読書のまとめ-4(読後画像・要約)
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超AI時代の生存戦略 落合陽一著
2024/04/16 2018/03/20読了
AI時代の「生き方」「働き方」「生活習慣」は
どんな形なのか・・・
シンギラリティに備えるリスト。「未来のキーワード」を紹介。
2018年に読んだこの本、落合陽一氏はかなり前から予測していましたね。
変わっている人ですが、そういう意味ではスゴイ人だと思います。
2023年4月の「ChatGPT4.0」リリースから、AI時代到来ということで、ここの所騒がしくなりました。
一気に変わる時代に突入したような感じです。
超AI時代の生存戦略 落合陽一著 要約
プロローグ
●インターネットの身体化から、シンギラティ前夜へ
第1章・超AI時代の「生き方」
●これからは「ワーク”アズ”ライフ」を見つけられたものが生き残る時代だ
●私たちはいつからコンピュータの向こうの相手を、生身の人間か計算機上のプログラムか意識しなくなったのか
●インターネットがつくった生態系は、一人一人にとって生きやすいニッチなコミュニティを生み出していく
●インターネットに管理される生活とインターネットを管理する生活に上下関係はない
●「信じる」という単純なことが、個人のメンタル維持にも原動力にもなる
●能力的に取り換え不可能な人類が存在しなくなったら、趣味ぐらいしか差が見えなくなる
●人生という名のギャンブルで「射幸心」を煽っていたものが、個々のゲームに分断されていく
●自分で決めたゲームの定義の中で、人は本気で遊べるだろうか
●評価可能な軸に至るまで、もしくは至らなければ、その努力はないのと同じだ
●ゲームのルールが決まれば、あとは戦術の問題だ
●人とテクノロジーの組み合わせが、時代を作る
第2章・超AI時代の「働き方」
●時代の速度より遅い進捗は、いくらやってもゼロになる
●これからは、アプリケーションが重要になってくる
●法律が人格を作った。次はテクノロジーが人格を作る
●時間だけが唯一のリソースになりうる
●人間をコミュニケーションのチャンネルとして捉える
●人間同士の意思伝達系も、機械コミュニケーションと同様に考える
●「伝える技術は」は、「考える技術」よりも重要なのかもしれない
●機械への命令法を使いこなすこと、それが機械親和性の高い人類を目指す方法だ
●一方向発信でないメディア系は前世紀と異なる振る舞いをする
●民主主義は、少しずつ全員と違った意見を決める手段だ
●これからは、一人一人が発信系を持つ
●データ量でなく特徴量を記憶に埋め込む
●粘り強さを見るためのスクリーニング(ふるい分け)に、時間を費やす意味はない
●民主主義社会をハックするためのアクセス権を持つ
第3章・超AI時代の「生活習慣」
●ストレスの原因となる多くは、自分で決めたルールや仕組みに基づいている
●身体性能のみでしか、人間は機械に肉薄できない
●成熟社会にとって最も崇高なことは、自傷行為なのかもしれない
●何が自分にとって「エモい」のかを知っておく必要がある
●知能でなく身体性に固有値があるのなら、外見には気を使うべきだ
●人と機械の区別がつかなくなる中で、親近度が低い「物質の友人」は必要だろうか
●土地の価値は、人の移動が民主化したときに大きく変動する
●変動しない財になっているものや浪費されていくものは、今後価値をもたない
●子供は人間がつくれる最高のディープランニング環境だ
エピローグ
●ユビキタス社会からデジタルネイチャーへ
落合 陽一(おちあい よういち、1987年〈昭和62年〉9月16日 - )は、日本の研究者、メディアアーティスト、起業家。筑波大学図書館情報メディア系准教授・デジタルネイチャー開発研究センターセンター長。京都市立芸術大学客員教授。金沢美術工芸大学客員教授。ピクシーダストテクノロジーズ株式会社代表取締役。独立行政法人情報処理推進機構未踏スーパークリエータ・未踏PM・一般社団法人未踏理事。内閣府ムーンショット型研究開発制度ビジョナリー会議構成員・ムーンショットアンバサダー。独立行政法人科学技術振興機構CREST xDiversityプロジェクト研究代表者。2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)シグネチャー事業プロデューサー。内閣官房全世代型社会保障会議構成員・デジタル改革関連法案WG構成員。世界経済フォーラムヤンググローバルリーダーズ構成員。令和2-3年度文化庁文化交流使。ワタナベエンターテインメント所属。2006年開成高等学校卒業。2011年筑波大学情報学群情報メディア創成学類卒業。2013年東京大学大学院学際情報学府学際情報学専攻修士課程修了。2015年東京大学大学院学際情報学府学際情報学専攻博士課程修了。
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「医者に殺されない47の心得」 近藤誠著
2024/03/29 2022/11/15読了
●がんは切らずに治る。抗がん剤は効かない。健診は百害あって一利なし。
がんは原則として放置したほうがいい。
●医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法
●リビングウィルを書いてみよう等々。
この人の考え方は非常に面白い。色々と参考になる内容でした。
医者に殺されない47の心得 近藤誠著 要約
近藤誠の弁
がんは切らずに治る
抗がん剤は効かない
健診は百害あって一利なし
がんは原則として放置したほうがいい
■はじめに
●世界一、医者が好きな日本人
●風邪薬も抗がん剤も、病気を治せない
病気の9割は、医者にかかったからといって、治せるわけでも、回復が早くなるわけでもありません。
そして、副作用や後遺症のリスクがとても大きい。
●日本人のがんの9割は、治療するほど命を縮める
抗がん剤はがんのしこりを一時的に小さくすること。
病状がなくて検査で見つかったがんはほぼ、命を奪わない「がんもどき」。
●患者よ、病気とムダに闘うな
がんで苦しみ抜いてしななければならないのは、がんのせいではなく、「がんの治療のせい」。
■第一章・・どんなときに病院に行くべきか
1.「とりあえず病院へ」は、医者の”おいしいい”お客様
2.「老化現象ですよ」と言う医者は信用できる。
●老化と病気を区別せよ。・・不用意に薬で抑えてはいけません。
●血圧もコレステロールも高い方が長生きする
3.医者に行く人ほど、早死にする・・薬や治療で命を縮めやすい。
4.「血圧130で病気」なんてありえない
●数値だけ見て「病気」と信じてはいけない。
●基準値をさげると、儲かるのはだれ?
コレステロールも、実は「長寿のもと」です。
5.血糖値は薬で下げても無意味で、副作用がひどい
●糖尿病予備軍は、薬を飲まずに、歩け!
薬で、だるい、イライラキレやすい、ふらつく、認知症、は薬害。
血糖値は「歩く、自転車、水泳、ストレッチ」などの有酸素運動を心がけると下がる人が多い。
6.世界中で売れているコレステロール薬の「病気を防ぐ確率」は宝くじ以下
●高血圧、糖尿病は病気でない!?
コレステロールの薬スタンチン類・・ほとんどの人が、効果がないどころか、健康を害する危険すらある。
高血糖の薬も同じ。・・薬やインシュリン。
7.がんほど誤診の多い病気はない
●初期診断、10人に1人は誤診・・「がん」なのか「がんもどき」なのか
胃の悪性リンパ腫は、ピロリ菌の除去をすると消失・・「慢性炎症」と呼ぶべき。
中間期がんにはタチの悪いものが多く、死に至る。検診の合間に突然発症。
8.「早期発見」は、実はラッキーではない
潜在がんと進行がん??
9「がんだったから、仕方ない・・・と考えてはいけない
「がんは切除できても術後の生涯で死亡するリスクが非常に高い
10.健康な人は医療被曝を避ける。CT1回でも発がんリスクあり
●日本は医療被ばく大国
11・医者の健康指導は心臓病を招く
第2章・・患者よ、病気と闘うな
12.一度に3種類の薬を出す医者は信用するな
●できればすべての薬の使用をやめよ
薬の作用はすべて「主作用」であり、危険なものと考える。
13.軽い風邪で抗生物質を出す医者を信用するな
薬はすべて」症状を一時的にやわらげる」薬です。
40度まで上がっても脳に影響はない。・1週間ゆっくり休むのが早く治す方法、
14.「抗がん剤を使えば寿命が延びる」という医者は信用するな
余命3カ月?・・自覚症状がないなら、すぐには死にません。
がんの成長速度が人によってまったく違う。医者に命をあずけてはいけません。
15.がんの9割は、治療するほど命を縮める。放がいちばん。
●がんと闘ってはいけない
16.「医者から薬をもらう」を習慣にしてはいけない
●耐性菌に殺されないために、クスリ漬けから足を洗う
17.痛みはこわくない。モルヒネを正しく使えば、安全に長生きできる
●骨転移の場合、放射線照射なら痛みも取れて値段の安い。・・体の一部しか照射しないので、副作用も少ない。
18.がんの痛みは完全にコントロールできる
●がんで自然に死ぬのはすごくラク・・「がん放置療法」。・・逆に長生きできる。
19.安らかに逝くとは「自然に死ねる」ということ
●がんは死の直前まで意識がはっきりしている
胃がん、肝臓がん、食道がん、子宮がんの4つは放置すれば、最後まで痛みません。
●家で安らかに逝く方法
点滴しないで、枯れ木のようになって死んでいくのがいちばんラク。
「鼻腔チューブ」「胃ろう」は「溺死」させること。
第3章・・検診・治療の真っ赤なウソ
20.がん検診は、やればやるほど死者を増やす
検診時のCTががんを誘発する
本物のがんならすでに転移している
PET検査は被ばく量が多い
21.「乳がん検診の結果は、すべて忘れなさい」
22.胃を切り取る前に、知っておきたいこと
放置していたら胃がんが消えた!?
全摘は寿命を縮める。
●臓器は温存すべき
23.1センチ未満の動脈瘤、年間破裂率は0.05%
脳ドックは害の方がおおきい。手術はロシアンルーレット。
24.断食、野菜ジュース、免疫療法・・・医者たちの「がん詐欺」に注意
25.「免疫力」ではがんを防げない
●免疫療法=詐欺師!?
「がんは当初から転移する能力がある。がんが大きくなってから転移するという説は間違い」
●抗がん剤より、免疫療法より、放置に限る
26.よくある医療被害ケーススタディ
第4章・・100歳まで元気に生きる「食」の心得
27.体重、コレステロールを「減らさない」健康法を選ぶ
●急に痩せると、がんが増殖する
●ステーキやトロを食べなさい
28.ピンピン100歳への体づくりは「毎日タマゴと牛乳」から
●卵と牛乳はカンペキな天然サプリ
●長寿の秘訣は「脂っこいもの」
29.ビールは1日にロング缶なら2本までなら「百薬の長」
米国がん学会:「虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞など)の危険度は、飲酒量にかかわらず、飲まない人より飲む人のほうが低く抑えられる」と発表。
●アルコールを「百薬の長」にする飲み方
1日にビールならロング缶1~2本、日本酒なら1~2合、ワインならグラス2~3杯、焼酎ならお湯割りで2~3杯。
30.コンブやワカメを食べ過ぎるとがんになる
●野菜は本当に体にいいのか?・・健康のために付け足すのは有害。人口合成のビタミンやサプリも危険。
31.コラーゲンでお肌はぷるぷるしない。グルコサミンはひざに直接届かない。
●早寝早起き、バランスのよい食事に勝るものなし
栄養バランスの良い食事、ほどよい運動、早寝早起きを心がけて、新陳代謝をよくすることです。
32.「高血圧に塩はダメ」はうそ。自然塩より精製塩のほうが安心
●塩が足りないと病気になる
33.コーヒーは、がん、糖尿病、脳卒中、ボケ、胆石、シワを遠ざける
●コーヒーは健康・美容・長寿の守り神
第5章・・100歳まで元気に生きる「暮らし」の心得
34.24時前後にどっぷり眠る。「超」早寝早起き健康法のすすめ
●人は、朝、ひらめく!・・4時から6時は脳がスッキリ
●早寝早起きは最高のダイエット
35.石けん、シャンプーを使わないほど、肌も髪も丈夫になる
36.大病院にとってあなたは患者ではなく被験者
37.「手当て」でストレスを癒す
38.しゃべって、笑って、食べて。口を動かすほど元気になる
●ひとり言、声、口を動かす、食べること・・最高のインナーストレッチ
39.よく歩く人ほどボケにくい
●「廃用症候群」をやっつけろ・・体、脳、筋肉を活動し続けること。
40.インフルエンザ・ワクチンを打ってはいけない
●「流行時に人ごみに出ないこと」が予防になる。
41.「ほっときゃ治る」をいつも心に
●入院が長いとボケる
第6章・・死が恐くなくなる老い方
42.ポックリ逝く技術を身につける
●元気に、長生きする四つの習慣
①救急のとき以外は病院に行かない
②リビングウィル(終末期の医療・ケアについての意思表明書)を書き残す。
③転倒を防ぐ
④ボケを防ぐ・・手足をよく動かす。
43.喜怒哀楽が強い人ほどボケない
44.100歳まで働き続ける人生設計をする
45.いきなり進行がんが見つかったらどうするか
●がんを宣告されたときの対処法をシュミレーションする。
46.ローソクが消え入るような、転移がんの自然死
●穏やかに暮らすか、病気と闘うのか
47.リビングウィルを書いてみよう
●どうやって死にたいですか
●どんな延命治療を希望しますか
■リビングウィルとは、
自分の死の間際にどういう治療を受けたいかを、判断能力のあるうちに文書にしておくことです。身内の同意をもらい、毎年更新していきます。
●近藤誠のリビングウィル
いっさいの延命治療をしないで下さい。
私は今日まで、自由に生きてきました。
そして、自分らしく人生を終えたいと思っています。
今、私は意識を失っているか、呼びかけにも少し反応するだけだと思います。
すでに自力では、呼吸もほとんどできないかもしれません。
このまま命が尽きても、何も思い残すことはありません。
だから、決して救急車を呼ばないで下さい
すでに病院にいるなら、人工呼吸器をつけないで下さい。つけられているなら、はずして下さい。
自力で飲んだり食べたりできないなら、無理に、口に入れないで下さい。
点滴も、チューブ栄養も、昇圧薬、輸血、人工透析なども含め、延命のための治療を何もしないで下さい。すでに行われているなら、すべてやめて下さい。
もし私が苦痛を感じているようなら、モルヒネなどの、痛みをやわらげるケアは、ありがたくお受けします。
今、私の命を延ばそうと力を尽くしてくださっている方に、心から感謝します。しかし、恐れ入りますが、私の願いを聞いて下さい。
私はこの文章を、冷静な意思のもとに書き、家族の了承を得ています。
いっさいの延命治療をしないでほしい。
この最後の願いを、どうぞかなえて下さい。
決して後悔しないことを、ここに誓います。
2012年12月7日
住所
自筆署名 歳 印
証人署名
近藤 誠(こんどう まこと、1948年〈昭和23年〉10月24日 - 2022年〈令和4年〉8月13日)は、日本の医師。慶應義塾の一貫教育校(中・高)、大学医学部を経て癌の放射線治療の専門家となるが、医師人生後半は独自理論が医療界で受け入れられず慶應義塾大学医学部専任講師のまま実質的に医師人生を終え、医師以外の活動を活発させるべく近藤誠がん研究所と称した組織を自己設立し一人所長となった。近藤の主張は、「がんの手術は寿命を縮めるだけ」「抗がん剤は効かない」「検診は無意味」「がんは本物とがんもどきに分かれる」「がんの臨床試験には不正がある」というもので、がんの標準治療の完全な否定であった。2022年8月13日、出勤途中で体調不良を訴え、虚血性心疾患のため搬送先の東京都渋谷区の病院で死去。73歳没。
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「老いと創造・朦朧人生相談」 横尾忠則著
2024/03/09 2023/01/13読了
この本は、グラフィックデザイナーであり画家の横尾忠則氏が、人生について語り、
各テーマのページ毎に、氏のイラストが掲載されている非常に豪華な面白い本です。
しかし横尾忠則氏の感性と言葉は強烈ですね。
この人の、アプローチと捉え方は、非常に勉強になりました。
87歳だそうです。天才ですね。
老いと創造 朦朧人生相談 横尾忠則著 要約
Ⅰ:老いについて
●運命
生きている限り、今、自分の立っている場所が居場所です。運命に従って、自分自身を手放してみるのはどうでしょう。
●日記
詩や俳句を書いたり、新聞や雑誌の記事を張り付けたりしてもいいんじゃないでしょうか。記録のためではなく、日記を面白くするために、日記のために生きてみようとなる。
●健康
僕の健康法は何もありません。ハンディこそ僕の自然体と考えるようにしました。「この一瞬を生きる」という今をもっとも大事にする生き方が必要なのではないでしょうか。僕に健康法があるとすれば、それは僕の仕事で絵を描くことです。
●おしゃれ
僕は自分を変えたいと思ったときは、脳を変えるのではなく肉体を変えることで自己変革をするようにしています。着るものは、肉体にもっとも近い環境です。だから着るものはいい加減にしない方がいいと思います。
●難聴
僕の耳は難聴で九十九%ボケてしまって、テレビも映画も音楽も聞こえません。孤独こそ最高の境地です。ハンディをハンディとして受け入れて、その状況を楽しむことです。
●衰えていく親との関係
僕の父は、僕が上京して半年も経たないうちに、脳梗塞で突発的に死にました。その後母を東京に呼びましたが、六畳一間にわれわれ夫婦と生まれたばかりの長男と引き取った母の四人がすし詰め状態で住んでいました。現実があまりにも非現実で、母は大阪の親戚の家に世話になったりもしていました。その後、東京の農家の一画の三間続きの小さな家に再び母を迎えましたが、相変わらず貧乏生活を強いられていました。そんな状況のなか、僕が、母の郷里の家を売って得たわずかなお金を持ってヨーロッパ旅行をし、有り金全部を使い果たして帰ってきたら、母はがんで入院していました。そして、やがて息を引き取りました。なんという親不孝息子であったか。両親を幸せにする能力もなく、バタバタとあわただしく両親は逝ってしまいました。ですから、このご質問に答える資格は僕にはありません。
●横尾流「老い」の愉しみ方
僕は老齢になるにしたがって好奇心が徐々になくなってきました。しかし、それがなくても、気が付くと外部から、何かに導かれるように、そのときに必要なものが与えられることに気付きます。僕はそのことを運命と呼びます。宿命は、前世から定まっている運命。運命は人の意思を超越しています。僕は必要以上のことは望まない。僕に与えられた前世からの運命だと納得するのです。なるようになることを期待するのです。
Ⅱ:死について
●死について
僕は、人間の本体は肉体、精神(心)と魂で構成されていると思っています。そうすると、肉体の消滅が死という発想がおかしくなります。残された精神と魂はどうなるのでしょうか。
●死と心の整理
僕は半ば死者の目で、この生者のいる現世を眺めています。生と死は、単に次元を異にした、同じものだということです。
●死のイメージ
僕の年齢になると、死も愉しみの一つになります。死は、一つのサプライズなエンターテイメントかもしれません。僕は、死んだら虚無になると思っていません。現世の延長で、輪廻転生、かつて経験したことを再びまっさらな気持ちで体験できるかと思うと、わくわくすることさえあります。
Ⅲ:人間関係について
●友だちについて
友だちは必要だと思います。相手のために親身になれる友だちが必要だと思いますが、そうした関係を結ぶのは難しいですよね。僕には、一人、同業者の友だちがいました。僕はまったく独学でイラスレイターになりました。大勢の仲間の前で、彼は僕の作品を非常に高く評価してくれました。本来なら彼がやるべき仕事を与えてくれました。僕の人生のなかで、彼の存在は特別なもので、その後も、お互いの領域でやるべきことをやってきたように思います。そんな彼が、思いもよらない病のために他界してしまいました。その彼とはイラストレーターの和田誠です。彼のような友だちを持てたのは、なんだか運命のように思えてなりません。
●孤独を感じること
人間は孤独になって初めて力を発揮します。そして、この孤独が最高の快楽です。運命に逆らうには、「なるようにする」という自立心が必要です。人生には、男時、女時という時期があると世阿弥が説いています。女時は勉学に励む時期。男時がきたら一気に流れを引き寄せることです。
●他者への共感と自分の意見
僕はいちいち他人のことを考えて絵を描いていません。他人があなたの意見に共感しなくても、あなたはあなたを生きるべきで、あなたが他人を生きる必要はありません。自分の意見を大切にするという初心を貫徹して下さい。
●一人暮らし
一人暮らしが長いのは、その状態があなたにとって最適だからじゃないでしょうか。最適というのは、いかに自由であるかということです。家族が必要かどうかは、あなたの自由度が決める問題だと思います。
●孤独について
僕はこどもの頃から孤独を愛して育ってきましたので、孤独が悩みの種になることようなことはありませんでした。誰にも邪魔されないで絵が描ける時間は、ある意味で孤独ゆえの幸福感がありました。現在八十七歳になっても、孤独を唯一の友として、アトリエで一人絵を描いています。僕に言わせれば定年を迎えることは人生の最大のプレゼントではないでしょうか。「さあ、これからは今までとはまったく違う異次元の生活、生き方ができるぞ!」と欣喜雀躍するかもしれません。趣味は、一種のクリエイティブです。クリエイティブに生きていれば老化しません。むしろ延命して長寿が全うできます。創造と美を求める生き方の方が、もっと積極的な生き方ではないでしょうか。僕は、孤独を創造することによって、孤独を愉しめばよいと思います。孤独は創造の原点です。趣味は自分と遊ぶ対象です。これこそが自由です。
Ⅳ:芸術について
●絵の見方
絵の見方は、正しい方法はありません。好きか、嫌いか、分からないか、そのどれかでいいのです。画家も、主題を含めて最初からすべて分かっているわけではなく、分からないまま描いています。ひと言でいうと、いい加減に描いています。
●画家の自画像
画家が自画像を描く心境と、自撮りする心境は同じです。物を創るという発想の根源は、すべて「私」という意識です。自分を描き切ることで、自分を吐き出しているのかもしれません。
●画家と音楽家
画家と音楽家の共通点については、どちらも感性に訴えるという点では同じですが、画家よりも、むしろミュージシャンの方が美術への関心が高いように僕は思います。僕が目下挑戦しているのは、絵画表現のなかに音楽的な要素を入れるということです。絵を一つのオーケストラに喩えれば、さまざまな色や形が音色を奏でています。僕の絵のなかには、難聴によって決別させられた音楽が蘇っているのです。
●絵について
絵は目的のために描くものではなく、描くことそのものを目的にするのが、絵を描く醍醐味です。絵に上手も下手もありません。描いていて楽しい、面白い、そういう気持ちで描いた絵が素晴らしいのです。絵のコツがあるとすれば、描くことを純粋に楽しむ、その気持ちだけです。
●表現の目的
僕の場合、表現に目的はありません。描こうという衝動に従い、ご飯を食べるように描くようにしています。
●天才とは
天才は、天才たるべくして生まれてきた人のように思うのです。天才とは、内部から湧き上がる創造的な衝動に素直に従うことのできる人で、すなわち気分に忠実で、そのときの気分で行動できるエネルギーを持った人ということになります。天才とは、前世から約束されてこの地上に生を享けた人ですね。
●自分を支えた言葉
三島由紀夫さんから聞いた言葉があります。タテ糸が想像だとすると、ヨコ糸は礼節である。この両者が交わったところに霊性が生まれる。僕はこう言われたことあります。「横尾君の作品は無礼極まりない」、そして「芸術は無礼であっても良いが、人間は無礼であってはいけない」と。
Ⅴ:仕事について
●大学で学ぶこと
僕は、一度も専門学校や大学での教育を受けていません。高校卒業と同時に社会人になってしまったので、勉強する時間がありませんでした。専門的な教育を受けていない僕がグラフィックデザイナーになることができたのは、運が良かったからです。独学のまま十年足らずで、「ペスソナ」展というトップデザイナー十一人が集められた展示会に、デザイナーの一人として声をかけられました。アカデミックな基礎教育を一切受けていない我流の若者デザイナーが、トップデザイナーの仲間入りを果たしたのです。九十年代には、画家として美術の世界に飛び込むのですが、その行為も無謀といえるものだったと思います。アカデミズムがいちばん恐れるのは、「気分」です。だからこそ、僕の武器は「気分」なのだと思います。
●絵の完成について
僕は気が短いのか、絵が完成する以前に、「できた!」と思ってしまいます。一方で、手をかければどんどん変化するので、その変化のどこで筆を置いたらいいのか分からなくなります。よく考えると、完成というのはないのではないでしょうか。僕は飽きたところで「ヤーメタっ!」と言って、そこで描くことを放棄します。そして、それを「完成」としてしまいます。
●デザイナーから画家への転職
デザイナーから画家への転身は、自ら求めて行動を起こしたのではなく、僕の内部で起こった強い衝動に従ったまでです。僕は常に、このような衝動には従うようにしています。なぜなら、それがそのときに、もっともふさわしい「出来事」であると思うからです。僕にとってデザイナーは「仕事」でした。それに対して絵は「人生」であり、生きるということです。美術は、機能的でも合理的でもありませんが、生きる力を与えてくれます。
Ⅵ:禅について
●禅とは
禅は語るものではなく、まず肉体による体験です。座禅によって思考の束縛から次第に自由になっていくことで、真の自由が獲得可能になるといいます。
Ⅶ:自分について
●旅について
旅をすると、意識が外に向かい自分から離れていくように思えますが、実際には、旅先では常に自己と対話を続けています。だから僕は、旅は自己への回帰ではないかと思っています。
●海外一人旅
僕がもっとも大きな影響を受けた国はインドでした。僕はインドへ七回行くことになります。インドでは、それまで自分が培ってきた常識や概念がまったく通用しません。粉々になって崩れてしまいます。なぜインドへ行ったのか。僕の場合、動機は二つありました。一つは、三島由紀夫さんの影響です。切腹する三日前、電話で「君もそろそろインドへ行ってもいい時期が来たね」と言うんです。もう一つの動機はビートルズです。ジョージ・ハリスンがインド思想に傾倒し、修行のためにインドを訪れていました。人生において、変化はとても大事です。変化とは水の流れです。変化は「生」なのです。
●夢について
僕は、1970年から今日まで、毎日見た夢を夢日記として記録しています。それは1967年にニューヨークから帰国後、頻繁に見るようになった夢のせいです。夢の中には決まってUFOが登場します。僕の場合、描く絵は、顕在意識と潜在意識が融合したところに成立しています。夢は無意識の産物です。その無意識を記述することによって、そのビジョンは意識化、つまり顕在意識化されます。顕在意識化された無意識は、そう簡単に忘れることはありません。このように、人間の意識の二つの側面を統合すると、シンクロシティが起きやすくなります。
Ⅷ:運命について
●運命
僕は、好きなものこそ運命が与えた才能だと思っています。僕は運命を信じている運命派です。デザイナーも、画家も、自分の意思とは無関係に、そのときどきの出会いにすべて従った結果で、これは運命以外の言葉で説明することはできません。ピカソ展で、天啓のような衝撃受け、画家に転向しました。そのように運命を受け入れる生き方をしてきました。人は皆、運命に導かれて生きていること、運命を受け入れることで開かれる人生があることをお伝えしたい。
横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、日本の美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家。1956年神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。三島由紀夫に出会い三島の「聖俗一体」的言動に触発される。1980年7月にニューヨーク近代美術館にて開催されたピカソ展に衝撃を受け、その後、画家宣言。以来、美術家としてさまざまな作品制作に携わる。灘本唯人、宇野亞喜良、山口はるみ、和田誠らと東京イラストレーターズ・クラブを結成(70年解散)。2004年 - この年から、多摩美術大学大学院客員教授(博士課程)に就任。2010年 - 神戸芸術工科大学大学院客員教授に就任。2012年神戸市灘区に横尾忠則現代美術館開館。
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私が気に入った新聞コラム・書評
『古代アメリカ文明』青山和夫編
教科書の歴史を覆す 書評・青木奈緒(文筆家)
非常に興味ある内容でした。
2024/02/22
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青木 奈緒(あおき なお、1963年4月14日 - )は日本のエッセイスト、作家、翻訳家。随筆家青木玉の娘、幸田文の孫、幸田露伴の曾孫。東京都生まれ、学習院大学文学部ドイツ文学科卒業、同大学院修士課程修了、オーストリア政府奨学金を得てウィーンに留学。1989年より翻訳・通訳などの仕事をしながらドイツに滞在。 1998年に帰国して『ハリネズミの道』でエッセイストとしてデビューし、幸田家四代の文筆家として話題になりました。
『古代アメリカ文明』青山和夫編
教科書の歴史を覆す 書評・青木奈緒(文筆家)
世界のあらゆる文明をさかのぼれば、「四大文明」に収束されると思ってきた。メソポタミア、エジプト、インダス、黄河。これらが大河のほとりで育まれた「文明のゆりかご」である、と。
ところがこの四大文明という文明史観は世界共通の学説ではなく、口調のいい教科書用語が長年ひとり歩きしただけなのだという。
もともといかなる文明もないところに独自に生まれた文明を「一次文明」と呼ぶのだが、この一次文明に数えられるのは世界に4つ。メソポタミアと中国、そして古代アメリカの2カ所。すなわちマヤやアステカ王国などに代表されるメソアメリカ文明と、ナスカやインカで知られるアンデス文明なのだそうだ。
これまで世界史の「常識」として疑うこともなかった四大文明が本書の序章、冒頭でいきなり覆される。1492年をコロンブスによるアメリカ大陸発見の年とするのも、なんとヨーロッパ偏重の見方だろう。それ以前のアメリカ大陸の歴史を「中南米の先住民文明」と片づけることは「さながら古代の日本列島、中国文明、アンコール・ワットに代表されるクメール文明を一括して語るような」ものだという指摘は実に痛烈だ。
本書はマヤ文明学を専門とする青山氏が3名の研究仲間とともに各々の専門分野について執筆し、メソアメリカ文明とアンデス文明を一般にも分かりやすく新書版で解説している。
人類史上最も洗練された石器による都市と文字文明を発達させたマヤ。かたや文字を持たなかったナスカの巨大な地上絵はどのように描かれ、どんな意味を持つのか。
古代アメリカ文明は驚きに満ちた未知の世界だ。それはとりもなおさず、私たちの頭が、かつて学んだ教科書記述のまま、いまだに四大文明とユーラシア大陸中心的な歴史観に縛られていることを意味する。古代アメリカ研究者たちの「現在は過去の総和である」という訴えをしかと受け止めたい。
青山 和夫(あおやま かずお、1962年11月7日[1] ‐ )は、日本の考古学者、茨城大学教授。京都市生まれ。1985年東北大学文学部考古学科卒、ピッツバーグ大学大学院修士、1996年博士課程修了。1997年茨城大学人文学部助教授、2006年教授。2008年日本学士院学術奨励賞受賞。1986年からホンジュラス・エントラーダ地域、コパン谷、グアテマラのアグアテカ遺跡とセイバル遺跡でマヤ文明の調査に従事。
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「22世紀の民主主義」 成田悠輔著
2024/02/12 2022/11/30読了
色々お騒がせの人ですが、この人の考え方は面白いですね。
世の中の矛盾を考えさせる本でした。
「生じるものはすべて、滅びるに値しますからね」
ゲーテ『ファウスト』の悪魔メフィストフェレス
若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない。選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。
■第1章 故障
●民主主義というお荷物・感染したのは民主主義
●そして資本主義が独走する
■第2章 闘争
●シルバー民主主義の絶望と妄想の間で
■第3章 逃走
●独立国家のレシピ
●すべてを資本主義にする
■第4章 構想
●選挙なしの民主主義に向けて
●民主主義とはデータの変換である
●アリゴリズムで民主主義を自動化する
●不完全な萌芽
●無意識民主主義の来るべき開花
●政治家不要論
●おわりに:異常を普通に
成田 悠輔(なりた ゆうすけ、1985年〈昭和60年〉- )は、日本の経済学者、起業家。丸と四角メガネがトレードマーク。イェール大学アシスタント・プロフェッサー、東京大学招聘研究員、半熟仮想株式会社・代表取締役。ダボス会議(世界経済フォーラム)2023年度ヤング・グローバル・リーダーの一人。専門はデータ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと、公共政策の創造とデザイン。
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「第三次世界大戦はもう始まっている」 エマニュエル・トッド著
2024/01/28 2023/05/15読了
フランスの人口統計学者、歴史学者、人類学者。非常に面白い、見解だと思います。
事実上、米露の軍事衝突が始まり「世界大戦化」してしまった以上、戦争は容易に終わらず、露経済よりも西側経済の脆さが露呈してくるだろう。
■第三次世界大戦はもう始まっている
●「戦争の責任は米国とNATOにある」
●ウクライナを「武装化」した米国と英国
●欺瞞に満ちた西欧の「道徳的態度」
●世界を「戦場」に変える米国
●核を持つとは国家として自律すること
■ウクライナ問題をつくったのはロシアではなくEUだ。
●EUがウクライナを破壊した
●ロシアとの共存以外に選択肢はない
■「ロシア恐怖症」は米国の衰退の現れだ
●米ソの相互破壊
●「人種」にこだわり続ける米国社会
■「ウクライナ戦争」の人類学
●米国は戦争にさらにコミットする
●真のNATOに独仏は入っていない
●露中の「権威的民主主義」
●本来、この戦争は簡単に避けられた
●「ウクライナに兵器を送るべきだ」の冷酷さ
●軍事支援でウクライナを破壊している米国
エマニュエル・トッド (Emmanuel Todd, 1951年5月16日 - ) は、フランスの人口統計学者、歴史学者、人類学者。学位はPh.D.(ケンブリッジ大学・1976年)。研究分野は歴史人口学、家族人類学。人口統計を用いる定量的研究及び家族類型に基づく斬新な分析によって広く知られている。フランスの国立人口学研究所に所属していたが、2017年に定年退職した。2002年の『帝国以後』は世界的なベストセラーとなった。経済現象ではなく人口動態を軸として人類史を捉え、ソ連の崩壊、英国のEU離脱や米国におけるトランプ政権の誕生などを予言した。
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「残念な人の思考法」 山崎将志著
2023/12/22 2018/03/22読了
2018年にタイトルに惹かれて読みました。なるほど、こういう考えもあるんだ、という本でした。
やる気も能力もあるのに、仕事がうまくいかないのはなぜ?日常の「残念」な例をもとに、日々の仕事に応用できるプライオリティ思考法のヒントを紹介。
①残念な人はつくられる
●「使えないシステム」の陰に「使えない人間」がいる
●システム化 ✕「思考停止」=残念なトラブル
②二流は掛け算で考え、一流は割り算で考える
●労働力を投入すること=仕事でない
●普通の人が頑張ればできる「仕組み」が大切
●二流は積み上げ式で考え、一流は市場全体化から考える。
③残念な人は「塗り絵」ができない
●「会うと得する」人は誰も断れない
●仕事は「塗り絵」で考えよ=自分が決める
●仕事において「図々しさ」は善である
●機会に集中せよ
④機能だけを磨いても二階には上がれない
●共有すべきは「考え方」と「前提条件」
●上司視点で考える。仕事は年下に頼む。
⑤人生を残念にしないためのプライオリティ
●やりたいことは「やりたくないこと」から見えてくる。
●目標を「紙に書く」
●意識改革はしなくていい
●「好き」の反対は「無関心」である
山崎将志(やまざきまさし 1971年愛知県岡崎市生まれー)は、ビジネスコンサルタント、株式会社アジルパートナーズ代表取締役社長、株式会社知識工房代表取締役社長。1971年愛知県岡崎市生まれ。1994年東京大学経済学部経営学科卒。
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「この世に恋して」 曾野綾子著
2023/12/13 2022/05/20読了
私の好きな作家です。
曾野綾子さんの人生を赤裸々に記した本です。人生の参考にしたい本ですね。
私には「想定外」の豪華な人生でした。
作家としてやり残したことは、ひとつもないんですね。
思えば、私はずっとこの世に恋し続けてきたんです。
若い頃から書くことが好きでした。作家になってからはほとんど一年も休まずに書いてきて、いつの間にか六十年を過ぎました。正確に数えたことはないのですが、書いた量は四百字の原稿用紙で二十万枚以上になるでしょう。計算すると八千万字なんですね。私は書く職人になっていた。
曽野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。
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「99%の会社はいらない」 堀江貴文著
2023/11/29 2018/02/19読了
この人の物の捉え方が何となく好きです。
私はもうリタイアしている身ですが、それでも人生の考え方として、非常に参考になりました。
「自分の時間」を生きることが幸せの指標になる。
会社に属することは
「他人の時間」に縛られることでしかない。
僕は「自分の時間」で忙しい。楽しい時であると感じてしまう。レールから外れること、自分一人で企業・行動すること。IT化の時代、これからの時代の幸せは「自分の時間」をいかに生きるかで決まる。
①日本の会社はおかしいと思わないか?
●本当に「会社」は必要なのか?
●日本は「世界で最も成功した社会主義国」
②仕事のない時代がやってくる
●「最適化」で面倒な仕事を減らす
●一つがAI、人工知能の活用だ
●会議は会議室ではなくスマートフォン上で。情報共有も
●システムがあれば感情論はいらない
③だから「遊び」を仕事にすればいい
●自分が面白いと思うことに挑戦する
●とことんハマっていくと新しい展開が拓ける
●仕事を得ていくのは「遊びの達人」たちなのだ
④会社ではない新しい組織のカタチ
●オンラインサロン
●楽しみながら学ぶ「新時代の塾」
⑤会社に属しているあなたへ
●「人を惹きつけるチカラ」を持つことだ
●人が惹かれるスキルこそがコミュニケーションスキルの本質だ
堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年〈昭和47年〉10月29日 - )は、日本の実業家・著作家(書籍・動画)・政治活動家・投資家・タレント・参院議員私設秘書・YouTuber。CROSS FM代表取締役会長。血液型はA型。愛称はホリエモンだが、堀江本人があだ名やペンネームなどを名乗る際には、たかぽんを自称している。sns media&consulting株式会社ファウンダー、インターステラテクノロジズ株式会社ファウンダー、ゼロ高等学院主宰、株式会社7gogo取締役、日本ゴルフ改革会議委員、Jリーグアドバイザー、大阪府・大阪市の特別顧問(国際博覧会(万博)担当)、ライブドア(4代目)エグゼクティブ・アドバイザー、北九州市アドバイザー。
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「70代で死ぬ人80代でも元気な人」 和田秀樹著
2023/11/20 2022/07/21読了
70代はアクティブに!!。なかなか面白い内容でした。
間違った健康志向が「老化」を早める!!
自由に生きて「免疫力」を高めよう
危険な70代から、輝く80代へ
70歳が人生のターニングポイント!
老化を遠ざける、「習慣」と「心がけ」
■80代で元気な人は、70代を奔放に生きている・・刺激的な毎日。
■脳の刺激・・友人と議論、映画、演劇語り、ブログ、ホームページでアウトプットの場をつくる。
■いかに70代を委縮しないで自由奔放に生きてきたかがポイント。街を歩く・・発見
●70代はまだまだアクティブにいこう
●やりたいことをやって自由に好き勝手に生きよう。
●70代の内にいつでも楽しめる世界を身の周りにできるだけ多く残すことが大事。
●70代は好きなことが存分にできる最後の世代・・70代は人生で一番幸せな高齢世代。
●老いを遠ざけるために、肉を食べる習慣を。
●高齢者はたんぱく質を摂らないと、筋肉の減少・老化が進む。
●がんになった時は「ガンは老化に伴う細胞のできそこない」と理解する。
●70代を過ぎた人がガンを手術すれば、確実に体力は衰える・・一気に老人に。
●楽で気持ちよく過ごせる時間を一日の中に取っておいて、その時間をのんびり楽しむこと。
●好きなことをのんびりと楽しめて、一日を自分の思いどおりに生きていけるかどうかということだけ。
●「あ、そう来たか」が、死の病を受け止める極意。
和田 秀樹(わだ ひでき、1960年〈昭和35年〉6月7日 - )は、大阪府出身の受験アドバイザー、評論家(教育・医療、政治・経済)、精神科医(川崎幸病院精神科顧問)、臨床心理士、映画監督、小説家、管理栄養士。複数の大学、大学院の非常勤講師(後述)や東進ハイスクール顧問も歴任。和田秀樹こころと体のクリニック、和田塾緑鐵舎、緑鐵受験指導ゼミナール、和田秀樹の親塾などの代表。
70代で死ぬ人、80代でも元気な人 和田秀樹著 要約
まえがき・・危険な70代を乗り越え、元気溌剌な80代へ
●「回復力」(レジリエンス)と「免疫力」の低下にご用心
●60代と70代では、がん死亡率は2倍以上。認知症や要介護は5倍以上。
●男性の場合は半数以上が70代で亡くなる。
●80代で元気な人は、70代を奔放に生きている・・刺激的な毎日。
●脳の刺激・・友人と議論、映画、演劇語り、ブログ、ホームページでアウトプットの場をつくる。
●いかに70代を委縮しないで自由奔放に生きてきたかがポイント。
序章・・70代、80代は、もっと自由に生きていい
●この国の高齢者は、いつから従順になったのか。
●「外に出ろ」から「家にいろ」は、ダメ。コロナ禍。
●「免許返納」は、要介護老人を増やすだけ
●日本の「街」は高齢者を拒んでいる??
●「同調圧力」に負けた人から老いていく。健康寿命は72歳・・自立して暮らせる健康寿命。筋肉を鍛える、気分を高める・・刻やテレビ局の言いなりになるな。
第1章・・元気な80代を迎えるための心がまえ
●じわりと身体に忍び寄る「老い」のサイン
●次々に聞こえてくる、同世代の病・・古稀の年・・だからアクティブに。毎日を楽しむ。
●自分の願望を封じ込めることで、快感も幸福感も得られなくなる。
●70代はまだまだアクティブにいこう・・長い高齢期を元気に乗り切る。
●「気が付けば90歳」というのが理想の老い方・・やりたいことをやって自由に好き勝手に生きよう。
●「喜寿」(77歳)を満面の笑顔で迎えよう・・目標設定が大事。
●できなくなったことを面白がるというのは、やりたいことをやり続けるコツ。
●今できていることは、何も諦めなくていい・・好きなことだけのんびり楽しく。
●70代の内にいつでも楽しめる世界を身の周りにできるだけ多く残すことが大事・・80代へ。
●70代になると、一人が似合ってくる。・・80代で飄々とした雰囲気が生まれる。
●集まって良し、離れて良しの70代。
●70代は好きなことが存分にできる最後の世代・・70代は人生で一番幸せな高齢世代。
第2章・・いまの70代は、知的で反骨の世代
●団塊世代・・日本の高度成長を支えてきた世代・・学力レベルの高さ。
●日本の工業技術は高卒の団塊の世代が支えてきた・・高校生の学力レベルが高かった。
●近ごろ、丸くなっていませんか?70代をアクティブに積極的に生きることが80代になって輝く。
第3章・・人生100年時代は、70代が黄金期
●人生でいちばん世界が広がる70代・・帽子、メガネ、小物、旅、美術館、ファッション。
●夫には夫の、妻には妻の楽しみがあっていい・・自分が楽しめる世界を見つける
●ボランティアは「自分のため」・・自分の楽しみのため。
第4章・・健康寿命をつくる「ランチ外食」のすすめ
●街を歩く・・発見
●老いを遠ざけるために、肉を食べる習慣を
●高齢者はたんぱく質を摂らないと、筋肉の減少・老化が進む。・・肉や魚。セロトニン。
第5章・・老化に負けない、70代の生活習慣
●使えるものは日常生活に取り入れる。今の自分に自信。トレンドに合わせない。
●自分の意見や考えを飲み込まない。勉強はさまざまな可能性を求める。
●アウトプット必要。・・ツイッター、インスタグラム。
●人付き合いは、損得抜きで楽しく過ごせる人と。・・人間関係の整理。
第6章・「ガン」「認知症」「うつ」とどう付き合うか・70代、80代の健康学
●「健康に不安がある」と思うだけで、老いは加速する。・・ポジティブに。なんでもやって自由に。
●「健康寿命」をあまり気にしない。・・自由を制限しない・・攻めの気持ち。
●数値ではなく、不調を治すのが薬である。・・患者は医者を選んでいい。
●危険なのは、数値が「高い」より「低い」こと。
高血圧、高血糖、高コレステロール。・・低い方が危険。
●高齢者のガン治療は、命を縮める可能性がある。
●がんになった時は「ガンは老化に伴う細胞のできそこない」と理解する。
●治療するか、そのまま飼い続けるか。
●70代を過ぎた人がガンを手術すれば、確実に体力は衰える。・・一気に老人に。
●70代を過ぎると治療しても身体が衰弱してかえって寿命を縮めてしまう。
●早期発見や早期治療は高齢者にとって必ずしも幸せな晩年を約束しない。
●がんは準備できる、畳の上で死ねる病。・・肯定的に受け止める。
●「手術」は身体に一番負担がかかる・・「抗がん剤」は副作用・・「放射線」はピンスポット。
●「生活の質がまったく落ちない」が選択で一番大事。
●認知症は病気でない、「生活障害」だという考え方ができる。・・初期は普通の生活ができる。
●認知症を乗り切る「ツール」を覚えておこう。スマホ。
●高齢者のうつは、認知症と間違われやすい。身体がだるい・腰が痛い・食欲がないはうつ身体化症状。
●うつ病は、ひと月ぐらいを境に、物忘れ・着替えない・食欲が落ちる。認知症はゆっくり。
●高齢者は生活の質を落とさない・・好きなことを優先し楽しむ。
●楽で気持ちよく過ごせる時間を一日の中に取っておいてその時間をのんびり楽しむこと。
あとがき・・人生の本当の輝きは、80代からはじまる
●老いは平等、誰でも幸せな80代を迎えられる。
●好きなことをのんびりと楽しめて、一日を自分の思いどおりに生きていけるかどうかということだけ。
●「あ、そう来たか」が、死の病を受け止める極意。
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「夫の後始末」 曾野綾子著
2023/10/20 171203読了
夫三浦朱門氏が亡くなった後の心情を淡々と綴るこの本は、非常に感銘を受けました。
好きな作家のひとりです。
不法な現状と闘うには、
知恵と柔軟性と、世間の常識を一切気にしないというやり方しかないことを発見した。
「そんなことでは、人は死なない」・・これは応用の利く、いい言葉だった。
彼の死後、私が望んだのは、生活を変えないということだった。人間はたかだか、百年しか生きない・・初めから百年目を生きていたわけではない。その人は、年を重ねるごとに、今の生活を創り上げていったのだ。だから死の直前に見た自分の生活が、歴史に裏うちされて、最もその人にとって見馴れ、安定した光景だろう。だから私は、夫の生前の生活をそのまま継続することに、少し固執した。
朱門が亡くなって四カ月過ぎたころ、書類戸棚に十二万円の紙幣を発見した。三浦半島で一匹の猫を買った。「直助」は我が家の一員になった。スコティシュフォールド。意外性に富んだ楽しいものだった。地球の物理的な力学のような感じだ。
曾野綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。
夫の後始末 曾野綾子著 要約
■まえがき
●夫を自宅で介護すると決めたわけ・・自分が84歳の時
三浦朱門は次第に寡黙なった。性格の変化は認知症の初期の表れ。
精神活動が衰えるのを感じた。恐ろしいほどの速さだった。
家に帰って来た時の喜びようは、信じられないくらいだった。
その時から、一応覚悟を決めた。夫にはできれば死ぬまで自宅で普通の暮らしをしてもらう。
そのために私が介護人になる。
作家は常に善悪にかかわらず、自分の立っている現在の位置を自覚して生きるのが普通だ。
■第1部・・変わりゆく夫を引き受ける・・夫90歳
●不法な現状と闘うには、知恵と柔軟性と、世間の常識を一切気にしないというやり方しかないことを発見した。「そんなことでは、人は死なない」・・これは応用の利くいい言葉だった。
●八十五歳を過ぎた私の事情
作家になる資質とは・・運・鈍・根。
運・・人生には運がある、命じられた道がある。
鈍・・完璧を期してはいけない。「いい加減」にやっていい。介護人は怠け者の方がいい。
●夫の居場所を作る
マッサージチェア・・光源を背後に。ベッドと、枕元に低いタンス。枕もとの備品を置く。
自分はリクライニングのソファーで寝て観察する。そばに移動式の台。衛星テレビ。
●モノはどんどん捨てればいい
8時半まで付き添い・・2階の寝室で、今一番楽な仕事は「書くこと」。
私たちは常に人並みであることを社会にも経済にも求めていることを忘れてはならない。
作家は怠け者でもできる仕事。
頭脳だけでなく、行動、空間、物質すべての整理で今や私は救われていた。要るものと要らないものを素早く区別し、要らないものを(物質・感情・人間関係)捨てることが私の生活を救った。
広い空間を取るため捨てる。すべてのことは過ぎ去るのだ。変化のない人生はない。
●夫が突然倒れた時のこと
脳の動脈硬化が、性格の変質を見せる。・・脳の病変。
●よく歩く、薬は控える、医者に頼らない
老人は謙虚に自分の衰えを予測して、目、足、手が動かなくなった時を予測して、それぞれにどう自分が対処するかを、考えられる限り決めておくべきだ。
●人間の最後に臨んでやってはいけないこと。老医師からの助言。
1.点滴乃至は胃瘻によって延命すること。
2.器官切開すること。
3.酸素吸入。
自然の寿命を大切にして、自分はそれ以上を望まないことにしたいと考えている。
寿命は神に任せて、自然に健康的な生活をすることが、もっとも明るい生き方だ。
●「話さない」は危険の兆候
老人の食欲が落ちて食事をとらなくなると、果物とジュースだけになり、塩分を取らなくなると吐き気がしてくる。
会話は老化を図る一つの目安だ。老人が言葉少なになったら、一つの危険な兆候である。
●介護にも「冗談」が大切
全ての人間は・・老人であろうと病人であろうと・・いくらかは耐える習慣もなければ生きておけない。
●明け方に起きた奇跡
老人や病人を家で見る場合、その介護人には、或る程度の力が必要だ。
守り手の天使の存在を感じた。
●夫に怒ってしまう理由
世の中というものは、万事思い通りにならないものだ。
夫が人生の晩年に、あまり強欲でもなく、不満を持っていないことに深く感謝。
●散々笑って時には息抜き
一定の日時に間に必ず外出する。
自然体で人生を生きる身構えを覚えること。
遊ぶということは人間を寛大にもすれば、耐える力も与える。
うちで音楽を聴く楽しみ。・・音楽を聴きながら絵を描く。
食べないということは、もう生命を拒否していることだから、その場合はそれを受け入れなければいけないと思っている。
●「食べたくない」と言われて
私たち人間は、寿命だけは、神でも仏でもいい、人間をはるか遥か離れた偉大な存在に決めてもらうのがいい。
私たちは、輸液、胃瘻、癌の積極的治療も行わないと決めていた。
自然に老い、生命の糸が燃え尽きる時に死ねばいい。
何を出したら食べるだろうかに、神経をすりへらしていた。体験:74歳で骨折。
●老衰との向き合い方
自然に食べなくなれば、それも寿命。
●「奉仕」とは排泄物を世話すること
現実は決して一人では死ねない。
病人や高齢者の生理的欲求の世話をしてくれるのは家族しかいない。
奉仕とは、うんことおしっこの世話をすることなのだ。
看取りの基本は、排泄物の世話なのである。
朱門は普通の人として生きて下さいと思った。自分で持とうとする、自分で着る。
お年ですから、は事実をついている。それは諦めていいのだ。
■第2部・・看取りと見送りの日
●夫の最後の九日間
高齢化社会は「家族を」看取ることこそ大きなテーマ。
「長続きする」ことこそ任務を続行する最大の才能だ。鈍感で根気のいい性質こそ成功の秘訣。
2017年、ほとんど固形物を口にしなくなってから約1か月後血中酸素量が低下。・・間質性肺炎。
病院で九日間末期医療看護の後、華麗な朝陽の昇るのに合わせて旅立ち。
●ベッドの傍らで私が考えていたこと
人間が計画的に自分の生命に終止符を打つことは反対。
人間の行為のすべての瞬間において「神の介在」を感じさせる要素が要る、と感じている。結婚の決意も。
夕食後は3m離れたソファーで2~3時間過ごす。8時半に就寝で自分のベッドへ。
朱門に外の様子が見られるようにした。地球の営みの姿を眺めていられるということは、一種の贅沢。
●戦いが終わった朝
人間の臨終を楽にする方法でやってはいけないこと・・胃瘻、気管切開、多量の点滴による延命。
聖路加病院日野原先生より。
血圧の変化に耐えることが、真摯な人生の生き方そのもの。
戦いの終わりをこの清明な朝と決められたのは神であった。その時、朱門の命は、深い納得と許可の下にしっかりと神の手に受け取られたと私は感じることができた。91歳。
●息子夫婦との相談
都会の暮らしというものは、田舎で生活する家族と違って、往々にして同居だか共棲だかを許されない。
葬儀屋は息子夫婦が。
●葬式は誰にも知らせずに
私は昔から、大勢の行動に組み込まれることが嫌いだった。一人の行動が好き。
家族の死に関しては、事前にその覚悟をする、つまり意識的予行演習をするということは、かなり有効なことだ。朱門が倒れた2015年秋以降時々考えていた。
親3人の葬式をいつも自宅から出していた。・・秘密葬式、自宅で家族だけでお別れをした。
母が83歳、義母が89歳、義父が92歳。
直接血縁のあるわずかな甥や姪、晩年に世話してくれた人達だけ。
祭壇なし、お棺だけ。葬儀の中心は仏教のお坊さんにあたる司祭にたててもらうミサである。
葬儀は朱門が最後の1年過ごした部屋。私に異母夫婦、朱門の従妹、同級生1人。
20人あまりの出席者は朱門の人生に深く関りをもって下さった方たち。
●お棺を閉じる時の戸惑い
産経新聞朝刊、セーターと手紙。吉村作治氏。
ボリビア帰国中の倉橋神父・・人間の死は決して生命の消滅ではなく、永遠に向かっての新しい誕生日だ。
●夫の遺品を整理する
朱門の声と共に生きていた・・朱門が元気だったらどう言うか。
朱門の死後6日目でオペラに出かけた。
傍にいたって、僕が治るか。・・オペラに行かないと、僕が生き返るか。の声。普通に生きればいい。
私は彼の死後、驚くほど早く家の中を片付けた・・ついでに私の物も・・家の中は今やがらがらになり、道場のような空間ができた。服、洗面所、壜、チューブ、下駄箱。彼の意志を勝手に感じた。
私自身が死ぬまでに、本以外の私物を、できるだけ片付けなければならない、という思いが心の底にある。
私らしさを失わずに、整理して、できれば端正にこの世を終わりたい、というのが私の希望だ。
私たちは、自分よりも恵まれない人の存在を絶えず意識し、謙虚に残された生を生きるべきなのである。
●変わらないことが夫のためになる
1階の朱門の寝室の空間・・絵にせよ民芸にせよ、ここには主に私の趣味で雑然と集まったものがおいてある。
彼の死後、私が望んだのは、生活を変えないということだった。
人間はたかだか、百年しか生きない・・初めから百年目を生きていたわけではない。
その人は、年を重ねるごとに、今の生活を創り上げていったのだ。だから死の直前に見た自分の生活が、歴史に裏うちされて、最もその人にとって見馴れ、安定した光景だろう。だから私は、夫の生前の生活をそのまま継続することに、少し固執した。
●広くなった家をどう使うか
配偶者の死後一年だったか二年だったかは、大きく家の姿を変えてはいけない。よいう忠告。未・人リン・ケイン著より。
電動で介護用のベッド。私の背中の痛みの、訪問診療のベッドに。
新しい部屋には、新しい使い道がある。
●残されたメモを読み返す
朱門はまだ、うちの中で、生きている人のように存在している。
●心の平衡を保つために
朱門の死の前と後で、私は同じように暮らすことを目標にしようと思った。1年数カ月の介護。
妄想・・暇になった。・・夜の時間の読書を回復した。精神の平衡を保つのにはちょうどいいように思えた。
お酒を飲むことは禁じた。2~3年経ってそれでも飲みたければ飲めばいい。
●納骨の時に聞こえた声
「一人一人の人間は、その時の自分の立場で、自分のいるべき場所にいる方がいい」
常識的な日時にお墓に納めることにした。四十九日を一週間ほど過ぎていた。
それまで部屋のお骨に、「おはよう」「おやすみ」お休みは大河内の箱を三度か軽く叩く。
家で倉橋神父がミサをしてくださり、その後墓地へ。
●「夫が先」でよかった
一人の家族を失った後の欠落感がどこから来るかは、人それぞれに違う。
彼は日本のいい時代に生き、いい時代に死んだ。清潔なものを着て、お風呂も入れ、睡眠も妨げられない。これは世界的レベルの幸福なのである。
●人が死者に花を添える理由
病気になっても、人が亡くなっても、私たちは花を贈る。普段から花を身近に置くのが好きだった。
花の世話が心の支えになった。
花は亡き人のためではなく、残されて生きている家族のためなのである。
誰でも命を育てることが基本的には好きなのだ。
●夫への感謝と私の葛藤
夫でも妻でも、先に死んだ方は必ず何かを残して行く。・・暖かい食事の習慣、笑い声、廊下を通り過ぎた後に残して行く微かな香りや気配。朱門がいなくなった後の静けさは想像できなかった。
朱門は夕暮れのような静かな人だった。一人で生きて、したいことがあり、精神の食事のような読書もたくさんできて、「自足している」という言葉が一番その状態をよく表していたように思う。63年。
しかし最近になって、私はずっと熱が出て毎日半分くらい寝ている。・・疲れたのだろう。
●「忘れたくない」とは思わない
人は忘れる。大切なのは彼の魂の在り方だけだったから。・・人間の生気の一切失われた冷たさを感じて納得した。
朱門が亡くなって4カ月過ぎたころ、書類戸棚に12万円の紙幣を発見した。三浦半島で一匹の猫を買った。「直助」は我が家の一員になった。スコティシュフォールド。意外性に富んだ楽しいものだった。
地球の物理的な力学のような感じだ。
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「逝き方上手」石蔵文信著
2023/10/04 2022/07/18読了
全身がんの医者が始めた「死ぬ準備」。
死は負けではない、大事なのは「生き方、そして逝き方」。
本の題材に惹かれて、一気に読みました。
これから老年を迎える者として、非常に参考になる提言でした。
石蔵文信先生のご逝去を悼む・・医学研究会からの転記
日本性差医学・医療学会本学会理事の石蔵文信先生は 2022 年 10 月 3 日、前立腺がんのためご逝去されました。
石蔵先生は、日本性差医学・医療学会の前身である性差医療・医学研究会発足時から、性差を考慮した医療の実践に邁進されていました。・・・
すべてを今知ろうとは無理なこと。雪が融ければ見えてくる・・ゲーテ
●死は負けではない。大事なのは生き方、そして逝き方。
●終末期の準備・・自宅で緩和ケアの先生。
石蔵 文信(いしくら ふみのぶ、1955年〈昭和30年〉 - 2022年〈令和4年〉10月3日)は、日本の医学者。医学博士。循環器科専門医。心療内科医。夫源病を命名した。
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「日本人が知らない世界の歩き方」 曾野綾子著
2023/09/28 170806読了
世界を歩き回った曾野綾子さんらしいエッセイでした。
やっぱりこの人の考え方や感性は面白いですね。
人が何と言おうが、
それが悪であろうが善であろうが、醜であろうが美であろうが、
歴史の長い重い流れの中で、
自分自身の人生を自分の好みと責任とにおいて設定し、
それを生き抜く。
国家と社会と個人に、そのような土性骨がないと、
日本人のような工業生産品様式のクローン人間ばかりが
増えるのである。
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●世界を歩くということ
アラブ人にとっても、ヨーロッパ人にとっても、アジア人にとっても、生活の原型は抗争にあるということが、私の外国体験で受けた貴重な教育の一つである。
曾野綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。
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「80歳の壁」 和田秀樹著
2023/09/24 2022/04/01読了
これから80代を迎える私のような老人には、なかなか面白い内容でした。
80歳の壁の現実を知っておく・・私が特に気に入った内容は下記6点です。
●好きなものを食べ、お酒も飲んでいるから、せめて30分は歩こう。
●日常生活の活動のレベルを落とさない。
●ガンを切らない選択・・元気な生活。他に臓器にもガンがある可能性がある。
●脳の前頭葉を刺激する。したいことをすると脳は喜び若返る。
●孤独は気楽でいい。誰にも気兼ねせずに楽しめる。
●高齢者が自由に生きれば活性化する。
和田 秀樹(わだ ひでき、1960年〈昭和35年〉6月7日 - )は、大阪府出身の受験アドバイザー、評論家(教育・医療、政治・経済)、精神科医(川崎幸病院精神科顧問)、臨床心理士、映画監督、小説家、管理栄養士。複数の大学、大学院の非常勤講師(後述)や東進ハイスクール顧問も歴任。和田秀樹こころと体のクリニック、和田塾緑鐵舎、緑鐵受験指導ゼミナール、和田秀樹の親塾などの代表。
80歳の壁 和田秀樹著 要約
プロローグ・・90歳の壁を超えていく
●80歳の壁の現実を知っておく
●男性9年間、女性12年間・・病気・認知症の平均期間。寝たきり介助期間。
●健康寿命:男性72歳、女性75歳。平均寿命:男性81歳、女性87歳。
●幸せな晩年と不満足な晩年、どちらを選びますか?
●老いを受け入れ、できることを大事にする。
●80歳を過ぎたらガンがある。気づかない。
●80歳を過ぎたら我慢をしない・・好きなことをして気楽に生きるほうが免疫力が高まる。
●認知症は必ずやってくる・・今のうちにしたいことをする。「老化現象」だ。
●してはいけないのが我慢や無理。節制・運動・心配・気づかい。
●不運や不遇は、誰にも起こりえる。・・人生に優劣はない。
第1章・・医者・薬・病院の壁を超えていく
●高齢者になったら健康診断はしなくていい。・・異常値でも病気にならない人もいる。
●数値を正常にするための薬・・体の調子を落とす。・・医者に頼るなかれ。うのみににない選択。
●「薬や検診は寿命を大きく伸ばすものではない」・・薬・手術は不調や寿命を縮める原因。
●病院ではなく、自宅やホームで「老衰」で死ぬこと。
●闘病ではなく『共病』で。
●ガンは自分の細胞が変性して「ガン化」すること。
●手術や抗がん剤は体力が低下して、不調を抱え、普通の生活がしずらい。
●体力や機能が奪われ、免疫力や抵抗力が落ちる。・・ともに生きる選択肢。
●手術はしない、薬は減らしてほしい。
●医療の自己決定は、自分がどう生きるかの選択です。
●好きなものを食べ、お酒も飲んでいるから、せめて30分は歩こう。・・高齢者診断。
●どんな医師を選ぶか。それが晩年の幸不幸を左右する。・・嫌な医師とは付き合わない。直感。
●薬は必要最小限に。飲み過ぎは毒。降圧剤、頻尿、血糖値、コレステロール値。
●日常生活の活動のレベルを落とさない。・・薬は不調がある時に飲む。
●予防のための薬は、なってからはいらない。
●血圧や血糖値を高めにコントロールした方が健康になれる。生活の質を下げない。
●血圧や血糖値を下げても、がんのリスクは減らない。逆に免疫力低下でガンリスクが高まる。
●男性ホルモンは心身の健康の維持に必要不可欠。元気・意欲・筋力・感情。
●もしガンになったら生活の質を重視する。
●小さなガンは10年かかる。10年の間に間違いなく転移する。・・放っておく。
●ガンを切らない選択・・元気な生活。他に臓器にもガンがある可能性がある。
●ゼロリスクはない・・なったらなったで仕方がない。「ああ、きたか」と腹をくくる。
●血圧は200でも破れない。180で頭痛や吐き気、めまいがあったら、その人は高い。
●糖尿病の薬がアルツハイマーを促進する。積極治療はしない。
●糖尿病人の方がアルツハイマーになりにくい。・・インシュリン・低血糖・脳に糖分がいかない。
●やや肥満な人が一番長生き。
第2章・・老化の壁を超えていく
●明日死んでも後悔しない人生の時間の過ごし方。3つのムリをやめる。我慢や無理をやめる。
①薬の我慢、②食事の我慢、③興味のあることへの我慢。
●男性ホルモンは元気の源。したいことをして脳も体も元気に。肉・運動・
●脳の前頭葉を刺激する。したいことをすると脳は喜び若返る。
●前頭葉の衰え・・感情コントロール・喜怒哀楽・意欲・集中ができない。
●運動がほどほどに。一番いいのは散歩をキープする。30分ぐらい。自然の光。家事・掃除・洗濯。
●うつ病は・・心と体を動かすことが予防になる。
食細く・睡眠・記憶障害・着替えしない・お風呂入らない。・・「心因」と「身体因」・・栄養不足。
●孤独は気楽でいい。誰にも気兼ねせずに楽しめる。・・選択肢を増やす。
第3章・・ボケ・認知症の壁を超えていく
●「もの忘れ」・「失見当識」(場所時間の感覚)・「知能低下」・・生きる知恵は残っている。
●認知症は幅のある障害。基本は老化現象。判断はできる・・詐欺。
●遺言・・大事な決定は、都度、日付けを入れて書面に残す。
●認知症を遅らせる方法・・薬より頭を使う方が有効。体動かす・・医者に行かない方がいい。
●以前の意思表示・・薬は飲まない・検査はしない・好きなもの食べる・したいように生きる。
●ガンは割と楽な死に方。
第4章・・高い壁を低くするヒント50音カルタ
歩き続けよう/イライラしたら深呼吸/運動はきつくない程度/エアコンをつけ水を飲み/おむつを恥じるな/噛めば噛むほど/記憶力は使わないから/薬を見直す/血圧、血糖値は下げるな/孤独はさみしいことではない/サボることは恥でない/好きなことをする、嫌なことはしない/外に出よう/食べたいものはよし/ちょとづつ/嫌な人とは付き合うな/テレビを捨てよ/闘病より共病/何とかなるさ/肉を食べよう/ぬるめの湯/眠れなかったら眠らない/楽しいことが脳にいい/話したいことは遠慮せず/かかりつけ医をきめよ/不良高年でよし/朝礼暮改はよし/ボケるのは悪いことばかりでない/学びをやめたら年老いる/見栄をはらない/無邪気になる/面倒なことは面白い/もっと光を/役に立つことをする/ゆっくりと今日を生きる/欲望は長生きの源/楽天主義は必要/リラックスの呼吸/ルールは自分で決める/あるがままで生きる/老化より朗化/笑う門には福来る。
エピローグ・・人生100年の壁も超えていく
●おかしな現実・・高齢者は怒っていい
●高齢者が自由に生きれば活性化する
●現状を受け入れながら、方策を立てていく。
●幸せのヒントは、何でも楽しんでしまう能力
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「人生の収穫」 曾野綾子著
2023/08/27 171024読了
その考え方や、生き方が、好きな作家です。
人生には一日として同じ日がない
■自分流ではなく他人流に生きようとする人が多すぎるからストレスが起きる。
■適当は人生の至芸・・自分に必要で適切な量だけ、端正にあることが最良。
■得意で好きなことをするのが成功と幸福につながる。
■ドジの功名・・人生は「回り道」が面白い。
■人権という貧しい言葉・・人間に生まれただけで誇りを持つという無意味な言葉がうっかり出ないような教育が必要だ。
■冒険しないで面白い人生はない。
■判断を世間の常識にあわせることはない。
■したいことをするのが自由ではない。人間としてすべきことをするのが自由だ。
■運命を受け入れる勇気・・「安心して暮らせる」世の中など、この世にあるわけがない。
■最後の瞬間まで、日常性を保つこと。
曾野綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。
曽野綾子 人生の収穫 要約
■他人流の危険、自分流に生きる。悪評に馴れる。
自分流ではなく他人流に生きるとストレスを抱える
■何となく自然に生きる
■もしもという仮定形で物事を考えられる幸福・・・上等な生活の証拠
■ないものは数えず、あるものを数える生き方
■自由は犠牲と代償を伴うもの
■適当は人生の至芸・・・自分で必要で適切な量だけでが、最良。
■得意で好きなことをするのが成功と幸福につながる。
■改善すべきことを放置する不思議・・・不景気を乗り切るのも簡単、マニュアルがある
■花咲く森・・・季節季節を映す花咲く森がなければ、愛すべき世界の感覚も薄く
死の時に当たって「この愛こそ心理、それこそはこの世の贈り物」と思えない。
■人権という貧しい言葉・・・人間に生まれただけで誇りを持つという無意味な言葉。
■冒険しないで面白い人生はない
■判断を世間の常識にあわせることはない・・・逆らいをためらわない。
■人間としてすべきことをするのが自由。
■道徳をバカにするな・・・何をしても良いという甘さと幼稚さがダメ。
■日常の中の危険・・・理由なく信じることは愚か。
■安心して暮らせる世の中などない・・・運命を受け入れる
■最後の瞬間まで日常性を保つこと。
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「無名の人生」 渡辺京二著
2023/08/07 2023/03/15読了
無名のままに生きたい。「自分で自分の一生の主人であろう」。
昨年12月に亡くなった思想史家の渡辺京二という人は、最後まで、好きなことだけやってきて、少年のままで、生きてきた人の印象でした。
無名のままに生きたい。「自分で自分の一生の主人であろう」。
序・人間、死ぬから面白い
①私は異邦人
②人生は甘くない
③生きる喜び
④幸せだった江戸の人
⑤国家への義理
⑥無名のままに生きたい
渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。代表作に幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』などがある。日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。1938年(昭和13年)、当時かの地で映画館の支配人をしていた父を追って中国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本へ引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。旧制熊本中学校に通い、1948年(昭和23年)、日本共産党に入党する。同年第五高等学校に入学するが、翌1949年(昭和24年)結核を発症、国立結核療養所に入所し、1953年(昭和28年)までの約四年半をそこで過ごした。1956年(昭和31年)、ハンガリー事件により共産主義運動に絶望、離党する。法政大学社会学部卒業。書評紙日本読書新聞編集者、河合塾福岡校講師を経て、河合文化教育研究所主任研究員。2010年には熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授。2022年12月25日死去。92歳没。
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赤い日本 櫻井よしこ著
2023/07/23 2021/07/15読了
相変わらず鋭い見解です。
2021年7月に読んだこの本、その後2022年7月8日に安倍元首相が暗殺され、親中反日が益々増長して行っている。
滅びゆく国はこんなものなのか。
親中反日、反軍事、反国家・・中国とGHQの遺物に金縛りの日本。
論客と共に「内なる敵」を明らかにする。
国家ではない日本。
「規定がない」加藤官房長官。「菅総理の訪米前はやめてくれ」公明党。中国共産党の代弁者か・山口公明党代表。共産主義の乗っ取りのために、徹底的に依存する国日本。
櫻井よしこさんならではの鋭い指摘の連続でした。
「米中」ではない、日本の問題だ。このままでは日本は「韓国」になる。
そろそろ目覚めないと大変なことになるということですね。
櫻井 よしこ(さくらい よしこ、1945年生まれ )は、日本の政治活動家。国家基本問題研究所理事長、言論テレビ株式会社代表取締役会長、「21世紀の日本と憲法」有識者会議代表、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表。
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