡義武という法学部の先生なんです。

 

――なるほど。その御厨さんや北岡さんも日本の近現代の政治史についていろいろと書かれていますが、伊藤さんはそうしたお仕事について、どのように捉えていますか。

 

伊藤 そうですねえ……まあ、かつては高く評価していたのですが、今はあんまり評価してないんです。だいたいにおいてあの人たちは、学者というよりは、何かちょっと別なものになったような感じがしますね。北岡君なんて、前、日中歴史共同研究の座長をやってたでしょ。それで戦後70年談話のときかな、「安倍さんには『日本は侵略した』と言ってほしい」とか言って。何を言ってるんだと、僕は思ったんですけど。

 

資料の復刻とかね、僕は自分のゼミ生と一緒に仕事はしてきました。ずいぶんたくさんの資料を、もう山のようにやりましたけどね、自分の弟子というか、ゼミ生に対しては、多少失望していますね。もうちょっとなんとかならないかなと。

 

 

 

インタビュー記事後編

保守論壇の重鎮・伊藤隆88歳が振り返る“つくる会”騒動

「こういうところにはいたくないと思った」

 

保守の歴史家・伊藤隆氏 
保守の歴史家・伊藤隆氏 

 

 

「朝日新聞は、僕は大嫌いなんですよ」

 

――伊藤さんは、定期的に読まれている雑誌はありますか。

 

伊藤 やっぱり『正論』と『WiLL』かな。『Hanada』も時々読むけれど。

 

――テレビよりは、そうした活字の方が?

 

伊藤 テレビは楽しみで見てるんですよ。『Youは何しに日本へ?』とか、『ワタシが日本に住む理由』とか。『ポツンと一軒家』なんかね、日本でこういう過疎地帯に住んで、こんな生活をしてる人がいるんだと。それが面白くてね。

 

――新聞、なかでも朝日についてはどう思われていますか。学生運動のときに朝日の論調に失望して、読売と日経に変えたと本に書かれていますが、その一方で朝日の書評委員もされていましたよね。

 

伊藤 朝日新聞は、僕は大嫌いなんですよ。だけど、一緒に仕事ができる人とはやりたいんです。だから、たとえば『佐藤栄作日記』は朝日新聞でやったわけでしょ。書評委員もそうです。書評委員のときはちゃんと担当の人に「左翼でなくてもいいんですね」と確認を取って、「自由に書いていいです」と言われて。だからこれは、本当に干渉はなかったですね。本の選び方から、書いた内容まで。

 

――個々で信頼できる人がいれば、その人とは付き合うということですね。しかし、朝日新聞が嫌いな理由というのは、具体的にはどういったところなのでしょうか。

 

伊藤 あれは左翼の冊子ですよ。「赤旗」とあんまり変わらない。

 

――読売や日経は左翼ではないということですか。

 

伊藤 そうですねえ。中にはいるんですけど。

 

 

産経新聞は「よくやってる」

 

――ちなみに今も読売と日経はご自宅で取られている?

 

伊藤 いや、今はもう新聞はほとんど読まないから、産経だけ取ってる。産経には「正論」という欄があって、それが面白いから。

 

――ちなみに産経は「歴史戦」というのをやってますよね。中韓のプロパガンダに対抗するんだと。伊藤さんは、歴史の専門家として「歴史戦」をどうご覧になっていますか。

 

伊藤 まあ、よくやってるなあと。

 

――歴史に価値判断が入る危険性はありませんか。戦うための歴史というと、単なる事実やファクトではなくて。

 

伊藤 いや。本当のことを書けば、戦いになると言ったほうがいいんじゃないですか。

 

――産経では、南京事件についても、ああいう虐殺がなかったという論調です。

 

伊藤 僕もそう思ってるんですよね。共同通信の偉い人で、当時、南京に行った人がね、「伊藤さん、あれ、かなり直後に近い時期に自分たちは入っていったけど、そんな気配は全然なかったよ」と言ってたの。その人はどっちかというと左翼組なんだけどね。

 

――伊藤さんには釈迦に説法なんですけれども、そのような証言は、いろんな当時の日記などとも照合しなければならないのではないですか。

 

伊藤 でもね、秦郁彦君が徹底的に調べて、ほとんどなかったという結論を出しているから、僕はそれを信用します。

 

 

歴史教育に“前提”は必要か?

 

――次に、歴史教育についてもお聞きしたいです。伊藤さんは2011年の『読売クオータリー』で、教科書問題について書かれていますね。それを少し読みますと、「我々は、日本の歴史は、我々が、1万数千年前から受け継いできた日本の文化の継承者であり、それを次の世代に伝えていくものであり、何か我々と別にあるものではないということ、つまり我々自身が歴史の中に含まれるものである、それが他の教科と異なるところだと思っているところです」と。

 

そして「どこの国でも、歴史教育は基本的に現在受け継いだ文化が素晴らしいものであるということを前提とするものです」と仰っています。伊藤さんにとって歴史とは、ここで説明された通りのご認識でしょうか。

 

伊藤 うん。

 

――そうしますと、歴史研究というものに、ある種色が付いているような気もします。つまり、「受け継いだ文化が素晴らしい」ということを前提に研究してしまうと、単なる事実などという話ではなくなるのではないか、と。

 

伊藤 自分が日本をどう見るかという問題は、学問の問題とは別なんだと思いますね。

 

――つまり、中学・高校で行われる歴史教育と、大学でやるような歴史研究とは、違うものだというご認識でしょうか。

 

伊藤 そうですね。

 

――そうしますと、戦前に近くなりませんか。戦前の義務教育では、天皇は天照大神の子孫であり、絶対不可侵などと教えていました。でも、高等教育に入ると、それは神話なんだともっとドライに捉える。久野収はこのような使い分けを「顕教と密教」と言っています。

 

伊藤 あぁ……。あなたの話、面白いね。

 

――ただ、久野がそこで言っている通り、これだと世の中の動き次第で「顕教」が「密教」を圧倒するリスクがありますよね。天皇機関説事件のとき、美濃部達吉の学説が「不敬」だとされたように。

 

 

『ファミリーヒストリー』のような学校教育

 

伊藤 そういう話になるんだろうな、と思って聞いていました。ただ、僕が日本人として日本をどう考えるかということと、日本史を客観的に分析することは、一応別ですね。ある程度重なる部分もありますけれど。

 

――なるほど。では、学校教育ではこういった、日本が素晴らしいということを前提にした教育をやるべきで、対して大学で研究するときには、そういうのは横に置いて……と。

 

伊藤 どこの国の歴史教科書を見たって、わが国はダメな国だと書いてある教科書はないですよ。

 

――そうすると、繰り返しにはなりますが、その教科書に影響を受けた人たちが、大学を「反日」だと攻撃する、そんな未来にならないかなというのが気になりまして。そういう懸念はないですか。

 

伊藤 ないと思いますけどねえ。

 

――では、学校教育では、たとえば日本の神話をもっと扱ったほうがいいと?

 

伊藤 だから、神話は神話として取り上げるべきだと。神話だからといって、これは教えることから外しちゃっていいということではないと言っているんです。

 

――そのようなお考えは、ずっと昔からお持ちだったんでしょうか。

 

伊藤 自分から両親、祖父母、そこからさらにずっと辿っていくと、理屈としては1万数千年前、つまり縄文時代まで遡ることができるわけですよね。NHKの『ファミリーヒストリー』ですか、あれも非常に面白いですよね。僕はNHKは大嫌いだけど、あの番組は見てるんですよ。やっぱり先祖を遡っていくと、全然自分の知らない人が出てくるわけでしょ。でもNHKだって、その人の先祖の悪口なんか言わないですよ。そういうもんだと思うんです。

 

――そういうことを学校教育でやるべきなんだと。

 

伊藤 そうです。

 

 

「つくる会」の分裂騒動

 

――教科書に関しては、96年に藤岡信勝さんに誘われて「新しい歴史教科書をつくる会」にも参加されていますね。当時の教科書を見て、あまりの酷さにこの状態を放置できないと思われた、と。

 

伊藤 びっくりしましたよ。日本のことを散々悪く書いているんですから。

 

――その「つくる会」について、伊藤さんは内部でかなり喧嘩があったとも書かれていますね。確かに分裂騒動などがありましたが、内部から見ても組織としてはあまりうまくいっていなかったんでしょうか。

 

伊藤 まぁまぁじゃないですか。何かというと大喧嘩しましたけど。藤岡氏が、何というのかな、敵を作って物事を進めるような人だったから、それをやっつけろという人たちも出てきて。僕はこういうところにはいたくないと思って、数人の人と一緒に辞めて別の組織を作ったんです。

 

――八木秀次さんと一緒に。

 

伊藤 八木さんを中心にしたんだけどね。「新しい歴史教科書をつくる会」は、相当賛同者が多くて、お金も潤沢だったんですよ。だけど、出ていく連中はそれをもらうわけにいかないからさ、無一文で出たわけ。で、僕らは新たに資金を作って、細々とやったわけですよ。藤岡たちからは散々攻撃されたけどね。

 

「くだらないことで喧嘩してるなあ」

 

――では、内部でいろんな喧嘩があったというのは、主に藤岡さんに原因があったということですか。

 

伊藤 ほとんど、そうですね。

 

――「つくる会」の会長は西尾幹二さんが長く務めていましたが、西尾さんの位置づけというのは?

 

伊藤 西尾氏と、それから藤岡氏は、自分たちが作った会だ、俺らの会だという意識が非常に強くて。人の意見なんてあんまり聞かないわけ。

 

――ちなみに西尾さんは、八木さんたちが「つくる会」から出たときのことを、生長の家系の人に乗っ取られそうになり、それを防ぐためだった、と仰っていました。それについては?

 

記者会見する「新しい歴史教科書をつくる会」の(左から)小林よしのり氏、田中英道理事、西尾幹二会長、藤岡信勝理事、中島修二理事、高森明勅事務局長(2001年撮影、肩書は当時) ©時事通信社・・写真は最後に掲載

 

伊藤 いや、全然。

 

――全然違いますか。

 

伊藤 うん。

 

――一緒に「つくる会」を出た八木秀次さんのことは、どうご覧になっていますか。

 

伊藤 八木さんはね、道徳の教科書をつくるというときに、育鵬社に無理を言って、育鵬社がとてもじゃないけどそんなお金はないと言って……それをきっかけに離れていったんです。だから、今はあんまり付き合っていません。

 

――「つくる会」ですと、八木さんたちの少し前に、小林よしのりさんと西部邁さんも出ていきましたね。

 

伊藤 西部さんは出たわけじゃないと思うんだけどな。僕は西部氏とはずいぶん話し合ったんだよ。藤岡君があまり彼のことを好きじゃなかったから、追い出しかけたのを僕が引き止めて、公民の教科書を作らせたんです。

 

――一方の小林よしのりさんはどうでしょう?

 

伊藤 小林さんはね、ずいぶん僕のことを好きになってくれたんだけど、彼がものすごく強い反米になっちゃったんだよね。それでだんだん離れていったのかな。彼を支えていたアシスタントの人が辞めていった影響もあったのかなあ。

 

――そんな「つくる会」の中で、伊藤さんはどんな役割だったんですか。

 

伊藤 僕はああいう主張の強い人たちの中に挟まって、「まあ、みんな言ってることはそれぞれにもっともだと思うけれども、仲良くやらないと先へ進めないぞ」なんて、なるべく仲裁役を買って出たような記憶がありますね。それほど熱心にやったわけじゃなくて、くだらないことで喧嘩してるなあと思ってましたよ。主義主張って言うんだけど、そんなのはね、少しぐらい折れたってどうってことないよと(笑)。 

 

 

森友学園の“愛国教育”について

 

――ところで「日本人の素晴らしさ」を教えるための歴史教育というと、愛国教育という言い方をされることも多いと思いますが、それについてはどう感じていますか。

 

伊藤 国を愛するというのは普遍的なものでしょ。どこの国だってそうですよ。だから、それで別に悪いことはないと思ってますけどね。非愛国教育がいいとお考えでしたら別ですけど。

 

――愛国教育でいうと森友学園の問題もありましたが、それはどうご覧になっていましたか。

 

伊藤 マスコミが安倍さんを攻撃する手段に使ってるなあというのはよくわかりましたけど。それ以上のものじゃないと思って、あんまりまともに中身も読んでいません。

 

――問題になったのは、幼稚園児に軍歌を歌わせたり、教育勅語を暗唱させたりしていたことですが、そのような教育については?

 

伊藤 そういう形は別に期待していませんね。だって普通に考えてね、自分の国を愛する、自分の祖先を愛することと、直接関係ないでしょ。

 

 

公文書は廃棄してはいけない

 

――森友学園と、それから加計学園でもそうですが、政府による公文書廃棄も話題になりました。伊藤さんは歴史学者として、資料の重要性はもちろんご存知だと思いますが、そうした問題についてはどのようにご覧になっていましたか。

 

伊藤 やっぱり公文書は廃棄してはいけないですよ。明治以後、日本で公文書が大量に廃棄されたのは敗戦のときですが、あれで公文書というのは廃棄していいんだという風潮ができちゃったんです。

 

でも僕は、自分たちのやっている行為が本当に日本の役に立つんだと考えている人たちは、絶対に公文書を捨てないと思いますよ。だけど今、役人のかなり多くの人たちは、日本は悪い国だというふうに、小中学校、高校で教わってきた連中じゃないですか。しかも戦後、大量に公文書を廃棄したという事例がある。そういうことに影響されていると思いますよ。

 

――つまり、戦後教育が今回のような公文書廃棄を招いたと?

 

伊藤 そうです。

 

――一般的には、安倍政権にとって都合の悪いことを隠蔽するために廃棄したと言われているんですが、そうではなくて、もっと深い戦後教育の問題だという認識ですか。

 

伊藤 僕はそう思いますね。

 

 

「保守がどうして強いんですか」

 

――そうしますと、今後も政権の右左関係なく、公文書廃棄は何度も起きると?

 

伊藤 可能性はあるんじゃないですか。でも、これだけ騒がれたからね、そんなに簡単にはできないと思いますよ。

 

――森友の関係ですともう一つ、稲田朋美防衛大臣や柴山昌彦文科大臣が、教育勅語はいいんじゃないかという趣旨の発言をして話題になりました。昔であれば、それこそすぐに大臣を辞めさせられるような発言だったと思いますが、最近はそうならないですよね。そういった点で、やはりかつてに比べれば左は弱くなっている、保守のほうが強くなってるんじゃないかと、どうしても思えるんですが。

 

伊藤 僕はそんな気はしませんね、全然。保守がどうして強いんですか。

 

――つまり、問題とされる発言をしても全くクビにならない、ということは起きているのかなと。

 

伊藤 何か問題発言をしたらすぐクビにしたいというお気持ちはわかりますけども。

 

――私がそう主張しているわけではないのですが。

 

伊藤 この間の森(喜朗)さんだって、そろそろ辞めさせたいと思っている勢力が、あっ、いい発言をしてくれたと、うれしくてしょうがないわけですよ。それで攻撃した。そういうのはマスコミが好きだからね。でもなんか、あなたにとっては森友学園の話は大きいんですね。私はあんなつまらん問題、と思ったんですけど。

 

――いえ、それこそ『正論』や『WiLL』を読んでいると、保守論壇では森友学園を応援したり、同園に講演に赴いたりする人も多かったので、伊藤さんはどのようにご覧になっているのかな、と。

 

伊藤 そうかな。そんな人いたかな。たとえば?

 

――竹田恒泰さんや青山繁晴さんなどは、連載陣でもありますが。

 

伊藤 いや、知らないなぁ。

 

 

「社会の動きと研究」の関係性

――わかりました。では最後に、改めて歴史研究について伺います。木戸日記研究会に伊藤さんがいらっしゃったときに、その場にいた丸山眞男さんに「君はsein(~である)の学だ。私はsollen(~べきである)の学をやるんだ」と言われたと本に書かれていました。実証研究はseinの学なんだろうと思うんですが、今日もお話を伺っていて、伊藤さんにはある種のsollenというか、歴史に対する強い思い、情念があるのかなと思いました。seinの学を支えるために、sollenが必要なのかな、と。

 

伊藤 それは関係ないんじゃないですかね。僕はね、子供の頃から歴史が好きで、いろんな資料や何かを読んだりしてたんですよ。そもそもは古代史をやろうと思って東大に入ったからね。『新撰字鏡』だとか、ああいう古代に作られた文献を親父が持ってたから、それを読んでたんです。

 

――では、伊藤さんの歴史に対する向き合い方としては、元々歴史に対する関心があって、そこからsein、つまり事実はどうなのかと解明する方向に向かったということでしょうか。

 

伊藤 そうですね。

 

――それは、先ほど仰っていた「日本人が素晴らしいということを前提に歴史教育をしなければいけない」という話とどう繋がってくるのでしょうか。

 

伊藤 歴史学者だろうと何であろうと、僕は日本人として日本の国を愛するのはごく自然なことであって、いいんじゃないかと思うんですね。その一方で、日本史の研究においては自分なりの構図を作って、きちんと分析して、それを実証する。実証から図式も生まれるし、図式から実証もできるし。そういうことをやりたいと思うようになったわけですね。

 

――伊藤さんの本の中では、学生時代、既存の権威から離れるために資料を発掘しようと思ったということも書かれています。それも、やっぱり単なる興味関心だけで事実を追うというよりは、社会の動きと研究が連動しているような気がしたんですけれども。

 

 

左翼が全盛の時代だった

 

伊藤 いや、だから左翼が全盛の時代ですからね。彼らに対して何かを言うためには、彼らが見たこともない資料を実際に発掘して、それに基づいて文章を書くのがいいじゃない。

 

――そうしますと、最初の話に戻るんですが、弟子の加藤陽子さんも研究はseinでやっていて、よそで政治的発言をされるときにはご自身の思想に基づいて喋っていらっしゃるようにも思います。そういう切り分け方とは違うんですか。

 

伊藤 違うと思いますね。

 

――加藤さんの場合は、その両者がつながってしまっている。つまり、初めに結論ありきで学問をやっていると?

 

伊藤 うん。

 

――伊藤さんご自身は、もちろん違うというご認識ですよね。では、伊藤さんのように完全に切り分けられる歴史学者が、今はあまりにも少ないということですか。

 

伊藤 そうですねえ。

 

 

アウトサイダーが住める世界も少なくなってきた

 

――なぜ、そんなことになってしまったんでしょう。

 

伊藤 今の歴史学界なり、日本社会でね、僕は右翼反動などと言って攻撃されたでしょ。そういうことはしたくないわけですよ、みんな。

 

――では、伊藤さんのような立場で歴史と向き合おうと思ったら、アカデミズムよりは、むしろ外部にいるほうが良いと?

 

伊藤 そんなことはないと思いますよ。

 

――大学内でもできる?

 

伊藤 うん。全くいないわけじゃないんですよ。だから、僕は今、そういう人たちから本をもらったら、延々、御礼状を書いてます。しっかり頑張ってくださいと。だけど、そういう人たちはなかなかいい職が得られませんね。昔のように、アウトサイダーが住める世界も非常に少なくなってきましたし。

 

――そうすると、これからの若い人にとってはあまり未来がないというか、希望がないということになりませんか。

 

伊藤 そう思います。だから日本の未来について、僕は今、悲観的に考えているわけですよ。もう尖閣列島は取られるんじゃないかと。

 

――それでは、これから歴史を志す若い人たちに対する、伊藤さんなりのアドバイスは何かありませんか。

 

伊藤 それは自分で切り拓いていくよりしょうがないでしょうね。

 

――それはご自身がやられたように?

 

伊藤 そういうことです。

 

 

撮影=鈴木七絵/文藝春秋

 

記者会見する「新しい歴史教科書をつくる会」の(左から)小林よしのり氏、田中英道理事、西尾幹二会長、藤岡信勝理事、中島修二理事、高森明勅事務局長(2001年撮影、肩書は当時) ©時事通信社
記者会見する「新しい歴史教科書をつくる会」の(左から)小林よしのり氏、田中英道理事、西尾幹二会長、藤岡信勝理事、中島修二理事、高森明勅事務局長(2001年撮影、肩書は当時) ©時事通信社

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■ アメリカの尖閣諸島政策

 

産経新聞正論に、アメリカ合衆国の政治学者ロバート・D・エルドリッヂ氏の尖閣諸島に関する見解が載っていましたので、掲載します。

なかなか興味のある内容でした。

2021/04/14

 

アメリカの尖閣諸島政策、機密解除文書で浮き彫りになった危険な欠陥

沖縄返還時に中国に日和ってそのまま

 

ロバート・D・エルドリッヂ氏 
ロバート・D・エルドリッヂ氏 

 

ロバート・D・エルドリッヂ(英: Robert D. Eldridge、1968年1月23日)は、アメリカ合衆国の政治学者、元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長。エルドリッジとも表記される。

 

 

78年に尖閣射撃場の停止訓示

 

今月初め、共同通信社は、アメリカ政府が1978年6月に在日米軍の尖閣諸島の射撃場と爆撃場の使用要請を断ったという、機密解除されたアメリカ文書の内容を紹介して、大きく注目集めている。

 

複数の新聞で転載されたが、4月5日付の記事、「米政府、尖閣射撃場の停止訓示 1978年、現在まで不使用」によれば、「米政府が尖閣の領有権を巡る日中対立に巻き込まれる恐れがある」という。

 

それ以来、米軍が尖閣にある2つの射撃場を使っていないという事実はよく知られているが、その理由はわからなかった。あくまで推測しかできなかった。だからこそ、今回の共同通信の報道の重要性は大きい。

 

これまで2種類の推測が可能だった。

 

1つ目は、日本が沖縄の施政権を持ち(1971年6月に日米間で締結された「沖縄返還協定」による)、日本が在日米軍に射撃場として提供しているにもかかわらず、アメリカ政府(おそらく国務省)が中国を刺激することを懸念して、在日米軍の射撃場使用を否定したというものである。

 

2つ目の説明は、日本の外務省が、同様の不思議な懸念から、アメリカに提供している射撃場を、尖閣諸島に対する領有権を主張しているにもかかわらず、使用しないようにアメリカ政府に要請したことである。

 

1972年に日本に返還されてから49年間、日本政府が尖閣諸島に対する実行支配を示すことには失望するほど弱い姿勢をとってきたため、日本がアメリカに射撃場の使用をやめるように要請することは十分考えられる。

 

特に1978年は日中関係が微妙な年であった。

 

同年4月には、中国の漁船100隻以上が尖閣諸島に集まり、日本の領海を侵犯した。翌月には日本の活動家が上陸して日本の主権を主張し、8月には活動家たちが島に小さな灯台を建てた(10年後、海上保安庁はそれを引き取った)。さらに同じ1978年8月、日本と中国は平和友好条約を締結し、この地域やその他の地域で「いずれも覇権を求めない」ことを宣言した。

 

共同通信の記事は、そのような推測の一部に答えるものだ。アメリカの機密解除文書を引用し、アメリカは、領土主権の問題で中国との直接的な対立を避けるために、同盟国の1つである日本と距離を置いたと解説している。しかし、誰がどのように判断したのかなどの詳細は紹介されていない。

 

 

アメリカは逃げた

 

それ以前はどうだったのか。拙著『尖閣問題の起源―沖縄返還とアメリカの中立政策―』(名古屋大学出版会、2015年)で紹介しているように、琉球列島の米軍政府は、1948年4月に米空軍が空対地の射撃練習のために久場島を使用することを発表し、1955年まで使っていたが、その後、米海軍が主に使用するようになった。

 

1956年4月中旬には、海軍も大正島を使用するようになった。漁獲量が多いため、沖縄の漁師たちは久場島周辺の5マイルへの立ち入り禁止を緩和するよう要請し、1956年に100ヤードに変更された。大正島でも5マイルの禁止が実施されているが、中国の漁船や公船が定期的に違反しているという。

 

ここ数十年の尖閣諸島に対するアメリカの姿勢は非常に複雑である。欠陥があると言った方がいいだろう。

 

いずれにしても、あまりにも複雑なので、アメリカ政府のスポークスマンの1人であるジョン・カービー国防総省報道官(元米海軍少将、元国務省報道官)でさえ、2月下旬に尖閣に対する日本の「sovereignty(主権)」を支持すると発言し、4日後に「(従来の)政策に変更はない」と訂正するという重大な問題を起こした。

 

前述の著書で詳しく紹介したアメリカ政府の方針は、1971年6月に尖閣諸島(および南西諸島を構成し、1953年の奄美群島返還時に日本に返還されなかった沖縄などの島々)の施政権を返還することに合意したものの、尖閣諸島の領有権については見解を示さなかったというものであった。

 

これは、当時アメリカの正式な同盟国であった台湾と、ヘンリー・キッシンジャー国家安全保障補佐がリチャード・ニクソン大統領の中国訪問を調整するために密かに会談していた中華人民共和国とが、突然主張してきたことを考慮してのことだった。

 

「第1次ニクソン・ショック」と呼ばれるこの訪問計画は、沖縄返還協定が締結された1ヵ月後の7月に発表された。

 

 

中国へのメッセージ、日本の失望

 

私はアメリカのこの姿勢を強く批判している。この姿勢には欠陥があり、危険なものだ。

 

私が批判する理由は、これが1972年以前の77年間のアメリカの政策に反するものだからである。すなわち、1895年に尖閣諸島が日本に編入されて以来、アメリカは尖閣諸島に対する日本の主権に疑問を抱かず、1945年以降1972年までは日本に代わって尖閣諸島を占領・管理してきたのである。

 

より以前に刊行した拙著『沖縄問題の起源―戦後日米関係における沖縄、1945-1952』(名古屋大学出版会、2003年)で紹介したように、アメリカ政府は、尖閣諸島を含む南西諸島に対する日本の「残存主権」を認めていた。

 

しかし、1971年になると、アメリカ政府は日本や尖閣諸島の地位に関する自らの長年の方針との距離を置き始めた。例えば、沖縄返還協定で尖閣諸島の名前を掲載することを拒否し、合意議事録を横に並べる必要性が生じた。

 

日本政府がアメリカの態度に失望し、困惑したのは当然であり、アメリカの "回避的な態度 "を批判した。

 

 

やがて同盟は損なわれる

 

アメリカ政府の曖昧な姿勢は、過去50年間、アメリカの尖閣諸島に対する中立政策は、中国の誤った考えを強化してきた。

 

アメリカ政府が、尖閣諸島に対する日本の主権を、究極の抑止力として支持するという本来の方針に立ち戻らなければ、紛争が発生する可能性は高いと思われる。

 

そして、もしアメリカがそのような紛争において日本に十分な支援を提供できなければ、2国間の同盟関係は解消される可能性が高い。日本は永久に弱体化するだけでなく、台湾は失われ、フィリピンも失われるだろう。中国は第1列島線を突破したことになる。

 

これは、単なる訓練場の問題ではない。インド太平洋地域の未来と、この地域に住む私たち全員に関わる問題だ。アメリカ政府の役人たちは、もっと歴史を読んで、その誤った政策を見直すべき時が来ている。

 

16日に行う日米首脳会談のために訪米する菅義偉総理は、(1) 歴史経緯を説明し、アメリカの途中から誤っている尖閣政策の見直し、(2) 射撃訓練場使用の再開(そして自衛隊との共同使用)をバイデン大統領に要請すべきである。それを行わないのであれば、訪米の意味はあまりない。

 

これは菅政権だけでなく、日米同盟にとって最初で最後の機会となるかもしれない

 

 

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