近現代史記事紹介-10

 

■ よい子になりたい日本

 

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よい子になりたい日本・谷口智彦氏

過剰な承認欲求、中でも中国に良い思いがる性向は重大疾患

元内閣緊急参与・谷口智彦氏 2025/2/9 09:00 オピニオン コラム

 

本当にその通りですね。

日本人はいつからそうなったのか。

少なくても江戸時代までは自立していましたね。

 

明治になり、明治中期までは何とか自立していましたが、

明治後期からおかしくなってしまったということでしょうか。

昭和100年、戦後80年はもっと悪くなりました。

少なくても1871年から1873年にかけて、明治になって最初の海外視察団を送った時の精神に、立ち返るべきです。

 

自立できない日本の政府は、どうにかしていますね。

先日7日の日米首脳会談での日本の首相のレベルの低さには唖然としました。

そんな日本の状況を考えると、この「よい子になりたい日本」の病は、多分治らないかもしれません。

非常に勉強になりました。

2025/02/11

 

元内閣緊急参与・谷口智彦氏 
元内閣緊急参与・谷口智彦氏 

 

谷口 智彦(たにぐち ともひこ、1957年 - )は、日本の雑誌記者、ジャーナリスト。元内閣官房参与、元慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。株式会社日経BP編集委員室主任編集委員、外務省外務副報道官、明治大学国際日本学部客員教授などを歴任した。

 

 

よい子になりたい日本

過剰な承認欲求、中でも中国に良い思いがる性向は重大疾患

元内閣緊急参与・谷口智彦

 

誰にでも好かれたい人は、自分をなくしてしまう。優柔不断になって真の友はできない。国もこれと同じではないか。

 

西欧帝国主義が一番幅をきかせていた時期、日本はたった一人、白人世界に参入した。髷(まげ)をほどいて洋装した。暦を変えて、季節感覚まで犠牲にした。

 

全ては「一等国」として認められんがため。近代への船出を、承認欲求に身もだえながら始めなければならなかった国が日本だ。

 

末路は終わった。大戦争に敗れ亡国の憂き目を見た。ちょうど80年前だ。

 

米英ほか連合国やソ連からは永遠の敵国扱いになるわ、近隣諸国には一斉にうとまれるわで、日本はまたしても、承認欲求に身を焦がして戦後を始める。

 

染み付いた性癖の粘着力は強く、始終頭をもたげては己を見失わせる。

 

なぜ夫婦別姓を法律にしたいのか。「父」や「母」の文言が法律から消え、有名テレビ番組「おかあさんといっしょ」も「親Aといっしょ」になりかねないというのに、なぜ同性婚合法化を進めたいのか。

 

(イスラム圏なんかは無視して)先進国が皆こうだから日本もと、そんな理屈だ。よい子になりたい欲求が政治家を、特に弱い政権を、あらぬ道に走らせる。

 

そこからはすぐだ。世襲の皇室は前近代の遺物、男系一統はもっとそうだと誰かが言い出すのは。数知れない先人たちが悠久の時を超えて努め、なんとかかんとか保ってきた国の形が、この分ではあれよあれよという間に変わりかねない。

 

世界中で日本にしかないのが何が悪い、てやんでえ悪いもんか、いっそ人類史の遺産だと、涼しい顔で口笛の一つも吹けるようでなくてどうする。

 

対外関係でも同じだ。いい人と思われたがる外交をしていると、いつか相手に裏切られてほぞをかむ。

 

インドネシアを見るとよい。日本は戦後、最も手厚い支援を同国に与えた。おかけで彼の地の大衆は総じて親目的だけれど、それが日本の国益に転換できたか。

 

高速鉄道=何世代にも及ぶ重要インフラの建設を、インドネシアは中国に頼った。今度は中国を盟主とする国際枠組みBRICSに正式加盟だ。東京は、仁義を切ってもらえたのか。

 

中でも中国に良く思われたがる日本各界を覆う根深い性向は、国を過つ重大疾患と呼ぶべきだ。対中関係に安定を求めるのはよい。しかしそれには、侮られない力と胆力が要る。相手は一にも二にも力を、力だけを信奉する国ではないか。

 

誰かからお褒めをもらいたがる態度が、そもそもおかしい。己をまずおとしめてかかる生き方だからだ。過剰な承認欲求は、ひとも国も過つ。誰かの眼を意識し生きるのは、もうたいがいにすべき時だ。

(たにぐち・ともひこ) 昭和32年生まれ。安倍晋三元首相のスピーチライター。

 

 

 

■ 歴史を取り戻す勇気を持て

 

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歴史を取り戻す勇気を持て…

保守派の論客・西尾幹二氏から日本国民が今こそ学ぶべきこと

政治学者・岩田温氏

2025/1/12 08:00 オピニオン コラム

 

戦後80年、昭和100年。

我々が取り戻すべきなのは、我が国の歴史であり、そのための勇気である。

その通りですね。

そろそろ正しい検証で、歴史が取り戻されることを期待しています。

2025/01/25

 

政治評論家・政治学者 岩田温氏 
政治評論家・政治学者 岩田温氏 

 

岩田 温(いわた あつし、1983年(昭和58年)[4] - )は、日本の政治評論家。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。同大学院修士課程修了。学部在学中に『日本人の歴史哲学』を展転社から出版した。1983年(昭和58年)、静岡県生まれ。静岡県立磐田南高等学校在学中に「磐南総合研究会」を設立して保守派言論活動を開始。高校卒業後、早稲田大学政治経済学部政治学科に進学し、在学中に『日本人の歴史哲学』を展転社から出版する。また、在学中に早稲田大学公認サークル「早稲田大学保守研究会」及びNPO法人「日本保守主義研究会」を設立、代表を務める。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。 2009年(平成21年)より秀明大学助教。2016年(平成28年)より大和大学政治経済学部講師を経て准教授。2022年(令和4年)3月をもって同大学を退職。

 

 

歴史を取り戻す勇気を持て…

保守派の論客・西尾幹二氏から日本国民が今こそ学ぶべきこと

政治学者・岩田温

 

 「誰が見ても天皇には戦争責任がありますよ」

 

 昭和天皇に戦争責任があったと難詰し、指弾するのは左翼の常套句である。だが、ここで引用したのは、昨年亡くなった保守派の論客、西尾幹二氏の一文である。

 

 西尾氏は昭和天皇を批判するために、こうした言葉を綴ったのではない。そもそも、戦争責任とは何なのかを問うために敢えて書き記した言葉である。

 

昭和天皇に戦争責任はなかったとの論理はアメリカの知日派の創り出した論理だった。全ての責任は日本の軍部にあり、昭和天皇も日本国民も、軍部に欺かれた被害者であったという理屈である。しかし、よく考えてみれば軍部にすべての責任があったとの論理には、隠された大前提が存在する。日本が無謀な侵略戦争を惹起したとの前提だ。侵略戦争であったから、戦争責任が存在する。

 

「昭和史」の研究者と称する人々の書籍に魅力が感じられないのは、こうした大前提を自明視しているからだ。彼らの論理を突き詰めると、誰に戦争責任があったのかということになる。日本の陸軍であったのか、特定の個人であったのか。無謀な侵略戦争を開始した責任の所在を国内に求めることになる。このとき、アメリ力の戦争責任が追究されることはない。

 

武運拙く日本が戦いに敗れたのは事実だ。しかし、戦いに敗北した国家が邪悪な国家であったと決めつけるのは余りに愚かである。

 

ナチス・ドイツは地上からユダヤ人を諸滅させようと試みた。更に言えば、自国民の中で障碍者を殺戮する狂気の国家に他ならなかった。彼らの犯罪行為を是認することは許されない。だが、日本はジェノサイドに手を染めることなどなかった。むしろ、人種平等を唱え、植民地支配からの解放を大義名分に掲げたのだ。

 

戦争は悲惨であり、日本軍に殺された被害者がいたのも事実だ。しかしながら、米軍もまた広島、長崎で原子爆弾を投下し、日本各地で空襲を行った。どちらが残酷であったかのか決めつけられない。

 

西尾氏は押し付けられた歴史の枠組みそのものを拒絶し、事実を事実として虚心坦懐に見つめようと試みた。余の常識に「否」との声をあげるには、何よりも勇気が必要だ、

 

現代の日本に欠けるのは知性ある勇気に他ならない。我々が取り戻すべきなのは、我が国の歴史であり、そのための勇気である。知性は往々にして卑劣さと結びつき墜落する。連合国軍総司令部(GHQ)に迎合した左翼、権力におもねる知識人は数知れない。今こそ勇気ある知性を持った西尾氏から学ぶべきことは余りに多い。戦後日本偉大な知識人だった。

 

ドイツ文学者、評論家 西尾幹二氏 
ドイツ文学者、評論家 西尾幹二氏 

 

西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20日 - 2024年(令和6年)11月1日)は、日本のドイツ文学者、評論家。ニーチェの研究で知られる。学位は文学博士(東京大学)。電気通信大学名誉教授。新しい歴史教科書をつくる会名誉会長。東京府に生まれる。東京都立小石川高等学校を経て、1958年(昭和33年)東京大学文学部独文科卒。1961年(昭和36年)同大学院修士課程を修了。指導教官は手塚富雄であった。1961年静岡大学人文学部講師、1964年電気通信大学助教授、1975年教授。1979年に「初期のニーチェ」により東京大学より文学博士の学位を授与された。電通大助教授時代の1965年に「私の『戦後』観」で『自由』新人賞を、1994年正論大賞をそれぞれ受賞。1999年電通大を定年退官、名誉教授。2015年春、瑞宝中綬章受勲。2024年11月1日、老衰で東京都の病院で死去。89歳没。

 

 

保守の怒り 天皇、戦争、国家の行方  

草思社  西尾幹二・平田文昭共著

 

内容紹介(「BOOK」データベースより)

善人ゴッコはやめよ。皇室は敗戦以来の危機にある。

 

目次(「BOOK」データベースより)

第1章 保守の自滅(自民党自滅史と小沢一郎/中曽根内閣以来の保守の自己欺瞞が、保守の没落をもたらした。/レーガン・サッチャーの保守革命、新自由主義とはなんだったのか/「よく教育された土人」/安倍晋三氏への期待で沈黙ささられた保守/保守の卑屈/アメリカへの恐怖と文藝春秋文化人の役割/警戒すべきは米中旧味方同士の感情の回復/田母神事件とはなんだったのか/日本を抑え込む左右の壁/「戦後の戦争」とアメリカという異常国家)/

第2章 皇室の危機(誰も指摘しない陛下の重大な発言/天皇の「戦争責任」とは/異様に政治的な天皇発言の意味するもの/皇后陛下のご発言の衝撃/どのような憲法に改正されようとしているのだろうか/血と宗教/距離と時間に恵まれたがゆえの日本文化/アイデンティティーの起源は神武東征か縄文か/平成皇室とはなんなのか/皇室の危機再び/伝統より重いもの/最高の国家機密/カルト化した皇室礼賛派への疑問/平成流の危惧/「美智子様天皇制」崩壊の兆し)/

第3章 保守よ娑婆に出よ(靖國神社危うし/神道・神社・神道指令/恒例の八月一五日の戦没者慰霊は靖國神社を危うくしないか/英霊に恥かしい靖國神社/戦争の時代が来る/保守はカルト汚染を克服できるか/神社本庁よ、カルトと同席するなかれ/住みにくくなる日本/奪われる国民の自由と独立と権利/誰も気づかない道州制の危険性/医療と水の危機/差別禁止法の恐怖/民主党の最もあぶない点/保守オヤジを叱る)

 

 

 

■ 昭和日本「百年の孤独」を思う

 

私が気に入った新聞コラム ノンフィクション作家・早坂隆氏

昭和日本「百年の孤独」を思う 

ノンフィクション作家・早坂隆

2025/1/10 08:00 早坂 隆 オピニオン 正論

 

 

昭和100年史の出来事を見ると、早坂氏が指摘した通り、日本は「百年の孤独」かもしれません。

 

日本人が本当に失ったものは何か。「昭和」という元号と共に私たちが喪失したのは、それまでの日本人が大切に継承してきた「国柄」ではなかったか。の指摘は的を得ているように思います。

 

日本は自虐でも自賛でもない、まことの国史を取り戻し、次の100年を生き延びねばならない。

これもその通りですね。今の日本に果たしてそれができるのだろうか?

疑問です。

2025/01/11

 

ノンフィクション作家・早坂隆氏 
ノンフィクション作家・早坂隆氏 

 

早坂 隆(はやさか たかし、1973年〈昭和48年〉9月2日 - )は、日本のノンフィクション作家、ルポライター。日本文藝家協会会員。愛知県岡崎市出身。実業家・早坂力の曾孫。俳人・金子兜太とは親戚関係にある。愛知県立岡崎北高等学校、帝京大学文学部心理学科、日本エディタースクール(ジャーナリスト文章コース)卒業。

 

 

昭和日本「百年の孤独」を思う 

ノンフィクション作家・早坂隆

 

コロンビアの国民的作家であるガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』が、改めて日本で多くの読者を獲得している。

1967年に出版され、世界中でベストセラーとなったノーベル文学賞受賞作だが、架空の一族の盛衰を描いたこの大作は小説であるものの、不思議とどこかノンフィクション的でもある。

一編の興亡史を描くには、百年ほどの物差しが必要だという警句にも映る。

 

 

戦前日本のかたち

 今年は「昭和100年」にあたる。1926年12月25日、大正天皇の崩御、皇太子裕仁親王の践祚(せんそ)により、改元の詔書が発布された。新元号は四書五経の一つ『書経』の「百姓昭明にして、萬邦を協和す」から「昭和」と定められた。以降、日本はまさに苦悶(くもん)と刻苦、そして「孤独」の歴史を歩んでいくことになる。

 

 昭和の幕開け時、日本はすでに国際連盟の常任理事国であった。しかし、大正期に日本が国際連盟委員会に提出した「人種的差別撤廃提案」は否決された挙げ句、アメリカは日本人移民を締め出す政策に傾倒していた。日本は「有色人種の孤独」に懊悩(おうのう)した。

 

 昭和6年、満州事変。欧米諸国によるアジア支配体制がすでに確立されている中、日本への風当たりは強まった。「後発近代国家の孤独」である。

 

 一方、日本国内の都市部では、豊かな大衆文化が花開いた。ラジオが国民生活に定着し、野球やラグビーといったスポーツや、漫才やショーなどの演芸文化が幅広く根付いた。今に続く「野球人気」も「お笑いブーム」も、この頃にはすでに存在したと言える。他方、政治に対する国民の不信も広がったが、この点も現在と通底するのは悲喜劇的である。

 

 

大東亜戦争

 昭和12年、支那事変(日中戦争)勃発。英米は自国の国益から中国側に与(くみ)し、事変は泥沼の長期戦へと拡大した。

 

 昭和16年、真珠湾攻撃とマレー作戦を契機として、ついに英米、オランダ等とも干戈(かんか)を交えることになった。

 

 昭和20年、東京大空襲。非戦闘員に対する国際法違反の無差別爆撃により、日本の首都は灰燼(かいじん)に帰した。

 

 日本は世界に類を見ない特攻作戦にも踏み込んだ。多くの若者が国や故郷や家族、将来の日本を護(まも)るために尊い命を散らした。

 

 そして、2発の原爆投下。日本は世界で唯一の被爆国となった。原爆投下の報を知ったフランスの哲学者であるサルトルは、「日本人が黄色人種だから」という本質をすぐに看破した。

 

 さらにはソ連が中立条約を一方的に破棄して対日参戦。事ここに至り、日本は無条件降伏し、連合国軍による占領下へと入った。

 

 昭和21年、極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。日本が厳しく自省するのは然(しか)るべき態度としても、戦勝国が敗戦国を一方的に断罪する法廷に理などあるはずがなかった。蓋(けだ)し、そのような勝者の裁きが世の習いであることは、『百年の孤独』の中にある以下の台詞(せりふ)を読めば容易に理解できよう。「戦争裁判なんてみんな猿芝居さ」。日本は「敗戦国の孤独」の前になす術(すべ)もなかった。

 

 

日本人が失ったもの

 以上、これらの孤独とその連動によって、日本は押し潰されたのである。アメリカの語る歴史は妄信され、戦前日本のすべては否定された。特攻隊員のご遺族の一人は、こう言って咽(むせ)び泣いた。「お墓に石を投げられました。戦後社会こそ残酷でした」

 

 昭和27年、サンフランシスコ講和条約発効。日本は主権を回復したが、以後に訪れたのは占領下に制定された憲法さえ自らの手で変えられない異様な戦後だった。

 

 浅薄な平和主義に社会が覆われる中、経済至上主義が肥大し、世界から「エコノミックアニマル」と揶揄(やゆ)された。だが、その陰には「戦死した者たちのためにも日本を必ず復興させる」という戦中派の悲壮な誓いがあった。

 

 冷戦が終結し、平成、令和と時代は流れたが、大東亜戦争を戦った方々の本心は静かに埋もれていった。メディアは反省と謝罪の言葉だけを活字にし、老翁の語る愛国や大義は巧妙に隠した。一方的に編集された戦争証言により、あるべき健全な議論は阻まれ、公正な歴史認識は醸成しなかった。

 

 「失われた30年」という言葉も生まれたが、日本人が本当に失ったものは何か。「昭和」という元号と共に私たちが喪失したのは、それまでの日本人が大切に継承してきた「国柄」ではなかったか。衣食住はもちろん、思想や教育、死生観を含め、100年間でこれほど変貌した民族は他にない。だがその一方で、日本の「孤独」だけは、もしかしたらあまり変わっていないのかもしれない。

 

 『百年の孤独』で描かれた一族は、我欲と放埓(ほうらつ)、無秩序、そして戦争のために滅亡の道を辿(たど)った。日本は自虐でも自賛でもない、まことの国史を取り戻し、次の100年を生き延びねばならない。(はやさか たかし)

 

 

 

■ 2025年は西洋の凋落進む

 

私が気に入った新聞コラム。 

歴史学者、人類学者 エマニュエル・トッド氏

「2025年は西洋の凋落進む」

仏学者トッド氏と会見 核保有で自衛も選択肢と日本に提言

2025/1/5 09:00 三井 美奈 ライフ 歴史

 

エマニュエル・トッド氏は2025年は、西洋の凋落が進む」と予測した。

氏は「脱西洋化に向かう世界で、日本は特殊な地位を持つ」と言っているが、

果たして日本は独立して新たな地位を築くことができるのだろうか?

2025年新年にあたり、考えさせる題材でした。

2025/01/10

 

人口統計学者、歴史学者、人類学者 エマニュエル・トッド氏 
人口統計学者、歴史学者、人類学者 エマニュエル・トッド氏 

 

エマニュエル・トッド (Emmanuel Todd, 1951年5月16日 - ) は、フランスの人口統計学者、歴史学者、人類学者。学位はPh.D.(ケンブリッジ大学・1976年)。研究分野は歴史人口学、家族人類学。人口統計を用いる定量的研究及び家族類型に基づく斬新な分析によって広く知られている。フランスの国立人口学研究所に所属していたが、2017年に定年退職した。2002年の『帝国以後』は世界的なベストセラーとなった。経済現象ではなく人口動態を軸として人類史を捉え、ソ連の崩壊、英国のEU離脱や米国におけるトランプ政権の誕生などを予言した。

 

 

「2025年は西洋の凋落進む」

仏学者トッド氏と会見 核保有で自衛も選択肢と日本に提言

三井 美奈

 

2025年の世界はどこに向かうのか-。フランスの歴史学者、エマニュエル・トッド氏が産経新聞と会見し、展望を語った。ロシアの侵略で、米欧はウクライナに十分な砲弾を供給できず、対露制裁も誤算があったと指摘。「世界で指導的役割を担った西洋のもろさが示された。西洋の凋落が進む」と予測した。「脱西洋化に向かう世界で、日本は特殊な地位を持つ」とも述べた。

 

 

ウクライナ停戦に悲観的

今月20日のトランプ米大統領就任を前に、トッド氏はトランプ氏が目指すウクライナ停戦に悲観的な見方を示した。「彼は有権者に自分を『勝者』と見せねばならず、ロシアとウクライナの調停者としてふるまおうとする。彼は『とにかく戦闘を凍結してくれれば、それでよい』と言うだろうが、プーチン露大統領は停戦に興味を示さない」と分析した。

 

その背景には、米国は政権交代のたびに方針を変え、調停者としての信頼が失墜していることがあるとした。第1次トランプ政権が、オバマ政権が15年に結んだイラン核合意を離脱したことに触れた。

 

トッド氏によれば、プーチン氏はトランプ氏と話し合いを続け、ウクライナの戦意失墜を狙いながら、進軍を続ける可能性がある。「米国は影響力喪失の証を受け入れることができず、(ウクライナ支援を強め)戦闘がより激しくなる」危険もあると警告した。

 

 

大半の国とかけ離れた西側イデオロギー

対露制裁を巡る西側の誤算は、グローバル化で米欧の産業力が衰えたことに起因すると主張。特に、米国は深刻だと強調した。

 

トッド氏の言うグローバル化とは、2000年以降、米欧が産業拠点を移転し、「中国人やバングラデシュ人を働かせ、彼らの労働力に依存して生きる搾取構造」ができたことだ。このために、西側の対露制裁は世界のほかの地域を苦しめ、「怨嗟(えんさ)を招く結果となった」。西欧産業はエネルギー高騰にあえいだ。

 

一方、ロシアは天然資源を通じて中国やインドと連携し、制裁で「西側経済との競合から解放された」ことで耐久力を付けたとした。国際通貨基金(IMF)の予測で、24年のロシアの経済成長率は3・6%。米国や欧州連合(EU)を上回る見込みだ。

 

トッド氏は米国の産業力低下は、「プロテスタント精神の消失」に起因すると明言した。勤勉な労働意欲、道徳規範が失われ、宗教なき精神の空白に虚無主義が巣くっていると説明した。西側の「トランスジェンダーのイデオロギー、取りつかれたような環境保護主義」は、世界の大半の国の価値観とはかけ離れているとも述べた。西洋は自由民主主義という均一モデルを広げようとしたが、現実には世界の大半がロシアの国家主義、内政不干渉の原則に拠っているとした。

 

 

日本には産業国の伝統

トランプ次期政権が志向する保護主義に対しては、「高関税で国内産業を保護するには、外国に頼らずにやっていける労働力が必要。だが、米国には高い能力を持つ技術者や熟練労働者がいなくなった」として、成果に疑問を呈した。

 

日本についてトッド氏は、「戦後、米国によって西洋に組み込まれた。西洋並みの生活水準や技術力を持つが、世界のほかの国から西洋とは違う存在だとみなされている」と位置付けた。11年の東日本大震災後に訪日した際、「トヨタ自動車の下請けであることを誇る経営者に会った」のが印象的だったと語り、日本には産業国の伝統が残っているとした。安全保障面では、中国が台頭する中、「米国が守ってくれなければどうするか」を考えるべき時に来ているとして、核兵器保有による自衛が選択肢となると訴えた。(パリ 三井美奈)

 

産経新聞と会見するエマニュエル・トッド氏=昨年12月、パリ(三井美奈撮影) 
産経新聞と会見するエマニュエル・トッド氏=昨年12月、パリ(三井美奈撮影) 

 

 

 

■ フィンランドに学ぶ国民保護

 

私が気に入った新聞コラム

 

産経新聞正論に、「フィンランドに学ぶ国民保護」が載っており、興味を惹いたので書き起こして掲載します。

 

フィンランドに学ぶ国民保護

シェルターの人口カバー率は日本の17倍、

中でスポーツも ロシアと国境接するフィンランド

2025/1/8 17:02 深津 響 国際 欧州・ロシア

 

 

ロシアと国境を接するフィンランドの危機管理政策はすごいですね。

日本も、ロシア、北朝鮮、中国の核保有国に囲まれていますので、

当然このようなシェルターは必須だと思います。

 

しかし全く遅れている日本。

まったく政府、政治家は何をしているのか?本当に腹立たしい限りです。

 

しかしフィンランドの国家プロジェクトはすごいですね。日本も即見習ってほしいですね。

でも今の政府ではダメかもね。

2025/01/10

 

フィンランドの首都ヘルシンキ市内にあるメリハカ市民防衛シェルターの入り口=2024年11月28日(深津響撮影) 
フィンランドの首都ヘルシンキ市内にあるメリハカ市民防衛シェルターの入り口=2024年11月28日(深津響撮影) 

 

 

フィンランドに学ぶ国民保護

有事シェルター人口の8割カバー

市民が日常的に使用、場所を把握

 

シェルターの人口カバー率は日本の17倍、

中でスポーツも ロシアと国境接するフィンランド

2025/1/8 17:02 深津 響

 

 

ロシアによるウクライナ侵略など国際情勢が悪化する中、有事における国民保護は喫緊の課題だ。日本は北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の軍拡に直面するが、シェルターの人口カバー率は約5%(地下施設のみ)にとどまる。一方、ロシアと約1300キロの国境線で接するフィンランドでは、人口の8割超をカバーするシェルターを整備し、外部からの武力攻撃に備えている。フィンランドのシェルターを訪ねた。

 

 

地下約30メートル

首都ヘルシンキの中心地・ヘルシンキ中央駅から1キロほど離れた一角に小屋がぽつんとたたずんでいる。中にはエレベーターの出入り口と階段しかない。そのエレベーターで地下約30メートルへと降りると、強固な基盤岩をくり抜いた地下空間が広がる。

 

スポーツ用のコートが4面ある他、コーヒースタンドや子供向けの遊び場も併設されている。地上は冬の寒さだが、地下空間は快適な気温に保たれており、10人ほどの若者たちがインドアホッケーに興じていた。

 

ただ、この施設は市民の憩いの場にとどまらない。「メリハカ市民防衛シェルター」という名前を持ち、有事には約6000人を収容するシェルターとして活用される。

 

核兵器や毒ガスといったあらゆる攻撃を想定し、厚さ約40センチの金属製の扉、衝撃を到達させないための余剰空間、汚染された空気を浄化するフィルターなど、さまざまな防御用の構造が組み込まれている。避難者のための組み立て式ベッドやトイレを備え、甲状腺被曝を防ぐヨウ素剤も備蓄している。

 

フィンランドは1939年にソ連(現ロシア)の侵攻を受けた歴史があり、耕地面積の10%を奪われながらも独立を維持した。以降もソ連に脅かされながら国民を守る備えを続けてきた。

 

シェルターを管轄するヘルシンキ市救助局安全対策コミュニケーション部のアンナ・レヘティランタ部長は「施設を日常的に使用することで、市民は避難シェルターの場所が頭に入っている」と説明する。

 

 

脅威にさらされ進化

フィンランドではシェルターは珍しい施設ではない。法律で床面積が1200平方メートル以上の建築物にはシェルター設置が義務付けられている。

 

国内に約5万500カ所整備されており、収容人数は人口約550万人の約85%をカバーする。ヘルシンキ市内には約5500カ所あり、人口約67万人を上回る90万人の収容が可能だ。観光客らも避難できる。

 

メリハカ市民防衛シェルターについて説明するフィンランド・ヘルシンキ市救助局安全対策コミュニケーション部のアンナ・レヘティランタ部長=2024年11月28日、ヘルシンキ(深津響撮影) 

メリハカ市民防衛シェルターについて説明するフィンランド・ヘルシンキ市救助局安全対策コミュニケーション部のアンナ・レヘティランタ部長=2024年11月28日、ヘルシンキ(深津響撮影)

第一次世界大戦中には、毒ガスを念頭にシェルターを初めて設置。第二次世界大戦では新たに空爆という脅威が加わった。軍事技術の進化に合わせるためにシェルターに求められる防御能力の基準は5~10年おきに見直されている。

 

「フィンランドは常に市民を保護する態勢を作ってきた。シェルター整備は国民保護のみならず、社会機能を維持していくためのものだ」

 

レヘティランタ部長は意義をこう強調する。

 

 

大半が地上の施設

昨年12月10日、フィンランドのオルポ首相を首相官邸に迎えた石破茂首相は、フィンランドのシェルター整備について取り上げた。同席者は「首相はどのようにすればフィンランドのようにシェルターを普及できるのか、ヒントを得たいと考えていた様子だった」と語る。

 

日本のシェルターの整備状況は大きく遅れている。昨年4月時点で、ミサイルの爆風などから身を守る「緊急一時避難施設」に指定されたコンクリート造りの建物などは全国で約5万9000カ所ある。だが、その大半は、地上の学校校舎や公共施設であり、地下施設は3926カ所にとどまる。地下施設に収容できる人数は、人口のわずか4・7%だ。

 

台湾有事が現実味を帯びる中、中国に近い先島諸島でさえシェルター整備は思うように進んでいない。日本でも早期の整備が求められる。(深津響)

 

メリハカ市民防衛シェルターについて説明するフィンランド・ヘルシンキ市救助局安全対策コミュニケーション部のアンナ・レヘティランタ部長=2024年11月28日、ヘルシンキ(深津響撮影) 
メリハカ市民防衛シェルターについて説明するフィンランド・ヘルシンキ市救助局安全対策コミュニケーション部のアンナ・レヘティランタ部長=2024年11月28日、ヘルシンキ(深津響撮影) 

 

 

 

■ 真の独立国家たる覚悟と戦略を

 

私が気に入った新聞コラム 日本財団会長・笹川陽平氏

<正論>年頭にあたり 

真の独立国家たる覚悟と戦略を 

日本財団会長・笹川陽平

2025/1/6 08:00 笹川 陽平 オピニオン 正論

 

 

この人の考え方、指摘は、非常に的を得ていると思いました。

真の独立国家には国民の総意に基づく国家戦略こそ欠かせない。その通りです。

 

まだ独立できていないアメリカの属国のような「世界で一番危ない国」が日本ですね。

戦後80年「平和の迷妄」。どうにかならないものだろうか?

2025/01/10

 

社会運動家、日本財団会長・笹川陽平氏 
社会運動家、日本財団会長・笹川陽平氏 

 

笹川 陽平(ささかわ ようへい、1939年〈昭和14年〉1月8日 - )は、日本の社会運動家。笹川良一(日本船舶振興会初代会長)の三男。公益財団法人日本財団(旧日本船舶振興会)会長、同笹川平和財団名誉会長、東京財団顧問、世界保健機関 (WHO) ハンセン病制圧大使、ハンセン病人権啓発大使(日本国)などの役職を歴任し、2012年6月11日にはミャンマー少数民族福祉向上大使(日本国)に就任。2013年2月にミャンマー国民和解担当日本政府代表(日本国)に就任。日本人で初めて『法の支配賞』を受賞。明治大学政治経済学部卒業。次兄に自由民主党元衆議院議員・笹川堯がいる。政治家の笹川博義(笹川堯の息子)は甥。

 

<正論>年頭にあたり 

真の独立国家たる覚悟と戦略を 

日本財団会長・笹川陽平

 

「自主憲法制定」「国軍の創設」「スパイ防止法の制定」「サイバー対策の確立」「武器製造力の保持」―過激な言葉を並べたが、これらの要件を備えるのが、あるべき独立国家の姿と考える。

 

 

ルールより力が支配

わが国は戦後80年間、同盟国・アメリカに頼ることで、豊かで平和な社会を築いてきた。しかし気付いてみれば、ロシアによるウクライナ侵攻やガザ地区での戦闘など、国際社会はルールより力が支配する世界に変わりつつある。

 

尹錫悦大統領の戒厳令宣布に端を発した韓国政界の混迷、シリアのアサド政権崩壊を見るまでもなく、世界は「一寸先は闇」の状態にある。国内も少子高齢化や巨額の財政赤字、次代を担う若者の内向き志向など山積する難題に身動きが取れない状況に陥っている。

 

英国の雑誌エコノミストが毎年発表する世界の民主主義指数によると、2024年、民主主義といわれる国は欧米、日本など24カ国。これに対し権威主義国家は2倍以上の59カ国に上る。

 

経済格差の拡大も急だ。国際的NGO「オックスファム」は19年、10億ドル(約1500億円)以上の資産を持つ世界の富裕層約2100人が、世界人口の約6割、46億人分を上回る資産を保有している旨の報告を行った。

 

民主主義や資本主義は経済を発展させ、人々に幸せをもたらすと考えられてきた。多くの変化を前に、そうした神話の後退・行き詰まりを指摘する声も増えている。

 

そんな中、わが国の政治は「政治とカネ」「103万円の壁」を巡る国会論議を見るまでもなく、内政課題に追われ激動する国際社会に対応できていない。

 

この間、覇権主義を強める中国は軍事大国化し、ロシアのウクライナ侵攻にはミサイル実験など挑発的行動を繰り返す北朝鮮も加わった。台湾海峡の緊張も一段と高まり、3国に囲まれた日本の安全保障環境は急速に厳しさを増している。

 

わが国は日米安全保障条約に基づき米国が日本を防衛し、わが国が米国に施設・区域を提供するのを安全保障の柱としている。これに対し、現実に有事が発生した場合、米国がどこまで対応するか、日本は受け身の立場でいいのか、多くの疑問が出されてきた。

 

昨年秋、日本財団が「国家安全保障」をテーマに全国の17~19歳1000人を対象に行った調査で「他国から日本が攻撃・侵略された時に米軍が守ってくれる」と答えた若者は31%だった。

 

次代を担う若者の7割近くが不安を感じる、米国依存の安全保障態勢にはやはり問題がある。米国と日本では国益が違い、国民の考えにも差がある。

 

 

「世界で一番危ない国」

最近、海外に出張すると、知人から「平和日本こそ一番危険な環境にある」と指摘を受けるケースが増えた。外国の要人から「永遠の同盟も永遠の敵対もない。平和を維持していくためにも日本は核を装備すべきだ」との〝助言〟を受け、驚いた記憶もある。

 

イタリア・ルネサンス期の政治思想家、マキャベリは「自らの安全を自らの力によって守る意思を持たない国は、独立と平和を期待することはできない」との言葉を残した。

 

今の社会にも通用する名言と思う。何の備えも必要のない平和な社会が、永遠の理想であるのは言うまでもない。しかし有史以来そのような時代はなかった。

 

戦争や紛争に巻き込まれるのを防ぐためにも、必要な備えは欠かせない。今のままでは、この国の将来は危ない―。日頃そんな不安を強めていたせいか、正月早々、思わぬ夢を見た。

 

夢では若者を中心とした国会包囲デモや世論の盛り上がりで憲法が改正され、自衛隊は国軍となり、外交もたくましく変身していた。デモのプラカードには「自主憲法と国軍の創設」「真の独立国家」といった言葉が並び、「国の尊厳を守れ」といった檄文(げきぶん)もあった。全学連が日米安保条約改定を巡り「安保反対」を叫んだ昭和35年当時とあまりに違う光景に興奮したせいか、目覚めたときには全身にびっしょりと汗をかいていた。

 

当時は、自衛も含め軍備を放棄し中立主義に立つ「非武装中立」も議論の一つになった。現実離れした空理空論が弄ばれた時代でもあった。

 

 

戦後80年「平和の迷妄」

日米同盟がわが国の安全保障の要であるのは今後も変わらない。その一方で明確な国家戦略を持たないわが国の現状には、国の在り方として疑問が残る。真の独立国家には国民の総意に基づく国家戦略こそ欠かせない。

 

そのためにも政治家だけでなく、各界の指導者が覚悟と責任を持って「輿論(よろん)」の先頭に立つ必要がある。それによって、わが国が戦後80年の「平和の迷妄」から目覚め、世界から尊敬される真の独立国家に生まれ変わる道も開ける。(ささかわ ようへい)

 

 

 

■ 希望的観測を優先する日本人へ

 

私が気に入った新聞コラム

希望的観測を優先する日本人へ

直球&曲球 野口健

2025/1/9 10:00 社会 地震・災害 直球&曲球能登半島地震

 

本当にその通りですね。

日本の政府、メディアは、どうにかしていますね。

しかし、日本人のこの「希望的観測を優先する」考えは、多分治らないでしょうね。

非常に勉強になりました。

2025/01/09

 

登山家、環境活動家 野口健氏  
登山家、環境活動家 野口健氏  

 

野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、日本の登山家、環境活動家。亜細亜大学国際関係学部卒業。NPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表(2020年時点)として、ヒマラヤ・富士山での清掃活動といった環境保護への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている。

 

 

希望的観測を優先する日本人へ

直球&曲球 野口健 能登半島地震

 

能登半島地震の直後から被災地に通い続けたためだろうか? 被災地から車を走らせ夜間に帰宅して玄関の鍵を開けようとしたそのとき、ふと周囲を見渡し、ゾッとさせられた。

きれいにライトアップされた住宅街が瓦礫(がれき)の山々に見えたのだ。

 

あたり一面が瓦礫に埋め尽くされた光景が脳裏に焼きつき、フラッシュバックしたのだ。「明日はわが身」という恐怖を理屈抜きに骨の髄まで感じていた。

ウクライナで爆撃された街並みの様子をテレビで見ると能登の瓦礫と重なりゾッとする。

災害も戦争も有事であり、同じく残酷なまでに破壊されてしまうのだ。

 

しかし、メディアの話題は「不記載」のことばかり。

かと思えば一日中、一地方の知事選に関する騒動がメディアをジャック。

それ自体を否定するわけではないが、この間にも刻々と国際情勢は不安定化している。

尖閣諸島周辺はさらにきな臭くなってきたし、ロシアや北朝鮮問題もしかり。

 

以前、石原慎太郎氏が「日本にテポドンが一発ぐらい落ちないとこの国は目が覚めないだろう」と例え話をされていたが、この国の本質をある一面で捉えていたのではないか、と思う。

 

災害の度に避難所運営一つとっても右往左往。

能登地震では災害関連死が多く報告されている。救えるはずの命を救えなかったのだ。

医療体制や避難所の生活環境が深刻な被害をもたらしたのだろう。

能登一つでこのありさま。

首都直下型地震や、ましてや他国による侵略戦争が勃発したら、この国は何日持ちこたえられるのだろうか。

 

それに比べて台湾は地震が発生した約3時間後には快適な避難所運営がスタート。

あまりの迅速さに驚いたが、中国による脅威に絶えずさらされ続けている台湾のことだ。

有事に対する危機感はわれわれとは別次元。

それ故に有事に対する備えや訓練も雲泥の差だろう。

 

日本人は希望的観測を優先する傾向にあるが、現実はその通りにならない。

先の大戦が証明しているではないか。

日本のメディアにも言いたい。国民にもっとしっかりと伝えなければならないことが多々あるだろうにと。

 

 

 

■ 100年変わらぬ避難所

 

私が気に入った新聞コラム

産経新聞正論に、市岡豊大氏記事の「100年変わらぬ避難所」が載っており、興味を惹いたので書き起こして掲載します。

 

迫る南海トラフ、首都直下地震 

「100年変わらぬ避難所」、防災政策で問われる国のあり方

2024/10/24 21:04 市岡豊大 社会 地震・災害能登半島地震

 

地震や災害の多い日本。 

しかし、国際的にみると防災対策が全く遅れている日本。

100年変わらない避難所・・。

まったく政府、政治家は何をしているのか?本当に腹立たしい限りです。

能登はインフラも含めて復興はぜんぜん。本当にかわいそうです。

しかしイタリアの国家プロジェクトはすごいですね。即見習ってほしい。災害防護庁は絶対必要です。

2024/11/02

 

能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県能登町で、小学校に設けられた避難所に身を寄せる人たち=1月17日(渡辺恭晃撮影) 
能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県能登町で、小学校に設けられた避難所に身を寄せる人たち=1月17日(渡辺恭晃撮影) 

 

 

近い将来に南海トラフ巨大地震や首都直下地震の発生が危ぶまれる中、27日投開票の衆院選では防災行政も争点の一つとなっている。今年1月の能登半島地震では避難生活で亡くなる「災害関連死」が約200人に上っている。被災者が体育館で雑魚寝する環境は「100年前から変わらない」(有識者)と指摘されており、避難所のあり方も問われている。

 

「関連死は事故」

 

「避難所の環境改善には大規模な備蓄が必要だ。震災の度に補正予算を組むのでは遅過ぎる。床で寝れば体に悪いことは誰でも分かるはず」。能登半島地震で避難所の医療支援を行った新潟大特任教授の榛沢(はんざわ)和彦医師はこう話す。

 

榛沢医師は4月まで被災地で18回にわたり、避難所や車中泊での窮屈な姿勢などが原因で起きる「深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)」の検診を行った。被災者計1548人の約9%で血栓を検出したという。

 

平成28年熊本地震では災害による直接死の4倍近い200人以上が災害関連死だった。榛沢医師は「『関連死』という言葉でごまかしているが、避難所での死亡事故と考えるべきだ」と訴える。

 

昭和5年に伊豆半島北部で起きた推定最大震度6の北伊豆地震の写真には、床に布団を敷いて寝る被災者の様子が写る。現在は避難者データの電子化や物流システムなどでIT技術が駆使されているが、避難所のあり方は大きく変わらない。

 

重要な「TKB」

 

環境改善で特に重要なのは頭文字で「TKB」と言われるトイレ(T)、キッチン(K)、ベッド(B)だ。能登半島地震ではトイレが大幅に不足し、衛生環境の悪化が深刻化した

 

ベッドについては段ボールベッドで高さ30センチに上げれば、直接床に横になるよりもウイルスの付いた粉塵を吸い込むリスクを半減できるという。

 

これらを大量に備蓄する場合、避難所運営を主体的に行う市町村では予算や人員に限界がある。災害時には流通在庫からプッシュ型支援を行うが、政府は現在1カ所の備蓄拠点を来年度以降、全国7カ所へ拡大する。国や都道府県のさらなる維持管理体制の強化は不可欠な一方、限られた財政状況で、どこまで予算を割くかは問題だ。

 

今回の衆院選で自民、公明両党はTKBの支援に加え、「防災庁」設置による対応強化を掲げる。立憲民主党は災害時に権限・予算を被災自治体へ移譲する法整備を提案。共産党は国からの交付金額引き上げ、国民民主党はボランティア活動費の税控除を盛り込んだ。日本維新の会は1週間以内の物資供給を国の指針にするとした。

 

東大大学院の片田敏孝特任教授(災害社会工学)は「市町村が防災対応の一義的責任を負う現在の法体制は限界がある。どこまで防災に本腰を入れるか国民的議論が必要だ」と話している。

 

迫る南海トラフ、首都直下地震 100年変わらぬ避難所、防災政策で問われる国のあり方 
迫る南海トラフ、首都直下地震 100年変わらぬ避難所、防災政策で問われる国のあり方 

 

 

日本は避難所〝後進国〟

 

米国やイタリアなど先進諸国の災害対応では、国やボランティアによる支援体制や大規模な備蓄施設が整っている。

 

自然災害が多いイタリアでは国の災害防護庁が計画し、州政府やボランティアによる支援網が構築されている。避難所では全員分のベッドとともに家族ごとにテントが設営される。シャワー付きのコンテナトイレも設置され、食堂ではキッチンコンテナの厨房で作る温かいパスタなどの食事が提供される。

 

国の施設に数千人分のベッドなど資材が備蓄され、事前に訓練を受けたボランティアを数十万人規模で登録。災害防護庁の指揮で被災地に入り、1日で避難所を開設できるよう訓練している。

 

一方、米国では「連邦緊急事態管理庁(FEMA)」が一元的に担う。FEMAは年間予算約4兆円、職員数約6千人、非常時には計1万6千人が参集する大組織だ。FEMA管理の避難所では、必要な物資や設備が常にそろっている。ただ、米国では在宅避難が推奨され、州政府やNPOと協力して個人への直接支援が展開される。(市岡豊大)

 

 

 

■ 昭和25年(1950年)の出来事

 

●昭和25年(1950年)の出来事

 

私が生まれた、昭和25年(1950年)の出来事の記事がでていましたので、まとめてみました。

2024/10/08

 

昭和20(1945年)の終戦から5年後の出来事です。

 

この年は、朝鮮戦争が勃発、自衛隊の前身となる警察予備隊が発足、中国がチベット侵攻、米大統領トルーマンが朝鮮戦争で「原爆使用もあり得る」と発言、約1万人の公職追放解除、レッドパージ、金閣寺全焼、等々、激動の時代でした。

 

昭和25年(1950年)の出来事 
昭和25年(1950年)の出来事 

 

 

昭和25年(1950年)の出来事

 

■首相:吉田茂

■日本の総人口:83,200,000人

■株価:最高値114円、最安値85円、1ドル=360円

 

■世界

米国で赤狩り始まる(2月)

原子力兵器の無条件禁止求める「ストックホルム・アピール」発表(3月)

中国がチベット侵攻(10月)

米大統領トルーマンが朝鮮戦争で「原爆使用もあり得る」と発言(11月)

 

■スポーツ

巨人の藤本英雄が初の完全試合(6月)

プロ野球初の日本シリーズで毎日オリオンズ優勝(11月)

 

■主な出来事

1月7日・・聖徳太子の千円札発行

3月1日・・自由党が発足(民主自由党と民主党連立派の合同)

※その後、反共勢力と対峙するためにアメリカをバックに、1955年、日本自由党と日本民主党が合併してできた政党が今の自由民主党です。

4月21日・・神奈川・丹沢山中に米軍輸送機が墜落し35人死亡

5月1日・・外食券なしで米以外の主食販売が自由化

6月6日・・共産党幹部24人を公職追放

6月25日・・朝鮮戦争が勃発

7月2日・・金閣寺、青年僧侶「美に対する嫉妬」から放火全焼

7月11日・・小倉で黒人米兵が集団脱走、警察やMPと市街戦に

      日本労働組合総評議会(総評)が結成される

7月18日・・共産党機関紙「アカハタ」無期限発行停止

8月10日・・自衛隊の前身となる警察予備隊が発足

9月3日・・ジェーン台風が関西上陸、死者不明539人

9月23日・・浅間山が噴火

10月13日・・政府、約1万人の公職追放解除

11月18日・・国鉄京都駅で出火、駅舎全焼

 

 

■映画

「また逢う日まで」「帰郷」「暁の脱走」「執行猶予」「羅生門」「きけ、わだつみの声」「暴力の街」「自転車泥棒」「無防備都市」「赤い靴」「白雪姫」

 

■流行歌

「夜来香」山口淑子、「水色のワルツ」二葉あき子、「東京キッド」美空ひばり、「イヨマンテの夜」伊藤久男、「桑港のチャイナタウン」渡辺はま子、

 

■物価

米価10㎏=445円、サントリーオールド=1800円、牛乳180㏄=12円、江戸むらさき=50円、ヱスビーカレー赤缶37g=330円。

 

■出版

「風にそよぐ葦」石川達三、「潜行三千里」辻政信、「石中先生行状記」石坂洋次郎、「帰郷」大佛次郎、「武蔵野夫人」大岡昌平。

 

■流行語

金へん、糸へん、とんでもハップン、曲学阿世、オーミステーク、特需景気、アメション、わてほんまによういわんわ、ナイター、レッドパージ。

 

■新商品

サントリーオールド(寿屋)、ヱスビーカレー赤缶(S&B)、江戸むらさき(桃屋)。

 

■ラジオ

今週の明星、ラジオ喫煙室(NHK)。

 

好きな作家、曾野綾子氏 
好きな作家、曾野綾子氏 

 

■それから74年、

大好きな作家、曾野綾子氏は、今の日本をこのように言っています。

(曾野綾子著、百歳までにしたいことから転記)

 

どこに行っても、独自の文化表現があり、それを支えている落ち着いた地方性がある。公共の施設は、整備がゆき届いており、壊れっぱなしになっている設備など見当たらない。日本は多分、世界一の水準を保った日常性に恵まれるようになった。日本全土に住む日本国民がほぼ等しく同じような恩恵を受けられるように整備された。それを社会はここまでやってのけた。私たちの正直で勤勉な先輩と、賢い同世代人のおかげである。日本の最大の資産はこういう上質の同胞である。日本は国家としての経営に成功したのだ。

 

その通りですね。戦後から現代まで、頑張った先輩方のおかげで、今の日本があると感じます。

1950年生まれの、近現代史が好きな老人の感想です。

 

 

 

■ ドラッカー学会、糸島大会について

 

私が気に入ったFBコラムから学んだこと

ドラッカー学会、糸島大会について・岩崎駿介氏の紹介記事

 

紹介の、岩崎夏海氏の「もう、始まっている未来」のなかの、

「能力主義化」、「非言語化」、「個人主義化」の3つの見解は、非常に興味を引く内容でした。

今後世の中はどう変わっていくのだろうか?

2024/09/16

 

建築家、都市デザイナー、NGO活動家 岩崎駿介氏 
建築家、都市デザイナー、NGO活動家 岩崎駿介氏 

 

岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、NGO活動家、政治家。息子の岩崎夏海は放送作家。東京生まれ。父は岩崎書店創業者・岩崎徹太。兄は精神科医の岩崎徹也。慶応義塾高等学校卒業後、東京藝術大学美術学部建築科へ入学。大学卒業後、建築設計事務所を2年間経営した後、アフリカ・ガーナの国立科学技術大学専任講師、そしてハーバード大学デザイン大学院都市デザイン専攻留学。1969年横浜市役所企画調整局・都市デザインチームのチームリーダーとなる。1979年、国連アジア太平洋経済社会委員会のスラム課長。1982年、筑波大学助教授。1981年から1993年まで 日本国際ボランティアセンター代表。1993年から1998年まで環境問題政策提言NPO「市民フォーラム2001」事務局長及び代表。

 

ドラッカー学会、糸島大会について

岩崎駿介 2024/09/13 FB投稿

 

ドラッカー学会、糸島大会・・・Drucker Society of Japan, Itoshima Conference!

僕と美佐子は、息子:岩崎夏海の招待で今日からこの学会に参加する。今回は息子が実行委員長を務め、「もう、始まっている未来」と称して、これから世の中はどのように展開するかが議論される。僕は、三年前にこの学会で話させてもらったので今回は出番はないが、以下に述べる息子の意見に従って、どのような議論が交わされるかに興味がある。

 

以下、岩崎夏海の文章より抜粋・・・・・ぼくがお裾分けできる「知見」とは何か? それは、今のところ以下の三つとなる。

 

 

その一「社会の『能力主義化』」

 

インターネットとスマホの普及、それに伴うグローバル化で、これからの社会は日本のみならず世界でナンバーワンにならないと生き残れないようになった。だから、何かの仕事をするなら世界ナンバーワンを目指さなければならない。もし既存の分野で世界ナンバーワンになれない場合は、新しい分野を作らなければならない。だからぼくは、『もしイノ』で「新しい分野の作り方」を書いた。

 

この「競争の激化」と「イノベーション」が不可避となった状況において、社会は圧倒的な「能力主義」となった。つまり、能力に秀でた者がどこまでも有利な社会になった。特に知能に秀でた者が有利な社会になった。これはサンデル教授の本『実力も運のうち 能力主義は正義か?』にすでに書かれていて、ぼくが言い出したことではない。しかしまだ気づいていない人が多いので、あらためて伝えたい。

 

特に、教育関係者に伝えたい。能力主義社会は言い換えると「知能社会」である。そして知能はほぼ生まれつきの才能で決まる。そのため、知能に秀でていない者がいくら勉強しても、役に立たないどころか害悪なのである。人生を狂わす。

 

だから、これからはほとんどの子供が勉強してはならない。これはけっして冗談ではない。勉強は、ほんの一部の生まれつき知能に優れた者だけがすればいい。それ以外の人間は、それぞれの得意分野で世界一を目指すべきである。勉強などはさっさとやめるべきだ。この考え方は最近熊本県知事が提言して大炎上したものと似ているが、やがて皆が真剣に向き合わざるを得なくなるものだ。

 

 

その二「社会の『非言語化』」

 

今もうすでにそうなっている部分も大きいが、これからの社会において、情報の主役は「言語」から「非言語」へと移行する。なぜなら、言語の「価値」がほぼゼロにまで下がるからだ。そのため、たとえ言語に秀でていても、何の利益も得られない社会が来る。

 

なぜかというと、AIが登場したからだ。また、それ以前に登場したインターネットも、そうした傾向を強めた。このインターネットとAIによって、「言語」で得られる情報の価値がほぼゼロになったのである。それらはいずれも、ネットで無料で取得できるようになった。

 

例えば、「旅行ガイド」というものの価値がゼロになった。それまでは本屋さんでしか買えなかったものが、今はネットでタダで、本屋で買う以上に新しくまた詳しいものを得られるようになった。

 

一方で「旅行そのもの」の価値は逆に高まった。なぜなら、それは「非言語」だからだ。おかげで、旅行者は世界中で増えている。あるいは、オンラインで聞ける音楽の価値がゼロになった。ほとんどのミュージシャンは今、新曲をオンライン販売するのではなく、タダでYouTubeにアップする。

 

その代わり、ライブの価値は桁違いに上がった。これも、非言語コミュニケーションだからだ。そういうふうに、言語情報の価値が下がることで、相対的に非言語情報の価値が高まったのだ。

 

これの皮肉な決定打が、コロナによるリモートワークの普及だ。リモートワークが一旦定着したことで、逆にその限界が見えてしまった。そうして、一部の企業ではリモートワークの禁止を打ち出し始めた。

この流れはまだ主流とはなっていないが、今後は不可避的に広まるだろう。なぜなら、旅行ガイドやインターネット上での音楽販売がタダになったように、いずれリモートワークでできる仕事の価値もゼロになると予測されるからだ。それらはほどなくしてAIが代替するようになる。そうなると、人間に残された仕事は旅行先やライブ会場のような「現場」にしか残らない。

 

 

その三「社会の『個人主義化』」

 

上記二つのことが相まって起こるのが社会の「個人主義化」である。逆にいうと「組織が不必要な社会の到来」だ。

 

10年ほど前、Googleから『ワーク・ルールズ!』という「人事論」の本が出た。これによると、Googleという企業が最も力を入れているのが「採用」で、そのためにあらゆるリソースを傾けているという。それは、ITの世界では優秀な人材こそが飛び抜けたサービスを生み出すという経験則からである。実際、Googleの有名なサービスは、どれもチームではなく一人の優れた個人が生み出してきた。

 

だから、Googleは優れた個人を雇うために、あらゆる手段を講じてきた。ところが、それから10年が経過した今、Googleのその取り組みがどうなったかというと、完全に失敗したのだ。いまだに苦しんでいるというより、以前よりずっと苦戦するようになった。なぜかといえば、この10年で優秀な人材ほど辞め、優秀ではない人ほど残るという負のサイクルが加速したからだ。

 

Googleに限らず今、優秀な人ほど組織には残らず、個人で会社を立ち上げる。組織にできることは、わずかに出資することだけである。なぜそうなったかといえば、今のインターネット時代、優秀な人は組織に所属する必要がなくなったからだ。というのも、優秀な人ほど一つの能力ではなく、複数の能力を持てるようになったのだ。

 

それは、インターネットが登場したからだ。インターネットで、言語情報がただで流通するようになった。すると、優秀な人ほどそれを活用し、複数のスキルを伸ばすようになったのである。

 

その象徴的存在が大谷翔平である。彼が最も優れているのは「成長力」で、そこでは実はインターネットが大きな役割を果たしている。インターネットによって有用な情報をタダで得られるようになったため、それを十全に活かすことで、一人で何役もこなせるようになったのだ。

 

ドラッカー学会糸島大会では、この三つの社会現象について学ぶ。すなわち「能力主義化」「非言語化」そして「個人主義化」である。これらの社会現象とその対処方法は、実はドラッカーの『マネジメント』には書かれていない。いずれも「その先」の話である。

 

ドラッカーは『マネジメント』において、知識社会の「到来」を書いた。しかし上記の三つは、いずれも知識社会の「終焉」にかかわることだ。ドラッカーが『マネジメント』を書いたのは、20世紀中盤、社会の中心が「ブルーカラー」から「ホワイトカラー」へと移行したからだ。しかし2024年の今、社会の中心は「ホワイトカラー」から「ノーカラー(ティーシャツ)」へと移行しつつある。そうしてホワイトカラーの知識人たちは、ゆっくりとしかし確実にその居場所を失いつつあるのだ。

 

そんなノーカラー時代の到来に際して、我々はどうすべきか? それを今、あえてドラッカーの思考の枠組みで考えるのが、ドラッカー学会糸島大会のテーマである。

 

 

 

岩崎駿介2024/09/14 FB投稿

ふたたびドラッカー学会について---

 

今朝、お知らせしたドラッカー学会への息子:岩崎夏海の意見、すなわち能力主義化、非言語化、そして個人主義化の三つに対して、僕は以下のように考えます。

 

まず第一の能力主義については、資本主義ではなく能力主義、つまりいくら金を持っていても役立たず、能力があるかないかが決定的に重要な役割を果たすということを意味する。昔は馬鹿でも金さえあれば何とかなったが、能力が無ければたちどころにすべてを失う。したがってこの意味において社会は平等になる可能性がある。また、能力主義化により資本主義システムは終焉する可能性がある。

 

第二の非言語化については、まさにその通り。僕は昔から一語一絵、一つの言葉に一つの「絵」をと主張してvisual commnication(視覚的交流)を重視している。僕はなぜか小さい時から文章を読むのが苦手で、人の名前も発音より文字の形で覚えている。息子は非言語の典型として空間をあげているが、この空間こそ僕の記憶原点です。 視覚的情報交換は、一瞬にしてすべてを理解し、結果的に情報量が多い。

 

第三の個人主義化については、何より今や組織、集団、グループではなく、抜きん出た個人の能力によってことが決まるということを意味している。この意味で組織の重要性を説いたドラッカーの趣旨とは異なるが、それが現実であることを理解しなければならない。しかし本来、人と人との関係は人間にとってもっとも重要であり、個人主義化が深まるにしたがい、より好ましい人間関係が成立すると思う。

 

 

放送作家、小説家 岩崎夏海氏 
放送作家、小説家 岩崎夏海氏 

 

岩崎 夏海(いわさき なつみ、1968年7月22日 - )は、日本の男性放送作家、小説家。東京都新宿区で生まれ。父は筑波大学元助教授でアーバンデザイナーの岩崎駿介、祖父は岩崎書店創業者の岩崎徹太、伯父は精神科医の岩崎徹也。バンコクのインターナショナル・スクール、バンコク日本人学校で学ぶ。1982年1月に帰国して中学1年時の3学期に茗溪学園中学校へ編入。卒業後、東京芸術大学美術学部建築科で学ぶ。大学卒業後は秋元康事務所前身のソールドアウトで秋元に師事した。放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』『クイズ赤恥青恥』などのテレビ番組制作に参加し、2005年から2007年までAKB48アシスタントプロデューサーを務める。2007年12月に秋元康事務所を退職し、株式会社インディソフトウェアでゲームやウェブコンテンツの開発に携わり、2009年4月から吉田正樹事務所に所属して文筆作家として活動する。2009年12月に『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を発売し、2011年4月からNHK総合でアニメ版が放送され、6月にAKB48の前田敦子が主演する映画版が公開された。祖父が創業した児童書出版社岩崎書店で、2016年に叔父の岩崎弘明から引き継ぎ社長に就いたが、2018年に退任した。

 

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